3-2 「力不足であいすいません」
昼休みに、本館三階にある非常階段の手すりにもたれかかって溜息をついていたら、後ろから声を掛けられた。
「どうしたの、元気ないわね」
肩越しに振り返って見れば担任の中野教諭だった。
「別に。腹ごなしついでに風に当たっていただけです」
連日真夜中の学内を散策し続けているが、そのことごとくが空振りで終わって些か焦れて来ていた。よもやそんなことを云える筈もない。
「先生こそどうしたのですか」
「下を歩いていたらあなたが居るのが見えたものだから。嗚呼、でも確かに此処は良い風が通るわね」
眼下にはグラウンドが一望できて、血気盛んな連中が腹ごなしにサッカーだのバレーボールだのに興じていた。時折裏返った歓声が聞こえてくる。元気なものだ、秋口とはいえ日差しはまだまだ厳しいというのに。
「何か心配事でもあるの?」
「特には。何故そう思うのです」
「何となく、かしらね。いつも一人だし今も溜息をついていたみたいだったから」
しまったなと思った。
少し不注意だったかもしれない。転入したての自分に気を掛けているのだろうが、これ以上彼女の何某かを刺激し更なる使命感なんぞを煽ったとなれば、地味に厄介。今まで以上に余分な気遣いが纏わり付いてくることに為る。今でもクラスで少し浮いているというのに、これ以上目立つのは勘弁して欲しかった。
それとも浮いているからこそ、なのか?
「授業にはついて行けてる?困っていることとか無い?」
「問題ありません。不安や悩みもこれといって見当たりませんね」
「それならば良いのだけれど。相談事があれば聞くわ。何時でも気軽に声を掛けてね」
「ありがとうございます。成績の事ならばご心配なく。次の実力テストの結果を楽しみにしていてください」
「それは随分と心強い返事ね」
彼女は柔らかく微笑むのだが、そこはかとない不安が透けて見えた。
「先生はご結婚なさっているのですか」
「いいえ独りよ。何故そう思うの」
「何となく、ですかね」
返事をしながら自分でも妙だなと思った。何故そんなことを訊いたのだろう。左手の薬指にリングが無いことは初対面の時に気付いていた筈なのに。
五限目の予鈴が聞こえてきてキコカと女教師は示し合わせたかのように反応し、手すりから離れると踵を返した。そして非常口のドアを開けると、そのまま二つの人影は校舎の中へと吸い込まれていった。
邑﨑キコカはいま食後の団らんの輪の中に居た。
クラスの女子に一緒に昼食はどうかと誘われて、そのまま仲間に入ったのだ。
夜の巡回は仕事なので納得はいくが、このような昼間のクラスメイトとのコミュニケーションというのは煩わしくて辟易する。だが孤立していると彼女に目されればまた面倒くさいことになってしまう訳で、当たり障りの無い話題をやり取りして場を濁した。
今気になっているテレビドラマがどうの、ネット配信の動画がこうの、あの俳優が良いの悪いの見たい映画が有るだの無いだの、どうでもよい話題が目白押しだ。
出来れば周囲のクラスメイトの近況や、友好関係で挙動不審な者が居るとか、学内での怪しげな噂などそちらの方が余程に聞きたいのだが、むやみやたらと訊ねるのは危険だ。今度はどこそこの男子に気があるのか、などと、そんな話になってしまって無駄な時間を浪費する羽目になりかねない。
それともコレが大切な情報収集源にでもなると言うのだろうか。
いや、きっとなるのだろうな。この手のやり取りで生徒たちから違和感を吸い上げて、地道に目星を付けてゆくのだと聞いた事があったからだ。
確か前任者が得意としていた手法だ。おい、くたばる前にあたしに二言三言伝授してくれても良かったのではないのか。
