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この人生の終わらせ方  作者: 妻鹿シジミ
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福岡 1

2011年3月27日、私が14歳の時。引っ越し屋が私たちの荷物を乗せて福岡へ旅立った。そして私も人生初の飛行機に乗り始めて福岡へと降り立った。


その頃街はまだ復興しておらず、中学の近くでは地盤沈下やアスファルトの割れなどもあったし計画停電なども頻繁に行われていた。また余震の警戒アラートは1日に何回もなっていた。

友人の中には地震から離れるために引越しをすると勘違いした人もいたくらい街はまだ沈んでいた。


全然関係のない話をするのだがいいだろうか。


7歳から7年間保土ヶ谷に住んだと言った。

なぜか。横浜に住んだと言うと反感を買うからだ。


実に面倒臭い話である。

勝手にやっかむなと言いたいところだが、それも多様性の一部なのであろう。羨ましいと思う心も尊重されるべきである。


実に醜いが。

よってあえて私は保土ヶ谷に住んだと言っている。

細かいことを言うと保土ヶ谷ですらないのだからあのあたりで有名な地名などないのでしょうがない。


わかりやすい表現をする私の優しさである。



そして私は優しいので自己紹介の際は「横浜の中学から来ました」と皆がわかるように言った。



私が中学3年生に進学すると同時に転入した中学は校則が厳しかった。肌着の色、髪型、靴の色、何から何まで決められており黒い靴下で登校しようものなら教員から呼び出されると言った始末である。


私には理解ができなかったが、郷に行ってはなんとやらである。多様性も何もない学校へ登校することになった。



ご存知であろうか。

大阪、横浜など、近年急成長を迎えた都市は学校給食センターの供給が間に合わず中学校から弁当なのである。

私も私の兄弟も弁当生活が当たり前だったので、転入初日から勉強を持って登校したのだが、なんと弁当を出したのは私1人だけであった!


当たり前である。



新しい学年、新しいクラスになると皆今年の目標など書くところが多いのではないだろうか。


私は心に決めていたことがあった。

高校受験の大切な一年、遅刻ばかりしないで学校へ通おうと!


その旨を目標の欄に書くのだが、なんと書けばいいのかよく分からなかったので「学校をサボらない」と書いた。

通路挟んで隣の女子生徒は私の一言を呼んで「え、転校生学校サボらんって書いちょる笑笑」と大きな声で言った。


とても恥ずかしかった。

イキリたかったわけではないのだが客観的に見てそう言うことなのだ。



そんなことは私のお得意の気にしないである。

何せ私を知ってる人など誰もいないのだ。授業は寝ても注意されないしこれまでと違って授業のプリントはもらえるので自分で復習すればテストもどうにでもなる。地頭が良いのだ。私は可もなく不可もなしな成績を難なく取ることができた。



中学3年生の人間関係が構築された場所に

単身飛び込んだ私だが1人になりたい時になれる環境というのは心地よかったし構って欲しい時は転入生というブランドを思う存分使い、誰にも煩わされない楽な生活をしていた。



いや、煩わされていた。生活指導の教師である。

私はラジオを聞かないなどと言っておきながらやはりラジオを聞いていた。

しかし自分で決めたサボらないを守るためなんとか通学するのだが、朝から元気などない。


元気などないのである。


それと生活指導の教師は私の目の前で声を出すしか脳がないバカのように「おはよお!」と言うのだ。

本当に煩わしかった。私は会釈だけして通り過ぎようとするのだが腕を掴まれ「挨拶!」と喝を入れられ「ぉはょ」と言わされていた。


挨拶はしたい相手にすれば良いと思うのだがどうなんだろうか。

そもそも朝までラジオをきいて寝ずに学校に来たのだ。

おはようと言って迎え入れることはあってもあいさつの強要はその意思を打ち砕くものではなかろうか。実に不可解である。



さて、これまで大阪弁、標準語、浜言葉を操って来た私だったが英語は苦手だった。それで近所に住む佐藤くんが勉強を教えてくれていたのだが彼は頭が良い故に悪いわたしのことを理解できないでいた。英語とは慣れが肝心であるが中学二年生丸々英語と無縁な生活をしていたのである。


