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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第一一話 雨の夜
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11-1 曇天の路地を歩み続けた

 二月の、酷い雨の夜だった。


 氷のごとく冷え切った豪雨の最中である。路上に人が血を流して倒れていると通報があり、駆けつけてみると、少女と思しき遺体がアスファルトの上に在った。ちょうど腰の上から二分割されていて、内臓がはみ出し上半身はうつ伏せだったが、下半身は少し離れた所で仰向けの形で転がっていた。


 雨のせいで血は粗方流されていたが、衣服は赤く染まって遺体にピタリと貼付いていた。二つに分かれた遺骸共々ずぶ濡れて、それはまるで路上に捨てられたトルソーかマネキン人形の様、というのは不謹慎だろうか。


「まぁ確かに血を流して倒れてますね」


 先に到着していた猿渡さわたりという名の若い刑事はやるせないまま、冷たい雨の中で吐息をついた。


「死体だと信じたくはなかったのだろうが、まぁ一目瞭然だな」


 遅れてやって来た小暮という名の年嵩の刑事も、やれやれといった面持ちで白い息を吐き出した。


 レインコートのフードを嫌がらせの如く強い雨が叩き、これでもかと言わんばかりの強い風が横殴りで全身の体温を奪ってゆくのだ。敵わんな、と小暮はまた溜息をついた。


「台風じゃあるまいし」


 若い猿渡の舌打ちが聞こえて来て、おや少しは風も弱まって来たのかなと思ったのだが、何のコトは無い。一拍の後には一際大きな横風となってフードが吹き上げられてしまって、慌ててフードを被り直して問い直した。


「通報したのは?」


「若い男性です。女性の部屋からコンビニに買い物へ行く最中だったそうで」


「この雨の中をか?真夜中だぞ」


「今すぐ、どうしても必要なモノだったのだそうです」


 若い相方の無面目な表情で直ぐに察して、「ああ、そりゃあ買いに行かざるを得んよな」と納得する羽目に為った。そして猿渡は既にその女性とも話を聞き終え、コンビニ云々(うんぬん)の話は間違いなさそうだと付け加えた。


「早いな。近かったのか」


「アパートの裏通りだったんですよ」


 猿渡が指差したのは同じ通りに面した二階建ての在り来たりなアパートで、明かりの点いている部屋の窓には一人分の人影が見えた。赤いパトランプが鬱陶うっとうしいと思って居るのか。それとも愕然として窓際に立ちすくんで居るのか。

 いずれにしてもあの部屋の住人、今晩の夢見は決して愉快なものではなかろう。


「班長も通報した男性に話を聞きますか?」


「いや、いい。身元と連絡先を確認したら帰ってもらえ。その女性と一緒でも、今夜はそういう気に為れんかも知れんがな」


「そうですね」


 鑑識係の仕事が一通り終わって遺体を収容し、現場を何巡かして検分し終えると、取敢えずその夜はそれで終わった。




 次の朝、猿渡が出署すると課長から昨晩の一件は公安の方に移され、刑事組織犯罪対策課(刑事課)の手を離れたと告げられた。そしてもう忘れろ、という。


「またですか」


「またとか言うな」


「俺はてっきり、県警主導の捜査本部が立ち上げられると思ったのですが」


「以前から追っていた事件の関係者なのだそうだ」


「どんな事件なのです」


「我々に知る権限はない」


「では捜査資料も渡っては来ない、と」


「受け取ってどうする。それを求めるのも越権だろう。もう我々の管轄ではないのだ」


 そして執拗なまでに念を押され、猿渡は歯噛みし引き下がるコトになった。憤懣ふんまんやるかたなかった。


 捜査の最中、公安の横槍が入って中断させられたのはコレが初めてではない。明らかに少年少女と思しき遺体や、高校生のモノと判ぜられる遺留品の数々も片端から取り上げられ、課長からの「忘れろ」の一言で全てが消えて行った。


 噂を信じるのなら、他の署でも似たような事例は後を絶たないらしい。


 自分は警察官であるし、警察という巨大な組織に属した末端の捜査員に過ぎない。それは充分過ぎるほどに分かって居る。おのおの課せられた役目を全うしてこそ、組織は成り立つ。


 しかし、それでも。


 命令だから従うが、だからといって全てを呑み込める筈もなかった。


 故に、公安の連中はいったい何を追っているのだと、疑念を燻らせる事になるのだ。刑事になっていまこの現在まで、頻繁に同様の事象が重なって、それらが個々全て無関係であるというのは考えづらかった。そしてそれらがことごとく中断させられて来た。何らかの関係性があると思う方が自然だろう。


