2-6 話声は聞こえるだろうか?
振り返るとあの自称「新米教師」が立っていた。確かワダとかいう名前だったような気がする、多分。
「奇遇ですねワダさん」
「本当に。あの彼女たちに何か問題が?ひょっとしてアレ、ですか」
「勘ぐり過ぎです。只の付き合いですよ」
「え、あの、普通の女生徒と?」
「何か問題が」
「あ、いえ。意外でしたので」
「紛れなきゃならないでしょう、あたしたちは。浮いて怪しまれたり目立つことなどは極力避けないと。まぁ情報収集も兼ねて、ですが」
「な、成る程。参考に為ります」
ホントにそうか?と思ったが口にはしなかった。云った所で面倒な繰り言に為るだけだ。この男の教育係を言いつけられた訳でも無いのだし、不必要に干渉して厄介ごとを増やすつもりも毛頭無い。
「それじゃあこれで」
そう言って別れようとすると、「学校の夜間パトロールをされてらっしゃるのですか」と訊いてきた。
「だとしたら何か問題が?」
「いえ、僕も見回った方が良いのかなと思ったので」
本当にやれやれだ。
熱心なのは結構だが、後ろからつけ回され纏わり付くのは勘弁して欲しい。それに万に一にでもソレに出会したらどうするつもりなのか。ただ余分な産業廃棄物と清掃業務が増えるだけである。
それに、よもやまさか此処で会ったのも偶然では無いとか言い出しやしまいな?
脳裏を過ぎった不穏な予感であったが、そのまま平静を決め込んで返答をした。
「あなたは余計な気を回さなくて良いわ、あたしが勝手にやっている事だから。ヘタ打って怪我人が増えても困るもの。夜は眠るものよ、ゆっくりとお休みしていなさい」
そう言ってあしらうと今度こそ帰路に着いた。帰りがてらビールを買っていこう。懐具合がかなり怪しいが何とかして絞りだす、いや出させばならない。
何なのだ、仕事をした訳でも無いというのに此のへとへとっぷりは。およそ半日で色々なものが削られた気がする。
とっとと部屋に戻って熱い風呂上がりに一杯引っかける。もはや予定でなどではなく決定事項だ。今夜は飲まないつもりだったが、そうでもしないとやってられない気分だった。
勤め人には勤め人の苦労があって教師には教師の苦労があるように、JKにはJKの苦労がある。
少年少女らが学校生活で苦悶する原因の一つに定期考査なる宿業があるが、邑﨑キコカにとっては退屈なルーチンワークでしかなかった。
一〇回、二〇回と同じ事を繰り返していれば嫌でも内容は憶えてしまうし、出題傾向も容易く予想が付くようになる。難しい事は何も無い。後は目立ち過ぎないように点数の調整をすれば事済んだ。
だが今回は少々見誤ってしまったようだ。考査結果は生徒番号にて掲示されるのだが上位二〇名は実名が公開される。キコカは上位一〇名以内に自分の名前が入っていたことに少なからぬショックを受けていた。
なんたるコトか。
あたしは溜息をついた。
目立つつもりなどサラサラ無かったというのに、寄りにもよって一桁台の順位に入るなど計算外もよいところだ。
まぁ確かに低すぎるのも逆に目を付けられるかも知れぬと、今回は些か多めに点数を取るようにしたのだが、よもや此処まで突出するとは。
今時考査結果を名指しで張り出すなど前時代的でピンと来ないが、この過疎化が進んだ地方の学校においては、何らかのカンフル剤的な役割があると信じられているのかもしれない。
だが正直迷惑だった。
大勢の前で序列を公表されて何が嬉しいというのか。順位など本人と教師が知っていればそれで良い。同じような感情を燻らせている者は一人や二人では無いはずだ。
今の世の中、匿名性は非常に重要なファクターであるというのに、どうやらこの学校の教師はその辺りに頭が回らない者ばかりらしい。
「スゴいじゃないキコちゃん。頭良かったんだねぇ」
掲示板の前で密かに舌打ちしているその隣で、よっしーが叫んでいた。
いつの間にか新たにバージョンアップされた呼び名をひっさげて、彼女はこの所よくあたしの周りをウロつくようになっている。
恐らく好意と思しき何某かで声を掛けて来るものだから無下にも出来ず、成り行きに任せていたらいつの間にかクラスの中でも、「邑﨑キコカの親しい友人」というかなり否定しづらいポジションを会得していた。
「たまたまよ。ヤマが当たっただけ」
「いやいやそれでも学年六位ってのは大したもんだよ。入賞枠じゃん、優勝だって狙えちゃうよ」
「そんなつもりは全く無いから」
こちらは何事も無く平穏に低空飛行で済ませたいというのに、彼女は何故か鼻息が荒く、まるで我が事のようにはしゃいでいる。困った、何故にこうも食いつきが良いのか。ヘタに対応するよりも素っ気なさを装って居た方が宜しかろうと、軽い相づちだけで済ませた。
このまましばらく放って置いたら忘れ去ってくれるのだろうか。
教室に戻れば彼女以外にも食いついてくる子が増えていた。定期考査前に一緒に街へと繰り出したメンツの一人だ。赤点とって追試に為ったから勉強教えて欲しいのだという。名前は確か沢渡某だったかと思う。やはり下の名前は憶えていなかった。
何やら切羽詰まった様子だったので断り切れず、良いよと言ったら「じゃあわたしも」とよっしーが手を上げた。
「あなたも赤点?」
「そうじゃ無いけどモノは次いでってヤツよ。じゃあ学校が終わったらみんなで勉強会をやろう」
集合はゆかりっちの家で良いかなとよっしーは言う。いいよと彼女は云い「キコちゃんもそれでヨロシク」と肩を叩かれた。
何故?
