2-7 少女達の週末は始まったばかり
「あなたがこの学校に来たという事は、アレが此処に居るということね」
「本当に久しいわね。名字が変わっていたので気が付かなかった」
「挨拶なんて結構よ」
「そう。まぁ居たと言う方が正しいわ。今は残務処理といったところよ」
「危険は無いと」
「そう言ってもいい」
「その言葉を鵜呑みにしろというの」
「別に信じてもらわなくてもいいけれど。説得はあたしの仕事じゃ無いし」
「あなたは全然変わらないのね。自分の仕事以外何も興味が無い」
「黙っていてくれるという約束だからこうやって話も出来るのだけれども、本来ならばこの会話は禁則事項に触れるのよ。それとも忘れさせて欲しいという申し入れなのかしら」
「止めてよ!勝手にわたしの頭の中を弄らないで」
「そう。じゃあもう特に何も無いわね、ならあたしはこれで」
「待って、あの子は大丈夫なのよね。この学校はもう絶対安全なのよね」
「絶対なんて有り得ない」
「無責任よっ」
「例えば、今日あなたが学校から帰るときに交通事故に遭わないと確信出来る?或いは昨日までは安全だった通学路。けれども今日の夕刻突然頭のおかしなヤツが現れて、下校中の生徒を襲わないという確証は?
予測は出来ても確約出来ることなんてこの世には存在しない」
「詭弁だわ。責任逃れの言葉遊びで誤魔化さないで」
「前にも云ったけれどもあたしの仕事はアレの解体と後始末なの。見つけたヤツを狩るだけで安全の確保は業務外。もちろん、被害が無ければそれが最良だと思っているし襲われないように最大限の努力はする。けれど完璧って訳じゃないのよ。
害虫害獣の駆除に被害が出るのは致し方のないこと」
「仕方が無い?それで、そんな理由で早苗や祐子は死んだの?ふざけるなっ」
「喰われて亡くなったのはあの子たちだけじゃない。他の学校でも、この世界のあちこちでもいまこの瞬間、誰かが不本意な結末を迎えている。取り敢えずこの学校での最大懸案は取り除かれたのだからそれで良いじゃない」
「家族が、自分の子供が居ないからそんな呑気なことが言えるのよ。自分よりも大切なものがあるという気持ちが持てないのよ」
「辛いようね。やっぱりクスリをあげましょうか」
「まっぴらごめんだわ」
椅子から立ち上がったキコカがふと窓に目を向けた。ゆかりの母もつられてそちらを見たが、ただ雑木や学校の境界に建つフェンスが見えるだけで他には何も見えなかった。
「あたしは近日中にこの学校を出て行く。だからもうイライラしなくても良いわ」
「驚いた、昆虫みたいなあなたも相手を慮るふりくらいは出来るのね」
行き場の無い感情と皮肉をねじ込めた精一杯の台詞ではあったろうが、生憎とあたしには特に何も響かなかった。
談話室を出ると、ゆかりの母は微かに会釈しただけで振り返りもせずに校舎を出て行った。姿が見えなくなると見計らったように和田が現れて「お知り合いですか」と訊いてきた。
「以前あたしが拘わった現場の生き残りよ。見違えたわ、すっかりお母さんになっちゃって」
「二四年前の事件ですね。隣の市で学内の半数が犠牲になった」
「あら、知っていたの」
「彼女はこの学区域での監視対象に入っていますので。それにリスト内容は一通り目を通してますから」
「仕事熱心なのね」
「処置はいいのですか?その、規則ではすることになっていますが」
「彼女が事件に拘わったのは今のルールが出来る以前でしょう。本人が断っているのだから無理強いは出来ない」
「でもそれはキコカさんの一存ですよね」
「それが何?件の一件はあたしに一任されているのよ。契約条項の特例は知っているのよね」
「しかし、謂われのない誹謗中傷をされませんでしたか。あなたは良かれと思って・・・・」
「盗み聞きなんて良い趣味とは言えないわね」
