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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第九話 笛を吹くもの
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9-4 言い様の無い圧迫感

「あの噂は本当なんでしょうか」


 彼の正面にあるディスプレイには、いま、廊下を行く邑﨑(むらさき)キコカの姿が在った。


「この古株が既に弱体化して、廃棄寸前の状態ではないかという。彼女が現役であるのはその豊富な経験を買われてのことで、力量そのものは常人と大差ないのではないかと」


「不明瞭な発言はひかえろ。観測者は観測結果の記録のみに専念。目の前の現実だけが全てだ。余計な先入観は事実を歪めるぞ」


 それはほぼ教科書どおりの文言で、窘められた若い部所員は恐縮し口を噤んでリアルタイムの画像と音声の収集を再開した。


 しかしこの噂もだが、何故、公安の仕事を我らが観測しているのだろうな。アレへの対処は警察の守備範囲であって俺たちじゃあない。駆除担当者の強い弱いなんて話が、何故なぜ俺たちの話題になるのか。


 まぁ間違いなくアソコからだろうな。


 十中八、九、強化対応者シンパの連中、あの超人マニアの巣窟からだ。あそこの連中が駆除者の一挙一動に神経を尖らせている事は、部局内の誰もが知っている。


 特にそれが古株の駆除者達ともなれば尚更だ。だから古参の一人が新参の地区担当者と争って膝を屈したというのは、割と派手な話となって流れた。連中には相当な驚きだったらしい。何しろこんな風評がアチコチにダダ漏れになるくらいだからだ。


 強化対応者シンパ曰く「コレは例外中の例外。古参という名に幻惑されて、彼女の力量を過大に見誤っていた結果である」ということらしい。


 彼女が自分達と変わらない力しか持たないのであるのなら、レベル4の強化対応者ブーステッドマンに敗北するのは必然。現状の開発成果で満足するのは軽率。真の強者に対抗するためにも、レベル5以上への研究と開発は続行すべきである。

 連中はそう主張する。


 彼らは「真実」を知りたがっていた。


 シンパの連中は戦々恐々(せんせんきょうきょう)としているらしい。レベル4で充分と知れば予算の大幅な減額は避けられず、研究開発チームも縮小を余儀なくされる。心穏やかでは居られまい。


 気持ちは判らなくもないが、そもそも何故に駆除者を指標にしなければならないのか。確かに我々はアレに対処する場合もあるが、基本的に国外からの脅威に備えるのが役目ではないのか。


 目的をはき違えていないかと思った。実際シンパの連中は、自分達の手で超人を作りたい、という子供じみた願望に取り憑かれている。この騒動の根本は、「自分の欲望の達成と居場所が無くなるのが怖い」ただそれダケなのではなかろうか。


 だとすれば何という幼稚さだろう。

 でも世の中には、そんな下らない理由で騒ぐ連中が思いの他に多いような気がするのだ。


 いっその事、この黒髪の子がアレ相手にバカ勝ちしてくれないものかね。


 そうなれば「弱体化した」などという噂は霧散する。


 事前にレポートには目を通したが、直近の実績を見ても到底衰えているとは思えなかった。むしろ同僚よりも頭一つ抜きん出ている印象だった。シンパの連中は何を見てものを言っているのかと、首を傾げたくなるのだ。


 ヒトは願望が強くなればなるほど、現実が見えなくなって来るものだが、連中もそんな熱病にうなされている最中なのだろうか。連中の先頭に、俺と一緒に行こう、同じ願いを持つ者同士みんなで集まって進んでいこうと、旗を振り、笛を吹く者が居るのかも知れない。


 レベル4で充分となれば、湯水の如く予算を注入されている強化対応者の委員会、通称「超人製造組合」も縮小される。そして浮いた予算は他の部所に回るだろう。そうなれば、一部分だけでも我らの部所に巡ってくるのではないか。そんな淡い期待も抱けるのではなかろうか。


 俺はスーパーマンになるのも関わるのも、まっぴらゴメンだ。日々アレに対処し続ける人生なんて考えたダケでぞっとする。そんなものハリウッドやアニメ映画で充分だ。


 しかし今回はこの目付きの悪いくせっ毛の彼女に、小さくない期待をかけてみたくなった。


 頼むぜ、黒髪の子。超人オタクどもに一泡吹かせてやってくれよ。


 ディスプレイを眺めながら若い部所員は切に願った。この子がコケたら間違いなく、外道な作戦が開催されることになるからだ。


 チラリと盗み見た一尉殿は、ディスプレイを眺めながら時折小刻みなメモを取っていた。実に仕事熱心である。対象者の行動ログは自分達が全て記録しているというのに。


 そもそも、何故この程度の現場観測に情報将校が出てくるのだろう。確かに現状は自分達が専門とする分野ではない。だがそれでも我々観測員とそのリーダーだけで充分なのではなかろうか。


 そんな疑念疑問はあるが口にはしなかった。些細な違和感で自分の勤めを疎かにするほど、彼は愚かではなかったからだ。




 血の臭いや死臭というものは、普通の者が思って居る以上に広範囲へ流れ出して行く。


 むしろ、自身の生存に直結した臭いであるからより過敏である、と言い換えた方が正確かも知れない。いずれにしても種族ごとに能力の高い低いはあれど、その辺りはヒトも異形も変わるところはなかった。


