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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第五話 日常殺風景
32/89

5-3 足音で見当は付いていた

 目が覚めると、太陽は随分と高いところまで昇っていた。


 目覚ましでは無くくしゃみで目が覚めるというのも久方ぶりで、タンクトップに下着一枚というのも真夏の頃と変わらぬ格好だ。確かに昨今は若干朝夕冷え込んできて、いささか不具合はあったものの特に問題無しと虚勢を張っていたのだが、そろそろ限界が来ているようである。


 昨晩は少し飲み過ぎたかな。


 寝床から立ち上がると世界が少し暴れていた。これもまた久しぶりの感覚だった。


 スマホを覗いて見ても待機解除の連絡は無し。少なくとも、今日一日はまだだらだらとして過ごすことが出来るらしいと安堵した。

 よもや全身から酒精をまき散らしつつ、教師や高校生相手に初顔合わせという訳にもいくまい。周囲がいったいどんな反応をするのか、一度試してみたいところだが踏み留まるくらいの分別はある。やるのは精々最終登校日辺りだ。


 冷蔵庫から2リッターペットボトル入りのブラック珈琲を取り出して、半分ほど残っていたそれを全て飲み干した。げふ、と息を吐く。


「朝飯でも作るかな」


 しかしもう朝飯というよりはブランチ、ブランチというよりも昼飯であった。

 いっそのこと外で食べるかと少し悩み、そこで初めて食い意地の張った同居人の姿見えないことに気が付いた。眠る前に鍵を掛けたはずのベランダに続くサッシが少し開いている。家主を起こすことを諦めて自前で食事の調達に出かけたらしい。


 朝飯を食いたくて、飼い主の目覚ましを弄りたたき起こすなどと姑息なことをするくせに、こと、テコでも起きぬと知ればこういうことをする。自分で出来るのだから端からやれと言いたい。相も変わらず腹立たしいどら猫である。まぁいいヤツは放っておこう。


 ならば久方ぶりに中華でもと考えて、そう言えば予備の鉈を研ぎに出していたままだったと思い出した。


 今日は平日。あの研ぎ師の爺様がぼけてなければ店は開けているだろう。いつもは郵送してもらうのだが、幸いにも爺様の店は今のアパートからでも電車で二、三時間の距離だ。少しばかり遠出になるが、時折顔を見せておかないとあの偏屈はすぐにヘソを曲げる。


 思い立ったが吉日。服を着て鉈の入る大柄なバッグを肩に下げた。スマホでデコピンの首輪に通話を入れる。


「あたしだ。なたの受け取りに行く。今日は戻らんかもしれんからアンタは勝手に食っちゃ寝してな。何か有ったら直ぐに連絡入れるんだよ」


 数秒待ったが返事も無い。回線は開いているのだからシカトぶっこいているに違いなかった。飼い猫のご機嫌をうかがうというのも面白くかったのでそのまま切った。


 窓の鍵は開けたまま部屋を出て玄関だけを施錠する。物取りが入ったところで金目のものは何も無い。有るのは着替えの下着に冷蔵庫の中のビールと珈琲豆と猫の餌くらいのものだ。


 そしてそのまま駅に向って歩き出した。




 二つほど電車を乗り換えて、車窓の景色を眺めながらうとうとしていると目的地に着いた。この駅のホームに下りるのも久しぶりである。駅弁の空き箱をゴミ箱ネジ込んで、両手を挙げて伸びをする。眠気の取れない気怠さがあったが悪い気分では無かった。


