9-6 むしろ嬉しそうな顔で
画面の前に座るオペレータ達は最早身じろぎすらしない。硬直し、瞬きすら忘れて画面に釘付けになっていた。
言語を絶した凄まじさだ。だが目を反らすわけにはいかない。自分達はその為に此処に居るのだし、それが自分達の役目だからだ。
だが、しかし・・・・
これは記録しても良いものなのか?
「校外には誰も出て居ないな?」
無面目な声が響いた。
「はい。現在の所、封鎖に漏れは在りません」
「些細な異常も見逃すな。公安の目の行き届かない箇所は全て我らが拾い上げる。正念場だ、この場だけで全てを終わらせる」
「承知しております」
くっ、と小さく呻く声が聞こえた。一人のオペレーターが口元を覆って眉間のシワを深くしていた。画面を凝視する目元が震えている。
画面の中では一人の少女だったモノが、内容物を引きずりながら悶える断末魔が見て取れた。口を覆う指の隙間から、某かを食いしばるかのような音が洩れてくる。吐き気を堪え、泣いているのだと知れたが見て見ぬ振りをした。
片桐は再びポケットから手帳を取り出すと、また何事かメモを書き留めていた。
ソコは大きな巣だった。
放送室の隣室は古い時代の放送室の一部で大きな部屋を壁仕切り、理由は分からないが出入り口も撤去して、人の出入りできない完全な密室にしてしまったのだそうだ。
そんな人知れぬ部屋が今は開かれて、こうして目の前に在る。
何故にこれ程まで大きなモノを隠し通せていたのか不思議だったが、その部屋に居た人物を見てなる程と思った。
「まさかアナタが宿主だったとは。気付かなかった己の迂闊さが腹立たしいですよ、校長先生」
「歯噛みする必要は在りません。駆除者の嗅覚では、肌の上からムシ憑きと判定するのは困難なのでしょう?」
部屋の中には無数の卵とそれが破壊された跡があった。異様な臭気と粘液とで塗れ、この学校の主は椅子に座り静かに苦笑するばかりだ。
「わたしを邪魔する手立てなど幾らでもあったでしょうに」
淡々とした邑﨑キコカの声が響く。追求するというよりも、何処か感心したような色合いがあった。
「突然我に返った、と云えば信じていただけますか。まぁ、無理かも知れませんね。自分でも驚いて居るくらいですから」
校長は軽い口調で肩を竦めると、引きつったように口元が歪んでいた。
「でもムシに襲われて人形になった我が身を省み、愕然とし、まだ無事な生徒を救う手立てはないものかと、頭を抱えていたのは本当なんです。
自分のしたことが許せなかったが、それ以上にムシを根絶やしにして、生徒たちを保護したかった。なのであなた方を呼びました。迂遠な方法であったのは申し訳なく思って居ます」
「お為ごかしはやめて下さい。端からそう告白すれば良かったではないですか。あなたが最初から協力的であったのなら、ここまで大仰な手間や手数は不要でした」
「ムシ憑きになった生徒だけ集めたかったからです。真っ当正常な生徒を保護したかったからです。わたしの『笛』は学校内なら兎も角、校区のすべてに響かせるには不十分ですので」
「あなたはただ血を見たかったダケでしょう。先行きの無い自分と共に、冥界へと旅立つ輩が欲しかったダケです。ムシに憑かれた連中にはよくそういう手合いが居ますよ。自分の欲望だけが全てに優先される」
「おやおや。それでは、健全な生徒を救いたいと思った。それもまた、わたしの欲望だと解釈しても良いのですね?」
「好きにして下さい。二つほどお聞きしたいのですが、最初から笛を吹けて居たのですか?」
「いえ、我に返った頃からですね。ソレまでは腹のムシに命ぜられるまま、生徒たちに体液を与えていましたよ」
「我に返ったのはいつ頃?」
「あなた方に連絡する二日ほど前のことです」
「なる程、ありがとうございます」
校長はどういたしまして、と返事をしたがもう口を利くのも億劫そうであった。自分で自分の腹を裂き、中に居たムシを引きずり出して滅多刺しにしたは良いが、流れた体液はもう相当量で、意識を保つのも困難であったからだ。
回線を開いて、夏岡にソッチの様子はどうだと訊けば、「まぁ決着」という曖昧な返事があった。次期女王を見つけて始末したが、蟹江が取り乱して手が着けられないと溜息をつかれた。
ヤレヤレだと思った。
上司に一報を入れて校長の後始末を頼み、体育館の第二放送室に入ると蟹江國子が泣き喚いていた。
「イヤよ、イヤ。もうイヤ!もう子供たちを斬りたくないっ。斬りたくないのよぉ!」
全身返り血で塗れ、真っ赤に染まった全裸の女性がうずくまって号泣している。
部屋の中は少年少女たちの遺骸が山積みになっていた。八畳程度の広さの中に、二〇体は転がって居るだろうか。
「外にも結構な数が在ったわね」
「ボクだけでも二、三十人は斬ったかなぁ。國子ちゃんはそれ以上かも。校舎の中でやり合った連中よりも、余程しつこかったような気がする」
身体が半分になってもしがみついて襲って来るんだよ、と夏岡は辟易した様子で溜息を付いていた。
「次期女王の近衛ってところかしら。然もありなん、ね」
