福岡 3
知っている人もいるだろうが豆知識を披露しよう。
モグラが土の中を掘り進むスピードはカタツムリより遅いらしい。
ソースは不明だ。
聞いた話なのだ。
私に聞かないでくれ。
そんな定かではない情報を言うな、と思うのはごもっともである。
私が言いたいのは私の筆の進み具合についてだ。
大阪7年に1ページ、保土ヶ谷7年に3ページのペースであったが福岡の話になると今のところ1年1ページなのだ。
私はなんとしてでも28歳になるまでに全てを語り尽くさなければならない。
書き残して過去に地縛霊のような感情を持ちたくないのだ。
話を急ごう。
我が母校では高校2年に進学する際クラス替えがある。
1年の末に建築学科に進むかインテリア学科に進むか選べるのだ。
私の希望は高野さんと約束した小学四年生の頃から変わっていなかった。
成績のいい順に面談をし、どちらに進みたいのかしっかりとした理由やビジョンを持った者から学科が決まってゆく。
私はクラスで上から10番以内には賢かった。
英語を含まなければ5番にはなるだろう。
そして私は希望通り建築学科に進むことができた。
一般的に女性は建築士よりインテリアデザイナーなどになりたがる人の方が多いと思うが、私たちの時にもその傾向は顕著で一学年の時にクラスに三分の一程度いた女子生徒はほぼ全員がインテリア学科に移動した。
男の花園の爆誕である。
さて地頭の良い私だが、何も努力せずにクラス上位を維持していたわけではない。
そしてどの教科も熱心だったわけではない。
どういった科目の成績が上がったのか、男性教員の授業である。
実に簡単な話だ。
社会科、地理、倫理、歴史などの科目担当は快活なヤクザ顔と渋くしたオズワルドのメガネみたいな教員だったし
数学科はサッカー部の顧問をしていた若手教師だった。
国語科はあの福岡が誇る歌姫の担任をしたことがあると言う個性派のおじさんだったし
理科、物理などの科目担当はグローバルな視点を持つよく見ると整った顔をした偏屈なお父さんだった。
他にもまだまだいるが
英語だけは違った。
可愛らしい丸みを帯びたボディのマダムだったのだ。そして穏やかな口振は私の眠気を誘い高校に入っても英語の授業だけはよく寝ていた。
英語以外上記の科目は予習も復習も、間違えた問題のやり直しもした。そして私のノートはとても綺麗にまとまっていた。
私はどのグループにも属していなかったしどのグループとも仲が良かった。
特定の人と親しくするのは得意ではないが、浅く広くのその場限りの関係なら波風立たずそれなりに上手くやれるのだ。
中間試験、期末試験の前後だけ私の周りには人がいた。
その期間が私は本当に好きだった。
なぜなら肩と肩が触れ合う距離に男たちがいるのだ。
そして口々に私の名を呼ぶのだ。
私の取り合いである。
当時していたTwitterやブログにノートの写真を載せて皆に共有したこともあった。
心は木下くんだけを見ていたが
体は色んな男の側で腿と腿をぶつけながら勉強をした。
そうした日々の夜は右手と下半身の膨張が止まらなかった。
そうした不純な動機で勉強に励む傍ら純粋に木下くんに恋をしていた。
しかし私は奥手であった。そしてことなかれ主義でもあった。
高校2年の末頃、修学旅行があった。
クラス内で四班に分けることになったのだが
私はどうしても木下くんと同じ班になりたかった。
さて、木下くんは小学生の頃からずっと野球をしていて交友関係が広かった。また、彼が通っていた中学からの我が建築学科への進学は4名おり彼らはいつも一緒にいた。
となると、だ。修学旅行で同じ班になっても彼ら4人は団体行動をするであろうし私は木下くんの後ろ姿を指を咥えて見ているだけになってしまうのだろう。
そんな逡巡をしているうち班は決まってしまい、結局私は原田と樋渡、それと他の数人と一つの班として分けられた。
別に彼らが嫌いなわけではないが、変わり映えしない日常は好きではなかった。せっかく思い出作りに修学旅行に行くのだ。いつもと同じなんて嫌だった。
なんとなくモヤモヤした気持ちを抱えたまま、私たち一同は福岡空港国際線ターミナルから、台湾へと飛び立った。
台湾。
人生初の海外である。
言葉も街並みも匂いも走る車も全てが新鮮で何もかも新しかった。
名前の知らない鳥や読めない文字、片言の現地大学生の案内はあまりに辿々しく聞きたいことも十分に聞けなかったが、お上りさんのようにキョロキョロと辺りを見渡す私たちは誰の目から見ても初々しく可愛かったはずだ。
班に一人、浮いていた男子生徒がいた。
彼は白井といった。元より彼はクラスでも浮いており誰かと話す姿を見たことはなかった。
私は班長として彼と同じホテルの客室で二泊三日を過ごしたが彼の新たな一面を知ることとなった。
クラスの俗に言う一軍の一人にいろんな人に絡みまくる佐々木という生徒がいた。佐々木は気さくで元気で悪気がなくひょうきんだった。佐々木は白井にもよく絡んだ。
さて、台湾のホテルで白井と私が部屋で夕食後のんびりしていた時の話である。
佐々木が何故だったか部屋に訪ねてきた。班が違ったが部屋自体は隣だった覚えがある。
佐々木が訪ねてきた時、白井は何故かテンションが爆上がりした。そして叫び声を上げながらベッドにダイブしたのだ。そこで問題が起きた。彼が飛び込んだ際サイドテーブルにあったランプを倒し破壊したのだ。根本からポキっとである。
白井はその名の通り顔が白く動かなくなり、佐々木は大爆笑し私は現場をどうにか修復するためドライバーを探した。
結局ドライバーは見つからなかったし、ランプは付かなかったし、それ以降白井は以前に増して塩らしくなった。
一応、私も意地があるのでぱっと見は壊れていないように取り繕ってそのホテルを後にしたが、その後の高校生活で白井の感情が露わになるのを見ることはなかった。
今思うと、だが。
もしかすると白井もゲイだったのではないかと思うのだ。佐々木のことが好きだったがために普段見せないようなテンションで叫んだのではないだろうか。
そんな憶測は一銭にもならないのでどうでもいいが、やはりクラスメイトにゲイがいると思うとなんとなく嬉しいような気がする。
そう、ずっと誰にもゲイかもしれないと言えなかった私は誰か話せる相手を探していた。
今、だいぶ変わってきたがあの頃はTwitterがかなり自由なツールであった。
そして初めてゲイアカウントを作り同年代の他のゲイを“見た”。
それはなんとも恐ろしい世界であった。
自分の裸をネットに載せている人がいるのだ。
私は怖いもの見たさでそうした人たちに絡んだ。しかしネットでのマナーなど知らない私は相手のことを詮索したし失礼な発言もした。
私は顔を出していなかった。そして誰も私に絡もうとしなかった。そんなアカウントだから私の鬱々とした気持ちの掃き溜めのようだった。
アカウントが二つあったわけだが誤爆もするものだ。
ある時、“ゲイであることが嫌だ”と言った内容のツイートを誤ってノートの写真などを載せていたアカウントに投稿してしまった。
1分も経たないうちに消したが、ネットとは怖いものである。DMでメッセージが何件も来たし翌日には聞かれもした。シラを切ったが嘘をつくのが苦手なためきっとバレていたと思う。
なんとなく私がゲイであることを隠して、実際ゲイなのかそうでないのか曖昧になったころ信用して全てを話したのが一人いる。
竹下だ。