「相も変わらぬ風景だね」


 乗り降りする人の数も少なく閑散とした停車駅だ。改札口を出てもその印象は変わらない。のどかと言えば聞こえは良いが、寂れていると言った方がより的確だった。


 勝手知ったる町並みは閑散としていて、晴天でも少し斜めになったお天道さんは、かったるい日差しで路地に自分の影を貼り付けていた。

 流石に季節が季節なので汗が出るほどじゃない。しかし、日陰も何も見当たらない歩道をぶらぶら歩くには些か眩しかった。


 小一時間ほど歩くと目印にしている小さな郵便局があって、その角を折れ、更に細い脇道を入ってゆくと目的の店が見えてきた。


「じいさん、生きてるかい」


 戸口に立って声を掛けると真っ暗な店の奥から人影の動く気配があった。小柄な老人が姿を現す。まるで店内の風景から染みだして来たみたいだった。


「珍しいな、直に来るなど」


「出来てる?」


「勿論だ」


 手渡された布袋の中から引き出すと、鈍色にびいろに光る刀身が姿を現した。


「あれ、少し軽い」


「分かるか。欠けた刃の分を少し詰めた。また切れもしないモノを無理に切ろうとしたな」


「コンクリートの壁にぶつけたもので」


「嘘つけ、そんな生易しい欠け方じゃなかったぞ。それはお前の守刀でもあるんだろうが。もっと大切に扱え」


 あたしは軽く肩をすくめただけだった。


 代金を払うと茶を出されて作業台の前で飲んだ。


「しかしお役所というのはケチくさいな、研ぎ代くらい出せば良いものを。仕事で使うものだろうに」


「支給品断ってるから。コレはあたしの我が儘というあつかいだね」


支給品ソイツは前に他のヤツから見せてもらったが、確かにアレじゃあ使う気にはなれんな。肉は切れても骨までは無理だ。本気で振ったら刃どころか身が折れちまう」


「じいさんの所に出入りしているヤツも減った?」


「減ったな。昨今は使い捨ての刃物のほうが手が掛からんってことで、ソッチに流れているらしい」


「じゃあ、やはり」


「ああ、俺の代で終わりだ。刀の研ぎ師なんぞ潰しが利かなくていかん」


「甥っ子が東北の刀匠に弟子入りしてるって聞いたけど」


「モノに成るかどうか分かったもんじゃない。それに成れたとしても食い扶持にするにゃあ厳しかろう」


「世知辛い世の中だ」


「今に始まったこっちゃねえさ」


「あたしの得物も何処まで持つか分かんないしね」


 幾度も研ぎ直し、新品の頃よりも幾分小ぶりになってきている。今すぐという事は無いがその内に限界は来るだろう。


「打ち直してもらえばいい」


いくらすると思ってんの。新品なんて高嶺の花、あたしなんかじゃ到底無理むり」


「鬼包丁の使い手が無くなるとなりゃあ、考えるヤツも出てくるさ」


「大仰だね、コレをそんな呼び方なんてしたらそれこそバチが当たる」


「ナリは鉈だが使い道はソレだろ。無銘だが確かな一品なのは間違いない。決して的外れな物言いじゃねぇと思うがな。

 それに刀だろうが鉈だろうが刃物は道具だ。美術工芸品としてありがたがられるのも一つの道だが、やはり使ってナンボさ。扱いは荒っぽいがソイツは本分を果たしている。お前さんは決して得物を泣かせちゃいないよ」


「・・・・」


 お茶ごちそうさまと言ってあたしは席を立った。


「今から電車はあるのか?」


「無いけれど、他に寄るところも在るからそっちを回って、手頃な宿で一泊してから帰るよ」


「そうか。切れなくなったらまた持って来い。俺の目が黒い内なら幾らでも研ぎ直してやる」


「当てにしてるよ、じいさん」


 そう言って軽く笑うと店を出た。




 路地を抜け大通りまで行くとタクシーを拾い郊外へと向った。


 途中で花屋へと寄ってもらい、仏花を買うとそのまま霊園に入った。クルマを駐車場で待たせて中に入ったのだが、久方ぶりだったので少し迷った。それでもようやく見覚えのある墓石を見つけると花を捧げ、前もって買っておいた線香に火を着けた。しゃがんで両手を合わせて祈る。墓前で拝むのも随分と久しぶりな気がした。


 此処に都会の喧噪は何も無い。風にそよぐ木々のざわめきや時折騒がしげに鳴く野鳥の声が聞こえる程度だ。再び目を開けてもやはり何も変化は無かった。碑銘を刻んだ四角い石がじっと睨み付けているだけだった。


 まったくあんたは物好きな男だったわ。


 親から継いだ会社を切り盛りする若社長。高価なマンションに居をかまえ、自分とは住む世界の違うセレブ様だった。そんな人間がどういう経緯でコッチ側の世界に首を突っ込んだのか。


 そもそも解体担当者と直接面識を取りたいなどと言い出す時点でどうかしている。


 ましてやその相手と昵懇になりたい、そして交友の証などと言い出して、二振りの特注大鉈を買い与えるなどと酔狂が過ぎるというものだ。屍人形相手にどうかしてんじゃないの、もしかしてソッチ方面の気でもあるのと幾度となく釘を刺した。


「自分を卑下するものじゃありません。尊敬できる相手は尊敬する、それだけですよ」


 あるいは何某かの打算があったのかも知れない。高い資金力を有する協力者の一人、ただの興味本位で近付いてきたとは思えなかった。

 だが邪心が潜んでいたとも思えなかった。何かを隠し持っていた気配はあったものの、それと同等以上の好意が感ぜられたからだ。


 ま、あたしの見立てが腐ってなければの話なんだけれどもね。


 それともやはり、他の大多数と同じくあの本に憑かれて寄って来た者だったのだろうか。

 結局真意を確かめる間も無く彼は逝ってしまった。あたし自身を知るヤツは片端から居なくなるというのがこの世界の常らしい。生きて居る居ないに拘わらず、記憶に無ければ居なかった事と同じだ。


 微かだった風も止み、じわりとした空気が肌にまとわりつく。線香の匂いがヤケに鼻に付いた。


「やっぱり此処ここだったな」


 背後から男の声が聞こえたが、足音で見当は付いていたから振り返ることはしなかった。

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