11-2 痕跡もへったくれも無い
猿渡が署に戻ると課長から呼び出されて叱責を受けた。
事前承諾もなく教育機関の敷地に警察関係者が足を踏み入れるとは何事か、と灸を据えられ始末書を書かされる羽目になった。随分と反応が早いもんだと溜息をつくと同時に、先程の校長の反応を反芻していた。
何かを隠しているような素振りはなかった様に思う。だがIDを見た後の、あの反応はどういうことだろう。普通の人間にとって警察はすべからく警察で、その内部組織で区別して確かめたりなどしないはず。
最近、警察の別部所の者と接触した、ということか?
短絡的に考えれば、公安の連中という事になる。しかし・・・
ふうむ、と考え込んでいると「勝手なコトをするな」と小暮が背後から声を掛けてきた。
「釈然としないのは分かるが、ほじくり返してどうする。何か自分だけのネタでも掴んでいるのか。いきなり学校に踏み込むなんてどういう了見なんだ」
「先程課長からも同じお小言をいただきましたよ」
「言われて当然だ。興味を持つなと言ったろう。公安のケツ追っかけてどうする。俺たちが追いかけるのは任されている事件と、その犯人のケツだけだ。それはそうと何故学校なんぞに?何に目星を付けてる。連中に渡してないネタ隠し持ってるんじゃないだろうな」
「忘れろ興味を持つな、ではなかったのですか」
「釘が一本だけじゃ足りんと思ったからだ。首輪とリード紐が必要だと思ったからだ」
「犬じゃないんですから」
「次は始末書じゃ済まんぞ」
「慎重を期すことにします」
若い刑事の素知らぬ体な返事に小暮は大きく溜息をつき、今晩ちょっと付き合え、と小声で囁いた。
煩雑な居酒屋のボックス席でナマ中とヤキトリとナンコツを頼んだところで、小暮はポケットから小さなプラスチックのケースを取り出した。「コイツをおまえにやろう」等と云う。
「何です、コレ」
半透明なケースの中には金属端子の付いた四角いプラスチック片が入っていた。
「メモリーカード?」
「ああ。モノは古いが大抵の機材で使えるはずだ。だがネットにアクセス可能な機材には使うなよ。そしてコピーなんて以ての外と弁えておいてくれ」
そしてベテラン刑事は、念入りに注意事項を語るのだ。
中身を見て捨てるもよし、保管するもよし。だが他の人間には見せるな。見るときも一人で見ろ。
スマホには繋ぐな。管理信号が発信されてしまう。
アクセスするときには必ずオフラインのパソコンのみ。そしてメモリーカードを見終わったらそのパソコンは必ず初期化して再立ち上げさせること。閲覧履歴が残らないようにしろ。
初期化しない状態でオンラインすると、やはり管理信号が発せられて場所と使用者を特定される。
「プリンターにカード直付けでプリントアウトさせるのも手だが、誰かに見られる可能性が高くなるからお勧め出来ないな。最近のプリンターもネット回線在りきの物ばかりだし、履歴が残る機材は避けた方が賢明だ。
むしろデジカメの画面で見る方が手っ取り早いかもしれん。見にくいことこの上ないが、それが一番安全かもな」
「何が入ってるんです、コレ」
「言えんよ」
ナマのジョッキが来たのでソレを受け取りながら軽く肩を竦めた。そして少しおどけた風に、両手で自分の両目を塞ぎ、次に口を塞ぎ、最後に両耳を塞いだ。
「中身を見たらコレに徹してくれ」
「何故」
「それが一番平和裏に済むからだ。おまえの日常が壊れずに済むからだ」
「ヤバい内容なんですか」
「ヤバいかヤバくないかと言えば間違いなくヤバい。だが知らぬ存ぜぬと押し通せばどうという事はない」
「そりゃ何ともヤバそうですね。でも何故オレに?打ち明ける相手を間違えてませんか。課長ではダメなんですか。管理者に言えない内容なら信頼できて経験豊富な、カズさん辺りにでも相談するのが筋では?」
「相談する必要はない。というか、誰かに話をしてもどうしようもないからだ」
「どういう意味です」
いつもなら嫌みなまでに直裁的で経験豊富な刑事が、何故にこんな歯切れの悪い物言いをするのか。猿渡は胸中小首を捻るのだ。
