7-5 急に落ち着かない表情になった
二日を経て、金川さんから「どんな塩梅ですか」と訊ねられた。
「全然ダメです」と答えると実に渋い表情になった。
「止めるのなら今の内ですね。今徘徊しているヤツはあたしが狩ります。その後は別の担当者を用意した方が良いでしょう」
「まだ三日目です。結論を出すには尚早かと。今少し猶予をいただけませんか」
「技術や経験の問題ならば改善や向上の余地は在りますが、五感機能の問題、特に嗅覚の欠如はどうしようもありません。
彼女は本当にレベル4の強化対応者なのですか。アレでは普通の人間と変わらない。レベル3以上になればもう戻れないのですよ」
「はい、それはわたしも彼女もよく判って居ます。『兄』と同じ道を歩むのだ、自分と同じ者を二度とこの町から出さないのだと、そう固く誓っているのです」
「心構えだけでは何も解決しません。実力が全てです」
「邑﨑さんは伊佐美におっしゃったそうではないですか。補助としての探索役を沿わせる必要があると。嗅覚の不足は相棒の存在で補填できる。申請が通り探索専任の相方が出来れば、彼女も他の担当者と遜色はないでしょう」
「申請が通れば、の話です。探索役の猟犬は引く手数多で、そもそも担当者や駆除者の為ではない。一般の警察関係者のために調教されている犬種です。担当者への認可は絶望的と考えた方が良いですね」
「では何故あんな思わせぶりなことおっしゃったのですか」
「そう言えば諦めるかと思ったので。少なくとも探索役が来るまで仕事には携わらないかな、と。真っ向から駄目出しするよりも、条件が整わないからと理由付けすれば、意外に耳を傾けてくれるものです」
「意地悪な物言いをするお方だ」
「彼女をレベル4の強化対応者にするのにどれ程の予算が使われましたか。区の財政に少なからぬ負担を強いた筈です」
高額な様々な種類の身体強化薬の投与、樹脂骨格剤の注入。反応速度を上げるための加速剤と、その緊張に耐えるための脳内麻薬の過剰分泌手術。特に五感の感受性を上げる外科手術と投薬は入念に行なわれる。
果ては、人間が本来持っている身体能力を限界まで引き出す為の、暗示による生体リミッターの解除まで。出るところに出れば人権蹂躙、人体実験の誹りを受けることは間違いない。
「ですが短期間で熟練の兵士すら遙かに上回る、ヒト喰らい専門のスーパー狩人を手にする事が出来ます。投資した分の成果は出しておきたいですよね」
「・・・・責任は全てわたしが取ります」
「無理でしょう。手術の反動で彼女はあと三十年程度しか生きられない。五〇歳の誕生日は迎えることが出来ない筈です。ツケは全て彼女自身が背負っているのですよ」
「伊佐美は全てを承知の上です。わたしもあの子と共にと肚を括っています。そしてそこまでやらないとわたしたちは生き残ることが出来ない。邑﨑さんが一番良く判っていらっしゃるではありませんか」
「だからといって不完全な者を現場に立たせるのは反対ですね。成果云々の前に食われて終わり。彼女には別の役割を与えた方が良いです」
「普通の者たちが被害に遭うのを、黙って見ている訳にもいきません」
「駆除者や担当者が居ない土地も少なくありません」
あたしは静かに彼の言を押し返した。
アレはヒトの多い場所へと引き寄せられてゆく。餌場を得て居座るモノも居れば、蹴散らされて去って行くモノも居る。
犠牲者の数に多い少ないの差はあれど、本質は何も変わりません。今までもそうだったし、恐らくこれからもそうでしょう。
狩る者が居ようと居まいと、過疎地であろうと人口の密集地であろうと、犠牲者は必ず居る。この地区はまだ恵まれている方ですよ。
「それに群れの一部が狩られたとしても、群れ全体が無事ならそれで良いではありませんか」