天空に理不尽な要求を突き付けていると、「邑﨑さんは以前何処に居たのか」と訊ねられた。普通の公立高校だと言ったら酷く驚かれた。著名な進学校からの転入だと思われていたらしい。
「中野せんせーから凄く転入試験の結果が良い生徒が入ってくるから、と聞かされていたのよ」
お互いに切磋琢磨してねとハッパをかけられたらしい。
こういうのは進学校ならではなのか。それともあの担任が熱心なだけなのか。教師間ではクラス同士で平均点の優劣を競っているという話も聞くし、二年生以降には特待クラスという高偏差値の生徒を集めた、難関大学受験専門の学級もあるらしい。
成る程此処は筋金入りだ。
「ここの先生は皆そんな感じなの?」
「まぁそうかな」
「そんな感じ、そんな感じ」
「なかのーはオマケに潔癖症だしね」
「よくあちこちにコスメの臭い消し吹きかけてるよね」
「確かに今年熱いしね。シャツの臭いとかがね」
「あたしは剣道部だから気持ちは分かる気がする。防具のあのヌメっとした肌触りと装着感、筆舌に尽くしがたいあの臭い。脱いだ後なんてそれこそ消臭剤に漬け込んで、自分自身や触ったもの、そこら中にスプレーしまくりたくなるもの」
「防具だけでいーぢゃん」
「自分の触れたドアノブだの、手すりだのが臭うとか言われたくないでしょ。あんたたちそんな経験無い?」
「そりゃあんたが神経質なだけだって」
「なかのーとは気が合うものね」
「みんな自分のこと棚に上げてるでしょ」
箸にも棒にもかからない会話である。こんな話にいったい何と返せば良いのか、とんと見当が付かなかった。
そもそも、この学内に蔓延している臭いのことを思えば物の数ではない。君たちは腐って鼻持ちならぬ異臭の中で学園生活を営んでいるのだと、そう教えてやったらどんな顔をするのだろう。
やれやれだ。
非常階段での中野教諭とのやり取り以来、最近は迂闊に溜息をつくことも出来やしない。
そもそもあたしは、こういった他愛の無い話題からそれとなく探りをいれるなどという器用な芸当は不得手で、得物片手に力尽くで相手をねじ伏せるといった腕力勝負が得手なのだ。
指南してくれる相手が居たら多少は違っていたのかも知れないが、いつまで経ってもこちら方面は不器用なままで上達しなかった。むしろ面倒くさいと、投げ出してやる気が出ていないのもその理由だろう。
そもそもあたしは解体担当であって調査員じゃないのだ。適材適所という言葉が有るだろうその辺りをもう少し深く考えてみろと、若干言葉尻を柔らかくしてスマホ越しに上申を繰り返すのだが受け容れられた例しがない。
全く以てやれやれである。
「あんた本気で調べてるんだろうね」
部屋で新たに入手した缶ビールを空けながら、足元でぼりぼりと煮干しを囓る相棒に小さくない疑惑を投げかけてみた。だが相変わらず食うのに夢中で見向きもしない。
今晩の巡回を早めに切り上げたのは、もう見回りたくないと駄々をこねた此奴の要請を受け容れてのことだ。何よりも突然の土砂降りで臭いの一切合切が流れてしまった。コイツの鼻といえども今夜の追跡は無理だろうと諦め、部屋に戻ることにしたのだ。
空の缶をベッドの脇に置き、もう一本いこうかと思ったがあと数時間で夜が明ける。流石にアルコール臭を振りまきながら登校する訳にはいかない。ぐっと我慢した。窓の外ではまだ強い雨足が、アパートの壁と言わず路面と言わず辺り構わずに叩き続けていた。
この雨の中でもまだ見ぬアレは、この町の何処かで鳴りを潜め、じっと狩りの好機を窺っているのだろうか。
何処で獲物を品定めしているのか。どうやって人知れず捕らえているのか。食堂は何処なのか。ねぐらは何処か。一匹なのか複数なのか。擬態しているモノは生徒なのか職員なのか、はたまた施設や設備に見せかけた何かなのか。
