11-7 雑踏の中へ消えていった
「傷は大丈夫なのか」
呆れた口調であったが、気遣う物言いはいつもの小暮だった。
「頭はガラスで切っただけです。皮一枚で済んで中身は問題無いらしいです。左手は上腕の単純骨折です。全治一ヶ月なのだとか」
「まぁ、後遺症が出ないなら何よりだ」
「病院で暴れるちょっと前に、あの子と話したんですよ。二言三言って程度ですけど。あの少女、遺体の彼女にそっくりでした。しかも父や母、そして姉たちを心配していました。どこをどう見ても普通の少女にしか見えませんでした。
ヒトを喰うバケモノが家族の心配なんてするでしょうか」
「だがヒトじゃないのは間違いなかろう。あの病院の惨状は大の男にだって出来やしない」
「それは、まぁ・・・・しかし」
「あの家族に娘は一人だけだ。姉なんて居ない。それは知って居るだろう」
「はい。だからこそ分からなくて」
「アレには何種類か居てな。ヒトを喰う『ヒト喰らい』と、喰われたヒトにすり替わる『ナリ替り』ってのが居るのだそうだ。オマエが病院に運んだのは後者だよ、擬態ってヤツだ」
「擬態、アレが?キチンと言葉を喋ってましたよ。ホンモノのヒトじゃないんですか。どう見たって普通の少女でしたよ」
「ああ、先ず普通の人間には見分けはつかないらしい」
「信じられません。何かの間違いじゃないんですか」
「まぁ、そう感じるだろうな。俺も最初はそうだったよ。そしてその中でもあの少女、いや少女だったモノは特別だったんだそうだ。自分をヒトだと思い込む程に、完璧にナリ替わっていたのだとか」
「しかし・・・・いや、その、何というか。それが本当だとすれば、よく見つけられましたね」
「最初に喰われたのがあの娘で、ヒト喰らいはその子に擬態。そのまま、娘の父親と母親を喰ったらしい。風呂場にはヒト喰らいに喰われた少女の残骸が在った。それを元にナリ替りが次から次へと生まれてたんだよ」
「・・・・」
「流石に、同じ顔同じ姿同じ記憶の子が次々に出て来れば、直ぐにオカシイって分かる。あの子が裸だったのもナリ替わった直後だったからだ」
「そんな経緯が」
「基本、ヒト喰らいもナリ替りも同じらしい。餌が違うってダケだ。ヒトを食べるか、ヒトと同じモノを食べるか。それだけの差でしかないって話だ」
「それだけって・・・・」
「例えば、虫だって何を食うかで害虫か否かを区別して居るだろう。農作物を食ったりヒトの血を吸ったりすれば害のある虫だし、何もしなければタダの虫。ソレと一緒だ」
「そんな言い方、ヒトと農作物を一緒にしないで下さい」
「どう言い方を変えたところで事実は変わらん。それに今回は発見が早かったお陰で、被害は最小限だったと彼女も言って居た」
「彼女?ひょっとして小暮さんの公安の知人っていうのは、邑﨑キコカ」
「敬称を付けろ。オマエどころか俺よりも年上なんだからな」
「え!」
「見かけどおりの歳じゃない。そして腕利きの駆除者だ。俺がこの世界に足突っ込む以前から今の仕事に従事している。彼女にしてみればオマエなんてタダの洟垂れ小僧だよ」
「彼女、いったい何歳なんですか」
「それも含めて秘匿案件ってヤツだ」
そう言って笑う小暮の顔は何処か自嘲めいていて、邑﨑キコカとの付き合いは、自分が思って居る以上に長いのではないかと思った。
夕刻の駅は、帰宅するサラリーマンや学生などでごった返していた。
そしてその片隅にはくたびれたスーツを着た中年の男と、セーラー服を着た高校生と思しき女子の姿が在った。
「今回はお手数お掛けしました」
「どうというコトはないわ、お互い様よ。県警とのパイプは多いに越したことはない」
「そう言って頂けると助かります」
「猿渡刑事、若い頃のあなたにそっくりね」
「止めて下さいよ、当時の事なんて思い出したくもないんです」
「正義感の強い熱血漢。ドラマでも持てはやされる役柄だわ」
「まったく同じ事をヤツに言いましたよ」
「目の前に居るモノだから身につまされる?」
「ですから勘弁して下さい。もう引退を指追って数える歳なんですから」
「一〇年もあれば何だって出来る。枯れるのはまだ早いと思うけど」
「もうあちこちガタが来て以前のようには行きません」
「事情を判っている捜査員というのは貴重なので、簡単に辞めて欲しくはないわ」
「次を育てていますので、ソレでご容赦の程を」
「知っているというコトと、判っているというコトは別なのだけれども」
「それを含めてと言う話です」
「ま、ソコまで言うのなら待ってみましょうか」
「もう次の現場へ?」
「ええ。予定外の業務が入って無駄に長居をしたわ」
「あの娘は生け捕りでしたね。どうするおつもりなのです」
「訊いて答えが返ってくるとでも?」
「関わったからには知りたくなるのが人情というものです」
「判っているクセに訊いてくるものだからタチが悪い」
「性分でして」
「職業病?」
「そう言い換えても」
「あたしにも判らないというのが正直な答え。でも間違いなく碌でもないコト考えて居るというのは断言出来る」
「察しが付いていらっしゃるのですね」
「口には出せないけどね」
「行く末は?」
「あたしの?あなた方の?それともあの子のコトなのかしら」
「ドレでも良いです。答えられないのならそれでも結構です」
「好奇心はキライじゃない。でも執拗なのは面白くないわ」
「性分でして」
「そう言えば娘さんが居たわね。あの子と同じくらいの年頃の」
「私情を挟んだりなどしませんよ」
「そうは見えないけれど。取敢えずご愁傷様と言っておくわ」
「相変わらずの物言いですね」
「あの若い刑事をけしかけて自分は後ろで諫め役だなんて。事なかれな上司を突くには良い手かもね」
ルールを堅守するのは管理者の務めだ。しかしそれのみに邁進すれば、組織は徐々に硬直して行くことにもなる。
「故に適度に掻き回す者は必要、と。あなたのチームや職場にもそれとなくアレの情報が出回ったし、悪くない結果よね」
「全部計算づくだったとでも?そこまで傲慢じゃありませんし、策士でもないです。ですが、暴走しても許されるのは若い奴の特権。年嵩の者が諫めるのは義務というものでしょう。それに、ヤツには本当に期待しているんですよ」
「はっ!」
如何に気を揉もうとも、世界には思うにままならない物事がそこかしこに在る。正に無限と言ってもいい。どんな者でも自分の両手が届く範囲でベストなら、それで良しとするしかなかった。
「あたしにも背負うモノが在ったら別の物言いができたのかも。まぁ、此の身が灰になった後なんて知った事じゃないんだけどさ」
「ご愁傷様です」
キコカは片頬で引きつったような笑みを浮かべると、「じゃあまた」と小暮に別れを告げた。くるりと背中を見せるともう振り返るコトはなかった。
蔦のような、うねるくせっ毛がセーラー服の後ろ襟の上で揺れている。
そして女生徒の姿をした後ろ姿は、あっと言う間に改札口の奥の、雑踏の中へ消えていったのである。




