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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第九話 笛を吹くもの
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9-3 別の懸念も浮かんでくる

 一組の少年少女にしか見えない駆除者二人が、教師の目の届かぬ場所で密会していた。


「確かにあの時は上手くいったよ。でも毎回同じ手段が通用するとも思えないけどねぇ」


 夏岡十里は胡乱うろんげに答えた。


「他に『良い手段』が無いのだから仕方がないでしょう。あたしらが見切りを付けたら、完全処理が実行されるダケよ」


 邑﨑(むらさき)キコカは断ずるように押し戻した。


「まぁその方が後腐れないけどね。今回はその筋の方もいらっしゃっているから、上手く取り入れば参加させてもらえるかもしれないし。普段では決して味わえない仕事の悦びに浸れるかも知れないし」


「・・・・」


「・・・・まぁ、冗談はさておき」


「本音だったでしょ」


「ノーコメントだね。キコカちゃんに殺されるのなら本望だけど、いま此処ここでというのは風情がなさ過ぎるよ」


 屈託の無い少年のような風貌の駆除者は、そう言ってにこやかに微笑みながら肩をすくめた。そして女王の痕跡がまるで見つからないと溜息をつくのだ。


「ムシ憑きの何人かを終日追跡してみたけれど、一度たりとも女王の元に行かないんだよ」


 臭いの成分は一日で消えるから、その前に女王と直接接触しないと群れが維持できないはず。なのに全っ然、そんな気配微塵も無し。ムシ憑き同士、口移しで伝達している可能性も考えたんだけれどもそんな様子も無い。

 いったいどうやって統率してるんだろ。


「ひょっとするともうボクらじゃ手に余る状況なんじゃないかな」


 二限目の授業の最中に夏岡から呼び出されて校舎裏にまで来てみれば、まるで成果が上がらないと愚痴を聞かされた挙げ句、そんな悲観論を開陳された。


「あたしらの中じゃあアンタが一番鼻が利く」


 同様に敏感なデコピンにも手伝わせて居るけれど、ヤツは女王物質の現物を知らない。


 知らない臭いは追いようが無いから、ムシ憑きのマーキングや群れの拡大を邪魔するのが精一杯。


 あたしや蟹江も御同様。


「現状で女王を見つけられるのは、過去に駆逐経験のあるアンタだけなんだよ」


「それは判って居るんだけどさ」


 それに御同様っていっても、キコカちゃんは國子ちゃんと違って女王物質のサンプルは受け取っているじゃないか。探索能力が劣るといっても、ボクよりも嗅ぎ分けられる選別階層が少ないってダケで、根本的な違いは無いんだし。

 判るでしょ、アレの臭いってすごく微かで、しかもすぐ何かに紛れちゃって。


「判別が大変なんだよ」


「情けなく溜息つくな、みっともない。それに、あたしを呼び出したのは愚痴を言いたいからじゃないでしょう。何か提案があるんじゃない?」


「うん、そう。ムシは女王の臭いに惹かれるけれど、それだけでは命令を受け付けない。ご褒美が必要なのは知っているよね。そして女王だって食事は必要だ」


「まさか、あたしらが『餌』を用意しろとでも?」


「当たり」


「アンタの腕や脚でも充分代用出来るわよね?」


「待った待った。もう手遅れな子たちが居るよ。それも掃いて捨てる程」


「巣の中で事を起すつもり?そんなコトをしたら」


「そんな無謀なコトはしないよ。何匹か群れの支配域の外に連れ出せば良いのさ」


 夏岡十里は実に楽しげに語った。


 警戒物質をまき散らされても察知されない場所でサクっとヤって、程よい大きさにしたあと巣にバラまく。

 餌はもう随分と目減りしているから、きっと喜んで集まってくるよ。

 最近は飢えた連中が多くて段々見境が無くなってきているしさ。

 女王も巣別れの準備に入っているせいなのか、統制に綻びが見え始めて居るし。群れ全体が浮き足立っている感じだよね。


「実はもう何人か声を掛けてるんだ。キコカちゃんがオッケーって言うのなら今晩にでもヤるよ」


「女王の部屋に持っていくとは限らないでしょ」


「確かに。でも、うだつの上がらない現状で時間を浪費するより、試す価値はあるかなと思って。狩りの現場を押さえるよりも成功率は高い気がするよ」


 キコカは口をへの字にして紡ぎ、鼻腔からだけ静かに息を吐き出した。真冬の冷たい風が髪を揺らしていた。首元でセーラー服の襟が僅かにはためいていた。


 逡巡しゅんじゅん躊躇ためらい、道義と実利、他者の感情やその他諸々の思惑が頭の中をゆらぎ、いくつものモノがかすめていった。


 だが然程長い時間じゃあない。


「・・・・その子たちはもう完全に手遅れなのよね」


勿論もちろん


 最後に吐き出した吐息が白かった。

 朝からの曇天で天気はもう泣き出しそうだった。


「いいわ。上司に提案してみる。ちょっと待って」


 スマホを取り出すと通話ボタンを押した。話す前から提案は間違い無く通るだろうという確信はあった。あの上司は腹が黒い分頭も切れるし、躊躇ちゅうちょとも無縁の人物だからだ。