ある日の昼休み「このプリントやっとけよ」と言い残して彼はグラウンドに遊びに行ってしまった。

私は問題から逃げる方である。そして小学四年生の時と同じようにプリントを放り出し図書室で過ごして教室へ帰ると、彼は怒っていた。


そもそも善意で教えてくれていたのだ。

それを無碍にした私を彼は叱ってくれた。


私はなぜだかキュンとしてしまった。



さて、かんなについて覚えているだろうか。

靴を濡らすために授業をサボった稀有な肉体派女子である。

彼女は何を隠そう腐女子であった。

腐り果てていた。


私は漫画アニメに興味はなかったが中学二年当時付き合っていたことから、話題を共有する目的でそれらの本を借りて読んでいた。最初はピンと来なかったが何冊も何冊も読むうちにドキドキしたりキュンキュンしたり様々な感情が動かされるようになった。


動かされたのは下半身の突起の膨張率と右手もだった。


いつのまにか私は好んでそれらを読みそれで射精し現実の誰かに欲情することはなくても、それら漫画の主人公が受ける愛の表現を羨ましく思うようになっていた。



話は戻るが、その佐藤くんに私はその欲情が向かっているのに気がついた。しかし気がついた頃には春の兆しが見えていた。


高校受験も終わり私は小学四年生の宣言通り建築科のある高校へ進学することとなった。


建築科というのはなぜ男子生徒が多いのであろうか。

実に私には花園だった。



しかし、私と私の家族は熱心な宗教一家であり

同性愛的な行為は否とされる事柄であった。

私は十分理解していたしその教えに敬意を払っていたので感情的に揺れ動くことがあっても行動には移さず自分を律し過ごしていた。


私はその頃標準語で話していたが

また“オネエ”疑惑勃発である。

クラスメイトのオラオラ系男子大久保くんはことあるごとに「抱いてやるよ」とか「ほらしゃぶれ」など倫理的にアウトな発言で誘惑して来た。

彼にその気はなかっただろうが私は毎度ムラムラしていた。というかとてもタイプだったのだ。


今出会ったら、土下座でもしてハグしてもらいたい。



私は生まれた時から家族と共に大切にして来た教えを守りたいと思っていた。確かに宗教と聞くとカルトやセクトを思い浮かべてしまうかもしれないが、私にとっては生活の指針でありメンタルの維持に欠かせないものだった。


私はその年の夏、宣誓をし宗教活動に勤しむようになった。



さて、高校生活では部活動に加入することが必須であった。自分で自分の時間を有意義に使わせてもらえないのは癪だが仕方ない。私は資格を取るための勉強をする部活に入った。


しかし顧問が何かを教えてくれるわけではなく実際は顧問の担当する教科の授業準備を手伝わされるという内容だった。


私は不快だった。


それで次第に部活に行かなくなったがある時顧問に呼び出されたのである。顧問は言った。


「部活動と宗教、どっちが大切なの⁉︎」


は?



は?



もう一度。は?


呆れたものが言えないとはこのことではないだろうか。

私はその日、部活動を辞めた。



その時期クラスメイトの木下くんも野球部を辞めていた。

彼はのんびりとした性格で某スペインハーフ俳優をブサイクにしたような顔つきだった。平たくいうとイケメンだった。


カラオケ好きの彼と僕は馬があいよく遊ぶようになった。

ボーリングにも行ったしサイクリングもした。我が家に来てはたこ焼きを共に焼きトランプをしてテスト勉強をすることもあった。


実に高校生らしい年であった。



そして私は木下くんを好きになった。

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