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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第一一話 雨の夜
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11-3 コキ使われるのは面白くない

 暗い木陰の中でわたしはうずくまっていた。


 わたしはこんな所で何をやっているのだろう。何故なぜこんな事に為ったのだろう。どうして訳も分からないまま、得体の知れないヤツに追い回されたなければ為らないのか。


 家に帰りたいと思った。帰ってご飯を食べてお風呂に入って、いつもみたいにベッドの上に寝転がって、スマホで莫迦みたいな動画とかSNSだとかコンテンツだとかチェックしながらダラダラして過ごしたかった。


 だと言うのにどうして今、こんな真っ暗で寒い公園の植え込みの陰で、小さくなって震えて居なきゃならないんだろう。


 父さんと母さんはどうしているだろう。お姉ちゃんたちはもう眠っただろうか。もしかするとみんなでわたしを心配して、今も辺りを探しているのかも知れない。


 わたしは此処ここに居るよ、と言って飛び出して行きたかった。こんな風を遮る物も無い場所で凍えて震えてなんて居たくなかった。お腹も減ったし乾いた服が恋しかったし、何と言っても熱いお風呂に入って暖かい毛布に包まってグッスリと眠りたかった。


 でも、怖くて出来ない。足がすくんで此処から出て行けない。家に戻っても本当に父や母や姉たちが、其処そこで待っていてくれて居るのかどうか、それを確かめる事が出来なかった。あの日あの時あの夜、目の前に拡がっていた光景を信じることが出来なかったからだ。


 あんなコトが在るはずないと、在ってたまるかと思って自分の家に戻ることが出来ずに居た。何度警察に駆け込もうかと思った。何度も助けてと、お巡りさんに救いを求めようとした。


 でもダメだった。アイツが、アイツがお巡りさんやその回りに居た人達と話している姿を見てしまったからだ。


 アイツは警察の仲間なのだろうか。


 警察がグルなのだろうか。


 だとしたらわたしは誰に助けを求めたら良い?


 血まみれのわたしの家の中で、大きな刃物を持って突っ立っていたあの少女。わたしの通う学校の制服を着て全身ずぶ濡れになって、雨のしずくを滴らせながら、リビングの真ん中で倒れていたわたしの家族を見下ろしていたアイツ。


 ドアの陰で小さく息を呑んだ途端アイツは振り返り、そして目が合った。見つかったと思った。そしてわたしは一目散に家から逃げ出したのだ。反射的だった。アイツに関わり合いになってはダメだ、殺されると思った。心底血の気が引いた。


 そして冬とは思えぬ豪雨の中へ、靴を履く暇もないまま真っ暗な夜道を駆け出したのだ。


 リビングで倒れていたのはわたしの家族だった、はず。

 無事であって欲しいと強く願うと同時に、スマホすら持っていない自分が非道く心細く、そして腹立たしかった。




 聞き込みの合間、クルマの中でハンドルを握る小暮に「アレはもう見たのか」と聞かれ「未だです」と猿渡は答えた。


「俺はデジカメ持ってませんので、今日にでも買っておこうかと」


「まぁソレで見るのが一番手堅いな。だが無駄遣いするな。俺の娘が要らなくなったと放り出したヤツがある。それを明日持ってこよう」


「何故今この段になって見せたがるんです。今までただ、忘れろ、干渉するなの一点張りだったというのに」


「知らないならそれが一番イイと、そう思って居たからだ。だがやはりどうにもオマエは我慢が出来んようだ。仕事に差し障りがあっても困る」


「任された仕事をおろそかにするつもりはありませんよ」


「されてたまるか。そして趣味や感情で引っかき回すのもやめてくれ」


 そして「まぁ確かに」と付け加えて茶化すのだ。


「ドラマの中などでは、手柄にく若い刑事は良く出て来る。大抵は勇み足でポカをやらかし、皆の足を引っ張ったり、状況を複雑にしたりと『血気にはやる粗忽者そこつもの』というのが定番の役割だ」


「ソコまで考え無しじゃないです」


「昨日のアレが在った後じゃあ説得力に欠けるな。それにそういった役柄は他者の共感を得やすく、代弁者であったりもする。危なっかしくて目が離せんが、一種の清涼剤みたいなポジションだな」


 憮然ぶぜんとする猿渡さわたりであったが、年配の刑事は横顔で笑むばかりであった。




 署に戻ると小暮は単独で課長に呼ばれ、「どういうつもりですか」と小声で問いただされた。


「軽率ではありませんか、アレの資料を渡すだなんて。あなたほどの方がルールを逸脱いつだつするなどと。困ります」


「ああ、やはりバレてましたか」


「コピーの履歴と時間、そして閲覧権限と状況を考えれば簡単です。懲罰モノですよ」


 自分よりも一回りは若い、神経質そうな目元がデスクの前で睨み上げていた。皆、出払っていて人気は無かったが、時折チラホラと辺りを伺いながらたしなめの言葉を投げるのだ。


「有名無実の規則ではありませんか。我々だけで周知して、若い連中には知らぬ存ぜぬを押し通せなどと。無理無体を押し付けられていると皆が感じているコトです」


「納得出来る出来ないの話では無いです。拡散は可能な限り防がねば為りません。そして上の方針に従うというのが組織に属する者の義務です。個人の感情でうやむやにして良い事ではありません」


「アレに関しては、徐々に曖昧な情報を流して行くというのがこれからの方針なのでしょう?」


「真性の情報を流せと言って居る訳では無いのです」


「こういった現場と管理職とのやり取りも、世代は違えど長年同じ問答を繰り返しているのでしょうな。ソレこそウンザリする程に。

 いっその事、テンプレートの文言をカードにでも書いてやり取りしますか。それともスマホのレコーダーに録音して互いに聞かせ合うというのは如何いかがです。手間が省けますよ」


