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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第六話 深淵の鎮魂歌
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6-3 即時昇天案件

「あ、兄ちゃんお帰り」


 兄が帰宅したのは、飯山君子が夕食後の林檎を囓りながらテレビのグルメ番組を見ている最中の事だった。特に見たい訳でもないのだが、この後は楽しみにしているあのドラマが始まる。見逃す訳にはいかなかった。


「父さんはもう帰って来たんだ」


「夕食には間に合うように帰って来ようよ。また図書館に入り浸っていたんでしょう。兄ちゃん頭良いんだからそんな勉強しなくてもイイだろうに」


「そういう訳にはいかないよ。それにうちの学校って授業内容の参考書が充実してるし、課題するのに手間も省けるし」


「学校の図書館だけじゃないぢゃん、また本屋巡りやってたんじゃない?あんまり頑張ってもらうと妹が困るんですけれど」


「まぁほどほどやっていれば大丈夫だよ」


「軽く言ってくれる」


「そう言えば君子のクラスに転校生が来たって言ってたけれど、どんな子?」


「ああ、邑﨑(むらさき)さんの事?一見怖そうだけど面白い子だよ。凄いくせっ毛の黒髪で、目付き鋭い感じ。妙に気が合ってさ。彼女がどうかした?」


「いや、ちょっと見かけて気になったから。そっか邑﨑さん、やっぱり彼女がそうなのか」


「なになに、気になるの」


「そんなんじゃないよ」


「うん分かる分かる。クールでかっちょイイもんね、彼女。まるでキョウコみたいに」


「またそのドラマの話か。そんなコトばっかり言ってるとみんな呆れて逃げてっちゃうぞ」


「そんなコトありませーん邑﨑さんも一緒、同好の士なんですぅ。この前も家に来たばっかりだし」


「え、そうなの」


「もっと早く帰って来てたら彼女と会えたのに。ざーんねーん」


「そんなんじゃないって言ってるだろ」


 取り繕うように兄さんはぷいと踵を返した。何というか色々と透けて見える。隠し事が不得手なのだこの兄は。


 その妹は自分の部屋に戻っていくその後ろ姿を生暖かい目で見守り、にんまりと口元だけで笑うのであった。




「あれは一体どういう事なんですか」


 あたしは東の空が白み始めるや否や早々に切り上げてアパートに戻り、シャワーを浴びて朝食を詰め込んだあと、洗濯済みの制服に袖を通すよりも早く上司に連絡した。相手が出ると開口一番食ってかかった。昨晩、件のドラマを屋上にある給水タンクの上で見てひっくり返ったからだ。


 主人公のキョウコが己の身体に住まわせた異形を発現させて、秘密結社の男をなます切りにするシーンがあった。だが、その時の彼女があたしそっくりだった。

 全身に手術の縫合痕が浮かび上がり、髪の毛はまるで別の生き物のかつたごとく踊りうねって、手には刃渡り五〇センチを超える大ぶりななたたずさえていた。


 しかも相手に鉈を構えて吐いた台詞がコレだ。


「『解体される覚悟はオーケィ?断末魔の準備は出来た?』だって。もぉたまんねっす」


「カッコ良かったよね昨日のキョウコ」


「アクションシーンは超控えめだけどさ、だからこそ光るのよねぇ」


 ランチタイム、数少ない友人と呼べるクラスメイトが二人して盛り上がっている。勿論それは「深淵の」ネタだ。それを聞きながら密かに溜息を漏らし、購買で買ったチキンカツサンドに齧り付いた。何だかちょっとパサパサしてるが贅沢は言えない。それに口の中がやたら乾くのはこのカツサンドだけのせいではなかろう。


 どう言えばいい、このどうしようもない居心地の悪さは。


 ちょっと前からデコピンには、首輪に似たスマートウォッチ的な某かを付けさせて仕事の内容を録画させておけと言われている。

 恐らく、業務内容を管理下に置いておきたいが故の措置なのだろうと軽く考えていたのだが、よもやまさかその画像音声を斯様な用途で流用しているとは思いもしなかった。


 我々の仕事を世間一般に公開するとは如何なる所存か。我らの活動は人種国家を問わず、拘わる者全てが秘匿する禁則事項ではなかったのか。それが古より連綿と続く、もっとも古くもっとも重要なヒトの掟、「沈黙の盟約」であろう。


