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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第一一話 雨の夜
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11-5 猿渡は再び駆け出した

「この辺りで女の子を見かけませんでしたか。年の頃と背格好はわたしと同じくらい。小顔でベリーショートの黒髪。前髪は眉の上で真っ直ぐに切りそろえて居ます」


「あ、いや。見た事は無いな」


 再びあの夜の遺体を思い出した。「彼女」もまた、確かそれと同じような髪型ではなかったか。


「衣服は着てなくて素っ裸かも知れません。まぁ、そんな子に会ったのなら顔よりもそっちの方が印象的で、よく憶えているのかも知れませんが」


「え、何だって?」


「いえ、心当たりがないのでしたら結構です。お時間を取らせました」


 そして失礼しますと会釈をすると少女はそのまま立ち去って、猿渡だけが暗くなった路地に取り残された。静かに息をつくと、白い吐息は直ぐに雨に紛れて霧散した。


 あの女生徒、友人を探して居るのか?


 そしてその友人というのがひょっとして、あの遺体なのではないのか。


 挨拶も何もなく急に連絡が取れなくなって心配をして、学校帰りにああやって彼女の家の周囲を巡っているのかも知れない。そう思うと不憫ふびんだった。彼女がやっているのは全くの徒労で、決して叶うことのない願いであるからだ。


 しかし、素っ裸云々(うんぬん)というのはいったい?


 猿渡は小首を傾げたが何かが分かるはずもなく、少し間少女の後ろ姿を見送った後、自分のクルマを停めた場所に戻って行った。




 いい加減身体が冷えてきた。


 いや、もうそろそろ限界だった。


 思えばずっと怖くて寒くて茂みの奥底に縮こまっているダケで、ご飯すら食べていない。イヤそれどころか寒すぎて眠る事もままならず、こうしてただ震えるだけ夜を明かし、そして夜を迎え、また朝を迎えた。


 眠って居ないので疲労が溜まりに溜まっていた。くらくらとしてしゃがみ込んでいるのに目眩めまいで倒れてしまいそうだった。


 喉が渇くので雨水をすすり、それで何とか空腹を誤魔化していたが、もうどうしようもない位に身体が疲弊して居るのが分かった。


 アイツはまだ家の中に居るのだろうか。それとも家の周りをうろついているのか。


 此処ここに隠れてジッとして居るから見つからないのかも知れないし、居なくなってしまったからわたしは無事なのかも知れない。どっちなんだろう。


 流石に居なくなってしまったんじゃないのか。もう家に戻っても大丈夫なんじゃないのか。だってもう此処でジッとして、飢えと寒さとに震えて二日経つ。


 いや、時々意識を失っていたみたいだから、ひょっとするともう少し時間が経って至るのかも知れない。何よりも家族のことが心配で仕方が無かった。父や母、そして姉たちはどうなったのだろう。

 ずっと怖くてたまらなくて動けなかったが、それ以上に膨れ上がった不安はもう我慢出来なかった。


 一瞬見た部屋の中は真っ赤だった。そこかしこが血まみれで、誰かが怪我をしたのは間違いない。


 家族の誰だろう。まさかみんなという事はないだろうな。


 病院には運ばれたのだろうか。遠くで救急車かパトカーか何かが頻繁に行き来して居たから、誰かが見つけて通報してくれたのかも知れない。

 それともわたしの家族には全く関係無い別の何かなのだろうか。


 確かめなければならない。そして何時までも此処に隠れている訳にもいかない。此処にうずくまって居てもお腹を減らした挙げ句倒れてしまう。そうなったら逃げることすら出来やしない。


 静かに足音を忍ばせて、庭の生け垣の隙間からそっと中の様子を見てみるだけ。こっそり裏道を通れば目立たないんじゃないか。アソコは夜、人通りなんて殆ど無い。


 行けるはず

 大丈夫、きっと大丈夫。もう二日以上も隠れていたのだ。

 アイツはきっと痺れを切らして、ドコかに行ってしまったに違いない。

 そしてわたしの家族も、きっと大丈夫・・・・きっと。


 何度も自分に言い聞かせ、辺りが暗くなるのを待つと、わたしは隠れている場所からコッソリと抜け出した。


 自分で考えていた以上に体力が無くなっていた。


 うずくまったまま身動きすらせずに隠れていたせいだろう、足がもつれて上手く歩けなかった。数歩歩いたダケで立ちくらみがして、思わずしゃがみ込んだ。グルグルと世界が回っていた。熱っぽくて酷く全身がだるかった。風邪でも引いたのかも知れない。


