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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第八話 告白は食事の後で
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8-6 振り返った門井の笑顔だった

「あなたも災難だったわね。自分の内臓を喰われながら同族を喰いちらかすようにコントロールされ、卵を生むための養分を摂取。最後は腹の中で孵化した仔虫こむしに全身を食い散らかされて終了。あのムシの奴隷だったのだから罪悪感を抱く必要はないわ。

 なかなか出来ない体験だったでしょう」


「きみは相当な皮肉屋だ」


「よく言われるわ」


「それに罪悪感とか言うけれど、何故かそんな感情がまるで湧いて来ない。気持ちがサラサラとしていて平板なんだ。門井を絞め殺して食べたのに何ともない。見知らぬ同級生を襲っても、下級生のを餌にしても、自分の両親を全て腹の中に納めても、まぁ仕方が無いねという気分でしかないんだよ」


「そう」


「きみは俺の知らないコトを色々と知っているようだ。俺はこれからどうなるんだろう」


「そうね。取敢とりあえずアレに身体の中へ潜り込まれた心当たり、あるかしら」


 ああそれは、俺がずっと待ち望んでいた質問なんだよ。


「二ヶ月ほど前かな。学校帰りに道端で血まみれの女性を見つけたんだ倒れていたんで声を掛けて救急車を呼ぼうとしたら、いきなり抱きつかれてキスされた。口移しで何かを呑み込んだところまでは憶えている。気が付いたら一人で路地にひっくり返っていたよ。女性も居なくなっていた」


 そこで一旦いったん言葉を切って軽く苦笑を返した。軽く肩をすくめたのだが、もう上半身しか残って居ないので上手くいかなかった。そんな俺を彼女は腕を組んで見下ろしていた。押し黙り微動だにせず視線で先をうながしている。どうやら話は最後まで聞いてくれるらしい。


 なので、言いたいコトは全部吐き出すことにした。


「それからしばらく経ってからだ。腹の中で何かが居る違和感に気付いたのは」


 そしてソレを何の疑問もなく受けれる自分に驚いたよ。


 決定的だったのは下級生の子が言い寄ってきて、その子と『交尾』してからのことだ。何も言葉は要らなかったよ。お互いに腹の中へナニかを住まわせていると、直感的に判ってしまったからだ。そしてお互いに交わらなければならないという衝動に突き動かされたからだ。


 でも交尾と言ってもセックスじゃあない。互いにキスをして相手の子から生臭い体液をしこたま流し込まれただけのこと。でもあれは間違い無く交尾だったんだろう。こうして自分の腹の中から出てきたムシと卵を目の当たりにしたんだ。今なら自信をもってそう言える。


 交尾した相手?ああ、その子はその場で食べてしまったよ。それが初めての『食事』だったね。


 そう言えばカマキリとかクモとかは、交尾したオスを食べることが多いんだそうだ。必ずではないらしいけれど。やっぱり自分に近づいて来るものは全部餌って認識なのかな。


「逆に俺の腹に住んでいたのがオスで相手の子に住んでいたのがメスだったのなら、喰われたのはきっと俺だったんだろうな」


 そこまで一気に吐き出すと、ようやく憑きものが落ちたような気分になれた。実に晴れ晴れとした爽快さだ。やっぱり言いたいコトをわずに押し込めておくのはよろしくない。


「それからだね。誰かを食べなきゃ為らないと切迫感が出てきたのは。焦りと欲求はどうしようもなく膨らんでいくし夜もろくに眠れない。居ても立っていられなくて、半端な焦燥感じゃなかったよ。

 まるで、このままでは希望する大学に入れないぞ、合格ラインに届かないぞと日がな一日せっつかれているみたいだった」


 そこまで口にして初めて、ああ門井が感じていた感情もこんなだったのかなとも思った。


「他に同類は見なかった?」


 彼女の問いに俺は軽く首を振って答えた。そして居たらすぐに気付いたとも付け加えた。


「最初に、血まみれの女にキスされた場所と時間を教えてくれる?」


 日付は分らない、でも場所はどこそこだと返答すると、彼女はスマホを取り出して何処かに連絡を始めた。

 彼女が話をしているあいだ俺はボンヤリと、まだくすぶり続けている屋上の炎と煙を眺めていた。視界の端には門井の遺骸があって、さっきまでポツポツと群がり始めていた小さな掃除屋たちも、何処どこかに消えて居なくなっていた。


