11-6 沈黙の中に佇むばかり
小さな児童公園の真ん中で白い人影が倒れていた。
そしてその傍らに佇む黒っぽい影も在った。
そして思わず「何をしている」と声を荒げた。
それに振り返ったのは黒っぽい影で、それは確かに先程別れた酷いくせっ毛の女生徒だった。傘もなく鞄も持たず、手には棒状の、いや板状の何かを握り込んでいた。辺りが暗くてよく見えない。
ひょっとして刃物だろうか。
「大声は上げないように。目立つようなコトは控えて下さい、猿渡貴之刑事」
セーラー服の女生徒は、静かな口調でスーツ姿の青年を諫めるのである。
「俺の名前を知っているのか」
「案件に関わる関係者の名前と顔写真は、一通り目を通して居ますので。そして今回の案件を納得し兼ねて居るご様子」
名前どころか肩書きや状況まで掌握済み。驚くと同時に脳裏に瞬くのは、感情的になるな、よく見よく聞きよく考えろと、毎回口酸っぱく念を押す小暮の姿だった。
「誰だキミは。いったい何をやっている」
「邑﨑キコカ、公安の要員です。それ以上は秘匿案件ですので黙秘します。どうしても、と仰るのなら処置を施すことになります。それは本意ではないでしょう?」
「何を言っている。その足元の人物をどうするつもりだ」
「それもあなたには関係のないコトです。納得がいかないのなら確認してみれば宜しい。公安コード案件○○‐○○○○‐○○○○○号。ほら、コレです」
彼女が片手でスマホを操り、唐突に自分のスマホに何某かのメールが着信した。
「六〇秒で消失するので手早く見て下さい。勿論、コピーも禁止されていますし、そもそも出来ません。念の為」
促されるままに開いてみれば、県警が設定した今回の事件の名称とコード、それとは別に公安の種別ナンバーに添えられて彼女の名前と顔写真が在った。
本件に関して捜査権限あり、とも在った。そして要請があった場合に限り無条件の協力と、機密案件ゆえ詮索不可の一文が記されていた。
「詳しくはあなたの直属の上司に確認を。そういった訳でこの場で起きたことは全て忘れて下さい。申し訳ありませんがこのままお引き取りを」
「・・・・そんな訳にいくか」
それは感情を押し殺した声で、語尾が幾分震えていた。またしても公安かと、随分と小さくなっていた筈の種火が再びジワジワと熱を帯びてゆく感触が在った。
「秘匿秘匿、その一言口にすりゃあみんな納得して手を引っ込めると思って居るのか。大概にしろっ!」
「納得出来なくても呑み込め、我慢しろ。そんな風には教わらなかった?」
それは確かに先日、小暮に言い含められた言葉だった。だからこそ猿渡の一番敏感な部分を逆なでする羽目になった。故に猛った。「ふざけるな」と吠えた声は辺りの空気を震わせた。
どう見ても女子高校生にしか見えない少女に、年配の指導先輩と同じ物言いで同じ文言を重ね、諭されて気持ちの収まりが付かなくなってしまったのだ。
しかもこんな少女が公安の要員だと?莫迦も休み休み言え。
「この状況はどう見ても、凶器を持った者が一方的に無防備な市民を昏倒させた現場としか見えない。警察の一員として暴力を振われた市民を守る義務がある。この子はわたしが保護する。このまま病院に連れて行き、問題が無ければ事情聴取を行なう」
そして「きみも一緒に来てもらうぞ」と付け加えた。
「わたしはそんな迂遠なコトしている暇は無いのだけれども」
「この身分証明というものも疑わしい。きみのような少女が公安の一員というのもそうだ。公安に引き渡すにしろ県警で保護するにしろ、全ては署に戻り上司の確認を取った後だ」
そしてキコカを無視して倒れている裸身の少女に歩み寄り、上着を脱ぐと雨に打たれるその身体に羽織ってやった。背中に、袈裟懸けで一直線の真っ赤な痣が浮いているのが見て取れた。彼女の右手に持つモノで強打されたのだと察するのは容易かった。
そして彼女を抱き上げると、邑﨑キコカに相対するのだ。
「力尽くで奪い取るか?その右手の凶器を使って」
呆れたような気の抜けたような、あからまさな溜息が聞こえて来た。
「騒ぎを大きくする訳にはいかないの。ほら、あなたの大声でチラホラと窓に人影が増えてきている。まぁ、今夜はあなたに預けるわ。後日会いましょう。それまで逃がさないようにね」
酷いくせっ毛の女生徒は軽く肩を竦めると、そのまま踵を返して去って行った。「待て」と言ったのだが振り返る素振りすらなかった。
結局、少女を抱えたままではその後ろ姿が路地の向こう側に消えるのを見送る事しか出来ず、若い刑事はそのまま自分のクルマへと戻って行った。
小降りだった夜雨は、再び雨足を強め始めていた。
