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えげつない夜のために  作者: 九木十郎
第三話 腐臭
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3-6 自分のねぐらへと帰って行った

 人気の無い敷地は驚くほどに音の通りが良いモノだから、不穏な気配は遠くからでも直ぐにそれと知れる。北側の駐輪場置き場を背に立てば、街灯に照らされる白い校舎の壁に一人分の影が張り付いていた。


「あんたまだ居たの」


 深夜の校内を巡回していて奇妙な人影があるなと思えば、何のことは無いコイツだった。


「ご挨拶だなぁキコカちゃん、でもそれはボクの台詞でもあるよ。仕事は終了したんでしょう?」


「一週間の事後観察よ。それで異常が無ければそれで初めて終了というのよ」


「相変わらず生真面目だなぁ、そんなの監査官に丸投げしちゃえばいいのに」


「そうはいかないわ。それよりも」


 言葉を切って深めに目をわらせると、ヤツの軽薄な笑顔が更ににこやかになった。


「夏岡十里、ナニをしてきた。なんの帰りだ?」


「なんのこと?」


「とぼけて誤魔化せるとでも思っているの。あんたほどじゃないけれどあたしの鼻はまだ鈍っちゃいないわ」


「やだなぁそんなに怖い顔しないでよ。単にボーナスで遊んでいただけさ」


「ボーナス?」


「今回の仕事っぷりがボクの上司に高評価でね、報酬以外に五日間の滞在が許されたのさ。勿論もちろんその間は『規定に抵触しない限り何をやっても構わない』。きちんと許可をもらっているから、とやかく言われる筋合いは無いよ」


