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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第七話 残骸
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7-7 為政者にとっても都合が良い

 得物をぶら下げたまま一歩踏み出した。

 そのまま一足の間に飛び込む。


 そしてコチラが踏み込むと同時に彼女も反応し、お互いの獲物がお互いを弾き合った。


 間合いを詰めた一瞬はきっと誰にも見えなかったろう。もしかすると、ビルの屋上からようやく顔を覗かせ始めた蕩けた色合いの半月ならば、その刹那を写し取るとこが出来たのかも知れないが。


 一合、二合、三合。重量感のある異様な金属音と、刃物が風切る音とが交差する。時折文字通りの火花が走り、夜気の中に一瞬の残像を生んだ。一歩も引かない、一歩も進めない。マズいなと思った。このままではヤツを取り逃がす危険がある。


 仕方が無い、腕か脚の一本は覚悟してもらおう。


 力と速度は相手が上。だが技術も経験もつたないので、反射神経だけでコチラをいなしているに過ぎないのである。


 打ち込む瞬間に足元がお留守になる。それを見計らって踏み込み、しゃがみ込む程に低い姿勢から鉈で出足を払った。躱して体軸がブレた瞬間、返すなたで死角から手斧を持つ手首を狙う。

 振った反動を利用したコンビネーション。気付くのは腕を落とされた後だろう。意識の外から振ってくる刃先はかわしようが無い。


 そのつもりだったのだが、刃先が手首に到達する刹那、瞬間的に崩した重心を使って空中で前転。一閃を宙で躱してしまった。


 なんという反応。なんというバランス感覚。正直感嘆した。


 だが、彼女と距離を取るにはその隙だけで充分だった。


 彼女の視界から外れた一瞬を使って跳躍、そして疾走。

 今度は充分に間合いを外したので、いかなケタ外れの反応をもってしてもその手はあたしには届かなかった。待て、と叫ぶ彼女が追って来るがもう遅い。既にこちらが先手を取った。


 背後からの飛び道具の気配に身を屈めると、頭の直ぐ上を手斧が飛んできて目の前の街灯に突き刺さった。半ば以上を切り落とされた鉄柱が持ちこたえきれずに倒壊する。道を塞ぐ寸前に、その真下をくぐり擦り抜け駆け抜けた。


 見えた。彼我の距離があっという間に縮んでゆく。


 獲物はもう目と鼻の先。


「やめろぉおー!」


 背後からの激しい制止の声。そして振り返ったアレと目が合った。あどけない少年の顔が愕然として見返していた。


 構わず一閃。一刀でほふる。

 いつもの手応え、いつもの血しぶきだった。


 跳んだ首が転がって側溝に落ちた。首の無くなった胴体が、とすんと軽い音で横に倒れた。吹き出る血潮が見る間に路面を濡らして行く。これもまた何時もの光景。首を失った身体はジタバタ暴れていたが、やがて動かなくなった。


 ひぃきぃあぁああああああーっ


 彼女の悲鳴が闇を裂いた。


 半狂乱になった犬塚伊佐美が駆け寄っていた。側溝の中の頭を抱え上げて、辺りはばからず泣き喚いていた。獣のようなソレは夜気を震わせて、無人の路上を通り抜けて行く。


 よし。


 相変わらず後味は良くないが、ヨシ。今回の仕事はコレで終了。後の清掃は地区役員の仕事だから、あたしの役目はここまで・・・・


 まったくあの腐れ腹黒め。面倒な仕事ばかりを押し付けてくる。場数を踏んでいるとはいえ、慣れない事柄というものは在るというのに。


 よどんだ溜息を吐いて踵を返した瞬間、唐突に感じたのは頭上から振り下ろされる鋭利な何某かだった。


 右足を軸にくるりと反転すると、そのままサイドステップを踏んでソレを躱す。夜陰の中へアスファルトに叩き付けられた金属音が響いた。あたしの足元に突き刺さっているのは手斧だった。


 そしてソレを打ち込んだ姿勢のまま、獣の目を宿した犬塚伊佐美が見上げていた。


「殺してやるわ」


 刃の半ばが地面にめり込んだ手斧を引き抜き、折り曲げた身体をゆっくりと起こした。猛る眼差しが睨み付けている。焼き殺さんばかりの憤怒だ。狂気をはらみギラギラとした、獰猛な肉食獣の眼差しだった。

 小脇に抱えたアレの生首からは、未だ体液が滴っていた。


「犬塚さん、冷静になりなさい。あなたは錯覚して思い違いをしているだけよ。

 ご家族のことはお気の毒だけれども、手にしているソレはあなたの弟さんなんかじゃない。修くん、だったっけ?彼のふりをしてあなたに庇護ひごを求めるまがい物、ただの残骸よ。生きていて欲しいと願うヒトの心に付け入る、卑しいバケモノに過ぎない」


「ふざけるな!修、修よ。コレは修なのっ。アンタが殺した。修を殺した。アンタが、アンタが、あんたが!この人殺し!修をバケモノとうか。その口が云うか。ナニをどれだけ殺してきたっ。おまえこそがバケモノだろうが!」