 そりゃあそうだろう。あの豪雨の中を逃げ出して濡れっぱなしの中、人気の無い茂みの奥で縮こまって居たダケなのだから。普通に考えても身体を壊さない方がおかしい。


 何度も立ち上がっては座り込み、ほんの百メートル位を歩くのにやたら時間がかかった。フラフラで目まで霞んできて、そのまま地べたに座り込んでしまおうかと思った。


 でもそんなコトをしたら歩こうという気持ちが、家に帰ろうという気持ちすらなくなってしまうんじゃないか。二度と立ち上がれなくなってしまうんじゃないかと、そんな怖さがあった。

 だから自分の足腰を叩いて、しっかりしろと自分を叱咤しったして路地を進み続けた。


 小雨の雨がとても冷たくて、濡れた身体を更に冷やしていった。


 寒い、ただひたすらに寒かった。


 まったく冬の雨になんて濡れるもんじゃない。全身が凍えて強ばって、自分の身体じゃないみたいだ。


 抱く自分の肩が石みたいに固くて冷たくて歯の根が合わなかった。


 小刻みな奥歯の音が大きくて五月蠅うるさいほどだった。ガチガチとひっきりなしで、雨音よりも大きいのではなかろうか。だって頭の中にガンガンと響くくらいなのだから。


 頭蓋骨がひび割れそうな痛みに思わず呻いた。ああ、本当に熱があるのかも。


 ヤバイ、また目眩がしてきた。


 足をもつれさせて思わず手近な電柱に手をついて一休みする。しゃがみ込みたかったがしゃがめなかった。今度膝を折ったら、次は立ち上がれる自信が無かったからだ。


 歩いたり一休みをしたりを繰り返し、それでも何とか自分の家に辿り着いた。何日ぶりの我が家だろう。強ばった頬が思わず緩んだ。


 デンキは消えて居てどの部屋も真っ暗だった。カーテンを引いているせいかと思ったが、そのすそから洩れてくる明かりすら無かったので、照明を点けていないのは明らかだった。


 もう寝てしまったのかしら。


 冬は暗くなるのが早い上にこの雨だ。明るさで時間を計ることが出来ないけれど、周囲の家の窓がどれも明るく路地を照らすほどだから、深夜と言うにはまだほど遠い筈だった。


 家人は何かの理由でとても早く就寝したのか、それとも出払っていて留守なのか。


 ひょっとすると、みんな怪我をして病院に入っているのかも知れない。


 そう思うとまた落ち着かなくなった。ドアを開けて確かめたかったのが、生憎今は自分の家の鍵すら持っていないのだ。


 玄関のかたわらを探った。無くした時の為、ポストの裏底に磁石で貼り付けた予備の鍵が在るはずなのに、何故か見つけるコトが出来なかった。


 きっと家族の誰かが使った後に、元に戻すのを忘れているに違いない。


 どうにかして確かめる方法は無いかと迷い、取敢えず本当に留守なのか確かめてみようと思った。辺りを伺い恐る恐る歩み寄り、玄関の脇にあるインタホンのボタンをそっと押した。


 家の奥でチャイムが鳴る気配が在った。しかし何の反応もない。


 そしてもう一度押そうとして唐突に、背後から女性の声が聞こえた。「見つけた」という静かな声音だった。


 はっとして振り返ると、鞄を片手に傘を差した女学生が立っていた。つたのようにうねった酷くクセのある黒髪が、背中に届くほどの少女だ。キツめのまなじりに自分の通う学校の制服を身に着けていた。


 暗がりの中なのでハッキリとした表情までは見て取れなかった。


 だがその顔は確かに見覚えがあったのだ。




 雨の住宅地に女性の悲鳴が響いた。


 のっぴきならぬ、命の危険すら感ずるほどの切羽詰まった叫び声だ。


 自分のクルマに戻り、ドアを開けようとした猿渡であったが、直ぐさま踵を返して悲鳴のした方角に向けて駆け出していた。


 よもや、あの傘を差した女生徒が何らかの悪意にさらされたのでは。


 そんな不安が胸中に在った。


 住宅地とはいえ人気の途絶えた雨の夜である。しかも女生徒の一人歩きだ。彼女の家まで送るくらいの気配りがあっても良かっただろうにと、迂闊うかつな己を叱咤していた。


 キレイに区画整理された住宅地の中は、夜闇の中ではどの曲がり角も似たような風景で、先程彼女と別れた道筋は何処であったかとしばし迷った。


 そして唐突に白い影が視界の端を過ぎったのである。

 そしてそれを追う黒い影もだ。


 再び悲鳴が響く。今度はハッキリと聞こえた。

 助けて、という救いを求める女性の声だ。


 声と影の消えた曲がり角目がけて、猿渡は再び駆け出した。

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