2-1 あんたナリ替わりか
いま、邑﨑キコカは夜の学園の中に在った。
当然だ。夜の学内こそが彼女が彼女たり得る本来の時間帯だからだ。
昼間の女子高生などただの休眠形態、人の世を徘徊するために装う仮初めの姿に他ならないからだ。
そして学校という閉塞空間に潜り込んでくる「お呼びでないモノたち」を排除する。それが彼女に課せられた役割、存在意義だ。その為だけに此処に在った。面倒で厄介な仕事だが誰かがやらねばならなかった。
学校には成人前の健康で栄養状態の良い個体が多数居る。つまり若くてイキのいいピチピチの餌が集団で生息しているのだ。捕食者が見逃すなど有り得ない。隙を見計らっては紛れ込んでくる「けしからん連中」を探り出し、血祭りに上げる必要がある。
そして一度見せしめを晒しておけばしばらくは大丈夫だ。危険なヤツが居ると知れば他の連中は別の餌場を求めるようになる。そして此処とは違う何処かで、別の同業者が自分と同じ仕事に邁進するのだ。
ただのイタチごっこでまどろっこしい話である。だが、根絶は不可能だから致し方なかった。まさか「キリが無いから」などという理由で、喰われるがままに放置する訳にもいくまい。
「やれやれ」
未だ異臭漂う教室の中でキコカは呻いて腰を伸ばした。ごきごきと腰骨が悲鳴を上げている。手早く済まそうと根を詰めすぎたかもしれない。
普段ならば一、二ヶ月を掛けて慎重に目標を見定め、ソイツの餌場で刈り取るのだが今回はラッキーだった。
転校一週間で目標の狩りの現場に遭遇し、その場で処理出来たからだ。お陰で被害は予想の半分以下で済んだ。僥倖とも言える出来映えだ。
ま、コレでこの学校も二、三年くらいは大丈夫かな。
それ以下の期間で再発したらその時は別の誰かが来るだろう。自分の顔見知りが在学している間に再度派遣するほど当局も阿呆ではない・・・・はずだ。
一通りの生ゴミ(口に出来ない血が滴るモノ)を片付け、血溜まりだの血脂だのをモップ掛けし終わったら取り敢えず見られるようには為った。
いつもこんな展開ならば楽なのだが、如何せんこの仕事では予想通りすんなりと済むことの方が珍しい。だからテキパキと現場が片付いてゆくさまは見ていて気持ちが良かった。
おイタをしたイケズは細切れにしたし、後は掃除が済み次第ルミノール反応の中和剤と消臭剤をブチまけて全行程終了だ。人血証明試験をやられたらモロばれだが、要は疑われなければそれでいい。
そもそも県警当局には上司から話が通っているから見てくれが綺麗ならそれで問題は無いのだが、念を入れておくに越した事は無かろう。世間知らずで頓珍漢な義憤に駆られる輩は何処にでも居る。
「呆気ない感じだけれど、まぁたまにはこんな現場もないとね」
前回は今ひとつ納得のいかない決着だったから尚更だった。
前々回も更にその前も、予定外の立ち回りだの後片付けだのが重なって規定作業以上の業務を重ねるハメになっている。
幾度も追加報酬を要求したのだが考えておくの一言だけだ。返答があった例しがない。どういうことだ、勤労意欲の維持というのも管理監督者の重要な役割ではないのか。
とは言え、以前の轍を踏む訳にもいかないからもう少し踏み留まって、またあちこち嗅ぎ回る必要はあった。
探索役のデコピンにも見落としが無いようにとキツく言い含めておいたし、大丈夫とは思うが念の為だ。同種よりは余程に仕事熱心だが、猫は基本的に怠惰で気まぐれな生き物なのである。
汚れたモップのクロスを剥ぎ取り片付けを始めていると、窓の外に二人分の人影が見えた。
ここは二階だから昼間なら顔の見分けもつくが、流石に夜とも為れば些か難しい。いくら夜目が利くとはいえ猫や梟並みとまではいかないのだ。だが言い争っているような様子は見て取れた。雑踏や無数の喧噪とは無縁な時間帯ということもあって、声も幾分聞き取れる。
もめているのはどうやらこの学校の生徒らしい。しかも男子生徒と女生徒のようだ。夜の学校に忍び込んで若さゆえの某かならば放って置こうかとも思ったのだが、段々と剣呑な色合いを帯びてきた。
どうにも、場合によっては割って入る必要がありそうに思えた。彼女の張り手一発程度で済むのなら良し。だがそれ以上にエスカレートするとなれば、見て見ぬふりはしない方が良さそうだ。
やれやれ、今夜は余分な業務はせずに済みそうだと思っていたのに。
目の前で生徒同士の狼藉だの絞殺だのを見せられては寝覚めも悪い。音も無く窓から飛び降りると彼らからは見えない影の中に潜んだ。こちらとて気取られないならソレに越した事は無い。
「夜の学校に来たいと言ったのはおまえだろう。なんでこの後に及んで駄々こねてんだ、訳分かんねぇよ」
「だから今は駄目だって言ってるじゃない」
「誘ったのはソッチだろう」
「だから都合が悪くなったって何度も言ってるじゃない」
「だから理由を言えよ」
「言いたくない」
「何だそりゃ」
押し問答だ、埒が明きそうもなかった。それに男の方が最早その気満々でいきり立っている。どうやら冷や水を浴びせた方が良さそうだ。
「今夜はコレでおしまい。じゃあまたね」
