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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第十話 新規調達
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10-5 アンタだけだと夜が明けちゃうよ

 蟹江國子は当て所なく夜の町を彷徨さまよっていた。


 啖呵を切って飛び出したのは良かったが、ハッキリ言って途方に暮れていた。

 アレをどうやって見つければ良い?何を手がかりにすれば良い?何処に潜伏し、いつどうやって餌をおびき寄せているのか。違和感のある臭いをこの広い住宅地の中から捜し出すのは簡単じゃ無いし、どう考えても自分一人では無理がある。


 勢いに任せて飛び出して来たものの、探索の為の具体的な手法や方法がてんで見当が付かなかった。


 確かに基本的な探索方法のレクチャーは受けて居る。だがそれは最低限の手順でしかなくて、現場でいざ実行しようとすると頭の中が真っ白で、ただ呆然と立ちくすしかなかった。


 わたしは無力だ。


 そもそも現場で業務に従事出来るまでの事前訓練すら終わっていない。未熟というにも程があろう。


 ほんの数分前までは、邑﨑(むらさき)という名の先達の言葉が許せなかった。子供達を子供達とも思わぬその態度や、死者に対する冒涜ともとれるその考え方が許せなかった。だからこそ肚の底から憤慨し即座にあの場を後にした。


 だが少し頭の芯が冷えて考え直す内に、彼女の全てが間違って居るともえないのではないかと、そんな具合にも思えて来たのである。


 先程は頭に血が昇り、昂った感情のままあんな台詞を口にしたが、彼女は彼女なりに最善をくそうとして居るのではないか。少なくとも早急にアレを狩り、子供達への被害を最小限に留めようとして居るのではないか。


 ただ方法と言葉の選び方がぞんざいなダケで、根っ子の部分では自分と同じ場所に立っている。そんな気がしたのだ。


 そう思い至った切っ掛けは、あの武道場のギャラリーの反応だった。


 単純な駆逐数だけ、ただ実績が多いだけの駆除者が香坂先生やその他の公安の先輩達にあれだけ慕われ、高い評価を得ることが出来るのだろうか。法的に死者として取り扱われ、決して公にされない受刑者だというのに。


 剣道の上位者にしてもそうだ。優勝を重ねた者だけが尊敬を得られる訳では無い。試合に勝てなかったとしても敬意を払える相手はいくらでも居た。そう思い直したのである。


 もう少し落ち着いて話を聞けば良かった。そうすれば先程よりもいくらかマシな返答が出来たかも知れなかったのに。


 つくづく自分は未熟者だと吐息を付くと同時に、次会った時に彼女へどんな顔をして会えば良いのかと頭を抱える羽目になった。


「・・・・」


 引き返そうか。戻って自分が浅慮せんりょであったと頭を下げて、再び彼女の後ろをついて回ることにしようか。夜の町を目的もなく徘徊はいかいしても意味は無い。半人前が場当たり的に偶然目標を発見できるなどと、そんな虫の良い話が転がって居るハズはないのだ。


 だいたい自分は邑﨑さんの仕事ぶりを見学に来たのだし、意見が相容れなかったからと腹を立てて飛び出してくるなど礼を失している。どう考えても筋を違えているではないか。


「そう。そうよね」


 戻って先程の非礼をびよう、そうと決めて立ち止まりきびすを返したその瞬間である。「助けて」と夜陰の何処どこからか、救いを求める女性の声が聞こえてきた。


 反射的に駆けていた。


 腰の長物に手を添えて、蟹江國子は声のした方角へ向けてひた走る。確かこの辺りと見当を付けた付近で周囲を見回していると、再び声は聞こえた。ずっと近い。そしてそれは一筋向こう側の路地と知れた。

 声を追って駆け込むと、一人の少女が腕の中に飛び込んできた。


「助けて下さいっ。刃物を持った人に追われているんです」


 髪の長い子だった。切羽詰まった様子で背後を振り返り「一緒に逃げて下さい」と手を取って駆け出そうとするのだ。


「追われてる?誰に、それにどうして」


「問答している暇はありません。早く!」


 恐慌をきたしている少女の背後の路地から、見覚えのある小柄な人影が飛び出してきた。


「蟹江っ、離れろ。ソイツが食堂の主だ」


 そしてその台詞が終わらぬ内に、彼女のなたが少女の背中へ向けて振り下ろされるのである。


 気が付けば、蟹江國子は少女を背中にかばって邑﨑キコカと対峙して居た。咄嗟とっさに抜いた細身の日本刀で、鉈の斬撃を受け弾いたのである。


「む、邑﨑さん。え、食堂の?この子が・・・・え?」


「その容姿にだまされるな。こいつらの擬態は完璧に近い。臭いだけじゃあ判別出来ない連中も居る。いいから早くソコをどけ」


 路地での口論に付近の家屋から顔をのぞかせる者も居て、何事かとざわめく気配が徐々に大きくなり始めていた。


 混乱して頭の中が真っ白になる。その次の瞬間、いきなり身体が強い力で前方に飛ばされてキコカの身体にぶつかった。背後から蹴り飛ばされたと知ったのは、彼女にののしられた後だった。