「・・・・」


 く・・・・ふ、ふふ、ふふふ・・・・・


「ナニがおかしい、このヒト喰らいっ」


「あたしがヒト喰らいでバケモノなら、あなたはソレを狩る狩人といったところかしら」


 やっぱり頭に血が昇った相手に説得は難しい。そもそもあたしは相手を落ち着けるという作業が不得手だ。なだめるよりも火に油を注ぐハメになることが多かった。


 やれやれ、性が無い。


 胸の内で大きな溜息を付くと、ポケットの中から上司からもらったクスリを取り出し、封を破って自分の首筋に突き刺した。


「ナニよそれ。ひょっとして加速剤?」


「これであなたとイーブンかな。ホントは猛獣を捕らえるのには麻酔薬が一番適当なんだけれども、クスリ浸けの強化対応者は体内で中和しちゃうから。まぁ実力行使というコトで」


「面白い。それっぽっちのドーピングでわたしをどうにか出来るとでも思っているの?」


 殺気は衰えるどころか増すばかりで、小脇の生首をそっと地面に下ろすと二丁の手斧を両手に握り締めた。


「覚悟なさい」


 あたしも苦笑しながら再び鉈を抜いた。


 やれやれ、である。


 頭の芯がゆっくりと冷えてゆくのが分った。




「無茶をなさいますね」


 目が覚めたらベッドの傍らに金川さんが居て、あたしは麻酔の切れた腹の傷の痛みに、呻きながら脂汗を流していた。


「わたしがあと少し来るのが遅れていたらどうなっていたか」


「首は胴から離れていたでしょうね」


「説得が無理なら逃げるという手もあったでしょう」


「そろそろあなたが到着する頃合いだなと思っていたので」


「いま少し早く連絡して頂きたかった。あの状況では難しかったのでしょうが」


「犬塚さんは?」


 そう訊ねると、まだ眠っているという返答があった。

 クールダウンだ。一度全力運転に踏み切った強化対応者は数日の安静時間、使用した薬物の中和期間が必要になる。連日業務を行える正規駆除者との大きな差の一つだった。

 不便?いやいやあたしはそうは思わない。適度に休める口実が出来るのだ。馬車馬のごとくこき使われる自分とは雲泥の差、むしろ羨ましいと言わせてもらおう。


「取りつくろったメッキが色々とがれてしまいました。目が覚めたらまた、暗示をかけ直すことになるでしょう」


「嘘の上に嘘を塗り固めるのですね」


「そうしないと、壊れてしまいますから」


 犬塚伊佐美の前では金川区長に話を合わせていたが、実はこの区に前任の駆除担当者なんて居ない。


 教導役の者など、話の辻褄や対外的な体裁を整える為の虚構、ただのまやかしだった。犬塚伊佐美の年の離れた兄は普通の会社員で、事件の後に就任した伊佐美がこの地区での初めての担当者だ。


 それ以前は隣合った区に依頼して、コチラ側の巡回地区のパトロールをしてもらっていた。だが人が増え世帯も増えて対処しきれなくなって、専任の担当者を持つことになったのである。そこで白羽の矢が立ったのが、直近でヒト喰らいに家族を全滅させられた彼女だった。


 当時、現場を発見したのは深夜に警戒の夜回りをしていた金川区長だ。

 弟に化けたアレに両親と兄を食われ、更に自分の顔や腕を貪り食われている最中で、激痛と恐慌とで半狂乱であったという。そして兄は、はらわたを半ば食われながらも妹をかばうようにして息絶えていたらしい。


「その話を聞いたときにも驚いたのですが、よくヤツから彼女を助け出せましたね」


「それまで食べた分で満足したのでしょう。あるいはわたしたちが集まってきて逆襲されるのを恐れたか。大声で助けを求めたらヤツの方が逃げてしまいました。

 それよりも兄の遺体の下から救い出し、気狂ったように泣き喚くあの子をなだめる方が大変でした。一時的とはいえ視力を奪われ、生きながら腕をもがれたのです。よく正気を保てたものだと思いますよ」


「しかしお陰で、あなたを自分の兄と勘違いするようになった。兄の死を目の当たりにしたにも拘わらず、実は生きていたのだ、瀕死の兄が自分を救ってくれたのだというという幻想を信じ、ソレにすがったという訳ですね」


「わたしが傷心のあの子に付け込んだせいです」


 ごま塩頭の元警察官は、重く痛々しい溜息を吐き出した。


 お兄さんが付いているよと、怪我と包帯で周囲が見えないあの子にささやきました。弱ったあの子を力づけるつもりでした。

 しかしあの子は重傷で普通の医療では助からなかった。だが強化対応者への施術許可と予算承認があの子に下りれば、命を繋ぐことができる。あのままではただベッドの上で死を待つだけだった。

 お兄さんが実は駆除者だったのだと思い込ませられれば、自分がその後を継ぐと言い出すだろうという確信もあった。

 大きな十字架を背負うことになるが、少なくとも今暫し生きながらえることが出来る。そして今まで担当者が居なかった地区に、守番をえる事が出来る。


「わたしのエゴと打算の所産です」


「そうでしょうか。あたしは悪くない判断だと思いますよ」


「止めて下さい。本当にあの子のことを思うのならば、別の手段もあったはず。夜な夜な町を徘徊しヒト為らざるモノを狩るなど、そのような役割を子供に課してよいはずはない。外道の所業ですよね。

 しかるべき日が来れば裁きを受ける事に為るでしょう。覚悟は出来ています。それもまたわたしの勤めですから。責任を取るのがわたしの役割ですから」


「さて、そんな日が来るでしょうか」


 彼を断罪してもめ事の種を明るみにするよりも、見ざる聞かざる言わざるを決め込んだ方が余程に波風立たない。その方が為政者にとっても都合が良いであろうから。

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