「此処まで来といて何なんだよ。引き下がれるか今更」
踵を返そうとした女子を男子が腕を掴んだので、仕方が無いと影の中から歩み出た。
「嫌がってるんだから、そこら辺で止めた方が宜しくない?」
男子は飛び上がらんばかりに吃驚していた。それはそうだろう、誰も居ないと信じ切っていた暗闇の中から突如として人影が抜け出して来たのだ。誰だって驚く。
だが女子の方はそうでもなかった。小さく呟くように唇を震わせて、何処か焦りを滲ませた気配があった。
「な、何だよお前」
「それはコッチの台詞、忘れ物を取りに来たらこんな場面に出会すだなんて。このまま彼女に何もせず、一人で帰るのなら何も見なかったことにするけれど、そうで無いというのなら明日ちょっとした不遇を被るかもしれないよ。どうする?」
彼は恨みがましい目つきで睨み付けた後、あたしの足元の辺りに視線を彷徨わせていた。だがそれはほんの少しの間。そのまま小さく舌打ちをし地面へツバを吐き出すと、何も言わず背中を向けて夜陰の中へと消えていった。
足音が聞こえなくなった所で、女生徒は小さく吐息を吐き出した。
「だ、誰か知らないけれど助かったわ。ありがと、それじゃあわたしはこれで」
「ちょっと待って、あたしとは初対面の筈よね。でも名乗りもしないのにあなたはあたしの名前を呟いていたよね。この耳は伊達じゃないのよ。
それに今し方まで薬品まみれだったせいで鼻がバカになっていたけれど、もう気付いちゃった。あんたヒトじゃないわよね」
「気のせいよ」
「此処で空とぼける辺りでもうバレバレだっちゅうの。あの男子をどうするつもりだったの。ヒト喰らいではなさそうだけれど」
「ヒトなんか喰わないわよ、そんな勿体ない。精を分けてもらおうと思ってただけよ」
「そうか、あんたナリ替わりか」
「そうよ、だから見逃して頂戴。わたしたちはヒトを害したりはしないわ」
「でもヒト喰らいの食い残しを頂いて尚且つ、被害者と成り替わっているわよね。同じ穴の狢だわ」
「わたしはヒトの肉なんて喰ってないっ。連中に餌の手引きをしているモノも居るけれどわたしの一族は違う。同族同士で新たに子が生まれなくなったわたし達には、ヒトの精や肚は喉から手が出るほど欲しいのよ。ヒトと交わって増えたいだけ、それだけよ」
「それを信じろと」
「どうすれば信じてくれる?」
少しの間を置いてから「そうね」と答えた。
「腑分けして腹の中身を全部ひっくり返して、人血反応だのDNAだのが何も出てこなかったら信用してもいいかな」
途端に泣きそうな顔になった。目が見開かれ、眉間の皺が哀れなほどに深くなった。握り締めた拳が震えてい、唇を噛んで血の気の失せた顔色はこの暗がりの中でもハッキリと見て取れた。
まぁ、おいそれとは返答できまい。そうと知っている。むしろ判っているからこそ問うた。
それに此の表情だってナリ替わりお得意の擬態でしかなく・・・・
「なら・・・すればいいわ」
「おや」
「その代わり何も無かったら、金輪際わたしの一族には手を出さないで。そのまま放っておいて頂戴。
あなたがた解体者は臭いで獲物の種類を嗅ぎ分け、特定しているのでしょう。わたしの血と臭いを皆に渡して手出し無用と触れ回って。人間には無害な一族なんだとそう触れ回ってよ」
静かな口調ではあったが血を吐くような決意があった。
捨て鉢にも見えるが、退かぬ確かな意思があった。
「あなたは死んじゃうけど」
「他の皆が、安心して・・・・暮らすことが出来るのなら、それで」
「本気?」
「冗談で、こんな事云える訳ないでしょう」
泣き出しそうな瞳が強く見返している。
声は掠れ、そして涙が滲んでいたが揺らぎはなかった。唇は震え細い両の脚も震えていた。しかし言葉を翻す様子はおろか、逃げ出す気配さえも感ぜられなかった。
「・・・・・」
「・・・・・」
小さな掌が拳をつくり、関節が白くなるほどにまで握り締められていた。口元から歯の根の鳴る音が微かに聞こえた。
細い顎だ、と思った。
身体の線はそれ以上に細く脆弱で、恐らく得物のほんの一振で屠れるだろう。反撃の暇も逃がす隙も与えず容易く始末出来る。ほんの微かな意思があるだけでいい。時間だって瞬きする間もあれば充分だ。
だが、しばしそのままだった。
言葉が途切れ、互いに相手を凝視するのだが取り立てて何かをする訳ではない。
詰問を続ける訳でも無ければ腰の得物に手を伸ばし、本来の業務に取りかかる訳でもない。
ただ間合いを測るかのようにじっと一挙一動、瞳の奥底を観察して相手の本音を探るだけだった。
遠くで風鳴りが聞こえる。
茫漠とした夜の囁きだった。
やがてキコカは静かに息を吐き出した。
「ま、其処まで言うのならこの場は信じてあげる。でも一ミリでも嘘まやかしが在ったのならその場で解体するわ」
「好きにすればいい」
くるりと踵を返すと、視界の端で彼女はくたくたとその場にへたり込んだ。
完全な腰砕けで、無理矢理立とうとするも膝が笑って立てないでいる。その足元からはアンモニア臭がしたのだがそれは気付かないふりをした。
そしてその夜はそのまま終いとなった。




