12-4 キコカの間合いに踏み込んだ
何を、と凄んで胸ぐらを掴もうとした茶髪は、その腕を取って軽く捻ったらポキンと音を立てて折れた。ぎゃあ、という悲鳴が公園に響いた。
「ガキの喚き声はキャンキャン響いて耳に付く。うるせえんだよ。ほろ酔い気分が台無しだ」
てめえ、と喚いたピアスがナイフを取り出したので、その手を爪先で蹴り上げたら得物はあさっての方角に飛んで消えた。
蹴った足をそのままふり戻して、そのままヤツの向こうずねを蹴ったらゴキリと鈍い音がした。そしてやはり裏返った声が辺りに響いた。
「おい、そこの小娘」
役に立たなくなった男二人を擦り抜けて、ずいと女生徒に近づくと、慌ててスマホを後ろ手に隠した。あからさまに狼狽して「女に手を上げるつもり?」と裏返った声を上げた。
「今のやつ、全部映してるからね。手を出したらネットに上るから。そしたらアンタお終いなんだからね!」
後退る制服女子の顔は、夜目にも分かる程に青ざめていた。
「安心しな、オレは女には手を出さねぇ。だが自分を弁えてねぇメスガキは別だ」
咄嗟に逃げ出そうとした女生徒を捕まえ、スマホを奪い取るのは簡単だった。そのまま雑巾でも絞るかのように両手でヒネれば、中のメモリーもろともタダの残骸と化した。
「誰か助けて」と喚く小娘の髪を掴み、頭もろとも地面に叩き付けたら一発で静かになった。
「このままオマエの髪で便器の掃除でもしてやろうか。公衆便所なんて大抵小汚ねぇからな。さぞやキレイに為るだろうよ」
「やめてっ、おカネなら上げます」
「要らねぇ。便器の掃除をするダケだ。それ位するのは普通なんだろ?」
公衆便所の中へ引きずり込もうとしたら、「待って下さい」と引き留める声があった。足を止めて見れば、全裸で前を両手で隠した少年が青あざを付けた顔で立っていた。
「許してあげて下さい。女の人に、それはアンマリです」
「おいガキ、てめえコイツらにいいようにヤラれてたじゃねぇか。腹立たねえのか」
「は、腹立ってます。コンチクショウって思ってました。でも、もういいんです」
「ボコられてんじゃねぇかよ。顔の青タン、コイツらのせいなんだろ。ムカれた挙げ句によ」
「今の見てたら、気が済みましたから。それに、鹿屋さん、あ、その女の人の名前なんですけど、ボ、ボクが好きなヒトなんです。それ以上酷いコト、しないで下さい」
「おいおい、こんなのが好みかよ。にしても、コイツおまえに何をした?百年の恋も冷めるぜ」
「それでも・・・・お願いします」
チラリと髪を掴んでいる女生徒を盗み見た。愕然とした顔で少年を見つめているダケだった。対する少年もまた、決して目を合わそうとはせず、表情を引きつらせ小刻みに視線を彷徨わせるばかり。
こんな状況とはいえ、とても告白した者の態度には見えなかった。
なので、そういうコトかと合点が付いた。好きだの何だのと言っては居るが、それはこの場を収めようとするただの即興、咄嗟の思いつきだ。顔見知りだからこそ穏便にと、そう考えてのコトに違いない。
「だそうだ。良かったな、小娘」
手を放してやると女生徒は、ぺたんと力なくその場に尻餅をつくだけだった。
「おい、ガキ」
ずいと近寄ると、手で隠していた大事な部分をガシリと鷲掴みにした。
「痛っ」
「結構いい持ち物じゃねぇか。やっぱデカいと性根も違ぇな」
「は、放して下さい」
「ガキ。どんなにご立派なコトほざいても、力が無きゃただのタワゴトだ。今晩は運が良かったが次も同じとか思うなよ」
「い、痛いっ、つ、つぶれるっ」
苦悶の顔には脂汗と同じく恐慌も浮かんで居た。
「此処での出来事は災難なんかじゃねぇ。弱いオマエが呼び込んだコトだ。テメエを守れるのはテメエだけ、それを忘れるな」