昨日、前年度分下半期分の決済が下りたので帳簿の都合上今回の報酬が前払いとなり、久方ぶりに懐が潤っていた。今夜は豪勢に飲めると内心ほくそ笑んで居たというのにコレでは予定と違う。まさかこの流れで断るわけにもいかない。
やれやれ。
こうしてあたしは密かに諦めの溜息を吐き出す羽目と為った。
勉強会とは言いつつも内実は只の雑談会で、近所のコンビニで買ったスナックとジュースとが座卓の上を占領し、わさわさと他愛の無い噂話や愚痴や雑誌で読みあさったと思しき雑学とゴシップ記事とに花を咲かせていた。
「ただ話をしてて良いの?」
そもそも皆で集まったのは、赤点で追試がヤバいから教えてくれと言う話では無かったのか。
「まままま。キコちゃんお真面目だなぁ。ま、ソコが良いところなんだけれど」
「人生には息抜きが必要なのよ」
言いだっしっぺの彼女までもがこんな事を言っている。
「沢渡さんが良いなら良いけれど。困るのはあたしでは無いのだし」
「それを、言われると・・・・」
「そうね。べ、勉強しよっかな」
「やりたくないのならそう言えば良いのに」
「いやいやいやいや、意地悪言わないでよ。今からちゃんとやるからさ」
赤点を取ったという彼女の答案を見せてもらい、もう一度今度は教科書や参考書を見ながら解いてもらった。同じ失敗をしなければ最後は満点を取れるはず、と納得させて解答を添削し、幾度か問題と正解とを解説してその日の勉強会を終えた。
「いやぁ何だか学校以上に勉強しましたって感じだよ」
「よっしーは何もしていない」
「つれねぇなぁ。でもそんなクールなところがステキ。ゆかりっちはコレで大丈夫?」
「謎だった部分は全部教えてもらったし大丈夫・・・・かも」
「分からなくなったらまた教えるから」
「うう、ありがと。頼りにしてます邑﨑ちゃん」
玄関まで沢渡ゆかりの母親から見送りを受けて、キコカと芳村は彼女の家を後にした。
「ゆかり、今日芳村さんと一緒に来た子が新しく転入してきたクラスメイト?」
普段なら何の詮索もしない母親だというのに、今日に限って我が子の友人の事を訊いてきた。
「うんそう、邑﨑さん。ちょっと目つきスルドイ感じだけど気の良い子だよ。最初の頃はわたしもびびってたけど」
「村崎じゃなくて邑﨑なのね。名前はひょっとしてキコカ?」
「あれ、お母さん知ってるの?」
「あ、うん、ちょっと先生に名前を聞いたことがあってね」
「耳に残る名前だよね。本人には悪いけどさ」
ゆかりは屈託無く笑っているだけだったが、母親は複雑な笑みで曖昧な返事をするだけだった。
日常風景の中の邑﨑キコカは只の目つきが悪いくせっ毛の女子高校生なのだが、時折教師だの教師以外の何者かだのに声を掛けられる場面が多くて、些か奇異に思う者も少なくない。
だがそれでも彼女の学生生活に何ら支障が及ばないのは、彼女ならば仕方が無いといったある種独特の雰囲気というか何某かがあって、皆が皆一様に納得してしまっているからだ。
だがそれでも、気に掛ける者が皆無という訳でもない。その日のよっしーもまたそんな奇特な者の一人だった。
昼休み。目標であった購買の特製タルタルソースがけ厚切りハムカツサンドが売り切れていたので、泣く泣くアンパンで我慢していた彼女であったが、何処でパクつこうかと思案している最中一人の女性の姿が目に留まった。
あれ。ゆかりっちのとこの小母さんじゃん?
しかも一緒に連れ立っているのはあのキコちゃんである。独特のハネてうねる髪型は見間違いようが無い。ちょうど二人して談話室の中へと入ってゆく場面だった。
普段なら気にも留めず直ぐに忘れ去っていただろう。腹の虫も盛大に鳴いている最中だ。しかし何故かその日は少しイケナイ好奇心がむくむくと湧き上がってきて、いったい何事なのだろうかとちょっと覗いて見たくなった。
体育館の裏手に回って、雑草だらけの裏庭を通り雑木とクモの巣をかいくぐったあとに本館の裏手に回れば、談話室の窓の下へと行き着く事が出来る。窓にはカーテンがあったが幸いにも開かれたままで、その寸足らずの裾の隙間から中の様子を伺うことが出来た。
さて、話声は聞こえるだろうか?
息を潜めて覗いて見れば、キコカとゆかりの母親は会議室によくある折りたたみの机を挟み向かい合わせて座っていた。




