3.愛する人が笑っていないなら意味がない
神殿と同じ敷地に建つ別棟にある食堂。
そこは主に神殿で働いている者たちの憩いの場だ。
食事の時、というのは、大抵誰にとっても他の時より心休まる時間だろう。それゆえ、皆が食事を楽しむ食堂は、まさに安らぎの場。そこでは誰もが柔らかな表情になる。そこでは多くの者が楽しさや美味しさで笑顔になる。
今も多くの人がお盆やらお皿やらを手に食堂内を歩いている。また、既に席に着いている人たちも、食べつつ近くの席の人と喋っていて。何かと賑やかな食堂だ。
「こんにちは! アウディーおじさま!」
お昼時、好物であるトマトのような色の髪を持つフィオーネが声をかけたのは、五十代くらいの男性アウディーであった。
本日のセットメニューであるトマトパインパスタセットを食べていたアウディーは横長の椅子に座ったままの状態で振り返る。
「よ、フィオーネ。元気か」
見慣れた顔に、アウディーの口角は少しだけ持ち上がる。
彼にとってフィオーネは大切な人の娘のようなもの。だから、年下であっても若い娘であっても、雑な対応はしない。
「はい! 今お食事中ですか?」
「あぁそうだ」
「向かい、良いですか?」
ちなみにフィオーネも今日はトマトパインパスタセットを選んだ。
何よりもトマトが好きだからだ。
彼女が両手で持っているお盆にはトマトパインパスタセットが乗っている。
具体的には、トマトサラダ、トマトパインパスタ、トマトジュースで作ったゼリーなど。中でも特にトマトジュースで作ったゼリーは見た目からして美しく、透明の器の中で煌めくその姿はまるでフィオーネの心を取り出した宝石であるかのよう。
「もちろん、座れ座れ」
「ありがとうございます」
シンプルな礼を述べてからアウディーの向かいに腰を下ろすフィオーネ。
「アウディーおじさま、実は……少し聞きたいことがあるのですが」
「何だ?」
「たびたびお墓参りに行っているそうですね」
アウディーの表情は強張った。だが彼はそんな状態でも言葉を返す。低めの声で「なぜそれを?」と。向けられた問いに、フィオーネは「エディカさんから聞きまして」と返す。
「エディカさんに剣を習っていますが、たまに唐突に指導が中止になる時がありまして。どうしてかと思い尋ねてみたところ、お墓参りだと」
言葉を紡ぎながらもフィオーネはトマトサラダを口にしている。
シリアスな話題を提供しながらもトマトへの情熱の方が強い――のかもしれない。
「そういうことか」
「奥さん……ですか?」
口いっぱいに詰め込んだトマトサラダを飲み込んで、フィオーネは心なしか気まずそうに目の前の男へ視線を向ける。
「……あぁ」
低い声、短い返答。
しんみりした空気が漂う。
「そういえば、アウディーおじさまには娘さんはいるのに奥さんはいらっしゃらないですよね。過去に何かあったのですか?」
「……ふぅ、そこまで聞くか」
息をゆっくりめに吐き出し、既に空になっている自分のサラダの皿をじっと見つめるアウディー。
その瞳には様々な色が混じり合ったような感情が映し出されているようだった。
「聞いてはなりませんか」
「気になるか?」
「はい」
「……そうか、なら仕方ねぇ。教えてやろう、話してやろう。ただ……暗いぞ?」
「問題ありません」
やがてアウディーは語り出す。
己の過去について。
今からもうずっと昔、まだアウディー夫妻は若く娘エディカも子どもだった頃、アウディーは強さを高めるためレフィエリを出て経験を積もうと考えた。そして、戦いで己を鍛えるということで、妻と娘をレフィエリに残して旅出ったのだ。彼は戦いに戦いを重ね、より強い己を求めて走り続けた。
そうして満足するまで鍛えた後にアウディーはレフィエリへ帰ってきた。
しかしその時には妻はいなくなっていて。その後レフィエリシナから「襲撃事件によって貴方の妻は亡くなった」と告げられた。幸い、娘のエディカは、レフィエリシナによって保護されていたが。
「その時気づいたんだ、強さを求めるだけでは駄目だったのだと」
アウディーは隠さなかった。事実を淡々と並べた。けれどもその表情は決して明るいものではなく、また、平常時のものですらなかった。言葉一つ一つは大人の落ち着きを感じさせるものだったが、その一方で、灰色の面には正直な感情が滲んでいたのだ。
「強さ、だけでは……」
繰り返して、フィオーネは切なさに目を細める。
「愛する人を護れなければいくら強くなれても意味がない。妻を失うまで気づけていなかった、が、俺の望みは強くなり続けることではなくて愛する人を護ることだったんだ。いくら強くなれても、愛する人が笑っていないなら意味がない」
アウディーの言葉に、フィオーネは頷いた。
そしてまた小さく繰り返す。
「愛する人が笑っていないなら意味がない――」
フィオーネは自身を育ててくれた母のようなレフィエリシナのことを護りたい。護ることで恩返しをしたい。だから強くなることを望んでいるし、護衛の道を選んだ。
愛する人のため戦う。
その道であれば迷いはしないという自信が彼女にはある。
「な、フィオーネ」
「何ですか?」
「あんたは間違えるなよ」
「え……えと」
「力だけに強さだけに目を向けては駄目だ。大切な人を護る、それがどういうことか、きちんと考えるんだ。馬鹿だった俺の二の舞にはなるなよ」
失われたものは戻らない。
だからこそ護る。
道を誤らず、己の望みと向き合い――その瞳で、大切な人を護るということの本質を確かに捉え続けなくてはならない。
「はい!」