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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第四話 ノロ教授
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4-5 書類が何枚か宙を舞って

 不意に肩をつかまれて反射的になたを抜いた。


 受け止められる感触があって何か声が聞こえてくる。耳を澄ませてみれば自分を呼ぶ声だった。


「・・・・さんっ。邑﨑(むらさき)さんっ正気に戻って下さい」


 肩越しに振り返って見れば、山根とかいう名の男が必死の形相で鉈を握るあたしの拳を受け止めていた。青ざめた顔色が尋常では無い。後ろには先程の警官の姿もある。こちらは目をいて硬直していた。


「山根さん・・・・」


「わたしが分かりますか、良かった」


 あからさまな安堵の吐息だった。


 気が付けばあたしは床に片膝を着いた姿勢で上半身だけを振るっていた。至近距離で勢いが着く前だったから良かった。完全に振り抜くタイミングだったら彼の掌をね除け、そのまま腕を切り落としていたはずだ。


 鉈を鞘に納めて立ち上がると頭を垂れた。


「すいません、あたしどうなっていましたか」


「この部屋の中で片膝を着いてうずくまっていました。何度も声を掛けたのですが返事が無くて。肩を叩いたらいきなり」


「申し訳ない、どうもヤツのまやかしに引っ掛かっていたみたいで」


「邑﨑さんほどの方がですか」


「なまじ見知った相手だったので油断しました」


 その時になってようやく、胸元に二つ折りされたメモ用紙が差し込まれているコトに気が付いた。拡げてみると見慣れた文字で何事かが記されている。




 キコカくん。久方ぶりに会えて嬉しかったよ。豚肉のブロックだけでは物足りないので、きみの記憶を少し読ませてもらった。なかなか興味深く、少なからず探究心が刺激された。今回はコレにて等価としておこう。

 ではまたいずれかの淵で会おう。息災でな。




 思わず苦笑した。やれやれ妙な所で律儀な教授である。その気になれば、あたしごとほふれたものを。


「それでヤツは?」


「穴の向こう側に戻ったようですね」


 そう言ってメモ用紙を折りたたむと、スカートのポケットの中に押し込んだ。がらんとした部屋の中にはもう、あのヒリつくような不快感は無い。ただうつろなもの寂しさがあるだけだった。


 法陣の脇に置いてあったスーパーの袋は、綺麗さっぱり消え失せていた。




 当時の新聞記事に目を通してみた。


 センセーショナルで派手な記事が乱舞し、次第に尻つぼみになってやがて忘れられてゆく様はどの事件も同じだが、こと自分がしでかした事柄、通称「○○地区女子高生活人(・・)事件」に関しては驚くほどに記事が慎重で大人しい。


 発端の事件が余りにも派手だったということもある。

 表向きは薬物中毒者が刃物を持って文化祭の行なわれている学校に侵入。生徒八名、教員一名を殺傷。その場で解体を始めた。

 日本の犯罪史上でも極めてまれで残虐残忍な凶行、という事になっているが、マスコミを含めてそれを信用した者が果たして何人居たことか。


 あの惨状を目の当たりにすればとても人間(わざ)では無いと確信出来る。そしてその場に居合わせた衝撃をどう言い表せば良いのか見当もつかない。ましてやそれが肉親であれば尚更なおさらだ。


 何時いつもと変わらぬ目覚め。何時もと変わらぬ朝食。冗談を交わして出かけてゆくその後ろ姿を見送った。その妹がわずか数時間後に物言わぬただの肉塊に成り果てるなどと、誰が想像できるのか。


 あの時どうにか出来なかったのかと、悔いぬ者が居るのか。


 当時の自分が精神の平衡へいこうを欠いていたことは間違いない。


 ならば今は真っ当なのかと問い返されれば躊躇ちゅうちょせざるを得ないが、あの頃よりは随分マシだとは言える。何しろ寸暇すんかを惜しんであの禁書を読みふけり、再生への道筋を見つけることに躍起やっきになっていたからだ。