「すみません。監視対象と担当者との会話は記録する規則ですので」
「この件に関して今後手出し口出しは一切無用。忘れてしまいなさい」
言い切ったところで五限目の予鈴が鳴った。キコカはそこで初めてまだ昼食を摂って居ないことに気が付き、少しだけ不機嫌な顔つきになった。
その夜、部屋飲みをしている最中に連絡があって、次の赴任地が決まったと言われた。
唐突な指示は今に始まった事ではないので特に何の感慨も無かったが、明後日には出発せよと言われて些か心がざわめいた。週末にまた、あのメンバーで商店街のバザーに繰り出そうという話になっていたからだ。
「二日ほど先送り出来ませんか。いえ、特にトラブルが発生した訳ではありませんが、その、周辺状況を円滑に促進する案件が・・・・はい、分かってます。それも充分に了解しています・・・・そんなつもりはありません。はい・・・・はい、分かりました。準備に入ります」
通話を終えて確実に切断されたことを確かめると疲れた溜息を吐いた。
やりきれないという気持ちとは少し違う。毎回繰り返されてきたいつもの出来事いつものやりとりだ。
しかし相も変わらぬルーチンワークでも日々の感情で色合いは随分と違って見える、が、どんなに風景が違って見えたとしてもやることは常に一様で、決して変わり映えなどしない歯がゆさがあった。
どういう事なのか。
全く以てこの世の中は彩りと面白みに欠ける、やれやれだ。
「デコピン、聞いた通りだ。ここでの休暇は終わりだよ」
そう言って飲みかけの缶ビールを一息に飲み干した。
本棚の上で微睡んでいた猫は眠たそうな瞳を向けてじっとその様子を眺めていた。だが特に何の感慨も無かったらしく、やがて大欠伸をして何事も無かったかのように再びうとうとと夢と現の狭間を彷徨い始めていた。
夜空には少しずつ雲が増え始めていて、空模様は怪しさを増しつつあった。
季節外れの大雨であった。
荒れる天気の中でキコカは夜の学園に赴き、くるりと何時もの巡回コースに従って校内を見て回った。コレが最後の見回りだろうが特に何か感慨が在った訳ではない。だが思うところが何も無かったと言えば嘘になる。
先日女生徒のふりをしていたアレが「子が出来た」と告げに来た。
「何故にわざわざ報告?」
「近い内に此処から出て行くわ。監視する必要が無くなると、一言云って置きたかったから」
「そう」
「それから、その、本当に黙っていてくれたのね」
「報告する必要を感じなかっただけよ。それにもうあたしも此処から居なくなるし」
「じゃあもう会うことはないわね」
「そうね」
まだ何か言いたそうだったが結局何も言わず終い。ただ別れ際に小さく「ありがとう」という台詞は確かに聞こえた。
そして産業廃棄物の業者が学校に入ったのはその次の日の事で、あたしはちょっと驚いた。何事かと思えばアレが紛れ込んでいたので薬殺処分をしたのだという。
「巧妙に女生徒に化けていたヤツでした。僕に出来るかどうか心配だったんですけれど、成績相談にかこつけて相談室で処理しました。本格的なヤツは流石に手に余りますが脆弱な部類でしたので何とか。判定と処分のマニュアル、結構使えますね」
余程嬉しかったのか和田は満面に笑みを浮かべ自信を滲ませていた。これでキコカさんも憂いなく次の現場に向かえるでしょう、と得意げに語るものだから「そうね」とだけ返事をした。
確認の為に産廃袋の中を見せてもらえば、それは確かに件の女生徒だった。
確かにあたしやコイツはまがい物だ。よっしーたち生粋のJK、本物とは違う。
所詮偽物なのだから終わり方も違って当然。
「・・・・」
あたしはただ小さく溜息をついた。
数日を待たずして学校関係者や生徒父兄たちへの事後処理も行なわれる。立て続けに二件、流石に今度は例外など認められまい。談話室でのやりとりを生徒に聞かれた事も小さく無いマイナス材料だった。
