22.レフィエリの秘術(1)
その日、フィオーネとレフィエリシナは、神殿内のあまり人通りのないエリアを歩いていた。
なぜ人がいないのか?
それは、その場所が、ごく一部の人にしか入ることのできない秘められた場所だからだ。
静寂に二人の足音だけが控えめに響く。
そして、やがて立ち止まるレフィエリシナ。
「着いたわ」
「お母様……ここは?」
女王レフィエリシナに子のように育てられてきたフィオーネですら、その場所のことは知らなかった。
――最奥の間。
そこは隠された聖域。
銀で縁取りされた濃紺の扉をそっと押し開けるレフィエリシナ。
「こんなところが……」
真っ白な石畳の床、高い天井、言葉を失うくらい清らかな空気――フィオーネは圧倒される。
「ここは始まりの間。レフィエリの主たちは代々ここを訪れて来たわ。そして皆この場所で学ぶのよ、秘術を」
フィオーネは高い天井を見上げて目を輝かせていた。
彼女にとっては初めて訪れる楽園。
すべてが、特別で、心奪うものだった。
「聞いている? フィオーネ」
「あっ、す、すみません! でも聞こえていました! レフィエリの主がここで秘術を習うのですよね!」
「ええ」
「で、では、お母様もここで? ここで秘術を学ばれたのですか?」
レフィエリシナは瞼を閉ざしながら一度だけ頷く。
学ぶことが好きなフィオーネは興味深そうに「先生がいらっしゃるのでしょうか……?」と尋ねる。それに対してレフィエリシナは「夢をみるの」と短く事実だけを答えた。しかしその答えはフィオーネの中の疑問符をより大きく膨らませるだけであった。
「ここには始まりの魔術師の思念が遺されているのよ」
「始まりの……って、あ! あの始まりの歴史のですか!?」
フィオーネは以前レフィエリの始まりについて調べたことがあった。で、その時、この国の始まりに一人の魔術師が関わっていたことを知ったのだ。とはいえ、その時は伝説だろうくらいにしか捉えていなかったので、それ以上深く踏み込んで調べたり考えたりすることはしなかったのだが。
「貴女も女王になるなら秘術を教わらなくてはならないわ。まぁ……今回に関しては順序が逆転してしまうけれどね」
「私が習うのですか? それも今?」
「そうよ」
「あ……は、はい! 頑張って習得します!」
やる気はあるが不自然な力み方をしているフィオーネをレフィエリシナは室内へ押し込んだ。そして扉をそっと閉める。気づけばフィオーネは室内に一人ぼっちになってしまっていた。
そのことに気づいたフィオーネがレフィエリシナを呼ぼうとした瞬間、得体のしれない青白い光が背後から迫り――やがてフィオーネは意識を失った。
◆
気づけばフィオーネは薔薇の咲く丘にいた。
様々な色の薔薇が咲き乱れている。
何をしていたのだろう?
何をしているのだろう?
曖昧になってしまった記憶、フィオーネは言葉は出せないままで辺りを見回し状況を読み取ろうとする。
空は青く澄んでいた。
「フィオーネ」
背後から呼ぶ声がして振り返る。
そこには藍色のドレスを身にまとい純白の大きな帽子を被った女性が立っていた。
「あの、すみません、ここって……」
「美しいところでしょう」
目もとは帽子で隠れたまま、唇だけが動く。
「え……あ、は、はい、そうですね」
きょとんとしていたフィオーネに、女性は歩み寄る。そして、すぐ傍で止まると、重ね合わせた手のひらを開いて見せる。
そこには一輪の薔薇があった。
手のひらの舟に収まる大きさの、それでいて堂々とそこに在る、藍色の薔薇。
「選ばれた貴女には見えるの」
すぐ傍でそう話す女性の顔を覗き見て、フィオーネはどこか懐かしさを感じる。
それは、遠い記憶ではない。
ただ、その懐かしさはくっきりとしたものではなく、ぼんやりとした輪郭のようなもの。
「……師匠?」
フィオーネは無意識で呟く。
「何?」
「あ――ご、ごめんなさい、関係ないですよね! すみません!」
落書きを慌てて消すかのように笑いをこぼすフィオーネ。
「その、知人に貴女に少し似ている人がいて、ですね……それでつい! すみません急に関係のないことを! 馬鹿みたいですね関係あるわけないのに……本当にすみません!」
それからフィオーネは話を戻す。
「そ、それで、この薔薇、何なのでしょうか? 選ばれたというのも、よく……分からなくて。私はただのフィオーネです」
フィオーネはどこか気まずそうな顔をしながらも藍色の女性へ視線を向ける。
すると女性は柔らかく微笑む。
「貴女みたいな人が好きよ」
女性は一つの薔薇をフィオーネに手渡す。
「だから、あげるね」
頬に落ちる唇。
「レフィエリを護って」
そして世界は溶け落ちる。
優しい花の香りと共に。
◆
フィオーネは目覚める。
冷たい白色の床の上で。
「え……え、え……え……?」
何が何だか分からなくなって混乱していると、扉が開く。
「終わったようねフィオーネ」
聞き慣れたレフィエリシナの声がフィオーネを現実世界に引き戻す。
夢のような時間は終わった。
「お母様……」
「夢をみた?」
「はい、ええと……そうでした、お姉さんが藍色の薔薇……」
しゃがみ込んだレフィエリシナの手が、まだ立ち上がることができずにいるフィオーネの頭を滑らかに撫でる。
「帰りましょ、フィオーネ」
「あの、本当に、これだけで良かったのでしょうか……?」
「ええ」
「そ、そう、ですか……」
差し出されたレフィエリシナの灰色の手を、フィオーネは握った。
それでもまだ戸惑いも抱えている彼女だったが。
「トマトパフェ、あるわよ」
レフィエリシナの言葉に。
「食べますッ!!」
興奮気味な大声を発した。