 忘れろ、と課長は言う。後追いなど以ての外だと言外に締め上げてくる。


 興味を持つな、と班長の小暮さえも釘を刺す。自分の分を弁えて行動しろと子供に言って聞かせるような口調で諭してくる。


 隠される都度に胡散うさん臭さが増し、もうそろそろ臨界点に達しようとしていた。


 故に今回、昨晩あの雨の中で見かけたあの少女。少し自分で探ってみようと心に決めたのだ。経験(つたな)い自分が口にするのもはばったいが、何か在ると、予感めいたものが瞬いていたのである




 その少女は豪雨の中を突っ立っていた。


 レインコートどころか傘すら差さず、濡れるがままに任せて遠くからぼんやりと、集う赤い回転灯を眺めているように見えた。


 距離があったので顔は分からなかった。一〇メートルも離れれば人影すらぼやける程の強い雨風だ。電柱に付けられたLEDの街灯光ですら霞んでいる。濃い色のシャツと濃い色のスカート、それに伸ばしていると思しき黒髪くらいしか判別出来なかった。


 大人ではなく少女だと思ったのは、着ている服が制服のように思えたからだ。襟元の白いライン、それがセーラー服の意匠に見えたからだ。


 少女がたたずんで居たのはほんの数秒程度。唐突に興味が失せたように、ついと踵を返して路地の奥へと消えていった。レインコートのフードの奥から観察して居た自分の視線に気付いたような仕草だった。


 まさかな。この暗さでこの雨だ、顔すら見分けのつかない状況なのに。


 それより何より異質なのは、この凍える程の天候の中で雨具もなく、深夜の路上にずぶ濡れで突っ立っていたことだ。気に為らない方がおかしい。


 斯様かような次第で疑念は確かに在ったのだが、通報者の男性やその知人の女性に事の次第を聞き込むうちに、ふと意識の外に掃き出されて、気が付けば報告し忘れていた。あるいは公安連中への腹立たしさが先に立って、無意識の内に封じて居たのかも知れなかった。


 さて。あの少女は何者だったのだ。


 何故あの雨の中、濡れそぼりながら遠巻きに現場を眺めて居たのか。


 そしてこの近くにある学校は共学の公立高校で、そこの女子の制服はセーラー服ではなかったかと思い出したのである。




 正門の表札には県立西高等学校と書かれてあった。


 どうやら休み時間らしく校舎の中には生徒が行き交っていた。一人の男子生徒をつかまえて職員室と校長室の場所を聞くと、ついでに誰か先生を呼んで来てもらえないかと頼み込んだ。


「困りますね。警察の方が事前連絡もなく突然訪ねて来られると」


 校長室に通されると、白髪も見事な初老の校長が渋面で猿渡を迎え入れてくれた。そして出したIDを一瞥すると「県警の方?」と問い返された。


「県警以外の警察関係者でもお伺いしましたか」


「ただの確認ですよ」


 そしてこの学校で行方知れずになった生徒は居ないか、そして生徒間のトラブルはなかったか、と尋ねた。


「その様な報告は受けてません。いじめがあったという噂も耳にしてません。極めて平穏ですよ。ああ勿論もちろん、生徒同士の口喧嘩や仲違い程度なら発生している可能性は在りますが」


 先程、男子生徒に呼んでもらった教師に、校長室まで案内してもらいながら聞いた話と変わらなかった。この学校は平和なものですよ、と素っ気なく返す言葉には、言外に異分子を排するトゲが在った。


「生徒の数も素行も問題無い、そう受け取ってよろしいのでしょうか」


「いじめ問題を隠蔽して居るとでもおっしゃる?ひょっとして親御さんの方からなにがしか依頼があったので?」


「いえ、そんなつもりは毛頭ないですよ。依頼を受けたわけでもありません。ただの確認、裏付けの為の捜査です」


 そうですか、と校長は軽く流し「今度からはキチンと事前連絡を入れていただきたいものです」と、退室をうながされた。ろくに会話も交さずけんもほろろも無かったが、手順を踏まえない来訪に腹を立てているのだろうと察した。


 猿渡は致し方なしとソファから立ち上がると、ふと思い出したかのように、


「そうだ、この学校は夜間学校もり行っていらっしゃいますか」

 と尋ねた。


「いえ、昼間だけです」


 その返事に「そうですか、ありがとうございました」と軽く一礼して学校を出た。


 つまりあの女生徒と思しき人影がこの学校の生徒ならば、アノ時間まで制服を着たまま着替えることも無く何処どこかに居て、あるいは徘徊はいかいし、あの雨の中に立って居た。もちろん、ここいら近隣ではなく別の区画の夜学の生徒だったり、制服に似た別の服装だった可能性もある。


 猿渡はふむと頷き、頭の中を整理しながらクルマを駐めた場所へ向けて曇天の路地を歩み続けた。

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