53.いつからそんなことを思うようになったか(2)
そこに在る右腕を真っ直ぐに伸ばし、怪物にかざすような位置で手を開く。手のひらから何かが伝うように藍の光は広がり、何もない空中に魔法陣が描かれた。ここまで至ればすぐにでも魔法は放てる、が、今はまだ放たない。貯めるのだ、もっと。相手は大きい、だから、限りなく最大に近い威力にして放たねばならない。一秒、二秒、三秒、と時が過ぎてゆく。それと同時進行で、図形を複雑に組み合わせたようなそれはみるみる広がっていった。
そして、ついに放たれる。
凄まじい威力を持った攻撃魔法、それは遥か上空にある怪物の頭部に命中した。
岩山を削り取るような轟音が空気を揺らす。
それにより怪物は一斉に崩れて。
あの時と同じようなものだろう。
魔法によって倒したことで、怪物は複数の岩へと戻ったのである。
だがまだ油断はできない。というのも、上空から岩がたくさん降ってくるという非常に危険な状況なのだ。まるで巨大な噴火。人間が食らえば即死だろう、巻き込まれないようにしなくてはならない。
凄まじい音が響き、岩は地上に落下した。
幸いリベルのところには落ちてこなかった。
辺りに充満する砂と土が混じったような匂い、しかしリベルは次なるターゲットをその眼で捉えている。
まだ敵は何体か残っている、それらもここで仕留めておかなくては。
直後、一体が帯状の炎を吐き出した。
周辺一帯に紅が宿る。
「っ……」
リベルは息を詰まらせた。が、周囲から走って逃げる声が聞こえたことで正気を取り戻し、早く対処せねばと二発目の準備に入る。上空で揺れ動くそれを確実に捉えるのは簡単なことではないがリベルにはやってみせられる自信があった。
そして放つ二発目。
紅の中を一筋の光が駆け――そして二体目の化け物を仕留めた。
悲鳴のような声、絶望の色、人々の嘆きが響き渡る地上でリベルは放つ。高威力で確実に化け物一体を仕留められる魔法を。
やがて、岩が積み重なったような怪物はすべて沈黙した。高威力魔法の前ではいくら大型であっても無力だった。むしろ、大きすぎて回避ができないために損しているくらいであった。何なら小型であった方がまだしも動けただろう、少なくとも数回は回避できたに違いない。
「ふぅ……」
リベルは意味もなく息を吐き出して、神殿の方へ引き返そうとする。
だがその瞬間世界が歪み。
脚の力が抜ける感覚があって前向けにかくんと倒れてしまう。
リベル自身、何が起きているのか分からずにいた。ただ、動けないことだけは確かで。魔力を使い過ぎたためかとも思ったが、これまでここまでなったことはないのでよく分からない。
だが。
「おい! しっかりしろ!」
遠のきかけた意識はエディカの声で一度引き戻された。
「……んー、なに?」
「何でこんなとこにいるんだよ! 馬鹿か!? こんなところで寝てたら灰になるだろ! まぁどこでも寝ていいが、ここはさすがにまずいだろ!!」
「動けないんだ、眠くて、さー……」
それでもなかなか起きるところまではいかず。
リベルの身は動かない。
「こら! また寝ようとする!」
「もー……おじさんのけち……ちょっとくらい待ってー……」
「おじさん!? ……夢みてんのか? 馬鹿な! この状況で!?」
結局リベルはそのまま眠ってしまって。
放っておけなかったエディカはリベルを神殿にまで担いで連れ帰った。
◆
「うわー! ごめん! ごめんー!」
神殿内のソファの上で意識を取り戻したリベルはエディカを呼び出し謝罪する。
リベルは何度も頭を下げた。
かなり元気そうな動きだ。
「大丈夫かよ……」
すっかり元気になっているリベルを見て、エディカは少し嬉しそうだった。呆れたように、でも安堵してもいるように、灰色の頬を緩める。
「寝ちゃってたー!」
「元気そうだな」
「うん! 元気! 助かったよー」
「ならいいけどさ」
「エディカってやっぱ紳士だねー!」
「なんていうか……どう応じればいいか分かりづらい発言だな」
リベルはもう動ける状態になっていた。脚も動くし、意識も朦朧としてはいない。結局あの時なぜ動けなくなったのかの答えは出なかったが、リベルは、恐らく魔力を使い過ぎたのだろう、と解釈した。
それから少しして、リベルのところへ一人の看護婦がやって来た。
看護婦が言うには神殿内へ避難してきていた銀髪の女性が出産し子が誕生したのだそう。
リベルは汚れた上着を脱いで彼女のところへ急いだ。
だがその時には既に女性はかなり弱っていた。
「聞いたよ! 生まれたって!」
「……良か、った、はい……貴方に、お礼、言いたくて」
リベルに回復魔法が使えたなら、きっと、目の前の弱り切った女性を救うべく力を使っただろう。だが彼には癒やしの力はない。彼にできること、その範囲にも限りがある。
「あの、時……励まして、くださって……ありがと、う……ございました。ほん、とうに……。私はもう、駄目、です……」
「え、ちょ、何で!?」
「夫は……今日、死に……ました、でも……あの人との子を、最期に産めて良かった……あな、たの、励ましの……おか、げ、です……」
女性の目もとには涙の粒が光っていた。
「……あり、がとう」
そして女性は旅立った。
銀の髪は今もそこで宝物のように輝いている。
それでも彼女の生命の灯は消えたのだ。
「お母さん、赤ちゃ――あら? えっ!? ちょ、ちょっと! 大丈夫ですか!?」
「ちょっと人呼んで!」
「しっかり! お母さん! お母さん!」
看護婦が息絶えた女性の周囲へ集まってくる。
その中の一人は布にくるまれた生まれたての子を抱いていて。
「……お姉さんみたいな、綺麗な銀髪の子だ」
その子へ視線を下ろして、リベルは一人うわごとのように呟いた。
辺りは悲しみに包まれる。それまでは出産によって湧いていた。けれども母の死によって空気は一変してしまって。それまでのめでたい空気はあっという間に掻き消されてしまった。生まれたばかりの子がそこにいてもなお、今や悲しみばかりが空間を満たしている。
死なないでほしかった、なんて、自分らしくない――思い、リベルは胸の内で呆れ笑い。
ずっと殺めてきた。
そのくせ何を今さら。
今になって、生きてほしかった、なんて、あまりにも贅沢で傲慢な願いだろう――ずっと生命を奪い続けてきたのに。
いつだってそうだ。
傷つけ叩き潰すことで手に入れる平穏しか選べない。
ただ、それでも。
生きてほしかった、そう思い、願っていた。
あの日見た彼女の嬉しそうな顔を覚えているから。
だからこそ生きていてほしかった――いつからそんなことを思うようになったか。