「邪魔だ!」


 未だ状況が呑み込めないまま、次にキコカに突き飛ばされてたたらを踏む。そして再び彼女の鉈が振われたのだが、それは虚しく空を切り、少女の影が家屋の屋根に跳躍する様が見て取れたのである。


「ちっ」


 強い舌打ちの音が聞こえ、次の瞬間にはキコカの姿もまた消えた少女の影を追って屋根の上に在り、あっと言う間もなく見えなくなった。


 路上には、刀を片手に呆然と立ちすくむ、二〇代中頃の若い女性が居るだけだった。




 血まみれの児童公園にはすでに対処班の人員が到着していて、手際よく後片付けが行なわれている最中だった。


 そしてその様子を一顧だにすることもなく、ほぼ真っ黒な白黒ブチ猫が木の根元へ、一心不乱に穴を掘っていた。そのかたわらには猫の死骸があった。


「その子がアンタのガールフレンドだったネコ?」


 いきなり降って湧いたように声が掛けられ、夜闇に溶け込んでしまいそうな黒猫が顔を上げると、少女と思しきモノを肩に担いだ邑﨑キコカがソコに居た。


「苦労したわ。こんなモノ担いで夜道を歩くわけにも行かないし、人目に付かないよう屋根伝いにやって来たけれど、コイツ思いの他に重たいしね。オマケに体液をそこら中に滴らせる訳にもいかない。漏れ出ないよう梱包する方が大変だったよ」


 少女の姿をしたモノは半裸だった。

 頭の無くなった首元はシャツで包み込まれ、キコカの左手に下げられたスカートと思しきもので包まれたものは、小ぶりなスイカほどのサイズであった。臭う体液で手酷く汚れていて、それが首から上のパーツであろうコトは容易く察しが付いた。


 対処班の人員に骸を手渡し二言、三言話すと、キコカはスコップを片手にほぼ真っ黒なブチ猫の元に戻ってきた。


「手伝うよ」


 少しの間、少女の姿をしたモノと猫の姿をしたモノは、黙々と穴を掘り続けた。途中で何度か、もうこれ位でいいんじゃないかと声を掛けるのだが、猫的な相棒は満足出来ないらしく、結局足の付け根までずっぽりと入るくらいの深い穴となった。


 弔う相手は元白猫であったようだが、自分の血で塗れて元の毛並みが判別出来ないほどだった。内臓がゴッソリ失せていて、何があったのかは言うまでもなかろう。土を被せようとすると、待ってと懇願するような顔が見上げてくる。


「名残惜しい?まぁ、ゆっくり別れを告げるといいわ」


 キコカは立ち上がったが、ほぼ真っ黒なブチ猫はピクリとも動かない。首の骨が溶けてしまったのではないかと思える程に深く頭を垂れ、穴の底へ無言の告別に終始するのだ。


「邑﨑さん」


「おや、遅かったわね。何か問題でもあった?」


 声に振り返って見れば、酷く憔悴しょうすいしたような面持ちの蟹江國子がソコに居た。


「此処の結界に惑わされて、いえ、そんな事はどうでも良いのです。ソレよりも邑﨑さん。わたしの浅はかさから大変なご迷惑を・・・・お仕事を、邪魔してしまって。その、何と言っておわびびすれば良いか・・・・も、申し訳ありませんでした」


 初対面の時を彷彿ほうふつとさせる、実にしゃちほこばった礼だった。よくもまぁソコまで折り目正しく腰を曲げられるモノだと、感心するほどの角度だ。


「まぁ初見の者は大抵騙されちゃうからね。実動前に体験出来て逆に良かったのかも知れない。ぶっつけ本番でしくじるよりは余程にね」


「本当に、本当にスミマセンでした。それに食堂でも後先考えない、無作法な振る舞いを」


「もういいから。それよりもあたしの一振りが弾かれたのは驚いたわ。全力ではなかったとはいえ大したもの。あれから随分と頑張ったみたいね」


「無我夢中だっただけで。それにアレが無ければもっと容易くカタがついて」


「済んだコトよ。それに特に被害が発生した訳でもないし、デコピンのお陰で予想外の別口も始末出来た。しかもヤツを誘い出すというオマケ付き。むしろ上々とっていいわ」


「黒猫さん、どうしたんですか」


「彼女がアレに喰われたようでね。いま最後のお別れをしているところ」


「そうだったんですか。わたしも手を合せて良いですか」


「良いんじゃない」


 振り返って見ると件の猫的な相棒は、すでに後ろ足で土をかき入れている最中だった。蟹江が手を合せて祈っている間はピタリと作業を中断し、祈り終わるとまた土を被せ始めた。


「お別れが終わったのなら呼びゃあいいのに。アンタだけだと夜が明けちゃうよ」


 キコカはスコップを手に取ると、再び穴の縁に歩み寄って行った。

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