手を放した途端少年は前屈みになって後ずさり、青い顔のまま肩で息をするダケであった。
腕を折られた男は「救急車」と半泣きだった。足を折られた男は「痛ぇ、痛ぇ」と泣いてうずくまっていた。少女は呆然と座り込んでいた。
そして外園は「ふん」と鼻息荒く、その場を立ち去るのだ。公園に居残った者たちは、ただその大きな後ろ姿を見送るばかり。
程なくして、街灯の明かりが届かぬ茂みの中から、額に電源スイッチのような白斑が在る猫が抜け出して来た。
そして背の高い男の後を追うように繁華街のネオンの中へと溶け込んで行ったのだが、気付いた者は誰も居なかった。
「チンピラの対処はチンピラが一番上手いというコトなのかしら」
業務日報にデコピンの録画したデータを添付して腹黒上司に転送したら、程なくして「報告ご苦労」などというショート・メールが届いた。お陰でキコカは狼狽して慌てるハメに為った。
コレはいったいどういうコトか。たかが日常定例業務でこんな返答が来るなど在り得ない。いったい何が起きている、自分の与り知らぬ所で何が進んでいるのだ?
そして何やらトンデモなく怪しげな企みに二つ返事で加担してしまったのではないかと、途方もない不安が過ぎり、背筋が薄ら寒くなるのだ。
「まぁ、あの腹黒が何をどう画策しようが、あたしのやることが変わる訳じゃないんだけどね」
深夜の清掃作業を続けながら邑﨑キコカは独り語ちた。或いは、あの丸々とした肉団子医師が一枚噛んでいるのかも。だがいずれにしても同じ事だ。
もう一人分の前掛けとモップは手近な机の上に置かれたままだった。今夜もヤツは自主休業を決め込む肚らしい。
あの三枚舌(もしかするともっと生えているかも知れない)の上司はホンモノの現場を教えてやれなどと宣った。だが当人がやって来ないのでは教えようがない。
ケダモノの調教師よろしく鞭を振って躾けるにしても、あの手の阿呆は骨の髄まで知らしめてやらないと、タダ無駄に怨念を募らせて暴走するだけだ。なので、中途半端なのが一番よろしくない。
そういう意味では野生の猛獣の方が余程に扱い易い。連中は自分が敵わない相手と見極めた途端、決して逆らわなくなるからだ。
「ヘタに意地だの自尊心だのを持っているヒトの方が、余程に阿呆だからね。知恵と勇気で不利に立ち向かうのが美徳だと思って居るから。屈辱だろうが尊厳を捨て去ろうが、全ては生きて居ればこそだよ。
屍体になったら後悔すら出来やしない、ってあたしが云っても説得力はないか」
皮肉めいた笑みを浮かべて床をこするモップと休めれば、机の上で丸くなっている黒い毛玉と目が合った。
「ああ、後追い?今夜はイイよ。居場所は逐一分かっているし、ヤツの襟に盗聴器も貼り付けた。上着が脱ぎ捨てられなきゃ大丈夫さ。まぁ、暇潰しに追っかけたいって云うのなら止めないがね。
そうそう、散歩に出るならその前に校内を一回りしてくれ。もう居ないとは思うが念の為だ。またぞろ何時かのように、別口が入り込んで居ないとも限らないし」
ほぼ真っ黒な白黒ブチ猫は瞬きもせずジッと見つめ返していたが、やがてクルリと身を翻して汚れた教室を後にした。そしてキコカは再びただ黙々と、赤黒い床を洗剤まみれのモップで擦り続けるのだ。
汚れている床面積はまだまだ膨大で、壁や柱も酷いものだった。やれやれと溜息は漏れるが、手を動かさなければいつまで経っても片づかない。もう一人居れば幾分楽だろうにと思うのは、甘えた考えなのだろうか。
モップに浸した洗剤の臭いがつんと鼻を突いた。
そのまま夜はゆっくりと更けていった。
