20.視察への同行(2)
フィオーネとて外の世界をまったくもって知らないというわけではない。神殿に監禁されていたわけでもないし。だから街へは来たことがある、街の様子を見たことだってある。
でも今日のそこにはまったく違う光景が広がっていた。
灰色の石畳の道は人によって塗り潰されている。賑わいが凄い、なんていうものではない。レフィエリシナが歩いてゆく周囲には人が溢れている。全方位、人、人、人。人で世界が造られているのか、というくらいに、人がたくさんいる。
「あー、皆さん、のいてのいてー、危ないですよー」
慣れた様子で人を掻き分けていくアウディー。
それに対してフィオーネはレフィエリシナにぴたりとついて歩くことしかできない。
「レフィエリシナ様ぁー! 好きぃー!」
「女神きたこれぇーッ」
「ああ……やはり麗しい……」
「あの髪が美し過ぎるんだよな~」
人々の勢いにフィオーネは圧倒される。
「サインください! 祖父の代から尊敬してたんです!」
「あんた家、早婚の血筋?」
「……ったく、うるさいわね。あんたみたいなのは黙ってなさいよ」
とにかく人が多くて、圧死しそうな気すらしてくる――すっかり場の雰囲気に呑まれてしまっているフィオーネだが、それとは対照的に、レフィエリシナは穏やかな笑みを口もとにたたえているままだ。
「はいはいー、道空けてくださいねー、通れませーん」
アウディーはレフィエリシナより前を歩いている。だがそれも仕事なのだ。レフィエリシナが通る道を作る必要がある、だから、彼の役目もまた必要なものなのだ。
フィオーネは圧の凄まじさにくらくらしてきた。
刹那。
気絶しそうだったフィオーネは確かな意識を取り戻す。
それは目から入ってきた刺激によるものだった。
――人混みを掻き分けながら慣れた様子でレフィエリシナの方へと近づいてくる一人の男。
そして。
きゃあ、と悲鳴が響く。
レフィエリシナへと直進する男の手には大きめの包丁が握られていて。
フィオーネは男と対峙することとなる。
「死ね!!」
男は叫ぶ。
豪快に突き出される包丁――フィオーネは男の手を払い武器を手から落とさせた。
大急ぎで戻ってきていたアウディーが男を取り押さえる。
男はもう暴れられない。武器も地に落ちた。だがそれでも周囲には動揺の波が広がり、皆、混乱していた。そして、それによって押し合いが起きて、さらに状況が悪化している。
「落ち着いてください!」
フィオーネは叫ぶ。
「確保されています! 安全です! 皆さん、慌てて動かないで! 落ち着いて行動してください!」
一度ではなく何度も叫んだ。
その叫びの成果か、周囲の者たちは徐々に落ち着きを取り戻した。
襲いかかった男はあの後すぐに街の警備隊に渡された。
それからは特に事件はなく。
レフィエリシナは予定通り街を見て回り、全日程が終了となる。
◆
「今日はお疲れ様、フィオーネ」
神殿に戻った時にはすっかり疲れてしまっていたフィオーネ。今はレフィエリシナの自室内にいるのだが、ベッドに寝転がってしまっている。すっかりだらけてしまっている彼女へ、レフィエリシナは柔らかく労いの声をかけた。
「あんな不審者がいるなんてびっくりしました……」
フィオーネの燃ゆるような色の瞳は天井だけをぼんやりと捉えている。
「そうね。疲れたわね。でもよく頑張ったと思うわ――ありがとう、フィオーネ」
レフィエリシナは髪をときながら礼を述べた。
するとフィオーネは急に上半身を起こす。
「あ、はっ、はい! これからももっと頑張ります!」
フィオーネははきはきした声を出した。
「なかなか冷静な良き対応だったわよ」
「ありがとうございます……でも照れてしまいます、お母様に褒めていただけるなんて」
色々大変だった、疲れた、そんな風に思うところはあって。
けれどもそれ以上に学びもあった。
総合的に考えると本日の活動は無駄な活動ではなかった――そう結論を出したフィオーネであった。




