4.彼の正体
今回でひと段落つけるつもりが…書いてるうちに今回だけではおさまらない感じになってしまいました。
夜道をミツキと並んで歩く。祭りの騒がしさが遠ざかったせいか、よりいっそう静かな気さえする。そんな静けさの中にカラカラという二人分の下駄と祭りの残骸の入ったビニール袋の音だけが響いていた。互いに何かを話すということもなくただ黙っていくつもの街灯の光をくぐっていく間、私はミツキの言ったことの意味を考えていた。
人の中に生きる人でないものが、あるいはミツキが、気配以外に隠していること。全く見当がつかないわけではないけれど、それをどう確かめれば最良なのか見当がつかない。
「アキ?」
ある一つの街灯に照らされたところで唐突に立ち止まり、ミツキが私の顔を心配げに覗き込んできた。
「えっはい…、なんでしょう。」
「足取りが重い気がしてな。慣れない和服と下駄で疲れたんじゃないか?負ぶろうか?」
私が答える前に彼が私の前に屈んだ。肩越しに促す視線を投げられた。
「え、えっと…じゃあ、その…失礼します…?」
彼のいう通り少し疲れていたのも事実だったので、恥ずかしさと痛いくらいの鼓動を気づかなかったことにして彼の背中にそっと身を預け、首に手を回した。
「よっ…と。しっかり捕まえておく。眠ければ寝てくれ。」
「ありがとうございます。…重くは、ないですか?」
「いや、特には。」
軽い声色で言われた言葉の通り、彼は軽々と立ち上がる。私を背負う前と変わらない小気味のいい下駄の音を鳴らして歩き始めた。私は当然こんな状況で眠気なんてくるわけもなく、ただ火照って耳まで真っ赤になっているだろう顔を見られずに済んでいることだけに感謝した。
◆◇◆◇◆
「なぁ、アキ…起きているか?」
家のすぐ近くに来たあたりでミツキが呟くように言ってきた。
「んん。」
彼の背中に軽く顔を押し付けながら曖昧に答える。ミツキはしばらく黙り込んでから、歩みを緩めてまた口を開いた。
「アキは…俺の今の姿が本来の姿じゃなかったとしたら…つまりは、その、俺の本来の姿が人間とは離れた姿だったとしたら、興味があるか?見たいと、思うか?」
珍しく言葉を途切れさせながら、躊躇うような慎重に言葉を選んでいるような風に、小さな小さな声で彼はそう言った。
「そうですねぇ。興味がないと言えば嘘になるでしょうね。ただなんというか…食べ物の好みだとか、趣味だとかそういうのを知りたいと思うのと似たような感じだと思います。好きな人のことを…ミツキのことをもっと知りたい、みたいな。」
彼と同じく小さな声で、けれどなるべくはっきりと伝わるように返す。
「もっと知りたい、か。」
そっと仕舞い込むように一言呟いて、彼はそれきり家に着くまで一言も発しなかった。
◆◇◆◇◆
「着替えは出しておくから先に汗を流してくるといい。」
帰宅早々脱衣所に半ば強制的に追い込まれ、言われるがままにシャワーを済ませた。
「上がりましたー。次、入りますか?」
タオルで髪を拭きながらリビングに入る。いつもの座布団に座っていたミツキは何かを考え込んでいたらしく、少し遅れて、あぁ。と生返事をするだけだった。
「さっきの話、考えてるんですか?」
自分の座布団を移動させて隣に座り、顔を覗き込んでそっと声をかけてみる。ミツキはほんの一瞬驚いたように目を見開いて、それからすぐにいつもの表情に戻った。
「まぁ、少しだけな。」
「…どうして、本来の姿が気になるかなんて質問を?」
「ずっと共に、夫婦として過ごすならば遅かれ早かれ知らせなくてはいけないだろうと思っていたからな。それなら思い立ったうちに勢いで済ませてしまった方が良いと思ったんだ。それと…幼稚だと思われるかもしれないが、羨ましかったというのもある。」
「羨ましい?」
「アキの友人に寄り添っていたあの男のことだ。気配を隠さず、もし仮に素性を知った上でああいう関係なのだとしたら…きっと正体も隠してはいないのだろうからな。あくまで仮定の話で真実はわからないが、何も隠さず、偽らずにいられるならばどれほど…と。」
どこか、ここではない遠くを見るようにして語る彼の横顔にぎゅぅと胸が締め付けられる感覚がした。
「本当の姿を明かすのは、怖いですか?」
「怖い。きっとお前は…離れてはいかないだろうと、そういう確信はある。だがそれでも怖い。」
「そう、ですか。」
胸の締め付けられる感覚と湧き上がってくるたくさんの感情、そして目まぐるしく回る思考の渦が私を飲み込んでいく。どうにも上手く言語化できないそれに耐えかねて、ミツキを精一杯抱きしめた。
「ミツキ。無理、しないでね。」
再び驚きの表情を浮かべる彼に、どうにかそれだけを伝えた。
どれだけの時間抱きしめていただろう、ミツキが気まずそうに口を開く。
「なぁ、アキ?その…そろそろ着替えたいんだが。」
「あ、そうですよね。すいません。」
我に帰り彼から身を離した。目があって彼の手が私の頬に添えられる。どうしたのだろうと動かずにいるとそっと額をくっつけられた。
「アキ、ありがとう。お前と話したお陰で少し心の整理がついた。…それに、アキが俺の気持ちや考えを汲み取って尊重してくれようとしているのも、俺が思っている以上に大切に思われていたようだということも知れたしな。本当にありがとう。」