「所轄から苦情が来たわ。学校近隣は異臭騒ぎで苦情の電話が鳴りっぱなしなんだって」


「ちょっと派手にバラ巻き過ぎたかな。もっと一箇所にまとめた方が良かった?」


「短期決戦だから構わない。今晩中に決着を着ける」


「久方ぶりにキコカちゃんの本領発揮だ。またあの艶姿を見られるなんてボクは幸せ者だよ。ワクワクするよ」


「呑気なこと言ってるんじゃない夏岡、サボるんじゃないよ。蟹江、あんたも判って居るよね」


「ええ。判って居るわ」


躊躇ちゅうちょ忖度そんたく無用」


「判って居る」


 高所にぶら下げた肉塊が風で揺れていた。

 ミンチにして一口サイズになった肉片を校門と裏門と西門、それぞれにバラ巻いて三人が三箇所で身を隠して待つ手筈てはずだ。


 校外は周辺区画から集結した区域担当者が詰めている。マーキングと捕食の妨害で餌の捕食は学校内だけに限定しているから、連中が餌を得られる場所は学校内しか存在しなかった。


 それにムシ憑きはヒトの自我が残って居るモノが多かった。


 知恵が回るから自分の寝床の周囲では狩りをしないことの方が多かった。むしろ学校内の方が潜伏できる場所も多数あり、目立たず確実に若い餌と肉体とを得るコトが出来るから、敢えて郊外で他者を狩る危険を犯す必要が薄いのである。


 だからこそ発見が遅れるのでもあるが。


 人間の習性をなぞって昼行性を会得している連中だが、飢餓状態でこれだけあからさまな餌の臭いを無視出来るとは思えない。事実、臭気の拡散に伴って、ぞわぞわと実に落ち着かない気配が町中に満ち満ちてゆく感触があった。


「じゃあ、あたしは西門に向うわ。正門の方は宜しく」


 夏岡が先に行きキコカがきびすを返そうとすると、蟹江は不意に「待って」と呼び止めた。


「真っ当な子や中途半端な子が交ざっていたらどうするの。臭いじゃ判別出来ないわ」


「足の腱でも切っておきなさい。逃げられなければソレで良い」


「問答無用って訳ね」


「臭いに釣られて来る時点で普通じゃないよ。キコカちゃんの提案でも穏当な方だと思うけどな。男の子相手なら悩殺するっていうのも手だね。真っ当なら食欲よりも性欲だろうから。いまの國子ちゃんなら一発だよ」


「やかましい。シリアルキラー」


 蟹江國子は全裸だった。

 正確に言うのならば長柄刀と脇差し、その二刀を下げる革ベルトを身に着けているだけで、それ以外は何も無く靴すらも履いていなかった。若い女性の白い裸身が、冷たい冬の外気に包まれる夜の学内に立っているだけだった。


「からかわれるのがイヤなら何か羽織りなさい」


「血で服が汚れるのがイヤなのよ。それに、何か着たり履いたりしていると動きが鈍るし」


「油断しないように」と言い残してキコカは去り「またあとでね」と夏岡が軽く手を振って夜陰の中に消えていった。


 蟹江は諦めたかのように、白い吐息を夜気の中に吐き出すばかりであった。




 ふらふらと幽鬼のように連れ立って歩く少年少女たちの群れは、もう学校外輪の直ぐ側まで来ていた。


 夜陰の中に目を眇めれば、少年少女達の虚ろな顔が見て取れた。開け放した口から垂れた涎すら拭おうとしない。


 ものの見事に呆けちゃって。


 香しい餌の臭いに釣られ自我も蕩けてしまっているようで、何処をどう見ても普通じゃ無い。既に手遅れなのはもう一目瞭然だった。


 キコカは細く息を吐き出した。


 外周を囲む区域担当者のマーキング情報に寄れば、既に三百を越える数になるという。


 この学校に通う生徒数は七百人強。夏岡の目算が正しければあと百四十から百五十程度居るのだろうか。あるいはもうほぼ全ての生徒がムシ憑きになっている可能性もあって、罠の口を閉じるタイミングがつかみづらかった。


 だがまぁいい。大事なのはムシの拡散を防ぐことだ。

 女王と次代の候補さえ特定して狩ることが出来れば、この一帯を封鎖するだけで事足りる。

 兵隊や労働者は「命令」が無ければ何も出来ない。卵を抱えて逃げるどころか餌を狩ることすらしないデク人形と化からだ。疑わしい者も含めて全てを拘束するのは訳もない。


 仮に取り逃がしたとしても兵隊や労働者には繁殖能力は無いから、ソレと判明すれば対処は普通の警察官でも事足りる。ヒト喰らいではないから兵隊であっても身体能力はヒト相応。大した脅威ではなかった。


 それでも人外相手なので一人二人死人が出るかも知れない。だが、それはもう管轄外だ。自分の活動は上司に指定された区域内のみに限定されている。他者のナワバリにちょっかい出すほどあたしは暇じゃないのだ。


 そして此処ここに集まって来ている者たちは皆なり振り構わず、山積みされた餌の山に群がり、我先にと貪り始めていた。


 やれやれ。共食いもいとわずか。


 臭いでそれと知れるだろうに、なり振り構わぬ様はそれだけ飢えているという事なのか。それとも女王が急いている為なのか。


 膨れ上がった腹を抱えた少年少女たちが次々と、覚束ない足取りで校舎の中に入ってゆく。間違いなく向う先は女王の座だ。


 音を立てぬように、そっとなたを抜いた。肌が熱い。また手術痕が浮かび上がってきたのだ。

 後を付けようと腰を上げたその時である。異様な不快感が頭の上から覆い被さってきた。


「!」


 物理的なものじゃない。言い様の無い圧迫感をともなった何かだ。


 不意に左耳に着けたPチャンイヤホンから夏岡の声が聞こえた。

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