10-3 上位者の胸先三寸
「いまを以てしても最悪の目覚めだと思って居ます」
「そう」
軽く合いの手を入れながら、キコカは照り焼きステーキの最後の一切れを口に運んだ。やたらソースの味ばかりが濃くて特に美味しいとは思えなかった。だが全国チェーンのレストランのお薦めなんてこんなものだ。
対面に座る蟹江國子は上品な手つきでチキンピラフとミニシチューのセットを口に運んでいる。自分もそちらにすれば良かったと思った。
あたしはいったい何をやっているのだろう。
いつものように在り来たりな女子高校生を演じ、いつものように高校に潜り込んで、いつものように潜伏しているヒト喰らいをいつものように狩り出している。
そんないつもの現場へ「見学をしたい」などと彼女から申し込まれ、蟹江國子は目の前に在った。
どういうコトなのかと上司に問えば、気に入られただけだろう、と投げやりな返答があってそのまま通話が切れた。相変わらず無責任な上司だと歯噛みした。
夜までは少し時間が在るから宿泊している部屋で待機してくれ、と言ったら「もうじきお昼ですし食事でもしませんか」と誘われた。そして、今こうしてここに至るという訳だ。
「あたしはトレーニングプログラムには登録されて居ないのだけれども」
「すいません。やはりご迷惑でしたか」
「許可したうちの上司が無頓着なダケだから気にする必要は無いわ。ただ、どうしてあたしなのかと思って居るだけよ」
「わたしは新参の未熟者で様々なものが足りません。邑﨑さんのような熟練の方の仕事ぶりを、どうしても一目見ておきたかった。見て学んで自分の糧にしたい、ただその一心でこうしてお願いしたのです」
「だから、あたしでなくても良いでしょう」
「あの、失礼ですが邑﨑さんが駆除者と成った経緯、その資料に目を通させていただきました。それで、その、何処かわたしに似ているな、と」
「あなたは臓物を喰われたダケでしょう。腹部以外はほぼ五体満足だった。木っ端微塵になった挙げ句、怪しい老人の手でモザイク仕立てに再生したあたしとでは似ても似つかないわ」
「妹さんを復活させたかったのですよね。わたしにも年の離れた妹が居ましたから、その、気持ちは判るんです」
「高校一年生だったっけ?設定だけならあたしと同じね」
「わたしはあの時、あの子を助けようとして結局助けられませんでした。身代わりになろうとしたのに出来なかった。あの子が貪り喰われる様を目の当たりにしながら、足が地面に釘付けになって動かなかった」
チキンピラフの皿をスプーンでガチガチと突きながら、蟹江國子は言葉を続けた。掻き回し過ぎて、皿の中身がテーブルの上にまき散らされ始めたが、それでも彼女の手は止まらなかった。
「情けない。長年剣道で鍛錬を積んで、強くなったつもりだった。そのつもりだったのに、肝心要の時に動けなかった」
「もういいのよ、終わった事だわ」
「助けよう、駆け寄って何とかしようと頭じゃ判っているのに、気持ちは急いているのに身体が震えて動かなかった。あの子を何とかしたかった。アレの口から引き剥がして逃がしてやりたかった。なのに、なんで、なんで、なんでわたしはあの時に!」
「もういい、もういいのよ」
彼女の握ったスプーンが握力に負けてくの字に曲がっていた。掻き回す皿を凝視する眼差しが徐々に血走り、剣呑な感情が傍目にも露わになっていった。
「だって、だって、あの子が、あの子が助けてと何度も叫んでいたのに。悲鳴をあげて必死になって、あの子はわたしに助けを求めていたのに、痛い痛いと叫んでいたのに、あの子が、あの子があんなに、お姉ちゃん助けてと、何度もわたしに。何度も、何度も、何度も。なのにわたしはタダ呆然として突っ立っていただけで、わたしは、わたしは、わたしは、わたしは・・・・」
「自分を責めるのは止しなさい。たとい親しいものだろうと、貪り喰われる様を目の当たりにして真っ当至極に動ける筈もない。仲間が餌食になっている間に逃げ出すことが出来ればむしろ僥倖。ましてや助けようとするなんて、普通出来るものじゃないわ」
「でも、わたしは!」
テーブルから上げた顔には、物腰低い何処か気弱な大人の風情が消え失せていた。眼差しは確かに血走っていて、仄かな狂気の気配が在った。
「蟹江國子、済んだことにエキサイトしてどうするの。こんな人目のある場所で感情ぶちまけるほど子供でもないのでしょう」
そう言って水の入ったコップを目の前に突き付ければ、彼女は虚を突かれた面持ちで険が失せ、唐突に昂った一瞬前と同じく、やはり唐突に普段の顔へと戻ってゆくのだ。
「す、すいません。取り乱しました」
「まぁ、あたしを選んだ理由は少し分かったわ」
彼女は突き出されたコップを受け取ると、それを一息に飲み干した。天井を仰ぐ白い喉がやけに艶めかしかった。
ヤレヤレ。
安全弁が焼き付いたボイラーみたいなものだ。高温高圧のモノが封じ込められたままで、いつ釜の蓋が吹き飛ぶか判ったもんじゃない。それともこうやって誰かが宥めあやしつつ運用する、それが常となるのではなかろうな。
そしてよもや、よもやまさか、あたしにそのお鉢が回ってくるなんてことは・・・・
冗談じゃない。