「オマエはいったい何をやっている」
それは先程課長から浴びせられた怒声で、小暮のそれは同じ台詞なれど心底ウンザリした物言いだった。
「仕方がないじゃないですか。夜中の公園で無防備な少女が昏倒していたんです。助けるのが筋でしょう」
「常識の話をしているんじゃない。何故公安の要員に逆らった。何故勝手にその子を抱えて戻って来る。相手のIDは確認したのだろう」
「全部課長に報告しました。知りたいのでしたら課長から聞いて下さい」
「駄々っ子か。ヘソを曲げている場合か、鏡で自分の惨状を見てみろ。一歩間違えば惨事になっていたんだぞ」
猿渡は酷い有様だった。左腕は折れて白い三角布で吊り、頭には大きな切り傷が出来て、髪の一部を剃り落とし七針の縫合が為されていた。
彼女を抱えて病院に駆け込んだまでは良かった。だが、目を覚ました少女を安心させようと警察の者だと名乗った途端、怯えて恐慌をきたし、盛大に暴れ回ったのだ。
とんでもない腕力だった。
床にボルト止めされていた待合室の椅子を引き千切り、受付の窓口に叩き付けていた。羽交い締めにして落ち着けようとした男の看護士が、廊下の向こう側にまで放り投げられ、ドアに叩き付けられた。
その華奢な腕から何故ここまでの力が出せるのか。実際目の当たりにしていても信じられなかった。
大の大人が四人がかりで押さえ込もうとしても全て振り払われて、逃げ込んだ診察室のベッドだの医療器機だの様々な物を壊して暴れ回った。落ち着けようと幾度となく声をかけ、何も心配する事はないと説得しようとしたのだが、まるで聞き耳を持たなかった。
完全にパニック状態になっていて、近寄るな向こうに行けと泣き喚き、手当たり次第に様々な物を投げつけ、破壊していった。
正直、手の施しようがなかった。
猿渡が折れた左腕を庇い、しゃがみ込んで隠れた物陰から、ただ暴れる彼女に今一度声を掛けようとしたその時、妙な物を見つけた。
廊下の真ん中でぽつんと立つ黒猫だ。
額に小さな電源ボタンのような白班が在って、艶のある黒い首輪を付けていた。
何故、病院の廊下に猫が?
疑問と同時に、その後ろに立つ人影にも気付いた。
いつの間に現われたのか。
ついさっきまで居なかった筈と猿渡の疑念も余所に、「酷い有様ね」と、身を低くした頭の上から静かな声が覆い被さって来るのである。
「デコピン、念の為に裏口に回ってちょうだい。先程ぶりですね、猿渡刑事」
淡々とした物言いと同時に、ほぼ真っ黒いブチ猫がふいと居なくなり、年若い刑事は苦虫を噛みつぶす思いでその人物の名を口にするのだ。
「邑﨑キコカ」
「退いて下さい。邪魔です」
キコカがずいと進み出た途端、少女の恐慌は頂点に達した。
「人殺し」と裏返った声で悲鳴を上げて、次に口にしたのが「来るなバケモノ」だった。
叫ぶと同時に丸椅子を投げつけたのが始まり。
次には床を這うが如き姿勢で瞬時に距離を詰め、彼女の左足首を掴むキコカの姿があった。
そのまま力任せにすくい上げて天井に叩き付ければ、LED灯が振動で明滅し、その勢いのまま床にも叩き付けた。打ち下ろした衝撃で足元の、滑らかなエナメル塗装が施されたコンクリートの床がひび割れ、建物が揺れた。
まるで濡れた雑巾を振り回すにも似たぞんざいさだった。
だがその二振りだけで、少女は再び失神してしまったのである。
天井の内装ボードには大穴が開いていたが、床は僅かにヘコんだダケに留まった。一瞬の出来事で、其処に居合わせた者全てが唖然として立ち竦むことになった。
キコカはその場でポケットから小さなケースを取り出すと、シャープペンのような細さの注射器を取り出して少女の腕に刺し、直ぐに抜くとそのまま彼女を抱えて立ち上がった。
「では改めて、この子はわたしが預らせてもらいます。文句はありませんよね」
醒めた目付きで見下ろされて、床にしゃがみ込んだままの刑事は何も言い返すコトが出来なかった。ただ見上げるダケだった。この惨状の責は何処に在るのかと、言の葉の裏で問われたからだ。
周囲は酷い有様だった。待合室はほぼ半壊し、窓口は大穴が開いて棚は壊れ、書類は床に散乱していた。
天井の大穴と床のへこみは間違いなくキコカの仕業だが、そもそもこの病院内で斯様な仕儀と相成ったのは、自分が彼女を此処に連れてきたからだ。
しかしソレでも辛うじて詰問出来たのは自身の意地だったのか、それとも職業的な反射だったのか。
「その子をどうするつもりだ」
「説明する義務は在りません」
そして蔦のようにうねった酷いくせっ毛の少女は全裸の少女を抱えて立ち去り、後に残された者は物言う余裕もなくて、ただ沈黙の中に佇むばかりであった。




