3-5 何ともイヤな光景
大学を卒業して意気揚々と務めた教職。信じていた生徒たち。裏切られ男子トイレで輪姦されたときの哀しみと苦悶。
そしてその男子の一人が突如として人外の「ナニか」に変貌したのだ。そしてそのままこの身体はソレにまで蹂躙された。
驚愕と混乱と絶望、それ以外は何も無かった。一緒に居た男子も残らず食われ、自分はその場で朝まで陵辱され続けた。助けてと幾度叫んだことか。
朝日が昇る頃、屍は残らず集まって来た小ぶりな某かに食われ尽くされていていた。血溜まりすら綺麗さっぱり舐め取られ、自分はそのまま冷たいタイルの上に放り出されていた。
何が起きたのかまるで理解出来なかった。理解したくなかったというのが正しかったろう。身も心もぼろぼろのまま、茫然自失の体で自分の部屋に戻り三日三晩寝込んだ。
そして四日目の朝、じっとしていても何も始まらぬ、少なくとも食われた男子生徒たちの顛末も含め相談する必要があると決心し、登校してみて心底仰天した。死んだと思っていた生徒が皆、何食わぬ顔で席に座っていたからだ。
顔も体つきも受け答えすらも寸分違わぬ、いやむしろ以前より従順で大人しい生徒へと変貌し周囲が驚くほどの「平穏な生徒」に成り果てていた。
どういうことか。
誰かに尋ねてみたかったがそれに相応しい人物は思い当たらず、よもやまさか警察に届け出る訳にもいかない。そもそも信じて貰えるかどうかも怪しいモノだ。
心を入れ替え、模範的な生徒になったというのなら全てを自分の胸にしまい込み、推移を見守るというのも一つの手だと思った。だが、あの場所でのあの殺戮が夢幻であったとは到底思えない。何か自分の与り知らぬ某かがあったのは確かだか、ソレが何なのか皆目見当も付かなかった。
混乱し考えがまとまらぬまま時間は流れ、アレは悪い夢だと思い込もうとした。陵辱劇に混乱した自分が生み出した妄想だったのかもしれないと、そう信じようとした。
だが自分が妊娠したことを知った。この肚の子の父親は生徒の誰かだろうか。それともあのおぞましい何か、なのだろうか。
いやいや違う、アレは妄想なのだ、追い詰められたわたしが見た歪んだ現実。本当のコト何かじゃない。でも、このお腹の子はどうしよう。
堕ろすか否か迷う内、やがてその父親が知れた。あるときずるりと下着の隙間から、触手と思しきモノが這い出てきたからだ。
ひくひくと蠢くソレに悲鳴を上げそうになったが、ぐっと堪えた。嫌悪感よりも自分の腹の中で新たな命が宿っていると、奇妙な感慨の方が勝ったからだ。
生きて居るではないかと、殺してくれるなと訴えているように思えたからだ。
肚の中でソレが蠢く度に、ゆっくりと自分の中の何かが変わって行くのが分かった。これが母になるというコトなのではないかと思った。
やがて教壇に立ち生徒たちを見下ろしていると、どの子が美味しそうなのかと品定めをしている自分が居た。でも特に驚きはしない。腹の子が求めているのだと知っているからだ。
堪らない、と思う。だがその一方で我慢をしなければとも思った。流石に教え子に手を掛けるのは気が引ける。食っても構わない相手が居るのなら別ではあるが。
例えばあの男子トイレの中で狼藉を働いた愚か者とか。
渇望が日に日に強まって行く中である日、下着に血が着いていることに気が付いた。僅かではあるが出血している。我が子が死ぬ、今すぐ肉が必要なのではないかと直感があって胸が激しく騒いだ。きっとそれは絶対に必要なコトなのだと、使命にも似た何かが降り立つ感触があった。
ある日我慢が出来ず、一人の子を相談室に呼び出した。
素行の悪い子だった。真面目に授業を受ける気配も無い学校の問題児。高いハードルを越えて入学してきた生徒である筈なのに、何故こんなモラルや秩序遵守の意識が薄い者が居るのか。理解しがたかった。これが最後の警告と、そのつもりだった。
その腹づもりがあったせいだろうか。「説得」は端から剣呑でそのまま口論になり気が付くと彼を殺めていた。
部屋から出て行く際、後ろから隠し持っていたハンマーで後頭部を打ち、そのまま失神した少年の頭を滅多打ちにした。最初の一撃にぐうと呻いただけで悲鳴も何も無い。呆気ないほどの顛末だった。
何の感情も湧いてこなくて呆然と立ち尽くしていると、何処かで見たあの小ぶりな某かが現れて来て少年の死体を貪り始めた。何匹も何匹も集まって来て、見る間に黒いかたまりが少年だったモノを覆い、食らい尽くしてゆく。
本当に見る見る内に小さくなっていった。ものの見事だった。
待って、と言った。
「それはわたしのモノよ」
そしてその某かと一緒に先を争って生徒を食べた。
味なんか分らなかった。だが必要なのだと信じた。お腹の子も喜んでいるに違いないと、そう思った。この子の死はお腹の子に新たな命を吹き込んで立派な大人へと成長するに違いない。その為にわたしはこの子を授かったのだとそう確信した。
やがて骨すら無くなって、流れた血すらも舐め取られ、血の染みたボロボロの制服だけが後に残った。まるで生徒など端から存在しなかったかのような有様だ。
自分の服も血まみれだが、自分と彼の衣服さえ始末してしまえば証拠すら残らないではないか。
思わずあははと笑った。