小さな声で、けれど帰り道での躊躇いの色はいくらか薄まった様子でそう言った後、額が離れ遠ざかったと思った次の瞬間だった。ミツキの唇が私の頬に柔らかく触れた。突然のことに思考が追いつかずに固まっている間にミツキはお風呂へと姿を消した。
◆◇◆◇◆
座布団を戻しお茶を淹れ、ぼんやりと今後のことなどを考えていると寝間着に着替えたミツキが戻ってきた。シャワーを浴びたからか、それとも何か気持ちが晴れる考えに至ったのか、表情はかなりすっきりとしているように見えた。
「お茶、淹れましたよ?」
「あぁ。ありがとう。」
何気ない日常の空気が流れていく。いつもの場所に座ってのんびりとお茶を飲む。
「考えたんだが。」
「はい?」
「もういっそ今のうちに本来の姿を見せてしまった方がいいんじゃないだろうかと。」
「その心は?」
「時間をおいたらまた迷ってしまいそうだからな。」
「なるほど。まぁ、私としてはミツキがいいならいつでも構わないですよ?」
だろうな。と少し安堵したような気の抜けた笑い混じりで応え、それからミツキは真面目な顔をして湯呑みをおいた。
「3秒、目を瞑ってくれ。」
「はい。」
言われた通りに目を瞑る。1、2、3…心の中でゆっくりとカウントして、それから若干間を開けてそっと目を開いた。
そこには、龍がいた。森の中を思わせるような澄んだ深緑の鱗は金色に縁取られ規則正しくその背に並び、西洋のドラゴンにも似た、しかし幼さを感じる顔の一番目立つ額には金色の三日月が輝いている。直感的に龍だと思ったけれど中国の絵にあるような手や翼のようなものはなく、どちらかと言えば大蛇に近い見た目だ。大人の胴体ほどの太さがある体の割にとぐろを巻いているせいかあまり大きいという感じはしない。そのせいで長さを推測することはできないけれど、いつもの座布団からはみ出しているところを見ると実際は長さもかなりありそうな感じだ。
じっくりと観察するように眺めていると目が合った。蒼いような翠色のような深く澄んだ瞳は、目の前のこの龍が紛れもなくミツキなのだと確信するのに十分だった。
「あの、こういうことを言うとミツキは嫌かもしれないんですが…正直に思ったことを言わせてもらってもいいですか?」
『頼む。』
聞き慣れた声が、彼と再会した時導かれたのと同じように耳元で語りかけてくるかのように頭の中に響いてきた。
「普段の、人の姿が凛々しくてかっこいいからというのもあるんですが…非常に、可愛らしいというか、愛らしいお顔だな。と。」
互いに見つめ合ったまま数十秒もの長い沈黙が流れたように思えた。
『アキはいつも想像の斜め上というか、明後日の方向な感想を出してくるよな。』
「ふえ?…そうですか?」
『あぁ。少なくとも今回は嫌の種類が想像と全く違う方向性だった。』
「やっぱり嫌は嫌なんですね?」
『多少はな。だがまぁ…安心した。』
「そうですか。」
龍の姿のミツキは、今まで少し見下ろすように持ち上げていた首を気が抜けたようにくたりと自身のとぐろの上に下ろし、今度は上目遣い気味にこちらを見てきた。見下ろされていても可愛らしいと思っていたのに上目遣いになるとそれはそれでまた別の可愛さを感じてしまう。
「あの、触ってもいい、ですか?」
『あぁ、構わない。』
高鳴る鼓動に急かされながら、それでもそっと彼の鼻筋を撫でる。ひんやりと冷たくて、けれどどこか暖かい。人の姿をした彼と手を繋いだ時の感触によく似ている。あえて違いを挙げるならば、肌と鱗の触り心地の違いくらいだ。ざらざらしているわけではないけれどつるつるしているというのともどこか違う。しっとりとしていて不思議と手に馴染むようで、触り心地が良い。鼻筋から額を通って背中の方へと手を進めていく。彼の体は筋肉質で少し硬さを感じるけれど、ガチガチという感じではなく適度なしなやかさがある。人の姿の時も引き締まった体だなとは思っていたけれど、本来の筋肉量が反映されていたりするのかもしれない。
『満足したならそろそろ寝よう。』
一通り触れて手を離すと少しとろけたような、眠たげな声で言われた。時計を見るとちょうど10時半を過ぎる頃になっていた。
「眠くなっちゃいましたか?」
『あぁ。気が抜けたせいで一気にきた。』
「そのまま寝ます?多分お布団はみ出ますけど。」
『今日の気候なら多少は問題ないからな…。』
「そうですか。じゃあお布団敷いてきますね。」
大きな口で大きなあくびをする可愛い姿を見届けてから寝室へ向かった。
布団を敷いて整え終わった頃、少し開けていた出入り口を鼻先で押し開けてミツキが入ってきた。蛇のように這ってくるのかと思っていたけれど、そこはさすが龍というべきだろうか、私の胸の高さほどのところを浮いてきた。そして布団に座る私を普段抱き捕まえてそのまま布団へ倒れ込むのと同じように、今日は抱きつけないのでそのしなやかな体で巻きついてきた。余った部分は布団の外でとぐろを巻き、そのまま私を横倒しにする形で布団に沈む。
「ミツキ、愛してます。おやすみなさい。」
灯を消して、暗闇に光る彼の双眸へ向けてそう呟いて目を閉じた。
『ありがとう。俺も愛しているぞ、あきら。』
私の意識が夢の中へ溶けてしまう直前、彼がそう囁くのが聞こえた気がした。