4-6 列車がホームに入って来た
「なんてことしてくれたんですか邑﨑さんっ」
殺気走った形相で山根が吠えている。
「ああ、資料室閲覧の許可は頂いてますよ。それともこの建屋は猫立ち入り禁止だったので?」
「何をとぼけた事を言ってるんです。あの法陣を破壊したのはあなたでしょう」
「再発防止の為ですよ。そもそもあたしが作ったものをあたしが壊しただけです。誰に断りを入れる必要が在りますか」
「あれは既に国の管理下に入っている事件の物的証拠です。手を触れることは無論、破損破壊は厳に禁じられています」
「大元の事件は解決し、その下手人もご覧の通り刑に服しています。直近の事件においても当事者は確保済み。主犯はすでに死亡、蘇生者は本人の希望で死体と判定されて廃棄処分が決定しているではないですか。何処に何の問題が」
「現場の一存で管理物件の動向を決めるなど」
「ヤツを追い返せとおっしゃったのはあなたでしょう。あたしはヤツを穴に返した。そして蓋をした。そのままだったらまた開きますよ」
「三十年間開かなかったんです」
「でも三二年目に開いた。此処は逆に危機管理能力を問われるところだと思いますけどねぇ」
「・・・・・」
「三十年以上使えなかったんですよ。きっとこれからも使えなかったでしょう」
「あなたが協力すれば或いは」
「今までそんな話はとんとやって来なかったですね。おそらく上もそんな気はさらさら無いんでしょう。穴が開いているから取り敢えず持っておこうかな、といった程度の話で。ただの貧乏人根性です」
「軽く言ってくれますね」
山根は諦めたかのように溜息をついた。
「まぁヤツを落とした勢いで壊れてしまったと、そういうことにして置いて下さい。それよりもその右手、折れていたそうですね。申し訳ないです」
「ただの亀裂骨折です。二週間もすればギプスは取れるそうで」
スーツ姿でギプス付きの腕を吊る姿は少々痛々しかった。袖を通すことが出来ないので、シャツもジャケットも右肩ははおったままの状態だった。
そして、床に散らばった書類と今し方印刷し終わったものをまとめると、彼の前に差し出した。
「何ですコレ」
「死霊の書の序章書き下し文です」
「えっ!」
「今のあたしに読めるのはこの程度までですね。あの当時だったら全部読めたのですが、もう無理です。
一度、読めるところまでは全部書き出して提出したのですが、何処かで止められたらしく、各部署には行き渡らなかったようですね。序章は禁則事項の羅列に終始してますが、開いた穴の元栓を閉める程度の役にはたつでしょう。
開くのは全く別の手順が必要なので叶いませんが、現場で必要なのはこちらの方かなと思いまして」
テキストデータの入ったメモリも手渡すと、好きに使って下さいと言った。
「良いのですか、こんなことをして」
「さあ。でも折った腕の分の埋め合わせくらいはやっておかないと気分が悪いです」
「・・・・邑﨑さん。あなたがこの本に手を出す切っ掛けになったあの事件で、その目撃者たちがどのような処置を施されたのかご存じですか」
「当時のクスリは今ほどの効果が無くて、繰り返すことで沈静化させたと聞いていますが」
「あなたはその処置を施された記憶がありますか」
「記憶が無いから効果があったと、そういう事なのでは?」
「そう思っていること自体がおかしいと思いませんか。再生する以前は一般人だったのですよ。受刑者であったとしても例外では無い。なのにあなたは事件を全部憶えています。その事を今の今まで全く疑問に思っていません」
「あ・・・・」
確かにおかしい。記憶を消されたのなら、クスリを打たれた記憶も事件の概要も、どちらも一緒に消えて居る筈だ。
そこで彼は少し自嘲し小さく息を吐いた。
「クスリの効果云々ではなくてやり方そのものが今と違っていただけです」
山根という名の公安捜査員は言葉を紡ぐ。
日常的に暗示をかけて、『食い食われるのが当たり前。バケモノが出るのも当たり前。交通事故にあったようなものだ』と関心が薄くなっていただけです。
報道が事実とは違うけれど特に興味を抱かない。もしくは気付くことすらない。いつも通りの生活が送れるのだからソレで良い。
誰だってニュースやゴシップよりも自分や家族、平穏な日々の方が大切です。
「まぁ当時のあなたは色々と必死で、それどころではなかったのでしょうが」
あたしは二の句が告げれなかった。
「平行して専用のサブリミナルも行ないます。ですが、そんなにガチガチにする必要はありません。無論、事件の起きたその中心は集中的に行ないますがね」
「物的証拠はどうするのです」
「完全な隠蔽は不可能です。でも誘導し、錯覚させることは難しくありません」
「錯覚」
山根は言う。重要なのは思い込みとその誘導なのだと。
一般的には新聞の社説であったり、ニュースキャスターの論調であったり、識者の意見やその反論、そして様々な異論や否定肯定などもろもろ。
噂話や流言飛語も便利な道具。
科学的データもまた然り。実数値よりも、らしい数値に皆飛び付く。
更に違和感を感じた者は、反論反証すればそれが自分の考えだと信じてしまう。
特別な技術は不要。
大事なのは『自分たちで考え、議論し、選択した』そう錯覚してもらえればソレで良い。最終的に群れというのは大勢に流れるのだと。
「先頭を誘導すればコントロールし易いです。違和感を感じない、コレが普通だと思ってもらえることが需要なのですよ」
「・・・・」
