表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第五話 日常殺風景
30/89

5-1 本当の目的はこれ

 立て続けに仕事が混み合うのは毎度の事だが、仕事と仕事の合間に待機時間が生まれる事もまたよくある事だった。


 そういう時は大抵、精神補填物質充足期間と勝手に取り決め、必要物資の買い出しに当てるのが邑﨑キコカの常であった。


「世界はビールと珈琲を中心にして回っているのだ。気付いていたかねデコピンくん」


 何時ものように毛むくじゃらな相棒は半眼で興味もなさげな表情で論説を聞き流していたのだが、道行く彼女は特に気にした様子もなく、鼻歌でも漏れ出てきそうな足取りの軽さがあった。


 向う先はとある業務用清掃用品取扱所。かなり大手の商会で取り扱っている品の種類も数も尋常ではない。いま住んでいる場所からは少し離れていて、公共交通機関を乗り継いで行かねばならないが苦では無かった。

 そしてそのついでに「生活必需品」の購入を行なう予定である。


 今回は己の意思決定に基づいた行動であって、決して命じられた職務ではない。

 確かに購入するその大半は、業務内容に支障が出ないよう補填する為の消耗品ではあるのだが、自分で選び自分で決定し自分で購入する。決して押しつけではない当人の自由意志による行動というのが大事なのだ。


 故に本日は真の意味で休日であった。

 クソ面白くもない夜間業務に邁進する訳でも無く、今ひとつ掴み所のない現役女子高生達との日常会話に四苦八苦する必要も無い。なんてお気楽で贅沢な一日。ゆとりと安寧の一時と云えよう。


「やはり自分の望む時間をどう捻出するか。ソレこそが人生の意義だとは思わないかね。時間を計るというコトは、己の命の経過を計るということなのだよ」


 本日の彼女は饒舌であった。浮かれる様子がその足取りからも見て取れた。


 一秒一刻時が過ぎるごとに寿命も確実に減っていっているわけだ。

 時は金なりなどという物言いは、自分の命を金銭で勘定している愚鈍で浅はかな見識。拝金主義者の薄っぺらい価値観にしか過ぎん。金を払えば自分の寿命が戻ってくるのかね。


 限られた寿命の中で如何に安心と充実を得るか。その手段の為に貨幣というものが存在しているのであって、それはただの道具だ。


 道具を収集することばかりに目くじらを立てて、貴重な己の時間を浪費するなど愚の骨頂。道具は目標を達成するために使われてこそ意味を持つのである。


「己が望む時間を手に入れ、それを充実させんが為に全てを行使する。それこそ人が此の世に存在する意味、人生の理というものだ。どうだ、何か間違っているかな。反論があるのなら聞こうじゃないか」


 キコカのすぐ目の前を行くほぼ全身真っ黒な白黒のブチ猫であったのだが、彼女のご高説には一瞥もくれずただトコトコと歩き続けるばかりだった。長い尻尾は力なく垂れていて興味のキの字も見当たらない。


「素っ気ないふりをしていて良いのかね。金銭出入の権限はあたしが握っているんだよ。後々のことを考えれば嘘でも愛想を振りまいておいた方が得策ではないのかね。後悔は取り返しが付かないからこそ後悔と言うのだ」


 軍資金は潤滑である。先日追加業務への報酬が振り込まれたばかりで購入を目論んでいる必需品はほぼ全て揃えることが出来るだろう。


 先ずは業務用の備品を取りそろえてからだ。それからゆっくりと本命を吟味するとするか。


 キコカは自分でも気付かぬ内に舌なめずりをしていた。




 それぞれの地域には地域ごとに消耗品の購入を行なうための契約販売所があるのだが、民間の企業なのでコチラの事情を知っている筈もない。


 だから工場直販という訳ではなくて、毎回伝票購入によって備品の調達を行なっているのだが今回は其処に予定外の人物が居た。


「なんでアンタが此処に居るんだい」


「何故でしょうね。私もはなはだ不本意ではあるのですけれどもね」


 目の前には地味な制服に身を固めた、三十路に足が掛かるか掛からないかという妙齢の女性が立っていた。セルフレームの眼鏡に髪をシニヨンでまとめている。美人と言って良い面立ちなのだが、不機嫌さを隠そうとしない目付きが周囲に威圧を放っていた。


 如何いかにも会社の事務方といった風情であったが、まさしく彼女はあたしが務める部所の総務を預かる職員。年に一度か二度顔を合わせる程度の面識しかないが、お互いがお互いを面白くないヤツと見なす顔見知りでもあった。


「今回の備品調達には私も立ち会わせて頂きます」


「使う本人が必要と思って購入するんだ。総務や経理からとやかく言われる筋合いじゃないね」


「あなたからの請求書が毎回常軌を逸しているからこうして来ているのです。必要だからと言って無制限に使って良いという理由にはなりません」


「アンタらの支給品がグダグダだからあたしが直々に購入してんじゃないか。二、三回床を擦っただけでもげるモップクロスだの、洗剤とは名ばかりの泡も立たない汚水じゃ出来る仕事なんぞありゃしないわ。一度自分で試してみろ」


