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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第六話 深淵の鎮魂歌
36/89

6-2 ちょうどオープニングで

 一晩をかけて巡回はしたものの何の進展も無いまま夜が明けて、やれやれと溜息をつく。


 ここ一週間ほどはずっと空振りが続いていた。それらしき痕跡はぽつりぽつりと見当たるのだが、どれもが古くて昨日今日に出来上ったものではなかった。今度のヤツは随分と慎重なヤツらしい。


 とは言え、地味な進捗なのは何時ものことだ。ヤツの腹が空けば徐々に餌場の気配も変わってゆく。それを逃さず焦らず感じ取り、地道に探し回るしか無い。


 一旦部屋に戻ってシャワーを浴び、そのまま再び登校した。無駄な往復のような気もするが、日がな一日学校何ぞに詰めていられるものか。学校は赴任地であって住む場所では無いのである。


 道行く最中にコンビニでサンドイッチと牛乳一リッターを買って、そのまま店の外で胃袋に流し込んだ。午前中の授業の分は出席日数が足りている筈なのでサボって仮眠に当てることにしよう。


 今日は天気が良いので屋上が宜しかろうと思ったのだが先客が居た。気弱そうな男子に絡むカツアゲ場面だった。二人に絡まれて実に情けない表情になっている。面倒くさそうだったからそのまま回れ右をしたのだが、「ちょっと待て」と呼び止められた。


「このまま行かせる訳にはイカねぇな。お前も少しカンパしてくれ」


 そんな阿呆な絡み方をしてきたので二人をその場でノシてやった。阿呆には相応しい対価だ。あたしは今眠くて不機嫌なのである。神経を逆なでした連中が悪い。被害者の少年が多少つっかえながらも「ありがとう」と頭を下げた。


「イヤならイヤとはっきり言いなさい。毅然きぜんとしないと付け込まれるだけよ」


 そう言い切ったところで襟章が三年生だと気が付いた。しかも名札には飯山とある。


 この辺りではよくある名字なのだろうか。しかも勢いとはいえ上級生に説教してしまったようだ。ちょっとだけシクったかなと思った。


 とはいえ見知らぬ男子に気配りしても仕方が無い。名字共々まぁそういうコトもあるさ、と気にしないことにした。いまあたしに必要なのは心穏やかにお休みできる場所で、それ以外の些末さまつな出来事に関わり合っている暇は無いのである。


 そのままくるりときびすを返し校舎内に戻ろうとした。


 だがその足が止った。少し風向きが変わって妙な臭いが流れて来たからだ。


 これは・・・・


 立ち止まった後にその場で再び振り返る。

 まだ足元でノビている二人をひょいと飛び越え、戸惑う少年の脇を通り過ぎ、屋上への出入り口がある後ろ側に回り込んだ。臭いは点々と続き、手すりの向こう側へと続いていた。歩み寄ってその向こう側と更にその下ものぞき込んだ。

 だが校舎の壁と裏庭が見えるだけだった。


 間違い無い。ほんの今し方まで此処にアレが居たのだ。恐らく餌を物色していたのだろう。だが既に太陽は高く昇っているし、人数も増えたので諦めたのかもしれない。


 いやはやヤバかったかもね。


 三人程度だったらきっと一瞬だったろう。自分が相対していたとしても、今手元には得物も無いから手間も食う。きっと一人くらいヤられていた。


 端からやる気が無かっただけなのかもしれないが、そうで無かったのかもしれなかった。チラリと後ろを振り返れば、訳が分からず呆然と突っ立っている少年とノビてる二人はまだソコに居た。引き返して来ないとは思うが万が一ということもある。


 仕方がないわね。


「さ、ボンヤリしてないで教室に戻りなさい。ホームルームが始まるわよ」


 まだ河岸のマグロとなっている男子二人をひょいひょいと小脇に担ぎ上げ、その様子に目をいている少年を急かして中に入った。この二人は何処か適当な教室の前にでも転がしておこう。人目があるところなら問題はあるまい。


 やれやれ、まったくこちとら安らかに眠りたいだけだというのにとんだ手間暇だ。まぁ、被害は出なかったのだから良しとすべきなのかもしれないけれど。


 ぶつぶつと胸の中で文句をたれ、男子二人を抱えて大人しい上級生を追い立てながら、あたしは予鈴の鳴る階段を足早に下りていった。




 目が覚めると既に五限目が始まっていた。


 左手首にある残刑カウンターの付属時計では、開始からもう一〇分程度経っていた。此処ここはちょうど木陰で良い風が通る。お陰でついつい寝過ぎてしまったようだ。


 確かにこれから教室に駆け込めば授業の半分程度は受けられるが、今更慌てて戻るのも億劫だった。出るのは六限目からでも良ろしかろう、そう決めて身体を起こした。そこでギョッとする。

 寝転がるベンチの斜向かいのベンチに一人の教師が座って居たからだ。


「やあ、ようやくお目覚めのようだね」


 眼鏡を掛けた温和な表情かおで細面の男が微笑んだ。


 見たところ二十代後半、いや三十路くらいだろうか。若い教師だ。声を掛けながら手にしていた文庫本をぱたんと閉じた。


 此処は学校南棟の西の端。ちょうど全ての教室から死角になっている場所で、古びたベンチが二脚置いてあるだけの場所であった。

 何の為に置いてあるのかは分からない。不要になって捨てる場所も思いつかず不法投棄に及んだのか。それとも仮置きのつもりで置いてそのまま忘れ去ったのか。或いは気兼ねなくサボれるよう、親切な誰かが設置してくれたものなのか。


