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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第七話 残骸
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7-2 負けん気だけは大したものだ

 二限目の開始チャイムを聞きながら校門をくぐり、その足で校長室へと向った。


 地区責任者が来る時刻が朝の一〇時、場所は学校の応接間だったからだ。応接間は校長室を潜らないと入れないから、必然的に校長と顔を突き合せる羽目になる。正門中央、真正面から校舎に向った。


 その余りにも堂々とした遅刻に、見咎みとがめた生徒指導の体育教師は色めき立ち、校舎からすっ飛んできてあたしの前に立ちふさがった。それを「邪魔」と軽くあしらって擦り抜けようとすると、「待て」と肩をつかまれた。


「悪いですがちょっと急いでいます。何なら一緒に校長室に来ますか?」


 そう聞き返したら実に珍妙な表情になった。なにがしか言いつのろうとしたのだろう。肩越しに振り返ったあたしにぐいと顔を近づけた途端、剣呑な様子のまなじりが更に急角度に吊り上がった。


「おまえ、酒を飲んでいるのか!」


 既に三缶ほど空けている。流石に息が臭かろう。


「あたしは本日朝八時を以てこの学校を卒業しました。故に今は社会人です。学校には仕事で来ました。昨晩の酒精が抜けきらないまま仕事をするサラリーマンなど、掃いて捨てるほど居るのではありませんか」


 至極真っ当な意見だったのだが、体育教師の憤怒に油を注いだだけのようだ。お陰で喚く生徒指導教員をまとわり付かせながら校長室を目指す羽目になった。


「とんでもない生徒が居ます!」


 校長室のドアを蹴破らんばかりに開いた体育教師は開口一番、机の前にちょこんと座る小柄な校長に、大層な気勢でご報告申し上げていらっしゃる。まるで鬼の首でも取ったかのようだ。

 気持ちは判らなくもないが、声のヴォリュームはおさええていただきたい。あたしはまだ難聴に為りたくはないのである。


 つたのように跳ねまくった黒髪の女生徒と、中背だがやたらと胸板の厚いスポーツ刈りの教師をと交互に見比べながら、校長は困ったような笑みを浮かべた。


「まぁ、その。井原先生、取敢とりあえず落ち着いて。邑﨑(むらさき)さん、先方はもうお待ちです」


 あたしは、げふと一息吐くと「どうも」と軽く会釈して促された応接室に向い、濃いニス塗りの重いドアを開けて中に入った。後ろ手に閉じるその隙間からは校長を問い詰める体育教師の声が聞えていたが、それも完全に閉めると遠い不鮮明な雑音になった。


 目の前のソファには今朝見かけた背の高い少女と、ごま塩頭の初老の男性とが並んで座って居た。


「お初にお目に掛かります。山本地区の担当区長、金川と申します」


 そう言って男は立ち上がり、ぴしりと背筋に芯の入った折り目正しいお辞儀をした。頭の上下でも体幹が全くブレていないし独特の雰囲気があった。


 ああ、やはり元警察関係者かと合点は付いた。「担当者」を抱える区長など大抵そうだ。

 時折手頃な天下り先が無いからと、頓珍漢とんちんかんな役員肌の公僕がやって来ることもあるが、まず長続きしない。食われたり「現実」を目の当たりにして根を上げ、早ければ半年、遅くても二、三年で代替わりを求めるコトになるからだ。


 金川さんに目線で促されて、背の高い少女もようやく頭を垂れた。下げて上げるダケの所作なのに、疑念の目はずっとあたしに貼り付いたままだった。


「お互い、紹介は済んでいるのですよね」


 挨拶を済ませてソファに座り、口火を切ったのは金川さんだった。

 挨拶の合間に気を利かせた校長自ら茶を運んでくれた。体育教師は追い返したらしい。熱い緑茶だったが、あまり口にする気はない。部屋に帰ったら追い呑みする予定だからだ。

 だが形だけでも口を着けた。


「確かイイヅカさん、でしたっけ」


「犬塚です。犬塚伊佐美」


「失敬。ヒトの名前をなかなか憶えられなくて」


「なんて物覚えの悪い。それに酒臭いわ。不謹慎よ」


「伊佐美。スイマセン、人見知りが激しくて」


「いえ、気にしてません。事実ですから。それよりも上司から聞いた話では、彼女の手助けをして欲しいと言う依頼だとか」


「はい。この犬塚は一ヶ月ほど前に先代から役目を引き継ぎまして、アレと出会すのも今回が初めてなのです。本来ならば手練れの者と共に役目の仕事を憶える期間なのですが、先日教導役の者が他所より流れて来たモノに不覚を取りまして。現在意識不明の重体なのです」


「欠損充填の依頼はされていらっしゃるのですよね」


「欠損なんてしてないっ。お兄ちゃんはまだ生きてる!」


「落ち着きなさい。担当者が任務不可能と判断されれば、名簿上欠損と判断される」


 金川さんがたしなめ、犬塚伊佐美は口を閉じた。


「失礼、依頼は勿論もちろん出しています。ですが人員は常に不足していまして、見習いとは云え準担当者の居る地区の優先順位は随分と低い。まず補充は無いと考えた方が良いでしょう。なので、経験豊富な邑﨑さんのお力添えを頂けないかと、そう考えた次第なのです」