「やっと終わったってホッとしていたら、首だけになったヤツが國子ちゃんの足首に噛み付いてね。頭しか無かったから胃酸で溶けることは無かったんだけど、彼女思わず踏み潰しちゃってさ。まぁ、普通にビックリするよね。しかも女の子だったし」
「なる程。それでこの取り乱し様と」
「まぁ、そういうこと」
どうしよう、と言われて仕事は終わったのだから引き上げるだけよと答えた。
「立ちなさい、蟹江。この程度でヘコんでる暇なんて無いのよ。次の現場が待ってるんでしょう」
「ふざけないでっ」
叫び声が狭い部屋の中に反響し、血塗れの、正に鬼気迫る形相がキコカに向けて噛み付いていた。
「この状況を見てごらなさいっ。言いたいことはそれだけなのっ!」
「予定通りじゃない。目立った被害も無いし、最重要対象物の駆除は完了。校外に逃れた対象物もない。わたしたち三人もこの通り無事だわ。夜明けを待たずして完遂したことを加味すれば、むしろ想定以上の出来とも・・・・」
「ざけんじゃねえよ!」
蟹江國子が再び吠えた。
「全部が全部、自分の思惑通りに進むとでも思ったら大間違いよ。コレだけの子供を殺して何も感じないの?哀れみや後悔の気持ちは何処にも無いと云うの?」
「アレの眷属じゃない。あなただってイヤというほど狩ったでしょうに」
「この子たちはヒト喰らいなんかじゃない、ただの被害者。全然違うわ!」
「ああ、そんな具合だからこの前も一匹逃がしてしまったのね。プロ意識に欠けるわ」
そう言って軽く鼻で笑ったら、見返す瞳に一際剣呑な感情が宿った。
その目を見たら、そう言えば少し前にも似たような娘を相手にしたな、と思い出した。
「コイツらは既にムシの人形よ。あたし等が何もしなくても、半年もせずに朽ちてお終い。後は掃除屋に喰われて跡形も残らないわ。法規的にも人権が喪失したタダの肉人形よ」
「なんで、なんでそんな簡単に割り切れるの。アンタは何時だってそうだった。何でもかんでも『ルールで決まってる』『あたし等には決める事が出来ない』
そんな訳ないでしょ。
人間が決めた決まり事だけで世界が回ってる訳じゃないのよ!」
「いい加減にしなさい、蟹江國子。
あなたは再生者として焼却処分されるのがイヤで、国と駆除者の契約をしたのよ。自分の意思で今のあなたが此処に居る。ルールを呑んで是とした者が何をヘタレた事ヌカしているの。自分で決めたことは自分で責任を取りなさい」
「ルールなんてクソ喰らえよ。あんときは此処まで外道な仕事だなんて知らなかった。もっと懇切丁寧に説明しとけってんだよ、ど畜生どもが!」
「ソコまでイヤなら辞めればいい。焼却処分願書は依頼すれば直ぐに届くわ」
途端、血まみれの彼女は虚を突かれ、次の台詞は呑み込まれた。
吐いた怒声は威勢が良かったが、唐突に堰で阻まれ萎えてしぼんだ。
言葉に詰まり反駁に窮し、感情と言葉尻を濁して呟くのだ。
「・・・・そ、ソコまでは・・・・」
歯切れの悪い返答には、ただ口惜しさだけがあった。
「踏み切る覚悟が無いのなら肚括りなさいよ。それともあたしが此処でその素っ首刎ねてあげましょうか?一瞬で此の世の全ての苦痛と、永遠におさらば出来るわよ」
「・・・・」
「言いたいことはソレだけ?無いんだったら、とっとと撤収の準備をなさい。何時までも座って居ると血糊でお尻が床に貼り付いちゃうわよ」
某か言いたげな様子だった。
だが反問は無かった。口籠もったまま目を伏せ、合せようともしない。
ノロノロと立ち上がった蟹江は、唇を噛んだまま床に突き刺していた愛刀を引き抜いた。そしてその刀身をジッと眺め、小さな溜息を一つつくと、軽く振って血しぶきを飛ばした後に鞘に収めた。
「刃こぼれしたのなら研ぎ直してもらわないとね」
「見ても居なかったわ」
何の感情も感ぜられない平板な声だった。
そして彼女はそのままフラフラと部屋から出て行った。
「キコカちゃん。レコーダーのスイッチが入ったままだよ」
夏岡が指差した襟元には、パイロットランプが点いたままの小型カメラレコーダーがあった。指摘されて、そこで初めてスイッチを切った。
「すっかり忘れてたわ」
「ワザと國子ちゃんの様子を記録させたんでしょ」
「何の為に?」
「転職先へのアピールの為。
たしか防衛省は引退した使い手を欲していたよね、アレ対処用の専任トレーナーとして。ボクのところに来た勧誘員は随分と熱心だったよ。現場に出る必要はありません、人並みの待遇を約束しますとかなんとか。随分と調子のイイこと言ってたなぁ。
ドコまでホントなのか分からないけれど。
キコカちゃんのトコロにも来たんじゃないの?」
「ナニわけ分からないコト抜かしてるの。脳ミソ膿んでるんじゃない?」
「ボクらはもう死んでるから既に膿んでるのかも知れないね」
「やかましい。とっとと引き上げるよ」
「はいはい。了解いたしました、つぎはぎ姫さま」
あたしはその仰々しいお辞儀にあからさまな舌打ちをしたのだが、された本人はむしろ嬉しそうな顔で微笑んでいた。