「バカ力で擦るからもげるんです。それに漬け置き型の洗剤を石けん水のごとく使う方が間違ってます。アレは五分以上汚れに浸してから、ブラシで丹念に擦れば充分に効果を発揮します」


「教室や講堂一面にこびりついた汚れ相手にそんな悠長なことやってられるか。擦っている端から乾いていって役に立たんわ」


「一息で全面にぶちまけるからです。せっかちなあなたが悪いのですよ。地道は近道という言葉を知りませんか。乾く前に擦れる部分だけ浸して、順番に作業を進めていけば良いだけのことです」


「文字通り夜が明けちまう、ふざけんな」


「一晩で済まそうとするからでしょう。何故そんなに全てを一日で済ませようとしますか」


 入り口で押し問答していても始まらない。あたしはこの余分な付属品を無視することにしてとっとと中に入ると必要な物を物色し始めた。


 契約販売所とはいえ基本業務用専門の販売所なので出入りしている客も業者ばかり。品揃えも当然、一般には販売されていない専用専門のものばかりとなる。


 一般の物より性能が良いがその分価格も高い。更にどれも最低の販売数が束やロット単位なので量がハンパではなかった。


 だが全てあたしが長年使ってきて、「これは」と太鼓判を押した物ばかりだ。これらが有ると無いとでは大違い。仕事の質も跳ね上がるしモチベーションだって変わってくる。モチロン効率だって雲泥の差だ。


 だというのにこの眼鏡をかけた不愉快な付属品は、あたしが選んだ品物のことごとくに難癖を付けてくるのである。


 何故そんなにゴツい柄のデッキブラシが要りますかプラスチックので充分でしょう相手に突き刺す?モップは槍じゃありません。

 クロスは不織布でいいでしょう何故木綿にしますかムダな独りよがりは止めて下さい使い捨てよりは安く済む?どうせ一仕事終えたら廃却するではありませんか。

 レ○ットベン○ーガー社の洗剤なんて不要です過剰な性能です血液成分を分解出来る?隠蔽は他の部所が行なうので無用な気遣いですムダにダブった作業です。

 毒性成分不透過のマスク?あなたに必要なのですか。浸透性の無いロングブーツや前掛けやグローブ作業帽も不要ですどうせ一度使用しただけで廃却するではありませんか無駄な出費です使い捨て前提の商品で充分です。


 すべからくこの調子。まるで際限というものが無かった。


 無理押しゴリ押しなだめすかし、それでも何とか自分の要求の半分くらいは通した。これは勝利と言えば良いのか?否、むしろ彼女の目論見通りだったろう。最初に承諾不可能な要求をふっかけるというのは値切りの常套手段なのだし。


 やれやれ、仕方が無い。


「追加購入分の伝票は認めませんからね」


 一旦伝票を書いた後に別枠の請求書を受け取ったのを見て彼女が釘を刺した。


「心配しなくてもコチラはあたしの自腹だよ」


「どうして?」


「要るからよ」


「・・・・どうしても必要なのですか」


「不要な物を買うはずないじゃない」


「私が指定したものは使わないということ?」


「要らないわ。誰か他の欲しいという方にあげて」


「何故」


「普通の人間は気付きにくいけれど、臭いというのは皆が思っている以上に奥が深く裾野も広いの。アレの鼻も相当利く。あたしら駆除担当者ほどじゃないけどね。除臭というのは抜けも多くて不安があるし、徹底しようとするとかなりの手間を必要とする。付着する物は少なければ少ないほど良い。

 全身防護服という手もあるけれど、アレって五感全部が鈍くなるから余り好きじゃ無いわ。咄嗟とっさの反応が悪くなってしまうし」


「そうですか」


「良かったじゃない、購入予定の半分をあたしに負担させることが出来て。一〇〇パー目的達成とは云えないけれど悪くない戦果よね」


「そうですね」


「じゃあこれで。赴任地への備品発送の方はよろしく」


「はい」


 軍資金は随分と減ってしまったが数日分の飲み代くらいは確保している。主に部屋飲み用だけれども。今夜は豪勢にと思っていたのに本当にやれやれだ。


 そうやって販売所から出ようとしたところで彼女から呼び止められた。怪訝に思って振り返れば、これから少し時間は有るかと聞いてくる。


「あたしこれから飲みに行きたいのだけれど」


「私が奢ると言えばどうですか。今は兎も角、徴収日以降、懐具合はかなり怪しくなるのでしょう?」


 しばらくの間迷ったが奢りの魅惑には逆らえず、気が付けば承諾していた。


 そして彼女がやって来た本当の目的はこれだったのだな、と思い至った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