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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第六話 深淵の鎮魂歌
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6-4 彼女の意識はそれきり

 邑﨑キコカは暗い校舎の中で廊下の床にしゃがみ込み、片膝を着いていた。


 静寂しじまの中に目を凝らし、時折鼻を床に擦りつけるようにしてヤツの残滓ざんしを追う。


 まだ新しい狩りには及んでいないから以前の痕跡を追っている訳だが、必ずしも同じ場所同じシチュエーションとは限るまい。


 夜間、生徒の誰かを誘い出し食堂に呼び込むというのが連中の常套手段だった。


 自分の結界を張り易く邪魔もされにくい。学校内に餌場を設ける連中は大概そうだ。


 ごく稀に昼間やらかすモノも居るがそれはあくまで少数派。餌の確保はやり易いが外敵にも見つかり易いし、本来の活動時間では無いから色々と鈍くなる。それに何と言っても人目に付き易いのは小さくないデメリットだ。

 ヤツらとて大きな騒ぎは好まない。ゆっくりと次の餌を物色することが出来なくなるうえ、色々と面倒くさいモノを呼ぶことになるからだ。


 多少手間はかかろうとも餌の群れは静かな方がイイ。ヤるならばベストなコンディションで、というのは人間に限ったコトでは無かった。


 では校外はどうなのか。


 登下校中を襲わない訳ではないけれどソコはあたしの守備範囲外である。そちら側はソッチ方面の「専門家」にお任せ、あたしの身体は二つある訳じゃない。


 無責任?いやいやコレは担当部所の遵守というヤツで責任区分の明確化だ。他所の現場荒らしをする訳にはいかない。仕事をする大人の配慮、無言の分別。決して上司のやり方に迎合した、縦割り行政への追随ではないのである。


「一件非合理にも見えるがこれもまた世界の縮図、社会の有り様というモノなのだよ。専門専業の推進は効率的な業務遂行には必須事項。無秩序に作業内容を肥大化させるのは得策じゃない。判るかねデコピンくん」


 あたしの崇高な論説をかたわらの毛むくじゃらな相棒に語って訊かせるのだが、まるで知らぬ顔で行く先を歩き続けていた。張り合いのないヤツめ。お愛想でもにゃあとかみいとか返事をすれば可愛げもあろうに。


「方角はコッチで合っているのかい」


 新しい痕跡を見つけたというものだからコイツに先導させているが、残念ながらあたしの鼻には臭わない。余程微かなのか、それとも痕跡を消すほどの知恵を持ち合わせたヤツなのか。

 願わくば前者であって欲しい。後者なら仕事が一回りも二回りも厄介になる。


 何はともあれ、次の犠牲者が出る前に片を付けたい所だね。


 いつも今度こそはと思うのだがコレがなかなか上手くいかない。最近は特にそうだ。余り頻繁だとペナルティを科せられてしまうかもしれない。それに何より見知った者が肉塊に変貌する様は愉快な光景ではなく、馴れることもまた無かった。


 ふと、昼間の二人が脳裏を過ぎった。仲の良いクラスメイトと昼食を共にするのも久しぶりだ。前はどの学校の誰とだったのか。


 自分の右手を見た。


 この手でもう何匹狩ったろう。

 最初の頃は数えていたが、今ではもうどれだけヤったか分からなくなってしまった。自分がバラバラにされた記憶は無く、それはこの元となった身体の持ち主だけが知っていて「あたし」ではない。克彦という名の脳髄に刻まれた最後の思い出は、自分の胸と腹との皮を自らぎ取り、苦悶苦痛の中で彼の御仁に妹の再生を願ったことまでだ。


 臓器移植を施された者が臓器提供者の記憶を宿すことがあるという。


 たとい脳でなくとも、肉や血液の中に本人の記憶を刻んだ何某かが残っているという説を何かの本で読んだことがあった。


 移植を受けた者の体験録も読んだ。食べ物の嗜好や記憶の一部が移植後に変化し、臓器提供者のそれと酷似こくじしていたというものだ。今まで無かった奇妙な手癖が出てきたり、読んだことも無い聖書の一節をそらんずる事が出来たり、見たことも無い風景の子細を語る者も居るという。


 眉唾と云うのは容易い。だが事実かもしれない。ならばこの身体にもまだ紀子の記憶が残っているのだろうか。何時の日か、それが再現されることが在り得るのだろうか。


 自分の兄の脳髄を埋め込まれ、失った部分はヒト為らざるモノの血肉で補われ、その挙げ句に人外の存在クリーチャーとしてよみがえった。


 そのことをお前は恨んでいるのだろうか。いや間違いなく恨んでいるだろうな。しかし呪詛と怨嗟の声であったとしても、叶うなら俺はお前の声をもう一度聞きたい。


 処断取り下げと懲役刑への変更。それを交換条件とした駆逐者への就任。

 この身体さえ残っていたら、ひょっとすると永い時間の果てに彼女が目覚めて再び言葉を交わす日が来るのかも知れない。それが叶うというのなら、裁きの後に何が待っていようとも構わない。


