11-4 「そんなつもりは毛頭ない」
「資料にもつぶさに記されていただろう?」
抗ってアレを殲滅しようとヒトは何度も挑み、その都度に手痛いしっぺ返しを喰らって全滅の憂き目を見てきた。
徹底的にやったら徹底的にやり返される。ほどほどだったら、ほどほどの被害で収めることが出来る。そして、わずかでも生き残るモノが居れば次に命を紡ぐコトが出来る。
そうやって危うい均衡の上でいま現在が在るのだと、そんな意味の内容が記されていた。
「俺たちヒトの世界は本当に脆くて、今にも割れて崩れそうな薄氷の上に成り立って居るんだ」
「・・・・だから納得しろと言うんですか」
「納得出来なくても、呑み込んでもらわないと困る。でないとオマエは均衡を乱す危険な因子と見なされる事に為る。
ソレでも構わんとか云ってくれるなよ。オマエ一人の意地で何人死ぬか分かったもんじゃない。拘束される数はもっとだろう。だからそうなる前に、俺がオマエを無力化する必要が出て来る。頼むからそんな事はさせないでくれ」
「・・・・俺にあの資料を渡さなければ、そんな心配する必要は無かったでしょうに」
「本当にな。悶々としてやんちゃを繰り返すマセガキを、頭ごなしに押さえつけるダケで済んだんだがな」
「俺に何を期待しているんですか」
「普通に、一人前の捜査員になって欲しいと思って居るダケだ。あと一〇年もすれば俺も定年だからな。抜けた穴くらいは埋めて欲しいよ」
「みんな知っているんですか」
「知っているヤツも居る。知らないヤツも居る。一昨日までのオマエみたいに」
「納得なんて到底出来ません。呑み込むことも・・・・」
「煮え切ることも出来ず、割り切ることも出来ず、忘れるコトも出来ない。難儀な性格だ」
「ほっといて下さい」
「確かに、初めてあの資料を見た時は驚いたよ。よもやまさか、ってな。信じられないという気持ちよりも隠し通せるはずがない、というのが最初の感想だったからな。規模がデカ過ぎて。
だがその一方で思い当たる節もアチコチに在ったモノだから、なる程とも思ったよ」
「全然なる程なんかじゃないです」
「昨日の今日で気持ちの整理が着かないのもよく分かる。燻る感情や云いたいことも山ほど在ろう。だが我慢くらいは出来るよな?」
「・・・・」
「返事が欲しいんだが」
「俺は、もっと知りたいです」
「うん?」
「あんな半端な資料じゃなくて、どの様な組織があり、どの様に活動し、そして、どの様な処理が為されて居るのか。直近も含めて一〇年ほどの実動記録が欲しいです」
「おいおい、そりゃあ無茶だぞ。それに部所が違う。あのメモリーカードの内容だって、公安に無理を言って譲ってもらったもので、一般の警察官が閲覧できる代物じゃあ無い。そもそも知ってどうするつもりなんだ。俺たちには何も出来ん。そういう立ち位置だ」
「何故譲ってもらえたんです?」
「県警と公安との情報の乖離が非道くて、連携が取りづらく為ったから、って理由からだ。
警察庁の方じゃ渋っていたんだが、オマエが憤慨していたのと同様のトラブルが頻発してな。課長以上の権限の者が閲覧可能って条件で下りてきたブツだ。本来なら俺でも覗くことが出来ないモノなんだ。
ただ、俺は若い頃にとある人物に関わってしまったお陰で、特例として許可が下りている。お陰で筋が通ってスッキリしたが、出来れば知らないままで居たかったね」
「そうだったんですか」
「そうだったんだよ。騒ぎすぎると色々と面倒な事に為るんだ。そうなるとオマエひとりの器量じゃどうしようもない。責任が取れないまま引っ掻き回す阿呆には成りたくないだろう。だから、コレ以上は駄々をこねんでくれ」
それ以上は何も言うことが出来ず、猿渡は黙って冷たくなった缶珈琲を一口すすった。
冷たい風が髪を弄び、乾いた頬がパリパリと張り詰めていく感触が在った。
ぱらぱらと小降りになった雨の中を、猿渡は傘を差して歩いて居た。
朝まで煮えくり返っていたはらわたは幾分落ち着きを取り戻していたが、それは単純に噴き上がらなく為っているダケで、火がかかったままのモツ煮のようにクツクツと静かに熱を溜め込んでいるに過ぎなかった。
非道い話だ、と思う。
隠蔽が前提というやり口も腹が立つが、被害者を人とも思っていないその無神経さが我慢ならなかった。
俺たちが日々足を棒の様にして聞き込みをし、神経すり減らして事件を背負い犯人を追っているのも、皆が暮らす町の為だ。皆が安心して生活出来る場所と秩序を守りたいと考えて居るからだ。