「いや・・・・それは、あんまりでしょう」
「あたしたちは全能ではありません。出来るコトと出来ないコトがある。駆除者は、アレに食われる一部の数を少し減らす程度の力でしかない。両手の届く範囲でベストを尽くせたのなら良しとすべきです。
過ぎた欲望は全てを台無しにしかねません」
「家族や友人、そして隣人を救いたいと思う気持ちが、過ぎた欲、と」
「実力が備わってなければ全てはただの夢想、絵に描いた餅です。元は警察官でいらっしゃったのでしょう?その辺りの機微が、お分かりになってないとも思えません」
「警察官だったからこそですよ。邑﨑さんの実績ファイルは粗方目を通しました。
おびただしい子供たちの遺体や、目も覆わんばかりの現場映像。そして瀕死の者の助命を乞う数限りない上申音源。却下されることを承知で、幾度も少年少女たちの庇護を求める提案書を提出し続けていましたよね。
何十年もそんな世界を渡り歩き続けたあなたが、切り捨てられた者を目の当たりにして、歯噛みしたコトなど一度も無いとでも言うつもりですか」
不意に、キコカの脳裏へ幾人もの少年少女達の面影が巡った。
名前を思い出せる子も居るが、顔くらいしか憶えて居ない子も居た。
ボンヤリとした印象しか残って居ない子も居た。
救援が間に合わず、幾人もの子供たちが自分の腕の中で息を引き取った。
バラバラになった彼や彼女たちの前で、愕然と立ち竦んだことも在った。
外道な業務指示に声を荒げて罵った。
血まみれの床へ、怒声と共に携帯電話を叩き付けた事もあった。
だがソレらは全て、もう遠い過去の記憶だった。
「彼女を説得するべきです。担当者に固執しなくても、卓越した身体能力を活かす道は他にも在るでしょう」
或いはトレーナー。
或いは純粋な警察官。
或いは民間の警備員。
或いはレスキュー隊。
エトセトラ、セトセトラ・・・・
「世界は広いのです。先を行く者は後に続く者を導く役目がある、そうおっしゃったのはあなたではありませんか」
「・・・・」
「本人の意思に反したとしても、無為にアレの餌へと堕ちるよりはマシでしょう」
「それがあの子の為と、そうおっしゃいますか」
金川さんはテーブルの前で両手の指を固く組み合わせ、俯いて静かに呟いた。声の調子が随分と沈んでいて、何処か懺悔のようなニュアンスがあった。
「・・・・それでもわたしたちは、一人でも多くの人を救いたいのです」
「実績の間違いではないですよね」
伏せていた視線がふっと上げられて、あたしの瞳を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「些か礼を失していませんか」
目には加齢からくる虹彩の濁りはあったものの、その奥底には強い怒気と意志とが感ぜられた。頭の芯まで覗き込むような、射貫く力強さがあった。
「失敬、口さがなくて。しかし一人でも多くの命を、と願っているのはあたしも同じです」
「その言葉に嘘偽りが無いと信じたいですね」
静かだが再び重い吐息が感ぜられて、初老の担当区長は腰を上げた。
「伊佐美にはもう一度説得をしてみます」
「宜しくお願いします」
あたしは軽く頭を垂れてその日はそれで別れた。
非道く真っ暗な中でわたしは目覚めた。
そこは本当に暗くて明かりなんて何処にも見えなかった。しかもやたら生臭くて鉄の臭いがした。まるで鼻の穴に砂鉄を突っ込まれたみたいだ。臭いなんてもんじゃない。脳ミソへ直に染みこんでくる強烈さだ。
むせ返って藻掻いた。だけど身体が動かなかった。布団かベッドの上に寝ているような感覚はあるのにがんじがらめになっている感じだった。
「おーい」と声を上げた。