 そんな希望とも言えない微かな糸にすがり、「あたし」はいま此処ここに在る。


 みっともないというのは百も承知。こんな有様のあたしを忌み嫌い、汚らわしいモノとして「抹消」を願う人間は幾らでも居る。この国では死体が行き着く先は炎の中だ。地獄というものが在るのなら、あたしの行き着く先はそのどん底だろう。煉獄れんごくならきっと一番相応しい。


 でも、それでもあたしは・・・・


 デコピンがにゃあと鳴いて我に返った。


 肩越しに振り返ったヤツが見ろと鼻面を向け、その方角を見れば何やらうごめく影があった。差し向かいの棟に小さな灯りがチラホラと動いている。間違いなくヒトだろう。アレや自分達に照明は要らない。

 誰かが誘い出されて夜の学校に入り込んでいる可能性は充分にあった。




「肝試しと言うにしては、ちと時期を外しておりませんかね」


 LEDのペンライトを持った少女が傍らの少年に話し掛けていた。


「確かに夏の定番だけど、だからといって他の季節にやっちゃダメって話でもないと思うよ」


「わたしを押し倒す為の口実にしたってべたべたじゃない。もちょっと気の利いた呼び出し方を考えて欲しいわね」


「そうだと言ったら来なかった?」


「ホントに押し倒すつもり?」


「逃げるなら今の内かもね」


「あんたがそんなケダモノじゃないと知ってるからこそ、誘いに乗ったのだけれども」


「信用してくれて嬉しいね」


 どういうつもりなのかと少女は思った。


 隣のクラスではあるのだがこの男子とは妙に気が合った。趣味が同じというのはただそれだけで嬉しい。巷では色々と話題で掲示板でもよく話のネタになる件のテレビドラマ。何故だかどういう訳だが校内でのファンが少ない、いや少な過ぎる。


 何故なぜ


 世間ではネットにしろSNSにしろあれだけワイワイ騒がれているというのに、自分の周囲では数えるほどだ。同好の士はこの子も合わせて何人居るだろう。つい先だって転校して来た同じクラスの子が、自分と同じ志だったってのは嬉しいサプライズではあったのだけれども。


 そしてこのお呼び出しにしてもそうだ。


「まぁ全く全然期待してないって訳でもないんだけどさ」


「え、何か言った?」


「何でも無いわよ」


 そうは言いつつも初めて会ったときから妙に気になっていた。


 何というか話が合うのもそうだが、一緒に居ると何処かほっとするのだ。他の男子と違って落ち着いているというか何というか、自分よりもずっと年上の大人の雰囲気があった。側に寄ると微かに良い匂いとかしているし。


 コロンとかを付けている風には思えないし柄じゃない。持って生まれたモノというか体臭というか、ひょっとすると男の子特有のフェロモンなのかも知れない。


「いったい何が有るの?人の世に巣食う道義を外れた外道、或いはそいつ等が呼び出す怪物ども。それを狩る狩人でも紹介してくれるのかしら。バケモノの方だったらお断りだけど」


「『深レク』みたいな展開を期待してのコト?」


「『深淵の鎮魂歌レクイエム』。妙な略し方しないでよ。せめて『深淵』と言ってちょうだい」


「コアな子はこだわるねぇ」


「面白いモノを見せてくれるっていうから来たのに。愚にもつかない物言いだわ」


「正直コレだけ簡単に釣れるとは思ってもいなかったけれど」


「なによそれ。まるでわたしがテレビや映画の中に出てくるその他大勢の犠牲者、無警戒でお莫迦な美少女みたいな物言いだわ。腹立つわね」


「美は要らないよね」


「更に腹立つわね」


 話している内に目的地に到着したらしい。彼は立ち止まると身体ごとその場でくるりと振り返った。


「ま、取りえずこの教室に入ってみてよ。吃驚びっくり出来ることは保証する」


 そう言って少年は軽く微笑んで両手の掌を肩の辺りで上に開いて見せた。にっと白い歯を見せていて実にキザったらしい。こんちくしょうと思ったが妙に絵になっていた。


 なんでわたしはこんな奴に惹かれてんだろね。


 諦めたように溜息をついた。


「分かったわよ。じゃあ見せてもらいましょうかその『吃驚出来るモノ』ってやつを」


 仕方無しといった体を装って軽く肩を竦めてみせた。


 その途端である。彼の首から上がぽん、と軽い音を立てて何処かに飛んで消えて無くなったのは。首の付け根から赤黒い噴水が吹き上がってゆく。

 凄い勢いだった。


「え、何・・・・コレ」


 少女は何が起きたのかまるで理解出来なかった。ぽかんと半分口を空けて吹き上がる噴水が廊下の天井を汚す様を見つめるばかりだ。

 

このドッキリが彼の見せたかったものなのだろうか。

 

 彼の身体がそれこそ人形のようにパタリと向こう側に倒れた。


 そして左肩にチクリと何かが刺さったかと思ったら、かくんと膝が折れた。そのまま世界が狭まり暗い穴の底に落ちてゆくような感覚があって、彼女の意識はそれきりとなった。

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