16.悪い夢をみた夜に(2)
美しい夜空。
美しいレフィエリ。
レフィエリシナにとってそれは何よりも大切なもので愛おしいもの。
けれども時折思いもする――大切なものがなければ失うことへの恐怖を抱かずに済むのに、と。
「……貴方が羨ましい」
ぽつりとこぼすレフィエリシナ。
「え」
夜空の下、ほんの数秒だけ、二人の視線が重なる。
「そう思うこともあります」
頭の角度が変われば、晴れの日の空のような色の長い髪がはらりと揺れ動く。
「えー? 何それ」
「何にも縛られず、失う恐怖も抱かず」
そこまで言って言葉を途切れさせたレフィエリシナは、目を閉じ、長い睫毛に小さな涙の粒を伝わせる。
「……貴方のように強くあれたら」
かけられた言葉にリベルはきょとんとした。が、数秒の間の後、レフィエリシナの片方の手首を掴んで引き寄せる。一瞬にして顔と顔の距離は縮まり、それこそ恋人であるかのように、二人は接近する。
だが、そこにあるのは愛ではない。
「何か隠してる?」
リベルは低く放つ。
「っ……」
レフィエリシナは耐えきれず目を逸らす。
「なぜ話さないの?」
「それ、は……」
「どうして隠す?」
言葉は喉元まで来ている。
ただそれでも言えない。
まだ誰にも話せない――かつてそう決めたから。
辛いこと、悲しい記憶、そういうものは一人で抱えるより誰かと共有する方が良い。その方が少しは楽になれるから。けれどもレフィエリシナにはその道は選べない。
「離れなさいリベル」
レフィエリシナは口だけを動かす。
それでも近づこうとされ、彼女は、咄嗟に目の前の彼の手首を強く掴み上げた。
「あたたたた! 何するの!? 急にー!?」
レフィエリシナはそのまま彼の身を放り投げた。
ベンチから少し離れたところに倒れることになったリベルは、少し不満そうに頬を膨らませて「すっごい握力……」とこぼす。
吹き抜ける風は冷たく、離れた両者の髪を揺らす。
「貴方に話すことはありません」
レフィエリシナの声は滅多にないくらい低かった。
「ふーん、そっか」
「もうこのような馬鹿げた真似をしないように」
「馬鹿げた、ねー」
リベルが立ち上がるのを待たず、レフィエリシナは歩き出す。
自室へ帰ることにしたのだ。
美しい空も、美しいレフィエリも、心地よい風も――己の奥を探ろうとする者の傍では不愉快なものでしかない。
「……分かるわけがないのよ、話したとしても」
呟きは静寂に消える。
誰の耳にも届かず。
◆
翌日、レフィエリシナは昨夜のことを謝ろうと考え、できればリベルに会えたらいいなと思いつつ歩いていた。
すると神殿内の通路で出会う。
「「あ」」
フィオーネと何やら喋りながら歩いていたリベルと一人歩いていたレフィエリシナはほぼ同時に相手に気づく。
「お母様?」
「ああ、いえ、違うのよ。フィオーネに言ったのではないの」
気まずさを抱え上手く言葉を出せないレフィエリシナ。
そんな彼女に、リベルは軽やかに言葉をかける。
「今日は良い天気ですねー」
昨夜のことなど忘れているかのような真っ直ぐな笑みを向けられ、レフィエリシナは戸惑う――そうしているうちに二人が通り過ぎてしまいそうになって。
「リベル!」
レフィエリシナは名を呼んで引き留めようとした。
「何ですかー?」
「あ、あの……昨夜は失礼しました、あのようなことを……」
しかしリベルの表情に変化はなく。
「いえいえ、とても心地よい風でしたよねー」
彼は笑顔のままそう返すだけであった。
レフィエリシナはそれ以上何も言えない。言葉を探しているうちにリベルとフィオーネは通り過ぎていってしまう。既に一度止めたため、もう一度止めるということも不自然すぎてできず。二人の背を黙って見送ることしかできなかった。
それでも、レフィエリシナの心には、フィオーネが彼と上手くやれていることへの安堵感もあった。
フィオーネには自分と同じ道を辿ってほしくない。
辛いことを誰にも相談できないような状況にはなってほしくない。
だからそのためにできることはすべてしてきた。
フィオーネが一人でも多くの信頼できる人に支えてもらえますように――それもまたレフィエリシナの望みだ。