だけど返事は無かった。そもそも声を上げたつもりだったのだけれども、全然声が出て来なかった。何故だろうと思った。何度も繰り返した。
「おーい、おーい」と叫び続けた。
わたしはいったいどうなっているんだ、どうしてこんな身動き取れずに声も出せないままなんだ、何故こんな真っ暗闇の中に放り出されているんだ。
必死になって声を上げている内に「安心なさい」と声が聞えた。
とても暖かな掌で頬を撫でられた感触があった。思わず「お兄ちゃん?」と訊ねた。やはりろくに声にならなかったけれど、頷く感触があった。
そうか、やっぱりそうだったんだ。無事だったんだ。
安心すると同時にお父さんとお母さんはどうなったのかと訊いた。
弟は無事なのかと訊いた。あの血の海の中で凶暴なバケモノに食らいつかれて、身悶えていた光景を思い出したからだ。わたしの腕に食いついた歯の痛みを思い出したからだ。そのまま肉を食い千切られて、そして、そして・・・・・
「静かに眠っている」と返事があった。大丈夫なの、ともう一度訊くと「心配しなくてよい」と言われた。
「眠りなさい。今は怪我を治すことの方が大事だ」
暖かな声だった。それでわたしは安心して、また深い眠りの奥底に落ちていった。
「金川さんに余計な事吹き込んでくれたわね」
その日のスタートは深夜になってからであったが、彼女は最初から機嫌が悪かった。
「冷静な観察結果に所見を合わせて報告したダケよ。意見の可否は彼の判断だわ」
「口は便利なモノよね。正規駆除者のソレを区長が無視出来る筈ないじゃない」
「あなたの為だと思ったのだけれども」
「余計なお世話だわ。わたしの行き先はわたしが決める」
眦を吊り上げた犬塚伊佐美はそう言い切ると、プイと視線を外して勝手に巡回ルートを歩み始めた。
初回は兎も角、それ以降の日はあたしの補佐に回るようにと言い含めてあったのだが、どうやら今夜は聞く耳を持たないらしい。
言うコト聞けないなら留守番してろと、最初にそう言ったハズだけど。
彼女の不審不満は最初からずっとダダ洩れのままだった。
そしてそれは本人も一切承知の上で、未だに隠す気配は無かった。コレが自分のスタンスだと信じているようで、その幼稚な意固地さに苦笑が漏れてしまった。
初日は幾分殊勝な態度だったが、今や初対面の頃に戻ってしまっている。やれやれだ。今少し腹芸を見せてくれても宜しかろう。中二病を患った子供では無いのである。
まぁいいわ。ちょっと確かめたいコトもあるし。
まだ月は出ていなかった。月齢は二二、月の出まであと二時間ほど。雲は薄いが星はあまり見えなかった。漆黒とは言い難い灰色の夜空が、鍋蓋のように頭の上からのしかかっていた。お陰であまり気温が下がらずに助かる。
寒いと音は遠くまで届くし、連中はあたしらよりも耳がいい。コッチが察する前に感づかれたくはなかった。以前の食事から三週間。そろそろ飢餓状態だろう。空気の感触が昨晩とは段違いだ。
恐らくヤツは無理を押してでも。
「今夜やるわ」
「そ、う、かしら。周期的にはそうかもだけど、この町とは・・・・別の場所に移動したかもしれない」
「居る。間違いなくね」
微風ではあったが油断は禁物。風下を選んでルートを選択し、慎重に町の中を巡回した。先頭を行こうとする彼女を制するのは面倒だが、それでも何とかあたしのルートへと誘い続けた。
「一丁目に向うの?川町の方が風下だけど」
「そちらはいいのよ。あたしの相棒が間を詰めてくれるから」
「相棒?」
「言ってなかったかしら。ほぼ真っ黒いブチ猫、デコピンというのよ。彼はアレに直接手出しは出来ないけれど、探索と追跡の能力はあたし以上よ」
彼女は何故か急に落ち着かない表情になった。




