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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第五話 日常殺風景
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5-2 繁華街の喧噪はまだ当分

 彼女は制服を着替え、私服であたしの対面の席に座っていた。


 公私のけじめを付けるという事らしいが生真面目なものだ。そもそも昼間の販売所でのやり取りだって、職場外での業務なのだから制服でなくとも良かったはずである。


「こんな居酒屋のボックス席なんかで良かったの?」


「こんな雑然とした場所で誰も聞き耳なんて立てませんよ」


 機密云々(うんぬん)の話では無くて、話をしたいのであるのならもっと落ち着いた場所の方が良かったのではなかろうか。込み入った内容のようだし、でなければ彼女がわざわざ出向いてくるとも思えない。

 そもそも末端も末端、損耗前提で現場に駆り出されている受刑者相手に何の話が有るというのか。捜査員なら未だしも彼女は事務方の人間なのである。


「それで何の話なの」


 一番最初のナマ中ジョッキを干してからそう切り出した。


「何のコトです」


「白々しいわよ。話が有るから引き留めたんでしょう」


「たまには現場の方とも交友を深めるのも良いかと思い立ったもので」


「よく言うわ」


 二杯目のナマ中が来て受け取った途端、半分まで飲んでその場で三杯目を頼む。持ってきた店員が苦笑しているのが見て取れた。


「ま、話が有ろうと無かろうと、あたしはタダ酒が飲めるのならそれで構わないのだけれどもね」


「料理もまだ来ていないのによくそれだけ飲めますね」


「食事はほろ酔いになってからが美味しいものよ」


「ほろ酔い?」


 彼女は自宅に訪ねて来た托鉢僧が、いきなり生命保険の勧誘を始めた時のような怪訝な眼差しであたしを眺めていた。




 彼女の口がようやく開き始めたのは、手にしているナマ中の後のチューハイがグラス半分くらいになってからの事だった。


邑﨑(むらさき)さんはいつまで今の生活を続けるおつもりなのですか」


「愚問よね、判っているクセにわざわざ訊かれるのは良い気分じゃ無いわ」


 あたしはもう六杯目のナマを空けるところだった。いや七杯目だったろうか?


「刑期が明けた後のことを訊いているのです」


「燃やされて無くなっちゃうわよ。死体の行く末なんて端から決まっているじゃない」


「それで良いんですか」


「良いも悪いも決定事項だからねぇ」


「決定事項ではなく選択肢の一つです。まだ生きることも出来ます」


「既に生きてないわよ」


「法規的な話をしているのではありません」


「まぁ確かに死者とは言えないかも知れない。くたばった者は呑んだり喋ったり出来ないもの。けれど滑稽こっけいな話よね。生者であること否定されているのに戸籍はそのまま。しかも法の名の下に束縛されて刑を執行されている。

 生物学的な話は置いといて、なんて中途半端な存在だこと」


「・・・・」


「邑﨑克彦なる人物が生まれてもう五十年以上が経っているわ。あたしはその人物の記憶と性情に従って活動している肉人形に過ぎない。彼という人間はもう死んでしまっているのよ。遠い昔にね」


「でも本当はそう思っていらっしゃいませんよね。戸籍を残しているのがその証左です」


「邑﨑紀子のものだけれどもね」


「未練があるのではないのですか」


「あたしに何を言わせたいの。もう充分だろう自由にしてくれ、俺の人生を思うがままに生きさせてくれとでも喚けば納得してくれるのかしら。それとも妹を、紀子を返してくれと泣き叫んだ方が悲劇の主人公っぽくて良い?」


「茶化さないで下さい」


「じゃあ逆に訊くけれど不本意じゃ無い終わり方、完全に満足しきってお迎えを受けられる人間はこの世にどれほど居るというの。お望みの結末なんて、訪れない方が当たり前なのではなくて?」


「望めば生きられるのに放棄するというのは、それを得られない者への冒涜ぼうとくです」


「刑が明けても焼却処分か再契約かの二者択一。契約を更新してもそれは刑に服している時と何ら変わりはないじゃない。折角自由に為れたのにもう一度首輪を着けろと言うの?そしてまた延々と際限の無い血まみれの駆除作業、それに勤しめと。

 あたしならまっぴらゴメンだね」


「一緒じゃありません。刑期が明けた後は特待契約に格上げされます。様々な優遇措置が受けられます。実績次第では一般の人と変わらない生活だって夢ではありません。一方、死を選べば全てが無です。何も残らないのですよ」


「誰だって死んじゃうわ。例外はないでしょ」


「だからこそです。生きて居れば浮かぶ瀬もあります」


「あのさ、何かあったの?」


「先日、死体判定された再生者の処分が実行されました。邑﨑さんが出向いた事件の方のです。また一週間ほど前にも使い手の方が刑期を満了し処分を選ばれて、その方もほぼ同日に実行を完了しました。書類を揃え最終確認を行なったのは私です」


「成る程。使い手はあの長老かしら」


「はい。二つ名はそれですけれど見てくれは少年そのものですよ」


「そうね。でもそれを云ってしまえばあたしも変わらないわ。彼は刑期をどれ程短縮出来たの」


「三一四年を九七年で」


「ソイツは凄い。頑張ったんだね」


「何故死に急ぐのですか」


「自由になりたいからよ」


「死ぬことが自由だと?」


「違うかしら」


「ふざけるな!」


 彼女はチューハイのコップをテーブルに叩き付けるとそのまま立ち上がっていた。

 あまりの怒声に騒がしかった店内が一瞬で静かになった。店員や客の皆もそうだが、相対していたあたしの方がもっと驚いていた。彼女がここまで感情を露わにしたのを初めて見たからだ。


