9-2 猶予はもう殆どない
「ちょっと前にキコカちゃんが強化対応者に負けたって話が流れたでしょ?アレは割とセンセーショナルでさ。
防衛省の方でも軍用の強化対応者を作っているっていうのは知っているよね。ソレで『レベル4で充分だ』という派と『将来を見据えてレベル7まで』という派とでかなりモメてるんだって」
「なに、邑﨑!あなた地区の担当者に負けたの?」
「あ、國子ちゃん知らなかったんだ」
「蟹江先生って呼びなさい」
「蟹江、割り込むな。話が進まん。夏岡、ソレで?」
「うん。ムシのコロニーの対応調査なら普通は公安の所轄。防衛省が出張ってくる必要は無いし、『完全処理』の指示が出たならボクらには撤収命令が出ているはず。出てないよね?」
「出てないわ。先程も確認したばかりだし」
「ボクもうちの上司から聞いた話でしかないけれど、防衛省内部で『現状での駆除者の実力を今一度確認する必要がある』って話が持ち上がっているらしいよ」
「阿呆か」
「バッカじゃないの」
「だよね~ボクもそう思うよ。比べる相手が違うだろって感じで。比較するなら仮想敵国の方だろうって」
実際嘘くせぇと思って居たけれど、今のキコカちゃんの話を聞いて、『でも脳筋なヤツは何処にでも居るよな』って考え直したんだ。
根回しも何もなくこんな割り込みなんてどう考えてもオカシイし、キコカちゃんが派遣されると決まったのはつい先日の事だし。
「その防衛省の職員が『邑﨑さんの実力を今一度確かめたい』とか言い出してもおかしくない気がしてきたよ」
「・・・・」
意味が分らないと思った。
自分があんな三文芝居を演じたのは、地域で過剰な装備を施してもコストと効果の面でマイナスでしかない、そう判断した上司の思惑に納得し、同調したからだ。
アレの被害を効率よく押さえ込むには、既存の担当者の数を増やす方が良い。そちらの方が現実的だと思ったからだ。
だが何故ソコに防衛省が絡んでくるのか。
「邑﨑?」
「キコカちゃん?」
「下らなさすぎて目眩がするわ」
もしソレが本当に本当だったら、防衛省の連中はどんな時でも自分のイチモツが一番じゃないと気が済まないカスの寄せ集めって事になる。
この、のっぴきならない状況を単純な害獣駆除程度にしか考えていないのか、或いはまったく理解出来てないのか。よもやまさか此処でタイマン勝負などを申し入れて来やしまいな。
願わくばソコまで愚かな集団ではないと思いたい。
かなり重めで無気力な溜息をついていると、授業はとっくに始まって居るぞ、早く自分のクラスに戻れという怒声が聞えた。見れば一階の教室の窓から、見事な禿頭の教師が目を吊り上げて喚いている。一見教師の蟹江が居るのに随分と我の強い教師だ。
夏岡は教室に戻るふりをして探索の続きに入り、蟹江は職員室に帰るふりをしてやはり別方向に進み、あたしは素知らぬ顔で購買部に向った。
招かれざる来客のせいで、恐らく昼休みには食事を取れないであろうと思ったからだ。
「邑﨑さん一人ですか」
校長室で相対したのは角刈りで、如何にも武官といった風情の胸板の厚い壮年男性だった。
どうもツルシのスーツらしく、肩幅こそキチンと収まっているが今ひとつ着こなせていない。だがそれは本人が一番良く判っているようで、挨拶がてら「この格好は窮屈でいけません」と苦笑していた。
「他にも二人来ていますが、現在業務遂行中で手が離せません。わたしがお話を伺います」
問題が?と聞き返したら「むしろ好都合です」と返事があった。
「二人には聞かせられない話だと」
「いえ、此処だけの話ですがお二方の噂は耳にしています。個性的な方々のようですね。一番話が通じるのがあなただと、そう伺っていましたので」
そして業務内容の一部始終を記録させてもらいたい、と申し入れてきた。
「上司からの指示も出ていますので問題は在りません。ですが一つお訊きして宜しいですか。何故今回に限り記録を録りたいというお話なのでしょう。事後に上位部所から防衛省の方にも資料は回る筈ですが」
「可能な限り中間部所を通らず、手垢の付いていない一次資料が欲しいのです。二二年前の事例では相当に整えられた資料しか手にする事が出来ませんでした。分析吟味するには不十分だったのです」
「公安と情報部とではパイプがあったと思いましたが」