 普段の精神状態ならばその内容そのものを信じはすまい。


 だが不幸にも(当時の自分としては幸運にもと言うべきか)件の本を教授の蔵書から見つけ、彼の御仁が淵の奥に沈んだと思しき、無数の研究ノートと実践記録を発見してしまったことが事の始まりだった。


 それに寄れば、この本は死者をよみがえらせることが出来るらしい。


 しかもそれは妹に不幸が降りかかる以前であったのだ。

 タイミングは良かったのか悪かったのか。


 平常ならばイカレたオカルト研究録と一笑に付して終わるだろう。


 しかし溺れる者は本当にわらにもすがる。比喩などではないと身をもって知った。


 教授の残した研究ノートと実践記録や様々な写真を発掘し、その鬼気迫る内容に肌が粟立つのと同時に、その異様な説得力に「よもや」とすがってしまったのだ。


 教授もまた、失った家族を取り戻そうとしていたのである。


 そして叶わぬまま淵に堕ちた。




 ってしまった者ともう一度会いたい。

 妹の笑顔をもう一度見たい。

 あんな、むごたらしい死に様であって良いはずがない。

 あの子はまだ高校生なのだ。呼び戻すことが出来るのならば、如何いかなるものでも支払おう。


 やがて己の願望以外何も考えられなくなった。


 バラバラの肉塊だった妹の遺体を冷凍保存することを思いつき、大学の冷凍保管庫の片隅に隠した。


 それが踏み外した第一歩。前に進み出したらもう止らなかった。坂道を転がる石が次第に勢いを増してゆく様に似ている。ドン突きに当たるまで止るはずがなかった。




 教授(いわ)く、ヒトという種は無意識の領域でつながっている。


 全人類は全て繋がって一個の存在、一つの意識を形作っているのだそうだ。世界中のパソコンをネット通信で連結し、グリッドコンピュータ化して一個のスーパーコンピュータとして稼働させるのにも似ている。


 だがそれを日常で感ずる事は出来ない。それは自分で自分を制限しているからだ。知ってしまったら取り返しが付かなくなると、本能的に知っているから。

 生身の脳一個では、「真実」を受け止めるコトが出来ず発狂してしまうらしい。


 無意識そこには自分の全てが記録されていて、それは本人が死んでも消えることはないのだそうだ。無意識は死者から生者、過去から現在まで全ての脳が連結している状態、そう教授は云う。


 例えるなら、ネットのクラウドサービスが一番近い概念か。


 ヒトは死んでも、その記憶や人格は無意識に記録されて残る。

 ゆえに自分の父も母も祖父も祖母も、さらにその両親も、それから何世代(さかのぼ)ろうと、「はるかな太古」から消えること無く、その全てが延々と蓄積されているのである。


 それが本当なら途方もない叡智えいちだ。

 そしてそんなモノを一人の人間が受け止められる筈がない。自我や理性が吹き飛んで当然とも言える。


 しかし、である。その全ては受け容れられないが、怒濤の流入をき止め、巨大な溜め池のようなものを用意し、取捨選択することは出来ないだろうか。欲する知恵のみを選んですくい上げることが出来るのではないか。

 ちょうど底が見えない程の深く巨大な泉のほとりたたずみ、コップでその清水をすくって飲むように。

 巨大な図書館で自分の好きな本を選ぶように。

 ゆえに教授はソコを「淵」と呼んだ。




 淵の奥を覗き込むことが出来れば、本を完全に読み解くことが出来る、と教授は考えた。


 メモと所見によれば、この本の原本は恐らくヒト為らざるモノであって、ヒトの言語とはほど遠い。


 人類の言葉が、人種地域国などが異なっても翻訳することが出来るのは、同じ生き物の言語野から生み出された言葉だからであって、自分達でも気付かない内に人類共通の文法に則っているからである。