「門井、おまえはなんであんなにA大に入りたがったんだ?」


 訊ねたところで返事がある筈もない。


 通話を終えた彼女がまた歩み寄って来て、「ご協力感謝」と言った。


「ひょっとして血まみれの女性にも心当たりが?」


「同僚が取り逃がしたヤツよ。あたしはその尻拭いの為にココに来たというわけ。でもこれで終了。大事にいたる前にカタが付いて助かったわ」


「俺が言うのも何だけれど、何人も死んだよ?」


「許容範囲よ。ソレよりもあなたには情報提供のご褒美が在ります。選択肢は二つ。これからとある施設に運ばれて実験動物となった後に切り刻まれて死ぬか、いま此処ここであたしに切り刻まれて死ぬか。どちらがよろしい?」


「ソレの何処がご褒美?」


「選択肢がある事が、よ。おすすめはいま此処でミンチになるコトね。無駄な苦しみが無くてスッキリ逝けるわ」


「助かる方が苦しいんだ」


「助かると言っても寿命が伸びるのは数ヶ月だけ。そしてその間は全く愉快じゃないと断言できる」


「数ヶ月の寿命か。共通テストは受けられるのかい」


「実験のためダケに生かされているモノが?」


「それもそうだね」


 だったらもうイイかな、と彼女に言った。やることが無いのなら生きていても仕方がない。


「そう。因みに『モルモットになることで食べてしまった人達への贖罪しょくざい』とか、『医学の発展の為のいしずえになる』とか、そういう殊勝なお考えはないのかしら」


「そんな返事を微塵も期待もしていないのにわざわざ訊ねるなんて、随分と意地が悪い」


「それもそうね」


 一瞬で済ませるわ、という声が終わる前に俺の首は宙を舞っていた。切り飛ばされて空を飛ぶなんてコレで人生二度目の体験だ。もっともコレが最後の実体験になるのだけれども。


 飛んでいる最中に、彼女の刃物がまだ小さく燃えていた炎を反射して一瞬だけ光って見え、コンクリートの上に落ちると、そのまま門井の顔の横まで転がっていった。目の前には虚ろな眼差しだが、まだ綺麗な彼女の横顔があった。


 悪かったな、門井。A大合格どころか受験すらさせてやれなくて。


 おまえは俺を恩人みたく言うけれど、ただの疫病神。おまえの人生をこんな形で終わらせた忌むべき厄災でしかなかった。感謝なんかしちゃいけないよ。


 不意に顔の上に熱いものが流れる感触があった。自分の中に彼女への惜別せきべつの想いが戻って来ていることに驚いた。どうやら俺はいま泣いているらしいと気が付いて、少なからぬ動転があった。


 殺してしまって申し訳ないと贖罪しょくざいし、なげいたむ感情が湧き上がっていた。

 涙が止まらなかった。次から次へと溢れ出てどうしようもない。これを滂沱ぼうだというのか。あのムシが居なくなって幾分でも以前の自分が帰ってきたのだろうか。

 今更か。もう完全に手遅れだ。


 けれども、戻らないよりは余程良い。


 門井、と名前を呼んだ。繰り返し呼んだ。何度も何度も呼んだ。だが声は出なかった。如何に振り絞ろうとも唇が微かに震えるだけだった。


 もう俺は呼びかけることが出来ない。名前すら口に出来ない。


 ふと、何故なぜ彼女が俺に勉強を教えて欲しいと頼みに来たのだろうと思った。何故にあそこまでA大に固執したのだろう、と。


 ひょっとして俺に気があったから。


 俺と同じ大学に入ることを夢見ていたとでも?


 まさかなと思うその一方で、そう思い込んでくのも悪くはないかとも思った。


 門井の横顔がどんどんと霞んでいって、やがて何も見えなくなって真っ暗になった。


 俺の意識もまた、底の無い暗がりの中にゆっくりと落ちていった。


 最後に浮かんだのは、俺に向けて肩越しに振り返った門井の笑顔だった。

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