キコカが妙だなと気付いたのは二三時を少し回った頃の事。
あの毛むくじゃらな相棒が巡回に出掛けてから、既に三時間以上が経過して居た。ぐうたらでズボラなほぼ真っ黒な毛玉だが、定期の生存通信をサボるほど無責任ではない。
通信を送れない某かが起きたのか、それとも何か厄介ごとに巻き込まれている最中なのか。
清掃の手を休めてスマホで呼び出してみる。
「デコピン、どうした。何か在ったか」
脳会話どころか、にゃあともみいとも返事が無かった。ただ野外に居るのか、マイクにはガサついた風音だけが聞こえるダケ・・・・いや、違う。急に砂利を擦るような音がしてそれが段々と大きくなっていった。
マイクが何者かの足音を拾っているのだ。そしてガサガサと籠もるような音のあと直ぐに風音も無くなり、靴が硬い床を踏みしめる音にとって変わった。何者かが階段を登っているに違いなかった。
そして「お仕事ご苦労様です」と妙に気取った声音が聞こえた。スマホだけではない。締め切ったドアの向こう側からも同じ台詞の肉声が響いていた。
がらりとドアが開く。
「これはこれは、麗しの先輩さまではないですか」
黒々とした教室の出入り口の向こう側から、下品なダミ声が聞こえて来た。
「小洒落た首輪を付けていると思ったら通信機付きか。飼い猫に毎日お話でもしてるのかな。顔に似合わずカワイイところあるじゃねぇかよ」
「外園か。デコピンは、あたしの黒猫はどうした」
スマホは電源を切ってスカートのポケットへ。どうせ直ぐさま上司に一報入れるハメに為る。
「おねんねしている最中だぜ。もっとも朝まで持つかどうかは保証の限りじゃねぇがな」
「何をしたと聞いている」
「いやぁ、手間が省けたよ。どうやってアンタをヘコませてやろうかと考えていた所だったんだ」
「質問に答えろ」
「手加減ってのは結構難しいもんだな。生かさず殺さず、その塩梅はまさに紙一重ってところかな。それにくたばった所で何だってんだ。ただの毛玉、クソする玩具じゃねぇか。壊れてたら帰り際、ディスカウントストアで新しいヤツを買えば良い」
「アイツはいまドコに?」
「答えて欲しけりゃ今すぐ此処で土下座しな。ごめんなさい、わたしが悪かったです、と謝って俺の靴をその舌で掃除してくれ。そうすりゃ前歯を折るダケで勘弁してやる。それとも鼻の方がイイか?出来ないってんなら、腕づくだな」
「そりゃあ、あたしの台詞だ。素直にデコピンの居場所を答えたら、ゲンコツ一発で許してやろう」
「怒った?怒った?マジになっちゃったのか?おつむプンプン、湯気が出てるぜ」
「幼稚園児の煽りだな」
「おうおう、勇ましいねぇ。目が吊り上がってるぜ、コワイコワイ。やっぱりそう来なくちゃね。黒毛玉をいたぶった甲斐がない。今度は油断しねぇ。ちぃと歳食ったダケのババアがイキがってんじゃねぇよ。俺の本気に敵うとでも思ってんのか」
諦めたような舌打ちが赤茶けた床の教室に響いた。
「そうか。こりゃあ、あたしが悪かった。中途半端だったよ。やはりチンピラは泣いて懇願するまで手を緩めちゃ駄目だったんだ」
「そりゃあコッチの台詞さ」
吠え面かかせてやるぜ、と凄むのと、邑﨑キコカが肩を竦めるのはほぼ同時だった。
「教育的指導だ。身体はドコも切り落とさないでおいてやる。五分、いや三分立って居られたら無礼な口上は勘弁してやろう。デコピンを痛めつけた件はまた別口になるけどね」
抜いた腰の大鉈は逆さに持ち替えして峰打ちに構えた。「舐めるな」と抜いた外園のナイフは何の躊躇も無い。
「そのキレイなお顔を切り刻んでやろう。それとも切り落とすのはクソ生意気な舌の方がイイか?」
外園の足がキコカの間合いに踏み込んだ。