「普通こういう依頼の仕方はしないものなのですが」


「イレギュラーなのは百も承知です。ですがコチラも必死でして」


 苦しい言い訳をして区長は言葉をつなげた。


 駆除者は公安の実務担当者である。

 様々な報告や予測を元に、上層部が派遣を決定し赴任させる。人口の多い地区はアレが集まり易く、被害に遭う確率が高い。餌が多いのだから当然だ。派遣される頻度も高くなる。

 そして、そのあおりを喰う地方地区の優先順位は云わずもなが。駆除者の数は限られているからだ。


 とはいえ、である。たとい危険度が低かろうとそれはただの確率でしかなく、今この瞬間にもアレは何処かでヒトを狩っているのである。被害が出るのを指を咥えて見ている訳には行かなかった。


 なので、正式な駆除者を派遣出来ない地区には、政府からの補助金を元に駆除者と同等レベルの「狩人」を持つことが認められていた。

 だがそれは「実務実績のある者」ではなく「身体能力的に可能」というだけの、新米の狩人なのである。


 経験豊富な使い手は、全ての地区で教導役を嘱望しょくぼうされる人材であった。


「邑﨑さん、経験不足による担当者の死亡率は御存知ですよね」


「はい、イヤというほど」


「このような小さな地区では、指導員どころか実務経験の在る者すら事欠く有様。なので、せめて今居る一匹だけでも、この子に現場を経験させてやりたいのです。故に今回は対価をご用意しました。この子に必要なのは場数なのです」


「我々は市民から金銭を徴収して仕事をしている訳では在りません。あくまで公共機関、国庫からの予算で業務を執り行う警察の一組織です。市民の依頼があれば応えます」


「交渉不要と?それが建前だということは、あなたが一番良く分かっていらっしゃるでしょう。どれだけ公平平等をうたっていようとも、順位序列は何処にでもあります。末席に居る者はどうすれば良いのでしょうね」


「そもそも何故あたしに直接引き受けるか否かを問うのです。の身は上司からの業務命令に従うのみです。金川さんは依頼内容の説明だけでよろしいでしょう」


「そのあなたの上司に条件を出されたのですよ。邑﨑さんの承諾があれば良い、と」


 ちっ、あの腐れ腹黒め。依頼の承諾は自分の一存ではないとの逃げ口上に、あたしに片棒担がせるつもりだな。手前勝手にこんな会合までセッティングしておいてよく言う。実にフザケた上司だ。


如何いかがでしょうか」


「うちの上役は不必要なまでに秘密主義でしてね。経緯すら教えてくれないので、事前にその辺りを知りたかったダケですよ」


「では、引き受けて下さるのですか」


「彼女次第ですが。犬塚さん、だったわね。あなた大丈夫なの」


「ナニよ、どーゆー意味」


「アレと相対する心づもりは出来ているか、と訊いているの。出会った瞬間取り乱してもらっても困るし」


「ナメてんの、アンタ。わたしがアレを怖がっているとでも思って居るの」


「怖くないと」


「当たり前じゃない。アレを怖がってこんな役目引き受けているワケないでしょ」


「本当にそう思って居る、自分を信じているということ?」


「ビビったヤツが狩りなんて出来るはずがないわ」


「金川さん。この子はまだ早くありませんか」


「はぁ?ふざけるんじゃないわよ!」


「教導役の者がこの程度の者を現場に連れて行くとは思えません。脅威を脅威と感ぜられない者などただの素人。アレが現われたので、慌てて準備不足のまま巡回させていませんか。そしてそれを見て見ぬ振りをしていませんか、担当区長さん」


「・・・・金川さん、喋ったの」


「わたしは誰にも喋っちゃいない」


「アレを狩るのはあたし一人に任せて頂きたい」


「邑﨑さん、ソコを曲げてお願いします。あなたは使い手の中でも屈指の実績を持っていると聞き及んでいます。先に立つ者は後ろに続く者を導くのも役目でしょう」


「本人は乗り気では無いようですけれど」


「わたしが今一度言い含めます。

 伊佐美、お前も判って居るんだろう。今のままでは何者にも成れない、遠からず限界が来る。使命感が強いのは良いことだが、それだけでは前には進めないぞ。教えを請うことは恥ずかしいことじゃない」


「わたしだって・・・・莫迦じゃないわ・・・・」


 口籠もりながら逸らした視線は区長の視線と決して交わる事はなく、ずっと足元の床の一角をにらみ付けていた。


「この子はやる気があります。素質もあります。同世代の中では頭一つ抜きん出ている。たかぶるあまり、気持ちがはやるのはこの子だけの話ではありません。誰しも通る道ではありませんか。どうかお願いします」


 深々と下げたごま塩頭はテーブルに着きそうだった。あたしは大きく息を吸って、静かに吐き出した。


「・・・・判りました。頭を上げて下さい。担当責任者に其処そこまで言われたら断れません。犬塚さん、あたしの指示に絶対従うと約束してくれる?出来ないというのならお留守番してもらうわ」


「いいわ、分ったわよ。アンタが本当に噂通りなのかどうか、後ろからじっくり見せてもらうから」


 ぎらぎらとした眼差しでにらみ付けてくるものだから、負けん気だけは大したものだなと思った。

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