 平たくえば、人間は人間以外の言語を理解することが出来ないのだ。


 だがこれをヒトの言葉で書いたのは間違いなくヒトだ。ならばそれを読み取ることが出来ないのはどういうコトなのか。


 読み解く為のカギは間違いなく淵にある。だがその淵への扉を開く案内書がコレとはとんだ皮肉だ。カギの掛かった箱のカギが、その箱の中に在るようなモノだ。


 そこでふと気付いたのは、これを書いた当人は果たして普通の精神状態だったのか、というコトだ。


 教授は、発狂の精神状態が無意識の領域とつながり易いのではないかと予測した。自我の抑制が一番脆弱な状態だと考えたからだ。その状態でこそ初めて、この本の真意を読み取れるのではないか。


 でもだからといってそれを容易く実践出来るはずがない。異常な状態で冷静な分析が出来るはずもないからだ。





 正直に言えば、自分が何故なぜこれを読めるようになったのか分からなかった。


 ある日突然文字と文法の法則性を見いだして、その後はもつれた糸が解けるかのように読み進めることが出来るようになった。まるで試験中に模範解答を耳元でささやかれたかのようだ。


 幾度いくどとなくリストカットを繰り返したせいなのか。

 それとも農薬を飲んでは自殺に失敗し、悶絶してのたうち回り死の淵をのぞいたせいなのか。

 それともきらめきまばゆいだけの絶望に呆然とした日々を過ごしたためなのか。

 理由はとんと見当がつかなかった。


 よく聞く、「本に認められた」という逸話が一番ぴったり合いそうだ。

 あるいは、何かのタイミングで淵をのぞき込んでいたのかも知れない。




 その後の顛末は、自分の自供と事件のあらましを追ったマスコミの記事(事実とはほど遠いが表向きの全体像)や警察の事件報告書の方が詳しい。当の本人が忘れてしまったことまで、子細漏らさず実に緻密に記録されている。大した物だ。


 特に面白いのはゴシップ記事で、大手新聞社の行儀の良い記事とは事なり『死者再生は密教の秘技によって生み出された』とか、『秘密結社が闇の怪物を呼び出しそのあおりで高校生は惨殺された』とか、『政府がひた隠しにする宇宙人の技術で細切れになった死者をつなぎ合わせて人間を作り上げた』とか、正に玉石混交ぎょくせきこんこう真偽乱れて実に興味深い。

 微妙に事実を突いている部分と全くの空想部分とが混じり合って、絶妙な味わいを出している。


 白眉は『とある殺人事件の被害者の兄は、精神に異常をきたし悪魔と契約した。自分の脳を殺された妹の身体に移植して再生者として復活。現在もその犯人を追っている』とするオカルト記事で、これは自分がやったことそのままではないかと思わず笑ってしまった。


 中途半端なスクープ記事から、想像力豊かな記者がひねり出しているのだろう。


 あるいはひょっとして、事実の一部を小出しにしてトンデモ記事として流布し、世間の常識との間に一種の緩衝材を作ろうとしているのかもしれない。


 万が一何かが洩れたときに備え歪んだ予備知識を流し、またしても荒唐無稽こうとうむけいな話が出たと、そんな具合に認識してもらえるように。


 全くのゼロよりも、慣れ親しんだ情報で紛らわす方が隠蔽いんぺいもし易かろう。




「こうして読み返すと資料編纂(へんさん)業というものも莫迦に出来ないもんだ。良くまとまっていて分かりやすい。事件の概要が手に取るかのように判る。そう思わないかねデコピンくん」


 足元にうずくまるほぼ真っ黒な白黒ブチ猫は、眠たそうな目で軽く一瞥いちべつしただけで再び目を閉じてしまった。


 唐突に廊下を慌ただしい足音が近付いてきて、いきなり資料室のドアが押し開けられた。

 その勢いで風が起き、プリンタで印刷中の書類が何枚か宙を舞って床に落ちた。

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