38.剣は人のために
その日、フィオーネは特に何の意味もないが、神殿の敷地内を一人で歩いていた。
女王となった彼女がこれまで通り自由に歩き回ることを良く思わない者やその身を心配する者も中にはいるが、それでも彼女は女王就任までと変わらず何にも縛られず行動している。
「きゃあぁっ!!」
突如、鼓膜を裂くような悲鳴が耳に飛び込んでくる。
フィオーネは思わず走り出した、声がした方へ――思考が落ち着くより先に身体が動いていた。
通路を抜け、中庭へ。
するとそこにはごつごつした石でできた人型の生き物に襲われている女性がいた。
女性は煉瓦を重ねて作ったような面のある柱を背にして震えている。
灰色の肌に茶色い髪、ワンピースを身にまとった、明らかに戦闘員ではなく一般人だろうというような女性だ。もちろん武器は持っていないし防具を身につけてもいない。
石でできた謎の生物なんてものは見たことがないし知らないけれど――それでもフィオーネは女性を助けるため前へ出る。
剣を抜き、敵に斬りかかる。
がり、と低い音がして、フィオーネの剣の先端が敵の肩辺りを少し削る。彼女の剣は細い、そのため攻撃力はそこまで高くない。硬質な敵の身体を断つほどの力はない。が、一撃加えたことで、敵の意識を女性からフィオーネへ移らせることができた。フィオーネとしてはそれだけでも満足だった。
「逃げてください!」
「……ひ、ぅ、……は、はい」
女性は泣いていた。けれども助けの手が差し伸べられたことは理解していて。だからこそだろう、涙で顔を濡らしながらも頷くように頭を動かし懸命に声を絞り出していた。それから数秒が経ち、女性は若干よろけながらも走り出す。
フィオーネは石でできた人型の敵へ視線を向ける。
「ウ……ウ……」
敵は何やら声のようなものをこぼす。
けれどもそこに意味のある文字列はなかった。
「ウウ……ウ……ウ、ウ……」
「どうやら言葉ではないようですね」
会話はできそうにない、そう判断したフィオーネは、敵と言葉で接触することは諦める。
刹那、敵の片腕が勢いよく伸びた。
くすんだ黄土色の大きな手が迫る――フィオーネは剣を振りそれを弾いた。
断つほどの威力はなくても、それでも良かった。
フィオーネの反撃に一瞬隙ができる。それを見逃すフィオーネではない。彼女は大きく一歩前へ踏み込んで敵に近づき、剣から離した右手の手のひらを敵へ突き出す。
手のひらと敵の身、その狭間に浮かぶのは、三角形や四角形を複数重ねたような複雑な図形。日頃人が目にすることはあまりないようなそれは、血のような色の光をまとう。
そして。
次の瞬間、不気味な敵は爆発してばらばらの石となった。
それはフィオーネの魔法だ。始めのうちは発動時の波が大きく色々な意味で失敗を重ねていた彼女も、今ではすっかり魔法を使いこなせるようになった。と言っても、いまだに複雑なものは使えないのだが。ただ、基本的な攻撃魔法などは、今ではすっかり得意技となっている。
「これって……」
足もとに転がるいくつもの石を見下ろしながら呟くフィオーネ。
「もしかして……」
ここのところ、国境辺りで少々怪しい動きがあると聞いている。
そして、先日は、調査に出ていた者から『石を組んで魔力で動かす兵器』というものを敵勢力が所持しているという報告があった。
これもまたそれなのでは?
そんな風に思いながら。
フィオーネは複数あるうちの一つ、石を拾う。
「普通の石みたい」
◆
「そんなことがあったなんて……」
フィオーネは石を一個だけ拾ってからレフィエリシナのところへ行った。
そして起こったことを何一つ隠さずに説明した。
「それで、この石が敵だったものなのね?」
「はい」
レフィエリシナはフィオーネから手渡された石を暫し観察し「普通の石に見えるけれど……」とこぼす。それに対してフィオーネは「私もそんな気がします、でも、先日の話と無関係とは思えない気もして……」とありのままの思いを述べた。
「そうね。では一応リベルにでも見てもらっておくわ」
「ありがとうございます、お母様」
フィオーネとレフィエリシナ、国における地位という意味では二人の関係は変わったけれど、個人的な関係性は今も何も変わっていない。
「しかし驚いたわ、まさか貴女が戦うなんてことになっていたなんて」
レフィエリシナは石を近くのテーブルに置く。
「すみません……ですが、一般人の女性が襲われていたのです……」
「いいえ、責めてはいないわ。むしろ素晴らしい行いよ。ただ――母、としては、娘が危険な目に遭うというのは複雑な心境ね」
少し間を空け、レフィエリシナは続ける。
「怪我はない?」
問いを放つ彼女の口もとには穏やかな笑みが浮かんでいた。
「はい!」
「ならよかった、安心したわ」
◆
「あのっ……! フィオーネ様……!」
後日、フィオーネは先日助けた茶色い髪の女性から呼び止められた。
「は、はい。何でしょうか」
いきなりのことに戸惑いつつも立ち止まって対応するフィオーネ。
「先日はありがとうございました!」
「あ、この前の。石みたいなのに襲われていた方ですね」
「はい! 本当に助かりました! 本当に……本当にっ……ありがとうございました!」
女性は何度も頭を下げる。
その果て、面を持ち上げフィオーネを見つめるその瞳には、ただ一つ信ずる神を捉えているかのような色があった。
そんな女性の手を取りそっと握るフィオーネ。
「無事で良かったです」
――女性との会話はそれで終わった。
フィオーネはこれまでいろんな人たちに護られてきた。
けれども今度は己の手で誰かを護ることができた。
その事実を自分の目で見たことで、フィオーネは己により自信を持つことができるようになった。