この子の変わり身はまた何処からかやってくるに違いない。前もそうだったからだ。
そうだ、コレだ。コレで良いのだ。
素行の悪い者を矯正し素直な良い子へと作り替えてゆく。これが自分に与えられた新たな使命なのだ。正に天恵を受けた気分だった。
一人目を屠ると二人目からは何の呵責も抱かなくなった。これは死ではない、自分の子となって生きる新たな再生なのである。食べないといけない。もっともっともっと。早くしないとこの子が死んでしまうから。
全てを叫び、語りきった後に中野教諭は座り込んだまま放心していた。
焦点の合わぬ目つきでぼんやりとキコカを見つめている。
だが、それだけだった。
「そうよ、そうなのよ。駄目、だから駄目なのよ。この子が居ないと駄目なのよ。だめよだめだめだめだめ。わたしからこの子を奪うなんて駄目よ、だめだめだめだめだめ・・・・」
「先生」
声を掛けてみる。だがもう彼女からの返事はない。
教師だったものは、下腹を大事そうに抱えてぶつぶつと独り言を呟くだけのオブジェと化していた。時折くすくすと小さな笑い声が聞こえてくる。それだけだった。
「壊れちゃったかな」
いつの間に現れたのか、キコカの隣には夏岡が立っていた。
「もう最初から壊れていたのよ」
「最後の安全ピンが抜けちゃったんだね」
日中、夏岡に中野教諭を紹介したらすぐにソレと判明した。
詳しく教える必要も無い。彼女の名前を告げる前に、顔を見た途端一発だった。彼に言わせれば腐敗したアレの臭いをまき散らしていたのだそうだ。
垂れ流しの体液に臭いは無いが乾いてしまえば異臭を放つ。そんな有様で校内を徘徊すればそこら中に臭いをバラ巻くハメになった。本人は意図せず自らをカモフラージュしていた訳だ。
アレの臭いは普通の人間には嗅ぎ取れない。だが中野教諭にははっきりと知覚出来た。それこそ真っ白な紙の上に落とされたインクの染みのように。もうそれはそれは気になって仕方が無かった。
だからあちこちに消臭スプレーを噴霧した。衣服は言うに及ばず、自分の使う椅子机教科書から時には階段の手すりまで。
そして特に狩り場は薬用のアルコールで丹念に拭き取った。それこそ自分でも嗅ぎ取れないほどにまで徹底的にだ。お陰で臭いが奇妙な偏りをみせて余計にまばらな印象となった。
過敏になっていたのは肚の子の影響だろうか、それとも蹂躙されたときに身体に染みこんだ体液のせいだろうか。いずれにしても普通の人間以上に鼻が利いていたのは間違いない。
そして告白があろうと無かろうと教師を続けることなど不可能だった。もう完全に踏み外している。身も心もだ。だからこうして誘い出し問い質したのだ。
「彼女に会うまで、学内に満ちていたのが胎児の腐敗臭だと気づけなかったのはボクの落ち度だ。確かに元から腐ったような臭いで判別は難しいんだけれどもね。でも分かっていたらもっと別のアプローチもあったよ」
彼女がバラ巻いていた消臭剤やアルコールのせいで幻惑されたのだという。
「そう」
言い訳がましい台詞だったがどうでも良かった。自分一人では何ともならなかったのだ。責める資格は無い。
それに彼が自責するほどの手落ちとも思えなかった。たとえ言うように手早く解決出来ていたとしても、今日の解決が昨日であっただけだろう。犠牲者の数は何も変わらなかったのだ。
「でも、こんな普通の女性に前任者はしてやられたのかな」
キコカはポケットの中からスマホを取り出して写した写真を見せた。睡眠薬だの致死性の劇薬名が記された薬瓶や錠剤薬袋だのがいくつも写っていた。
「彼女の部屋で撮ったモノよ。ご覧の通り、彼の遺留品も引き出しの中に有ったからほぼ間違いないでしょうね。何処で手に入れたのかは知らないけれど、ネットの裏街道を徘徊すればそれ程苦労はしないわ」
「一服盛られたってこと?やれやれだね」
使いかけの錠剤は幾つもあったから薬を盛った相手も一人や二人では無かったはずだ。それこそ手慣れたものだったのだろう。
「彼としては、ある程度あたりを付けての接触だったのでしょうけれど、相手が人間だから躊躇しちゃったのかもね。気付いたときに連絡すればそれで済んだのだけれども。あたしたちの相手はアレであってヒトじゃないんだから。
でも所詮それは後知恵、油断すれば明日は我が身よ。お互い他人事じゃないんじゃない?」
「これらからどうするの」
「どうもこうもないわ。ヒト相手の部所に連絡して迎えを寄越してもらうだけ。此処の結界はこのままにしておきましょう。おかしな連中に踏み荒らされては元も子もないし」
「事情聴取は難しそうだね」
「この教室に入ったときから会話は全部録音しておいたわ。報告書に添付して提出するからもう後は上の連中の仕事よ」
「用意周到だね。それに過去の類似事件までよく調べていたよね、さすがキコカちゃん」
「以前の報告書くらい目を通して置きなさい。あなたもプロなんでしょう」
「ボクがプロのDKならキコカちゃんはプロのJKだね」
「下らない」
当局の対処班から人員が到着して、彼らに彼女を引き渡すとそのまま学校を後にした。東の空には少し黄色みがかった半月が気怠そうに町を見下ろして浮かんでいた。
何ともイヤな光景だなと思った。