「茶化してよい話題ではないのですよ」


「率先して広めるつもりは毛頭ありませんが、せめて現場の間では同じ知見を共有しておきたいものです。些細ささい齟齬そごが大きな失態に繋がるというのは、別に我々だけに限った話では無いでしょう」


「・・・・今回は三等級相当の情報なので目をつぶりますが、これ以上は看過かんかできません」


「それは、充分に心得ています」


 小暮は机の上から放たれる無言の圧と、殺気だった眼差しに向けて軽く一礼をすると、静かな足取りで課長の机の前をから去った。




「課長にしぼられていたようですが」


「まぁ、管理職の務めだ。部下の逸脱いつだつをなぁなぁで見逃す訳にはいかんからな。現場を直ににらむ上司は、部下に嫌われるくらいで丁度良い。なれ合いになれば下の者は居心地良いだろうが、組織としてはグズグズになっちまう」


「課長も見て見ぬふりですか」


「あの人も思うこと多々()るんだろうよ。ただ、それを口に出す訳にはいかんし、思うにままならん部下の手綱も握ってなきゃいかん。中間管理職は辛えよな」


「・・・・」


「自覚は在るようだな」


「俺もガキじゃないんです」


「そう願いたいね」


 ぽんと軽く肩を叩いてその日その一件はそれで終いとなった。だが若い刑事の言がひっくり返されるのは、小暮からデジカメを受け取った次の日の朝の事であった。




「アレはどういう事なんですか!」


 朝一番、出署してきた猿渡は既にデスクに着いて書類を裁いていた課長に食って掛かって居た。


「お早う、猿渡。先ずは挨拶をするのが社会人としての礼儀じゃないのか?それにアレというのは何だ」


「誤魔化すような物言いは止めて下さい。今までこんなコト、よくも、よくも平然とやって来れたものですね!」


 憤激と共に机の上に叩き付けたのは、小暮に手渡されたプラスチックのケースだった。勢いが激し過ぎてパチンと軽い音を立てて跳ね返り、課長の椅子の脇にまで飛んで落ちた。


「ぞんざいにするな。署内の情報は秘匿案件も多いんだぞ」


 落ち着いた口調で床の上のプラスチックケースを拾い、そのままスーツのポケットに収めた。ジロリとねめつけた先には、血走らせた眼差しの若い刑事が居る。

 鬼気迫る表情であったが、ソレに負けず劣らず課長の視線もまた冷めて鋭く、その顔肌すら射貫く程の威圧が在るのだ。


 部屋に居た何人かが止めようと踏み出した刹那せつなである。一足早く二人の間に入り込んで来た人影があった。


 出署してきたばかりの小暮であった。


「猿渡。朝っぱらから吠えるな、騒がしい」


「小暮さんもこの内容を知っていたんですよね。何故そんな風に素知らぬ顔で、何事も無かったかのように振る舞えるんですか。これが警察官だって言うんだから聞いて呆れる!」


 振りほどこうと暴れる若い刑事を、居合わせていた者が数人がかりで取り押さえた。落ち着け、頭を冷やせと課長の前から引きがし、廊下へと連れ出して行くのである。


「小暮さん、任せて良いのですね?」


 淡々とした課長の言であった。


「はい、大丈夫です」


 若い刑事を押さえ込みながら、年配の刑事は肩越しに返事をした。やれやれといった風情が全身から滲み出ていた。




「少しは落ち着いたか」


 駐車場の片隅は風が強く、無理矢理持たされた缶珈琲はもうすっかり冷めていた。


「憤懣やるかたないのは分かるが、課長に当たった所で何も解決はせん。アレはこの署だけじゃなくて全国、警察やその他諸々の政府の機構が全て納得ずくで実地してる内容なんだ」


「ぜ、全国?政府ぐるみってコトですか」


「そうだ。こんな地域の県警(ごと)きで実行できる内容じゃない。それは見て分かるだろう。

 此処ここでの記録なんて氷山の一角、上位部門じゃもっとえげつないやり口で、もっと口に出すのもはばかる処理を積み重ねている。昨日今日始まったコトじゃない。おまえの曾爺さんよりも更に昔から、延々と繰り返されていた事柄なんだ」


「そんな・・・・」


 あのメモリーカードの内容は完全に自分の予想の域を超えていた。小暮の様子から普通ではなかろうという予感はあったが、アソコまで逸脱した記録だとは思ってもみなかった。


 人を食うバケモノが、日常的に町の中を徘徊はいかいしているだと?ドコのオカルト雑誌の記事かと目を疑った。


 食われた者たちを隠蔽し、端から無かった事として扱うのも反吐が出るが、それ以上にそれを当たり前として受け容れ、平穏な日々だと信じ込ませるその神経が信じられなかった。


「マスコミにタレ込んでも無駄だぞ。全部読んだのなら理解していると思うが、全部封殺されているからな。そしてオマエはちょっと公安を舐め過ぎだ」


 昨晩の内にSNSで上げた内容は既読が着く前に全て抹消され、オマエは監視対象として記録された、と明かした。


「内部告発のつもりだったのだろうが、あまり軽率な事はするな。まぁ、それは俺の知人が運良く今回の現場に噛んでいたから、頼み込んで揉み消してもらったがな」


 何だソレは。あまりに手回しが良すぎると困惑し、そして直ぐにある事に気が付いた。


「まさか小暮さん、事前に?」


「オマエみたいに直情的で義憤に駆られるヤツは、世界で最初の一人って訳じゃないんだよ。だが、何も知らされない、分からない状態でコキ使われるのは面白くないだろうと思ってな」


「・・・・」

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