それを無視してひっくり返し、理不尽な最後を迎えた者たちの尊厳や、その遺族達の気持ちを易々と踏みにじる。それを当たり前とする物言いとやり方が許せなかった。それが社会を守る術だと断ずるその理屈が腹立たしかった。
皆ひとりひとり生きているのだ。それぞれに家族が在るのだ。殺されてそれで終わり、騒ぎになるので片付けましたで済ませて良い筈がない。ヒトは無造作に間引かれる枝葉や、路傍の石ころではないのだ。
ふざけるな、と叫びたかった。せめて課長にだけでも思いのたけ、この腹の中のものを全部ぶちまけてやりたかった。あんな内容押し隠し、よくもまあ平然な顔をして机の前に座っていられるなと、声を大にして糾弾してやりたかった。
しかしそれもまた小暮に言わせれば「駄々をこねる子供の喚き」と一蹴されるに違いない。それはただ自分の感情の発露に過ぎず、力も無ければ具体性も無い町中の雑音雑踏、子犬の鳴き声と大差ないからだ。
俺は無力だ。経験も無ければ相手を説得できる話術も無い。肩書きなんて名前も憶えてもらえない末端捜査員でしかないし、ただ地道に、コツコツと積み上げることしか出来ないその他大勢の一人でしかないのである。
と同時に、何故小暮さんは俺にあの資料を見せてくれたのだろうとも思うのだ。それらしい理由は付けていたが、自分みたいな若造に開示してよいものではないという位の事は分かる。
だがそれ以上のコトが分からない。
あの年嵩の刑事の意図が読み取れなくて、破裂しそうな自分の感情の重しとなり押さえ込んでいるのである。
そして実はソレが本当の目的なのではないか、とも邪推するのだ。
猿渡は暗い路地の一角で足を止めた。
先日、少女と思しき女性の惨殺死体が発見された場所だ。連日の雨で辺りはもうすっかり洗い流され、薄らと鑑識係員の描いたチョークの跡が見て取れる程度で、何気ない夜の路上が伸びているダケだった。
今更こんな場所に来たところで何かが得られる訳ではない。だが燻る胸の内に駆られて来ずには居られなかった。もっとハッキリ言うのなら未練というヤツだ。吹っ切ることが出来ないから、また来てしまう。我ながら女々しいな、と思った。
あの遺体が、バケモノが擬態した代物だと言うのか。
ドコからどう見ても人間のモノとしか見えなかった。そして次の日の朝、いや夕刻になってもあの事件は、テレビどころかネットにも新聞にも微塵も取り上げられて居なかった。第一発見者だったあの男もきっと今頃、困惑しているに違いない。
いやそれとも、そういうコトも在るのかと気にも止めていないのか。直ぐにでも忘れてしまいたい忌まわしい出来事であろうし。
そしてドレもコレも公安の掌の上ってか?
胃の腑の底辺りにジリジリと焦げ付くモノが在って、今此処で連中に出会したら罵声を浴びせ、顔に唾を吐き付けてしまうかも知れなかった。
「何か落とし物でも?」
不意に声を掛けられて驚いた。振り返って見ると傘を差した女生徒が立っていた。冬物のセーラー服を着込み、鞄を片手に立っている。
「あ、いや。そういう訳じゃないよ」
声を掛けられるまでまるで気付かなかった。小雨とはいえ濡れた路面だ。足音くらいしそうなものなのに。
いやそれとも、雨が降っているからこそ紛れてしまったのか。
「足元ばかり気にしていらしたので何かあったのかと」
そう言って視線を猿渡の靴の辺りに落とし、「白い線が在りますね」と呟いた。
「チョークでしょうか。此処で何かあった、とか。ひょっとしてそれを御存知?」
「あ、いや、何だろうね。俺もちょっと気になったから」
それとなく誤魔化した。ニュースにも為っていないのなら、連中は事件そのものを揉み消すつもりに違いない。だったら迂闊に口を滑らせる訳にもいかなかった。腹立たしい話だが。
「まぁ考えても分かりませんね」
興味が失せたような物言いが在って、ふと女生徒の横顔を盗み見た。酷いくせっ毛の黒髪で少し吊り上がった眦が印象的な子だ。だがこの背格好は何処かで見覚えがある。豪雨の中で見たあの人影だろうかと、妙な勘ぐりが在った。
不意に少女が視線を上げて、思わず目が合った。「何か」と問われて「いや、何処かで見たような気がして」と言葉を濁した。
「古典的なナンパですね」
そう言って彼女は口元だけで小さく笑うのだ。
「そんなつもりは毛頭ない」
慌てて誤魔化すと黒い瞳がじっと覗き込んで来た。
漆黒の瞳だった。何かを探るような色合いがあった。
そして上目遣いに見上げた時と同様、唐突に視線が外されて、「そう言えば」と訊ね返して来るのである。