「内調(内閣調査室)ほどではありませんからね。テロズムに対処する際にも判断材料は多い方が良い、そういう理由からです」
「アレの模倣犯は問答無用の粛正でしょう。普通に『いつも通り』対処すればよい、それだけでは?」
「失礼ですが随分と乱暴なご意見ですね。警察の一部所に所属する方の物言いとも思えません」
「所詮わたしは現場の担当者でしかありませんので、失望させてしまったのでしたら申し訳ない。この身は上司の意向と命によって業務を遂行する、それのみです」
「了解しました。あともう一つお願いなのですが、今回の任務に限りコレを装着して作業して頂きたい」
そう言って手渡されたのは襟元に付けるピンマイクによく似た器機だった。マイク部分と思しきスポンジと小さなレンズが付いていた。三セットあったので他の二人にも手渡せという事らしい。
「装着はピンマイクと同様です。襟元など、頭に近い場所で身体の正面にこのレンズが向くように付けて下さい。スイッチは終日入れっぱなしで結構です。バッテリーは丸二日保ちますから。
事態が収束するまで毎日同じ時間に予備と交換させて頂きます。いつ何処で行なった方が宜しいですか」
「ではこの時間、この場所で」
「了解しました。ではお二方にもコレを手渡しておいて頂けますか」
「分りました」
では宜しく、と頭を下げて出て行こうとした途中で「そう言えば」と振り返った。
「少し前に山本地区の担当者と揉めたそうですね。邑﨑さんはどのように感じましたか」
「どのようにとは?」
「手応え、といえば充分でしょう」
「経験は足りませんが、彼女は優秀でしたよ」
「成る程、ありがとうございます」
そう言って今度こそ男は出ていった。目の前のテーブルには差し出された名刺が置かれたままになっていた。ソコに目を落として初めて、片桐という名の男だということを知った。自己紹介など右から左に抜けていたからだ。
キコカはスマホを取り出すとアドレスから通話先を選び、「あたしです」と声を潜めた。
「ひとつ調べて頂きたいことがあるのですが」
やり取りは簡潔だったが、通話を終えたその口元からは些かうんざりしたような溜息が漏れ出ていた。
通常の駆除ならば夜陰に紛れてヒトを喰らう連中を待ち伏せ、あるいは被害者に該当しそうな者を保護の名目で釣り餌に使って、ソレに食いつくモノを狩るのが常套手段。
だが、餌も狩りの対象も昼間を活動の主体しているのならば、いつもの方法は使えない。
一匹一匹を丹念に狩る前に、この群れの中枢である『女王』を先に仕留めないと、気付かれた途端ソレこそ蜘蛛の子を散らすかのように逃げ散ってしまうからだ。逃げ出す際に、それぞれがそれぞれに卵を抱え込むのだから始末が悪い。
ムシの性決定は孵化温度で決まり、女王か家臣かは餌の質と量で来まる。将来の役割は餌係が決めるため、全ての卵が女王にも家臣にも成れるのである。
実に厄介。
更に大元の女王すら取り逃がしてしまったら最悪である。校長に説明したように捜索範囲は膨大な領域にわたり、町どころか一つの市をロックダウンさせる必要さえ出てくる。
この群れるムシ憑きの生態は正に蜂や蟻のソレだった。寿命が続く限り、際限なく卵を産み続ける女王を中心に、様々な役割を持ち作業をする「労働者」と巣を守る「兵隊」とが階層社会を構成している。
そして全てのムシたちは女王の分泌する臭いでコントロールされていた。
だから逆に、群れを支配するこの分泌物「女王物質」を手に入れることが出来れば、ムシを一箇所に集めまとめて駆除することも可能だ。二二年前のコロニーも、この方法で殲滅したのである。
だが今回は些か分が悪かった。到着した当日からもう、ジワジワと女王の支配域から抜け出す個体が散見されていたからだ。
既に巣の中で、もう一匹の女王が擁立しているに違いない。それが古い女王の元から独立しようと、離れる前準備として自分の配下を増やし、周囲の捜索を始めているのだ。
自分が新たに巣を作る為の候補地を捜す為に。
拡がる前に二匹分の女王の居場所を突き止め、その場で駆除するしかない。二匹分となればそれを守る前衛の数も多い筈で、手間取っている内に取り逃がす可能性だってある。しくじる訳にはいかず充分な準備が必要だ。
しかし残された時間はどれ位だろう。どれだけ楽観的に見据えたとしても、猶予はもう殆どないと云えた。