 そう叩き付けたのだが「偶然だろう」の一言で退けられた。ふざけるなと吠えたが、のらくらとかわされた挙げ句うやむやにされた。本当にふざけた話である。


「ね、邑﨑さんもそう思うでしょ」


「そ、そうね。良く動いていたと思う」


「そうそう。そこん所も感心ポイントよ。スタント使って無いって言うんだからオドロキよね。あんだけ演技できてアクションも出来て、彼女パーペキじゃない?」


「そう言えば昨日のキョウコは邑﨑さんに似ている気がした」


「似てるどころじゃないわよ。わたしなんて見た瞬間『きたーっ』って思ったモン。その黒くうねった髪型とかはまさにそのまんまだものね」


「そう、かな」


 容易く肯定してしまうのもどうかと思い、ちょっとだけ戸惑った。しかし言いよどんだのを勘違いしたらしい。彼女は慌てて取りつくろってきた。


「あ、いやいやわたしは魅惑的ねと褒めたかったのよ。ソコんとこ誤解しないでよね。でも、気にしてたらゴメン」


「別に気にはしてない。毎朝面倒くさいなとは思っているけれど」


 適当に返事をしながらまずいなと思った。余り印象深くは為りたくない。出来れば空気みたいな存在で気が付いたら消えて失せ、「誰か此処に居たっけ?」的な状況状態が理想的だ。

 記憶はかく写真にでも撮られたら更に面倒くさいことに為るというのに、よりにもよってテレビドラマの題材にするなど何たる暴挙。


 上の者は何を考えて生きて居るのだっ。


 肚の奥底にふつふつと煮えたぎる憤懣をねじ伏せながら、あたしは必死の思いで二人に微笑み返すのが精一杯だった。




 部活を終えて帰る最中に、君子は一人とぼとぼと歩いている兄を見かけた。珍しい、今日は何処にも寄らず真っ直ぐ帰るつもりらしい。


「兄ちゃんどうしたの。ションボリしちゃって」


 振り返った兄が少し寂しげに笑んだ。


「別にションボリはしてないよ」


 そう言って軽く肩をすくめた。


 君子は兄よりも頭一つ高い。彼の身長が平均より低いこともあって、並んで歩くとその差は明らかだ。知らぬ者が兄を弟だと思うこともしばしばだが、その事を特に気にしているようには見えなかった。

 しかし全く頓着していないはずは無かろうと思って、並ぶときには必ず半歩退いて歩くことにしていた。


 大人しくて万事控えめな兄だが自慢の兄でもあるのだ。


 はて、部活が始める前に半ば強引に呼び出して邑﨑さんを紹介したけれど、ひょっとしてアレはまずかったのかな。


 兄のションボリ具合は色々なバージョンがあるが今はどのケースに当てはまるのだろう。フラれたとかいうのとはチト違うような気がする。

 そもそも軽い挨拶と二、三会話を交わした程度なので親密になる以前の話なのだ。邑﨑さんの反応から一度面識はあるようだったが、特に悪印象を持っているようにも見えなかった。


「叔父さんこの頃何かあったのかな」


「へ、叔父さん?」


 あたしら兄妹の間で叔父さんと言えば、この学校で美術教師をやっているあの叔父さんしか居ない。思わぬ話題で狐に鼻つままれた気分だ。


「最近妙にぴりぴりしててさ。世間話にかこつけて、しきりに『何か身の回りで変わったことは無かったか』って聞いてくるし」


「あ、あー。確かにそうかも」


「やっぱり叔母さんが亡くなったのをまだ引きずっているのかな。非道い事件だったらしいから」


「それは関係無いんじゃない?いま学校で何かが問題になっている訳じゃないもの」


 事件は一四年前。当時高校生だった叔母は下校中通り魔殺人の被害者となって亡くなったと聞いている。犯人はすぐ捕まったそうだが、どうやら学校に出入りする業者か何かだったらしい。以後、学校に出入りする者に対してかなり神経質になったのだそうだ。


 でもそれとコレとでどういう関係が?


「邑﨑さんには近付かない方がいいって言われてさ」


 あー成る程、そうつながる訳ですね。それでこのションボリ具合と言う訳ですね我が兄よ。本日放課後の一件を見られていたという訳ですね。


 叔父様、今日の今日とはなんて軽いフットワーク。まぁ確かに転校生も外からやって来た人ではあるけどさぁ。


「叔父さんの言うことなんか気にする必要ないよ、仕事柄神経質なだけなんだって。いちいちバカ正直に従ってたらやりたい事も出来なくなっちゃうよ。せーしゅんは短いんだ。完全燃焼してナンボだよ。構わず声掛けでもデートへのお誘いでもすりゃ良いんだって」


「そうか、な・・・・あ、いやいや、そんなつもりは毛頭ないんだからね。君子は勘違いをしてる。余計な気の回しすぎだ」


「そうなの?」


「そうだよ!」


 耳たぶが少し赤くなっているのは気が付かないふりをした。このリアクションでバレていないつもりなのだからホント、賢いんだか賢くないんだか。時々声を押し殺して苦笑する羽目に為る。


 しかしそれはさておき、まったくもうあの叔父は。甥や姪が心配なのは分かるけれどいささか過保護じゃありませんかね。コレはもう馬に蹴られて即時昇天案件ですぞ。

 明日キツ~く申し添えてやろうと君子は固く天に誓った。

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