「・・・・・」


「今夜は一人だけだよ。ナリ替わりしか相手にしていないんだから何も問題は無いでしょう?居残ったヤツはあんまり居ないんだ、一息で全部ヤっちゃったら勿体ない」


 がん、と硬い音がして飛んできたなたが校舎の壁に突き刺さった。

 その場所は夏岡の首があった場所だった。


「危ない危ない、今のは相当にスリリングだったよ。キコカちゃんは予備モーションが無いから避けるのは一苦労なんだよね」


「相変わらず口は減らないようね」


「口だけじゃない腕前だって健在さ。良かったよぉ先程のあれは」


 夏岡の口上はうっとりと悦に入り、酔い痴れる色合いが在った。


 夜道で何も知らない子を後ろからそっと愛で、鋭い終焉で悲鳴も上げぬ間も無く静かな安息の地へと導いて行く。

 その滑らかな首筋、震える唇、ぴしりと緊迫する細い背筋。熱い脈動が迸り、尊い命が昇天してゆく刹那の瞬きに、吹き上がる奈落への喪失感。

 その一時に訪れるのは、何ものにも替え難いぞくぞくとした歓喜さ。

 ヒト為らざるモノと知ってはいるものの、奪うモノと奪われるモノとの関係が変わる訳じゃ無いからね。正にホンモノそっくりだからね。


 ヒトは自分達の命が特別だと信じて居る。虫や牛や豚と結局変わらないのに、天界の存在から特別にあつらえられたモノだと、そう信仰している。

 でもナイフ一本で簡単に失せちゃうんだ。


 知恵があろうとなかろうと、尊厳や魂なんて幻想があろうとなかろうと、消えて失せれば全てが無だ。

 死後の世界なんて、生きて居るヒトが夢見る妄想でしかないってのにね。


 ほとばしる血潮が教えてくれるよ。コレがきる瞬間、世界の真実を知るんだ。

 生と死こそが生き物のすべてだとね。


 どれだけのモノを積み上げても、死んじゃえば全部ゼロになっちゃうってね。

 生と死は一枚のコインの表と裏、生まれて子を産み死んでゆく。

 死ぬことで次の世代に全てをたくすんだよ。

 そうやって連綿とつながって繰り返される行為こそが命さ。


 だからこそ死は荘厳なんだ。

 生者が食む最高の愉悦と救いなんだ。


 その瞬間をこの手で堪能する。

 この手で為して演出する。


 ボクのナイフは真実のにない手なんだよ。

 夢見るヒトたちにホンモノを教えてあげるんだよ。

 コレが世界だってね。


 そして熱い血潮を吹き出しながら、最後の一時をむかえるのさ。

 恍惚としちゃうね。未だに掌に感触が残っているよ。祝福の声音が聞こえて来そうだよ。たまんないよ。


「この至高の愉悦に比べれば強姦なんて正に下衆の所業・・・・あ、ちょっと!何で予備なんて持ってるの!」


 踏み込む足音と厚肉の刃物が風を切る音が聞こえてきた。

 一回、二回、三回目には悲鳴が混じっていた。


「ちょっと、ちょっと待ってよ。ボクら同士の私闘は禁じられてるでしょう!規約に抵触しちゃうよっ」


「私闘じゃないわ、ただの駆除よ」


詭弁きべんだっ。ちょっと待ってよ落ち着いてっ」


 四刀目を振ろうとして手を止めた。目の前に居たヤツの姿が薄っぺらい影になって、ぐにゃりと崩れて落ちたからだ。


 ちっ。


 そう言えばコイツは目眩めくらましも使えるんだった。


「まったく怒ると見境無いなぁ」


 暗がりの何処かで声が聞こえてきた。右側から聞こえて来るような気もするし、左側からのような気もするし、背後からのような気配もあった。


「お楽しみの余韻で調子に乗っちゃったのは謝るよ。でもナリ替わりごときにムキになるのは解せないなぁ。アレはヒトじゃないんだよ」


虫唾むしずが走るのよ。とっとと此処から失せな」


「ええぇそれは非道いよ。まだ四日も残っているのに」


「それとも、自分の命を賭け金にしてボーナスを楽しんでみる?」


「ああ分かったよ、もう今夜で出て行くよ。

 でもやっぱり本気のキコカちゃんはぞくぞくするなぁ、替わるモノなんて無い。ボクの首を捧げるのはやっぱり君しか居ないよ。キコカちゃん以外のヤツに殺されるのはごめんだね。じゃあまたね。愛してるよ、つぎはぎ姫さま」


 アデューと言ったきり声も気配も消えて失せた。


 と同時に、あたしも大きく息を吐き出した。


 やれやれだ。


「所詮ケダモノはケダモノだね」


 壁に突き刺さった鉈を抜き取ろうとすると、暗がりの中からデコピンがじっとこちらを見つめているのに気が付いた。

「別にあんたのコトを言ったわけじゃないよ」


 鉈を腰の後ろに吊った鞘に納めようとして、足元に何かが落ちていることに気が付いた。拾い上げてみればそれは名札だった。落合と読め、小さな血痕の跡があった。ヤツが落としていったものに違いない。


 果たしてコレを付けていたのはどんな少女だったのだろうか。二回も殺されるなんて全くついてない子だ。

 ナリ替わりはこの名札本来の持ち主であった子の記憶を携えていたはず。最後の瞬間にどんな気持ちで逝ったのだろうか。同じ感情があったのか、記憶を吸い上げると魂も一緒に宿るのか。

 もちろんそんなモノが本当に在ればの話なのだけれども。


「ホント、なんであたしはこんなコト気にしているんだろね」


 無害な愛玩動物なら兎も角、己や家族友人を喰らうモノ相手に忖度そんたくするなど莫迦げている。情を移した挙げ句、自らを窮地に追い込んでどうするのだ。


 ちょっと困ったように笑む中野教諭の顔が思い浮かんだのは一瞬のことで、すぐに消えた。


 また小さく溜息をついて名札はスカートのポケットに仕舞い込んだ。この所どうにもおかしい。こんな状況こんな場面それこそ飽きるほどに見てきているというのに。


 ナリ替わりを始末したことだって一度や二度では無いと言うのに。


「デコピン、今夜はもう帰ろうか」


 声を掛けたのに身動きもせず、ただじっと固まったまま動かない。瞬きもせずに瞳孔の開いた丸い目でじっと見つめ続けるだけだった。


「どうしたの」


 腰を屈めて両手を伸ばし、おいでとすると初めて動き出して腕の中に収まった。火照った毛むくじゃらの身体から心臓の鼓動が伝わってくる。


「疲れたのかい。あたしも今回は疲れちゃったよ」


 時間のせいか昨日よりも少しだけ高めに昇っている半月が見えた。白々とした色合いだったがやっぱりイヤな月だと思った。


 そして邑﨑(むらさき)キコカは猫を抱いたまま、自分のねぐらへと帰って行ったのである。

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