10-7 『もったいない』の精神
「特研(特殊医療研究管理局)の生体行動学、黒部河先生は知ってるわよね」
「ああ、邑﨑を執拗に解剖したがっていたあの偏執狂」
「あの先生の所見によれば、あたしは五感以外に脳で直接世界を見ているらしいわ」
環境空間把握能力と彼の御仁は呼んでいる、とあたしは切り出した。
それは自分が知覚できる空間内に起きている事象を、全て知ることが出来る能力。
レーダーやソナーみたいな能力と言えば一番近いが、電波や超音波を発して対象から反射してきた波を拾うモノとは根本的に違う。自分からは何も発する事も無く、「そこに在る」というだけで瞬時にその全てを把握出来た。
タイムラグはほぼ皆無。
故に偶発的な事象ですら、最初から起きることが分かって居るかのように対処出来る。そして目や耳や鼻など、五感で知る訳ではないのだから死角なども在り得ない。
距離的な限界は在るものの、自分を中心に全周全方位の様子や在り方が直感的に理解出来る。鉄筋コンクリートの中身や、足元、地面の中ですら同様だった。
研ぎ澄ませば、空から降ってくる雨粒の中の水の動きですら知覚出来るし、本の隙間に居る紙魚の筋肉パルスすら読み取って、次にどう動くのか予測することも容易かった。
「ざっくり言えば、極めて予知に近い勘の良さといったところかしら」
これに数多の経験と再生者の反射速度が加われば、無敵不敗を語るのも難しくはない。
勿論油断は禁物で、思い込みや勘違いで対応を間違えることも在るし、脳ミソの処理が追い付かない時もある。たまに意識していない箇所を取りこぼすのも良く在る話だ。
「でもまぁ誤差のうちよね」
「ふざけんなよ、なんじゃそりゃあ」
「それでも下積みはしっかりやったわ。どんなに高い能力でも身体がついてこなければ話にならない。大切なのは精度。身体のコントロールが完全でないと能力も宝の持ち腐れ。もっとも、刃先をミリ単位の精度で打ち込む技術は過剰だったかも知れないわね」
「ミリって、アンタ」
「だからそこら辺の闘技マニアが何をどうこうしようと、あたしに土を付けるのは到底不可能。だから追いかけて来る者はご愁傷様といったところかしら」
「ソレはわたしに言ってるのよね」
「さあ。解釈は人それぞれよね」
「なんであんたにそんな能力が」
「その辺りは淵に住むあのボケ教授に聞いた方が早いかもね。ヒトの無意識領域がひとつなぎになって淵を造っているけれど、その一端から派生した能力ではないかと黒部河先生は予測している。量子力学の他世界解釈だとか小難しいこと言ってたな」
「じゃあ、あんたのオツムは淵と直結して居るというの?」
「あら、誰の脳ミソでも一緒でしょ。無意識の在処はソコなんだし」
「うぅむ」
「まぁ、どんな人間でも最後はみな淵に堕ちる。ソコで全ての答え合わせをするというのも一興かもね」
「淵に堕ちたら記憶も人格も木っ端微塵、バラバラよ。出来る訳ないでしょ」
「例外が一人居るから、不可能って訳でもないと思うけど」
あたしはそう言って笑って見せたのだが、蟹江は苦虫を噛みつぶしたような顔をしただけだった。
空はどんよりとした鉛色だった。
冬という季節も手伝って、外の風景は実に色味に欠け味気なかった。
「全く以てさぁ」
想像以上にアッサリした顔で逝ってくれちゃって。
次の日に、蟹江の焼却を見送ったあたしは処理場を出ると独り溜息をついた。手には彼女が譲ってくれた文庫本、ゲーテの「ファウスト」がある。随分とお気に入りだったらしくページは手垢で黒ずみ、間には手作りの小さなイチョウの葉を挟み込んだ栞があった。
そしてその栞には見覚えがあった。
あんな性格で本読みだったとは。しかも随分と乙女な事をする。
似合わないことを、と思ったが、最初に会った時の蟹江を思い起こせばむしろらしいと言えるかも知れない。そういや途中からのアレは香坂先生に焼き付けられた性格だったっけ、と思い出して複雑な気分になった。
「蟹江國子。あたしにメフィストフェレスに成れとでも?」
完全に独り言だったのだが、「それは面白いですね」と返答があった。振り返って見れば案の定。香坂医師がその巨体を揺らして歩み寄って来るところだった。
「聞き耳立てないで下さいよ。あたしにもプライバシーってものがあります」
「失敬。ですがその役柄は、なかなかお似合いだと思いますよ」
「冗談は止めて下さい。何の御用なんです、あたしはもう直ぐにでも現在の現場に戻らなきゃならない。清掃作業をほっぽり出して来ているんです」
「その点ならばご安心を。わたしがあなたの上司を通じて代替の事後観察兼、清掃担当者を派遣させていますから。次の派遣先が決定するまで、此処でのんびりして行けば宜しい」
「何を企んでいるんです」