古来より使われている手法だがテッパンで効果も高い。これに深層心理に作用する暗示をかければ更に強固なものとなる。一気に大多数を処理することが出来る。
統治する側からすればこちらの方がやり易いが、自殺者も激増した。それで今のやり方に変えたのだと、そう苦笑するのだ。
「どうやら生きる意欲そのものを削り落とすようで。特に大きなトラウマや非日常的な不合理に出会った時に顕著なようなのです」
ああ、それでか。
ある時を境に身体の何処かに巣くっていた澱んだ濁りが唐突に小さくなってしまった時期が在った。己を殺すなど阿呆らしいと思うようになった。どうせいつかは死ぬのに何故急ぐ必要があると思うようになった。
その頃に暗示を掛けるのを止めたのではないのか。死への渇望が無くなった途端、急にあの本を読めなくなっていったような気がすると、言われて初めて思い当たった。
淵から遠のいてしまったからだ。現在に生きる糧を見いだしたからだ。
逆に言えば、アレは死の暗示が無ければ読むことが出来ないということになる。
いやはや正に死霊の書だな。
「以後、ピンポイントで目撃者の短期記憶を操作する今の方法に変えました。手間は格段に掛かるようになりましたがね」
自嘲めいた苦笑であったが、何処か告解にも似たニュアンスがあった。
「記憶を持っていても疑問に思わない者と、疑問を感じても記憶を持っていない者とのギャップを埋める為にアコギなこともやって来ました。ネット社会になってからは特に。それ以外にも色々と、話し出すときりがありません」
「・・・・」
「多分これからも我々は似たようなことを続けるでしょう。折れそうになったことも一度や二度ではないです。
でも、そんな時に災厄の元を塞ぐ手立てがあるのだという事実、その後ろ盾はどんなに有り難いことか。どれだけ励みになることか。感謝します」
「いまのお話、過去の暗示云々は禁則事項に抵触するのではないのですか」
「あなたが黙っていればどうということはありません。それに、使い手の方にまで暗示を掛けっぱなしにしておくというのも妙な話ですしね。いつ何時どんな足を引っ張ることになるか判ったものではないですよ。リスクの芽は小さい内に摘んでおかないと」
「学習しましたね」
「いやな物云いです」
そう言うと二人して小さく笑い、足元ではデコピンが五月蠅そうに身じろぎしていた。
「今回あんたはまったく何もしてないね」
バスケットの小窓から窘めるべく声を掛けると不機嫌そうな金色の目が覗き返していた。
コイツが今回やったコトと言えば教授を路地に追い込んだくらいのことだ。それ以外はただ惰眠を貪っていただけだと言うのに、自分と等しく報酬を受ける権利があるというのはどういう事なのか。
不合理である。
「カリカリの量を以前と同レベルにしても文句は無いよね?」
そう言うと「にい」と憤懣やる方ない声で返事があった。
あたしはいま、山根さんにJRの駅まで送ってもらい駅のホームで次の列車を待っていた。
どうせ仕事は終えたのだ。焦る必要もなくのんびりてくてく歩いて行くつもりだったのだが、彼が是非にと云うのでお言葉に甘えることにした。クルマの中で彼から専用の連絡キーコードをもらった。
部外者に手渡して良いものでは無かろうに。だが埋め合わせ報酬の一環だという。
「これはあなたの一存ですよね」
「邑﨑さんは秘匿部所とはいえ我々の上位組織に属してますから、部外者とも言い切れないでしょう。
此処だけの話ではありますが、我々末端も縦割りの組織図には些か辟易しているのですよ。現場レベルでの横のつながりは決して無益ではありません」
「そういう事でしたらありがたく頂きます」
クルマから下りるときに「また何処かで」と言われて思わず苦笑で返してしまった。教授のメモを思い出したからだ。
また何れかの淵、か。
雲の多い空だがよく晴れていた。
一時間に一本程度のローカル線だ。自然と気の抜けた気分にもなる。同じくベンチで待ち合わせしていた親子連れの家族が居て、小さな男の子がバスケットの中のデコピンを発見して嬉しそうな声を上げていた。
あの腹黒上司のことだ。きっとあたしがあの法陣を壊すと見越して派遣したに違いない。
と、同時に公安の末端部所との接点も増やしたかったとか、その他諸々の思惑もありそうだった。
この地区に詰めている同僚は居るのだからこの程度の業務で自分を呼び出す意味は薄く、自分の意思でやらかしたと思っている諸々の出来事も、実はきゃつの描いた絵図通りなのかもしれなかった。
「腹立たしいわね」
しかしだからと言って、あの上司の思惑を全て知りたいとは思わない。迂闊に足を突っ込んだら間違いなく理不尽な災厄が降りかかって来る。断言できた。
生涯飲むビール全てを賭けても良い。
「まぁ、あたしは何も知らない飼い慣らされた猟犬で充分だわ」
為政者の手で首輪を付けられたヒト為らざるモノが、バスケットに閉じ込められた家畜を手に地方都市を点々とする。
それはそれで面白い日常なのかもしれない。
不平不満を垂れた所で状況が打開される訳ではないのだし、手首のカウンターがゼロを示すその日まで、淡々と命じられた業務を遂行するしかないのである。
ホームにアナウンスがあって、目的の列車が到着するのだと知った。それ程長くは無い旅程ではあるが、たまには車窓からの風景を眺めボンヤリと呆けてみるのも悪くはなかろう。
ベンチから立ち上がると男の子が名残惜しげに猫へ手を振って、あたしにも「ばいばい」と言ってくれた。
「じゃあね」
軽く笑んで返すと、大きめの唸りを響かせながら四両編成の列車がホームに入って来た。