「無視してこのまま廃却しても?」
「構わんよ。ソレはもうおまえにやったものだ。どうしようと自由。
ただ、捨てるなら火にくべるか叩き割った後にしてくれ。しかし中身を見て吹聴しようとはするなよ。そんなコトをしたらおまえにとって、訪れなくてもイイ未来がやって来ることになる」
「・・・・」
小暮はナマのジョッキを一息で半分まで流し込み、そのまま来たばかりのナンコツに手を出して齧り付いていた。
「これを見たら何かが変わるのですか」
「見ただけなら何も変わらない。いや、世の中の見え方は変わるだろうな。洩れなく手酷い後悔が付いてくるが。見る見ないは自由、しかし見るならその覚悟だけはしておいてくれ」
「これ見よがしに渡して置いてよく言いますね。見ろと言って居るのと同じではないですか。小暮さんは中身を知っているんですね」
「ああ」
「今回の公安の件も絡んでいるんですね」
「ノーコメント」
「課長は知っているんですか」
「ノーコメントだ。俺が話せるのは俺のコトだけだ」
不信と懸念と、そして釈然としない気持ちのまま傍らの年長者を見やった。串に残った最後の一切れをかじり、ぐいとナマのジョッキを煽っていた。いつもと変わらない飄々とした顔だったが、頬が幾分引きつっているようにも見えた。
年若い刑事は手渡された小さなケースをじっと眺め、やがてそれをスーツのポケットに仕舞った。
猿渡は部屋に戻ると、ディスカウントストアで買った簡素なパイプテーブルの上にもらったプラスチックのケースを置いた。スーツの上着だけをハンガーに掛けて、同じく簡素なパイプ椅子に座り腕組みをする。どうしたものか、と思った。
ラップトップのパソコンくらいなら持っているが、ネット回線に繋げられる環境下ではコレを見るなと言われた。しかも見た後に初期化しろ等と云う。
いちいちバックアップデータを取って再立ち上げをするのも面倒であったし、小暮の物言いからするとメモリーカードの中身のヤバさは相当なものらしい。
用心に越した事は無いな。
明日、仕事の帰り際にでもデジカメを買って帰ろうと思った。スマホはあっても専用のカメラなど持った事は無かったからだ。
スマホに着信があった。
はい、わたしです。ええ、対象の一番は処理完了しましたが二番は未だです。・・・・いえ・・・・はい、そうです。
は?それは筋が違うでしょう。最優先で対処しなければ為らないのは一番の方であって、二番ではありません。
それに不手際などと言われるのは心外です。わたしの役目は駆除であって、事後処理ではありません。連絡は滞りなく行ないました。対処班の到着が遅れた事の方が問題・・・・
何故そういう話になるのですか。わたしの身体は一つしか在りません。同時に二つの案件を対処しろという方が問題でしょう。
・・・・それはケースが違います。そもそも捕獲はわたしの仕事では・・・・特研が?香坂先生はなんと仰ってるんです。ほう、それはまた。わたしは黒部川先生の助手ではないし、部下でもないのですがね。
ひとつ念を押しておきますが、わたしに課せられた役割はアレの排除と指示された区域の安定化です。それ以上はあくまで余録、優先順位を覆すような指示は規約に抵触・・・・あっ、ちょっと待て。勝手に話を終わらせるな・・・・っクソ!また一方的に切りやがった。
あ、何だよ、ほぼ真っ黒な毛むくじゃら。そんな目で見てんじゃない。エサはやっただろう、寝るなり散歩に出るなり好きにしな。
外は雨だ?知ったことか、この前も大荒れの天気を理由にサボりやがって。あたし一人ズブ濡れでバカみたいじゃないか。
止め止め、もう今夜は飲んで寝る。捜索?知ったことか、一番の仕事はカタが付いたんだ。被害者が増えることはもうない。ソレにヤツだってこんな雨の日はお休みだよ。
そもそも雨で臭いが流れて痕跡もへったくれも無いじゃないか。
むくれてスマホの電源を切ると、ビールとつまみの詰まっている冷蔵庫に向った。