 そしてやはりその通りだった。


「許可が下りたわ。直ぐに準備に入って」


「了解」


 軽く返事をすると、夏岡はとても良い顔で笑った。




「なんでわたし抜きでそんなコト決めるのよ」


 夏岡と今夜からの方針を取り決めて蟹江に事後承諾(しょうだく)を求めたら、キコカの思って居た通りの反応だった。


「だって反対するでしょ、あなた」


「当たり前じゃない。何でアレと似たようなやり口でわたしらが仕事しなきゃならないの。絶対イヤだからね。反対よ、反対」


「あたしと、そしてあなたの上司からも許可はもらったわ」


「え、いつの間に。ちょっと止めてよ。ナニ勝手に他人ひとの上司に根回ししているの」


「手遅れと判断されたムシきに人権は無い。ムシに寄生されてゾンビ化したデク人形。生ける屍。あたしらと同じ屍体よ」


「助かるかもしれない状態かもしれない」


「寄生されて三日以内ならばね」


 しかし二日で手遅れだった事例もあるし、胃袋の中で順応期間が終わってしまえば、内臓ごとゴッソリくり抜いてもまだ足らない。

 リンパ節を伝って全身に支配物質が循環を始めてしまう。

 身体からムシを完全に摘出しても侵蝕性のタンパク質は脳細胞を侵し続け、やがて訪れるのは呼吸麻痺か、自我崩壊後の発狂死。

 痛覚が麻痺しているのが救いと言えば救い。


「知らないとは言わせないわよ」


「やるにしたって判別試験を終えた後よ」


「あんなもの只のお題目。相手を判別出来ない人間の、意味の無いスタンドプレーじゃない。陰性と判別された検体が試験者を襲った事例をお忘れ?」


 切って捨てるように断ずる。


 あたしらの鼻の方がよっぽど信頼できるし、試験の結果を待って居たら丸一日作業が遅れる。早ければ今夜にでも巣別れが始まってしまうかもしれない。

 そうなってからでは手遅れだと。


「いい加減建前にこだわるのは止めなさい。そんなに正義の味方を気取りたいの?無駄な被害者が増えるだけよ」


邑﨑(むらさき)、あんた変わったわよね。新米の頃のわたしに『悪法も法』ってお説教したのは誰だったっけ」


「あたしは何も変わっちゃいないわ。新人にはまず真っ当なスタイルで仕事を教える。その後は仕事を積み重ね、経験と教訓に従って自分のやり方を自分で身に着ける。それダケ。

 あなたがあたしに意見できるようになったのは、成長した証だと思って居るわ」


「じゃあコレが本来のあなたなのね」


「別にルール違反をやっている訳じゃあない。現場から上司に提案をしてそれが承認された。あとはそれを実行に移すのみ。何の問題が?」


 苦り切った蟹江の表情と、ジロリと一瞥した後に俯いて「判ったわ」という返事が印象的だった。そして、今回の人選はいささか誤りだったのではないかと思った。




 路地の片隅には白くてかなり大柄なワンボックスカーが停まっていて、その内部には様々な通信器機類や膨大な数のディスプレイが詰め込められており、数名の男たちが切り替わる画面や音声を熱心に観察、記録し続けていた。


 学校内外に執拗しつようなまでに設置された隠しカメラや小型マイクの数々。生徒や教師は勿論、駆除担当者たちの会話や行動の子細全てはこの瞬間も録音録画され続けている。


 今のところ大きな変化は無かった。だが今日明日が山場なのは間違いあるまいと、其処に居る全員が確信していた。しかしその一番肝心な目標、女王の居場所が未だ判明しないのは少なからぬ懸案事項であった。


 学校の敷地内に女王の座がある事だけは間違いない。支配されたムシ憑きたちの行動半径の中心点だからだ。


 だがどうしても部屋を特定出来なかった。専門の駆除者三名を投入してどういうコトかと小首を捻る者は、現場の当事者ばかりではない。むしろ全体を俯瞰ふかんできる位置に在るからこそ、より疑念が深くなると言っても良かった。


「片桐一尉。何処に隠れているんでしょうかね、奴さん。もうあまり時間はないですよ。我々で助力出来ることはないのでしょうか」


 側に立つ片桐に話し掛けるのは若い男だった。


「我々は専門職ではない。下手な手出しは逆に彼女たちの邪魔になる。此処での観測結果もリアルタイムで彼女らの携帯端末と、公安の対応部署に同時送信しているんだ。今の我々に出来るのはその程度だよ。

 ただ、完全処理の下命だけは勘弁して欲しいものだがね」


 たとい罪には問われないとはいえ、一見何の変哲もない少年少女達を殲滅せんめつせよとの命令である。する方も受ける方も多大な苦痛だ。実動隊として現場に直面する部隊員ならば尚更なおさらである。


 そしてその対象には「まだ間に合うかもしれない」者たちが多数含まれている。女王の駆除か全員の拘束。その何れかが叶わなければ、最悪の選択肢を実行する羽目になる。


 若いオペレータの男は、頼むぜと固唾を飲んだ。

 正直言ってそんな任務はまっぴらだ。確かに自分は観測専任の部員だが、丸腰の子供達の虐殺を記録観察するだなんて、どう考えたってPTSD(心的外傷後ストレス障害)ものだ。実行員に至っては拒絶者すら出かねない。


 一匹も逃がすわけにはいかない、その理屈は判る。判るが納得できるというコトとは別問題だ。そんな任務を請け負うくらいなら、全てを投げ出して路頭に迷う方が余程に楽だ。

 そして駆除者たちの成功を願うと同時に、別の懸念も浮かんでくるのである。

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