軽く頭を振って不穏な予感をもみ消しながら、照り焼きステーキとセットになっていたトマトサラダに手を着けるのだ。
食事を終え、二人連れ立って店を出れば外の気温はやたらと高かった。歩道に落ちた自分達の影が異様に濃くて、照り返しの激しさに辟易した。夜になったとしても恐らくさして下がりはすまい。
今夜は長くなりそうだ。
街路樹にしがみついた蝉の鳴き声がやたらと耳について、実に五月蠅かった。
キコカは午後の授業をサボる傍ら、体育館の裏手にある木陰で上司から転送された蟹江國子の資料に目を通していた。
成り行きなのか、それとも裏方で算段された某かのせいなのか。少なくともここ数日は蟹江國子の面倒を見なければならないのは間違いなくて、何処かに取説はないものかと思ったのだ。
ランチの時の打ち明け話を裏付けながら詳細に目を通すと、思いの外に閲覧制限のある項目が多かった。どれもコレも駆除者の権限では覗けないレベルのものばかり。
すこし考えた後に香坂へ連絡を入れると、二つ返事で制限解除された資料が彼の秘匿回線で転送されてきた。
なんだこりゃあ。
中身を読んでまた溜息をひとつ。やれやれ、これは大した内容だと、苦笑とも諦めともつかぬ独り言をこぼすハメになった。
「邑﨑さんはいつもこんな時間から巡回を?」
陽は落ちて時刻は二〇時を回っていた。校内に人気は既に無いが深夜と云うにはほど遠い。特に夏場ということもあって、先程沈んだ太陽の熱気がまだ色濃く周囲に満ちている感触があった。
「この季節は肝試しにかこつけて餌を呼び込む連中が増えるからね。狩りや食事の時間は冬場よりも早まることが多いわ」
「なる程」
「これでも今日は少し遅い位なんだけれど、デコピンが妙に張り切っているから任せてみたのよ。この付近に気になるメス猫でも見つけたのかもね」
「相棒のあの黒猫さんですね」
「ムラっ気があって扱いにくいけれど、まぁ役には立つ。でも、あなたが得物を持ってくる必要はなかったのに」
「いえ、現場に赴くのですからそうもいきません。それにコレは新しいわたしの相棒ですし、早く手に馴染ませたくて」
「恐らく今夜狩りは無いわ。まぁ、恐らく程度なのだけれども」
アレが飢えに至る頃の、あのピリついた空気の感触が微塵も感じられなかったからだ。以前の食事から恐らくまだ四、五日といったところで、飢餓を憶えるにはまだ日にちも浅かった。
「そういう、ものなのですか」
「わたしたちは臭い、何を置いても臭いに敏感でないと。あなたは実務訓練もまだなのでしょう?先ずは自分の身体に馴染むことが先決だと思うわ」
彼女が少し不安げに手を添えたその腰に下げるのは、反りの小さい細身の日本刀だった。刀と云うよりはむしろ剣に近いように見えた。
「あなたは外回り組?」
「いえ、まだ決まっていません。ですが学内担当を希望してます」
「屋内でその得物は辛くない?」
「この長さが一番しっくりくるんです」
「まぁいいけど」
学校内に配属される駆除者の多くは、大抵長尺ものより短尺の得物を好む。屋内での立ち回りが基本となるから、長物では太刀筋が極端に制限されてしまうからだ。
中学生用の三七(三尺七寸)竹刀でも振りかぶれば容易く天井や鴨居に当たって、まずまともに打ち込むことは出来ない。キコカの使う大鉈ですら屋内では過大と云って良い寸法だった。
翻って外回り組、野外での駆除を担当する者は、逆の理由で間合いの広い得物を使う者が多くなる。だがそれは、あくまでそういう傾向があるというダケの話で、極端に常識外れでない限り、結局当人が一番使い易い道具を選ぶのが良い結果を得やすかった。
とは言えこの新規品、学校内で運用するより外回りの方が良い結果を出せそうな気もするけれど。
武道場での一件のあと彼女は随分とヘコんでいたらしいが、その実、立ち会った時の感触は悪くなかった。
確かに剣道経験者特有の教科書通りの太刀さばきだった。だが、現在自分のフィジカルをキチンと理解させて鍛え直せば悪くない能力を発揮しそうだ。香坂医師も言って居たが上手く訓練すれば大化けする、そんな手応えがあった。
だが最大の懸念は腕前や得物などではなく根本部分だ。彼女のメンタリティがどれ程安定して活動出来るのか、ただその一点なのである。
何しろ対する相手は人外の異形、ヒトに仇なしヒトを餌とするヒト喰らい。とはいえ外見は丸きり少年少女の姿なのである。一人で真っ向相手にしたときの、彼女のリアクションが目に浮かぶかのようだった。
たとい端からソレだと判っていても初見の者は大抵二の足を踏むか、抗しがたい罪悪感に苛まされる羽目になる。
一太刀でも入れられるのならまだ上等。しかし果たして、助けてと泣き喚き、足元にすがって来るモノへトドメを入れる事が出来るのか。息途絶えるその瞬間まで演技を貫く芸達者なモノすら居る位で、実に全く油断がならない。
躊躇う内に逆襲されて殉職した者は少なくなかった。そして初仕事で屠られる再生者はそれ以上に多かった。迂闊と一言で済ませば良いのか、それとも仕方がないと諦めれば良いのか。
まぁ、あたしが心配することでもないケドね。
何れにして自分達再生者の先行きを決めるのは全て上位者の胸先三寸。
そこは何処までいっても変わらない普遍の規範だった。