「四日後には次の新規品がロールアウトします。消失した分は補填しないと。邑﨑さんには是非ともまた立ち会っていただきたい」
「まっぴらゴメンです」
「彼女のお陰で随分ノウハウが蓄積出来ましたからね。量産体制を敷くまであと一歩といった所でしょうか」
「量産?」
「何処の国でも目指していることですよ」
香坂医師は軽く肩を竦めた。
「世間へ発表している再生者の公認数がデタラメなのは御存知ですよね」
この国での再生者出没数は、年平均一〇人そこそこ。そしてその二割程度が駆除者として登録されている。残りの八割は駆除者拒否で焼却処分。当然どちらも非公開。
その一方、登録数と消耗数は毎年ほぼ同数か、消耗が上回る位で現場は常に人手不足。
偶発性に頼らず、安定的に供給したいと考えるのは当然の流れ。
「再生者としての復活。そして駆除者としての業務というのは、普通のヒトのメンタルでは中々耐えがたいもののようで」
あなたがソレを云うのか。
「しかし、その計画は破棄されたのではなかったのですか」
「破棄では無く凍結です。しかし急遽、年末に追加の緊急補正予算案が認められて凍結が解かれました」
「・・・・」
あなたには感謝して居ます、色々と。などと眼前の太った医師は宣う。
起動直後のケアが大事と、我々に改めて教えてくれた。これでアメリカや欧州のプロジェクトと肩を並べることが出来る。まぁ、中国は別格だから比べるのも莫迦らしいが。
「なので本当にいくら感謝しても足りない位ですよ」
なんだそれは。
それでは防衛省の「超人製造組合」と変わらない、同じ穴のムジナではないか。あたしの山本地区で犬塚伊佐美相手に打った三文芝居は、予算の天秤を警察側に傾ける為の餌。強化対応者委員会を良く思わない「静かなる多数派」への口実と、燃料投下であったという訳か。
囃し立てる輩は居るだろうと思っては居た。だが、あたしはただ単に、際限なくエスカレートする阿呆どもに冷や水を浴びせる程度のつもりだったのだ。
「なる程ね、そういう事情がありましたか」
まぁ確かに戦争用の人造兵士を造るよりも、平時の治安を守る猟犬の為に資金を投入する方がまだ納得のいく使い道とも云える。
だが面白くない気分は変わらなかった。
量産などと軽々しく言葉にする、この黒眼鏡を掛けた膨れ上がった物体にもだ。
「あの資料を見たときには呆れましたよ。生前の蟹江國子なんて端から居ない。アレは複数の人格を封入したナリ替わりじゃありませんか。よく破綻しませんね」
「確かに人間の脳髄では難しいですね。ですがナリ替わりの擬態は普通に考えられている以上に高度ですよ。中には自分がホンモノのヒトだと思い込んで居る個体すら居る」
「そしてその確保に成功した訳ですね」
「あとはヒトの人格と記憶を追加するだけ。複数の被害者の脳で無事な箇所から物理的にすくい取って、ナリ替わりの脳に移植補填して仕上げてます」
「そこらのナリ替わりでも充分でしょうに」
「駄目ですよ。自分をヒトと勘違いするほどに、高度な知能と情緒反応を持っていることが重要なんですから。まぁ、ゆくゆくはその技術も確立するコトになるでしょうが」
けったくそ悪い、と呟くと香坂医師は薄く笑ったダケだった。
「なぜ複数分の人格を」
「尖った部分を平滑化できるメリットがあります。人が多人格を有すると不都合が出やすいですが、擬態する生き物の特質でしょうか。何故か入り交じって別個の人格として安定してしまうのですよ」
「それも数々の実践の賜と」
「御存知ですか。ナリ替わりは消化器官の大半をヒトのものと入れ替えると、現在の擬態のまま固定されてしまうのです。食事は人の食べ物が必要ですしね。どれもこれも先達より長い時間をかけて積み上げた技術ですよ」
よもやまさかこの様々な試みも、死からの復活を目論んで積み上がったもので在るまいな。
「聞きましたよ。過去、大陸に展開していた部隊関係者があなた方の始祖だとか」
「ノーコメントですね」
特に答えは期待してなかった。そもそも公安なんて部所が、大戦中まで暗躍していた特高(特別高等警察)の関係者が基礎を築いた組織だ。伝手なんていくらでもあったろう。
「刑期の明けない再生者の焼却処分が、当人の人格や記憶のみに限定されているというのは、どれ位の人が知っているのですか」
「決して多くはありません。再生者で知っているのは邑﨑さん、あなたダケですよ」
「まぁ、そんな気はしてました」
「ソースプログラムにバグの増えたパソコンは、一旦初期化して元データを再インストールするでしょう?ソフトウエアが使い物にならなくなっても、ハードウエアは無事。まだ実用に耐えるモノをむざむざ廃却する訳にはいきません。同じ事ですよ。
コレも『もったいない』の精神ですね」