雨が激しく降り続いている。
真っ暗な窓の外から横殴りに叩き付ける雨風に、ガラスが時折大きくしなって揺れていた。
まったく台風でもあるまいに。
「こういうのも涙雨って言うのかしらね」
情緒的とは言い難い。だが癇癪を起こして泣き喚く様であるのなら、順当な空模様なのかも知れなかった。
荒れる夜陰とを隔てた黒いガラスに自分の顔が映っている。まるでなおざりに作った仮面のようで実に辛気くさい。
そのまま雨の叩き付ける中庭をもう一度覗き込んで見る。だがやはり、ソコを通り抜ける人影は見えなかった。それはそうだろう。こんな天気の日にそんな物好きなど居る筈もなく、夜の校舎はただ寡黙に無人の建屋を気取るだけだ。
腹の奥底に厄介な感情とやるせなさとが燻っていた。だがそれも程なく澱となって、一番深い所にまで沈み込んでゆくことになる。
いつものことだ。
また、溜息をひとつ。
足元を見れば、ほぼ真っ黒な白黒ブチの猫が金色の目で何も言わずじっとこちらを見上げていた。
「どうという事は無いわ。また空っぽに戻った、それだけの話よ。ただそれだけのコト」
足元の相棒に言い聞かせるように言葉を吐いた。しかし何の返事も無くて、ひたすら黙って見つめ返すものだから、キコカは「ふん」と軽く鼻を鳴らすと再び暗い廊下を歩き始めた。
風鳴りの合間に滑らかな廊下の床を踏む彼女の靴音が響いていた。だが、やがてそれも遠のき聞こえなくなった。
再び風雨が窓を強く叩く。
弱まる気配など一向に無く、どうやらこのまま一晩中降り続きそうだった。
「いやぁ良く晴れたねぇ」
よっしーは青空を見上げてご満悦といった風情の笑顔を浮かべていた。
週末の大通りは何時ものように大勢の買い物客で賑わっていて、自分と一緒にいつものメンバーが顔をそろえている。コレが雨模様とかだったら最悪だ。折角の露店バザーが台無しである。
「準備万端お財布満タン言うこと無しね」
「たかだかご家庭中古物品の放出市でそこまで気張ること?」
「何言ってんのよ、真の掘り出しモノっていうのはこういった地味な催しの中に紛れているもんなのよ。バザー舐めんな」
「此処で買い物するのは良いけれど、昨日の注射で腕イタイ」
「なんなんだろね突然の集団予防接種って。隣町で食中毒が出ただの何だの。食中毒と予防接種と何の関係があるんだっつーの」
「正確には下痢腹痛は病気の症状で、感染源が特定できないから念の為の接種だって。昨日ネットでやってた」
「そのせいかどうか分からないけどあたしは頭重たい。何だか大事なこと忘れてる気がして落ち着かないよ」
「あ、わたしのお母さんも同じ事言ってた。つい最近何処かで誰かと会ってた気がする、でも思い出せないって」
「え、やだ。集団性健忘症?」
「何よそれ」
「それはそうとさぁ、つい最近ゆかりっちの小母さん学校に来なかった?」
「来てないよ、何言ってんのよ」
「そ、そう。うーんやっぱりそうかぁ」
だったらわたしのあの日の日記は何だったのだろう。自分で書いた記憶も無かったし、意味深な文章が綴られていて訳が分からない。しかもここ数日は見知らぬ女生徒の名前がちらほら登場しているのだ。
「みんなさぁ、キコちゃんって子知ってる?」
そこに居る全員が一様に首を横に振った。
「おっかしーなぁ。じゃあ、あの名前はいったい何処から」
「よっしーさっきから妙なことばっかり言って。おかしいのはあんたのおツムでしょ、お小遣いもらったばかりで浮かれてトチ狂ってるんじゃないの」
「失礼な。赤点のオンパレードやらかす、ゆかりっちに言われたくないわよ」
「何ですって」
「はいはい喧嘩しない」
「今日は掘り出しモノ探すんでしょ。もたもたしてたら取り逃がしちゃうわよ」
抜けるような青空の下で姦しい声が交錯してゆく。
少女達の週末は始まったばかりであった。