何もかもが分からないままだった。目星どころか目標の足跡すら拝む事が出来ないで居る。これだけ正体の掴めない相手も珍しい。少なくとも自分が手がけた事例では初めての体験だった。
「まさかあたしら、本当に見当違いで頓珍漢なコトやらかしてるんじゃないか?」
どうにも重要なコトを見落としているような気がしてならなかった。なのにそれが何なのかまるで見当もつかず実に腹立たしかった。思い当たることが有るのに思い出せず、いらいらして落ち着かない時の焦燥に似ている。
「何かこう『オヤ』とか思うこと無い?ちょっとした違和感とかでもいいからさ」
煮干しを食い終わったデコピンは金色の目でじっとこちらを見上げたあとに歯を見せて、にいと鳴いた。オレの役目ではない、或いは自分で考えろと言われた気がして少しむっとした。
抜き打ち実力テストの結果を待ってみるというのも確かに一つの手だった。
稚拙な擬態なら以前の成績と付き合わせて容易く変化を見つけられる。初期発見の常套手段と言って良い。こういった進学校なら尚更だ。三日後には組織経由で生徒に先駆け、一足先に内容を知ることが出来るからいちいち調べる必要は無かった。
だが正直期待薄だ。これだけ長期間潜伏し続けているヤツがこの程度で馬脚を現すとも思えなかった。
それとも、
「またナリ替わりを一匹締め上げてみるか?」
既に看破していた二、三匹を試してみたが全てが空振りだった。
ヤツらはただ空いた席に座る空き巣でしかなくて、親玉に忠誠を誓っている訳でも無いし、それが何者で何処に居ようとも知ったことではないからだ。もう一匹増やしたところで似たような結果のような気がする。
しかし何もしないという訳にもいかない。締め上げた後の「行方不明」がまた増えてしまうが、ソコは上司に泥を被ってもらおうと決めベッドに潜り込んだ。
「デコピン、部屋の明かり消して」
猫が壁のスイッチにダイビングする。真っ暗になるとそのまま目を瞑り眠りの淵に落ちた。
荒れ狂う雨音が妙に心地良かった。
案の定、締め上げたナリ替わりもテストの結果も空振りだった。
前者は少し前に吊した連中と同様に、見逃してやるからとっととこの町から出て行けと叩き出した。居残らせて犠牲者の「証拠」を貪られるのも迷惑だからだ。優先順位こそ低いものの駆除対象になっているモノなのだから相当な温情と言えよう。
後者は更に何も無かった。微塵も期待して無かったのだからある意味順当と言えるかもしれないが、それでもささやかな何某かがあっても宜しかろう。
そして手がかりも何も見つからないまま数日が過ぎ、また被害者が出た。
例によって騒ぐ者は誰も居ない。順当にナリ替わりと置き替わっているのだろう。喰われたと思しき生徒の衣服の切れ端と血痕とを見つけたと上司に報告したら、頭ごなしに無能呼ばわりされた。
やかましい、ならばお前がやってみろ、そう言いたかったのだが堪えた。相手は弁が立つ上に生殺与奪権を握っている。
「力不足であいすいません」
素直に謝ったら奇妙な沈黙のあと近日中に加勢を送ると言われた。少なからず驚いた。まさか自分の要求を憶えているとは思ってもいなかったからだ。そしてこうも早く対応してくれるなど未だかつて無かったからだ。
「不治の病でも患っていらっしゃるのですか」
気付けばそう口走っていた。
ヒトは死ぬ間際、周囲に善行を施さねばならないと思い込み、人格が豹変することがあるという。即死系の毒を山盛りに盛ってもその腹黒い臓物で全てを溶解しかねない上司だが、そう思えば少し憐れになった。
だがそんなあたしの温情も「たわけ」の一言で霧散して、様々な罵詈雑言の後に通話は一方的にぶつりと切れた。ふむ、この様子ではただの杞憂らしい。どう見てもあと百年はくたばりそうにもない。
しかし加勢と言われたがいったい誰だろう。捜索の技術を持つ者で手空きの者は居ない筈だ。