 最後の仮説が最もあり得なさそうな気がする。だがそんなコトはどうでも良かった。この状況はいったいどういうコトなのだろう。


「最近は良い陽気だから野外でうたた寝したくなるのは分かるけれど、女性がこんな場所で午睡を貪るというのは余り感心しないね、不用心だよ。

 それにいくら良い天気だと言っても晩秋にその格好では風邪を引く。若いきみたちには今ひとつピンと来ないかも知れないけれど、健康な身体というのはとても大切な人生の資本なのだよ」


「ご心配ありがとうございます」


「どういたしまして。さて、きみも目を覚ましたしわたしも行くとしよう」


 どうやら寝こけているあたしを見つけて、此処でずっと起きるのを待っていたらしい。酔狂なことだ。


「注意はなさらないのですか」


「して欲しいのかい」


「いいえ、まったくちっとも」


「なら良いじゃないか。それはそうと、今朝方屋上で男子二人に絡まれていた子を君が助けてくれたよね。彼はわたしの甥なんだ、昔から気が弱くてね。一言礼をっておきたかった」


「成る程」


「本館は実習棟より一階分低いだろう?わたしの務める美術室から屋上は丸見えなんだよ。サボるのなら別の場所を探した方が良い。今日はかく、今後もずっととなれば流石に見逃す訳にはいかないからね」


「ご忠告どうも」


 軽く会釈をしてその場を離れた。

 妙な教師である。従兄弟の災難を追い払った礼のつもりらしいが、だからと言ってサボる生徒を見逃し、かてて加えて一緒に日向ぼっこにふけるなどどれだけ緩んでいるのやら。世の美術教師というのは皆あんな感じなのだろうか?

 今までじっくり観察したことは無かったけれど。


 まぁお陰で、面倒くさい目には遭わずには済んだから良しだ。


 授業中のグラウンドはとても閑散としていて静かだった。


 それぞれの教室から漏れ聞こえてくる教師の声や教室のざわめきが無ければ、今は本当に平日の昼間かなのかと疑わしくなるほどに。そしてソコで初めて酷く腹が減っていることに気が付いて、果たして購買のパンはまだ売れ残っているだろうかと、そちらの方が余程に気になってきた。




 担任の説教は一時間に及び、解放されたのは外が完全に真っ暗になってからのことだった。


 暗い道は物騒だから寄り道せずに帰るのだぞと云われたが、そもそもあなたの説教が無ければ明るい内に帰れたでしょうにという正論は、そのまま胸の内にしまっておいた。どうせ校内で暗くなるまで時間を潰し、恒例の夜間巡回に勤しむつもりだったからだ。


 教師に言わせれば、六限目のみ顔を出して出席日数を稼ぐなど言語道断ということらしい。


 ならば丸一日シカトして完全なサボりを決め込む者は、たとい一限だけでも授業を受けようとする殊勝な生徒よりも上等なのですか。そう問うたら「屁理屈言うな」と怒られた。


「先生、あなたが高校生だった頃に屁理屈は一言一句一切口にしなかったとでも?」


 高校生というヤツはそういう揚げ足取り的な物言いをしたいお年頃なのです。その辺りをおもんぱかって対応するのが大人の度量というものではないのですか、そう付け加えたらその数倍の説教となって返ってきた。

 まったもって大人げない。


 取り敢えず陽が暮れるまでの暇潰しくらいにはなった。毎日だと御免被るが、たまにコミュニケーションするなら手頃な相手だ。

 担任先生さまも授業後の残務が残っているだろうに、あたし一人にたっぷり一時限分も時間を割くなど豪勢なことである。会釈し「ご苦労様です」と挨拶をして職員室から出て行った。


 やがて陽が暮れ、校舎の中から人気が無くなりがらんと為ってあたしの時間になった。

 初めて来た夜に学校の中は子細に見て回って、通り道と思しき場所やヤツの食堂であろう教室の特定は出来ている。

 学校といった閉塞された空間の中で、ヤツら食堂は大抵一箇所だ。複数ということは滅多に無い。だからソコで張り込めば必ずヤツがやって来る訳なのだが、それが今日なのか明日なのかそれとも一週間後なのか、それは分からなかった。


 それに必ずしも食堂で餌をシメるとは限らない。何処か人目に付かない物陰でさくっとヤって、静かになったところを持ち込むという事も在り得る。事実何度かそんな現場もあった。


 全ての箇所全ての場面に目が届く筈も無いから、必要損害として割り切っても良いが、割り切られた当人はたまったものではないだろう。そんな訳で、食堂には見張りを置いて連中の食事時間は巡回を続けるというのが基本的なルーチンだった。


「とは言え、今夜は出て来そうに無いね」


 何というか漂う空気にそんな気配が感ぜられないのだ。狩りのある夜はもっとぴりぴりヒリヒリと張り詰めている。


 被害の周期は大体二、三週間ごと。アチコチの現場を回ったがこれを大きく外れたことはない。

 時折食い足りない分を極めて短い周期で襲うヤツも居るが、そういう欲求不満を溜め込んだ臭いもしなかった。今回の目標は並みのサイズ。恐らく平均程度かちょっと小ぶりなくらいと目算している。


「デコピン。小一時間ほど休憩するからしばらく番しといてくれ」


 スマホの向こう側から不機嫌そうな声がしたが構わず切った。そしてそのまま切り替えてテレビのチャンネルを開いた。ちょうどオープニングで「深淵の鎮魂歌」と、題字が画面一杯に浮かび上がるところだった。

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