「あんたらはいつだってそうだ。なんでもっと生き足掻かない。

 もっと生きたいってなんで考えない。『もういい』だの『これで充分』だの、上から目線でのモノ言いしてんじゃねーよ。したり顔で偉そうに達観しきった説教垂れやがって、何処の怪しい教祖さまだ。

 見てくれ若いがてめーら皆中身はよぼよぼのしおれきった腐れロートルだ。カビの生えた発酵食品だ。木乃伊ミイラ寸前の廃棄物、人間の絞りカスだ。判ってんのかこの死体愛好家ネクロフィリアのシスコン野郎!」


 一気呵成いっきかせい啖呵たんかで在った。


 あたしは呆気にとられてジョッキ片手に固まったままだった。


「あの、お客様。何か至らぬ点がございましたか」


 不安げな男性店員が声を掛けてきて、そこでようやく彼女も我に返りストンと席に腰を下ろした。あたしが苦笑交じりに言い訳をする。


「騒がせてごめんなさい。ちょっと議論でエキサイトしちゃって」


 ナマをもう一つ頼むと彼女はお冷やを頼み、店員は少し安堵した様子で引き下がっていった。




「派手に酔ったわね」


 しばらくトイレに籠もっていた彼女だったが、店の外で少し待っていると直ぐに出てきた。顔色は未だ少し青い感じではあったものの、足取りはしっかりしていたから問題はあるまい。


「会計はもう済ませたから」


「すいません、みっともないところを見せてしまって。幾らだったのですか、全部持ちます」


「いいわよもう。酔っ払いの銭勘定ほど怪しいモノは無いんだから」


「じゃあ後で。レシートを下さい」


「良いつってんのに」


 更に食い下がるモノだから折れて手渡してやった。


「正直、あたし等の行く末に気を揉んでたらこの仕事やってらんないよ。その二件だって初めての体験じゃなかったろうに。辛いって言うのなら、別の仕事を見つけることをお薦めするね」


「守秘義務にがんじがらめにされますけどね」


「それは今も変わらないじゃない」


「仕事は続けますよ。私が辞めた所で何かが変わる訳でもないし、替わりの誰かが同じ事をするだけですから。邑﨑さんは何故今の仕事を?本気で自由に為りたいというのなら唯々諾々(いいだくだく)と従う必要は無いでしょうに」


「ああもう蒸し返すのは止めて」


「そうではありません。目標というか自分に課したモノというか、そういうものが在るのかと思ったものですから」


「取り敢えずビールはもう少し飲みたいかな」


「まだ呑むつもりですか。いえ、そう云うことではなくてですね」


「たぶん明日訊いても同じ返答だと思うよ。あなたも含めて皆一緒なんじゃない?今この瞬間をやることで精一杯でしょ。先の事は分からないわ。

 目標とえばそうねぇ、取り敢えずはこの手首のカウンターをゼロにする事かな。他の同類がどう考えているかは知らないけれどきっと似たようなもんだよ。長老だって割とソレで満足してたんじゃない?」


「そんな理由で」


「サラリーマンが必死に貯金するのと変わらないわよ。ただの数字だけれども目標くらいにはなるでしょう。死ぬのはいつだって出来るのだし」


「お金が無いと私たちは生きていけませんよ、ゲームのスコアじゃないんですから。それに守るものが在るのと無いのとじゃあ大違いです」


「ちょっと前にも似たようなこと言われたわね。誰から云われたんだっけ」


「やっぱり色々と投げてますよね」


「長く生きていると憶えてなきゃ為らないことが増えてくるの。咄嗟とっさに出てこなくなってくるのよ」


「老化現象でしょう、単純に」


「言ってくれる」


 ちょうど其処そこで呼んでいたタクシーが来たので彼女はそれに乗った。


「一緒に乗っていかないのですか」


「もう一軒寄ってから帰るわ」


「お金も無いでしょうに」


「今はあるわよ」


「お好きになさって下さい。でも最後に一言、コレだけでは云って置きたいのです」


「なに」


「中身は男のクセにJKのふりして女言葉まで使って。気色悪いったらねぇよ」


「・・・・ホントに言ってくれるわね」


 彼女はにっこりと微笑むと軽く手を振りドアが閉まった。タクシーのテールランプを見送りながらやれやれと溜息をつく。


「もう克彦だった頃よりも、今のこの姿の方が長いんだけれどねぇ」


 あんなぐだぐだの受け答えで良かったのだろうか。彼女はお望みの答えを得る事が出来たのか。しかしだからと云って別の回答をしろと言われても困る。まるで思いつかないからだ。


 別れ際の表情に昼間の時のような険や陰りは無かった。ウサを多少でも払拭出来たのなら何より。あとどう納得するか、それはもう彼女自身の問題である。


「お互い因果な仕事だよな」


 そう呟いたところで初めて、彼女の名前を知らない事に気が付いた。制服姿の時には名札は付けていたはずだ。何故その時に確認しておかなかったのだろう。いやそもそも本当に付けていたのか?


 ちょっとだけ真面目に考えたのだがどうしても思い出せない。脳裏で老人という単語と、想像の彼女がせせら笑っている。焦りでじわりと額に汗が滲んできた。


 いやいやこれは単純に迂闊うかつであったというだけで、歳をとったせいなどではない。断じて、だ。


 暗がりの何処かでにゃあと猫の鳴く声が聞こえた。


「デコピン付き合え。今夜はトコトン呑むぞ」


 返答を待たず相棒が付いて来ているかどうかも確かめず、あたしは次のネオンを目指して突き進んだ。


 繁華街の喧噪はまだ当分静まりそうにも無かった。

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