契約
三章 契約
「お前がジャックって事で良いんだよな?」ピエロがマイケル等を解放したひょっとこ面の男を睨んでいる。
「私はジャックじゃない。その部下さ」
ひょっとこ面はその面に相応しくない、さわやか青年の声で言った。声からあふれ出る爽やかさが何とも憎たらしい。
「なら、情報を引き出そう」
ピエロの動きはとても早い。何時の間にか間合いを詰められているのだから、体感速度はチーターを超える。焦った爽やか野郎はヒェッとみっともない声を上げて身をかわした。慌てて拳銃を取り出し乱発、銃声がリズムよく三拍子ドラムの様に三発放たれた。ピエロは焦らない驚かない。冷静に一旦身をかわし、柱の陰に隠れた。心は冷静沈着、爽やかピエロである。
「どうしたものかな・・・ひょっとこ面の銃は、ウェブリーリボルバー。弾は六発だな。一応まぐれ当たりもあるから丁寧に」
ピエロは満身せずにゆっくり近づく。部屋の薄暗さを利用して飛び回り駆け回る。早く、グルグルと周りながら、爽やか野郎の弾丸を一発また一発と避けていく。汗をダラダラ、焦り散らかしている。
ドン・ドン・ドン
「これで三発。使ったな」
かわす必要は毛頭ない。なぜなら弾が無いのだから。真っ直ぐ突っ込み拳銃が宙を舞う。ゲームセット。流石、誘拐犯。生け捕りだ。
「これで終わりだ。大人しくしな。」
決め言葉ばっちりに、ピエロはショットガンを突きつける。しかし、ひょっとこ面は、先ほどまでの焦りが無くなり、爽やかに笑っている。面越しでもそれが分かる。
「もう一度言いましょうか?私はジャックじゃない」
ドーーン
気付いた時には既に遅し、横からわき腹を一発。これはもう動けない。
「悪いね。この小さくなれる魔法の瓶を使うのは君たちだけじゃないのだよ。瓶の中で隠れてタイミングを見計らわせて貰ったのさね。私がジャックさ」
いきなり撃ったのはおかめ面の男である。薄れてゆく意識の中で生暖かい自分の血に包まれながら、ピエロはジッとジャックを見つめていた。まんまと逃げられたのである。
「ついて来たまえよ。きっと助けてやるのさね」
ジャックは低い声で言った。爽やか野郎とは違った落ち着く声である。マイケルは菩薩に包まれたような気持ちになった。きっとこの人なら助けてくれるだろう。見えない仮面の奥もきっと優しい顔に違いない。
ジャック等逃亡メンバーは、マイケル・ジョン・マーティ・自称占い師の少女・爽やか野郎・ジャックとその他有象無象が七人の計十三人がゾロゾロと歩いている。目立ちそうなものであるが、ジャックが案内する道は人気のない錆びた鉄のパイプだらけの場所で、見つかる事が無いどころか、ここで迷ったら一生抜け出せそうにない。
「俺たちどうなるんだろうな」マーティは独り言の様に言った。
「そんなの僕に分かる訳ないだろ。さっきから後ろに居る自称占い師に聞けば?」苛立つマイケルは占い師の少女にも聞こえる様な声で言った。占い師の少女は、気にも止めない様子で無視して歩いている。
「はぁ。まぁそうだよな。なんかもう今はただ眠いな」
「でも、ここで歩くのを辞めたらあの、サイコピエロと戦う羽目になるぜ」
「それは、操られでもしない限りやりたくないな」ジョンが声を震わせながら言った。
「そうだな。今は歩こう」
ジャックに着いていくこと一時間、長い錆びた鉄パイプで、できた入り組んだ洞窟がまだまだ続いている。不安でいっぱいのマイケル等にとって、先頭を歩き助けてくれる存在に逆らおうとは思わない。皆只、愚直についていく。
もう一時間歩いた所で変わらない景色が途端に変わった。壁は紙の材質になり、長方形の四角いトンネルの様な形に辺りが変わっていく。
「ここだ」
と、ジャックが立ち止まった。たどり着いた場所は行き止まりである。前方にある壁は、両端から薄っすらと灯りが漏れている。
「行き止まりじゃないか」
マイケルたち集団の中の誰かが苛立ちながら言った。不安の中二時間も歩いたのだ、これで行き止まりじゃ怒りが沸いても仕方が無い。マイケルの目にも前に広がる壁はこれからの人生が行き止まりに見えて心が重くなった。
「焦るなよ。私だ。開けろ」
ジャックが言うと前方の壁が開いた。開けた事で入ってきた強い光がマイケルの目に刺さる。目を細めてから、ゆっくりと目を開けて前方を見ると今度は目を丸く見開く事になった。巨人が壁をこじ開けているのである。まるで紙の箱を開ける様に器用に指を使いながら、開けているのだ。
ジャックは巨人に臆する事なく先に扉の外へ出て行ってしまった。皆、恐れおののいて立ち止まっている。しかし、立ち止まっても他に道はない。皆、様子見をしているが誰かが前に出なくてはならないのである。
最初に前に出たのはマーティとマイケルだった。
「腹決めるしかないよな」マーティが言った。
「そうだな」マイケルが言った。
「待ってよ」
それに遅れない様にジョンも外に出る。外に出るとマイケルたちはみるみる内に身体は大きくなり、箱を開けた巨人と同じサイズになった。先程までいた場所は石鹼の箱の中だったらしい。机の上に石鹼の箱が置かれている。様子見をしていた他の人たちも続いて外に出ている。
「ようこそ。私の秘密のアジトへ」
ジャックは仮面越しに、にっこり笑った。出た所は如何やら、石鹼屋らしい。無数の石鹸が並んでいる。石鹼しか売っていないというのに、種類は一種と不愛想なラーメン屋のようなライナップである。
「一階の石鹸屋が表向きの顔さね。マンホールの下からはいる下水道が仮面の奥の素顔だよ」
ジャックは石鹼屋の部屋にこれ見よがしに敷いてあるカーペットを引っぺがした。カーペットの下にはマンホールがあり、開けると下水の臭いがプーンと広がる。石鹼のいい匂いじゃ相殺されないような匂いが部屋に広がる。
「さぁ早く入って」
入る事以前に見る事だって嫌な、マンホールの下であるが、石鹼の箱からでるという奇想天外なことを数分前にした彼らにとって地下下水に降りるハードルは下がりまくっていた。皆、続々と地下下水に降りていく。
「おお、新人かい。よろしく」
地下下水に降りてすぐ話しかけて来たのは四十代前半のおじさんである。おじさんは銀縁の眼鏡をしていてスキンヘッドである。油トリガミを何枚使っても無くならなさそうな、油が顔いっぱいにあふれ出ている。全体的に汚らしくて、触る事すら嫌な見た目をしている。
「悪いけどここからは一人一人入ってくれないか?」
おじさんは、汚らしい見た目をしているが、優しく丁寧に言った。見た目に惑わされて、嫌奴だなと思ってしまった事に罪悪感を感じるくらい優しい笑顔をふりまいている。おじさんが立つ背後にはカーテンがあり、地下下水の奥がどの様になっているのか分からない様になっている。きっとここに一人一人入れという事だろう。
「何で?」ジョンが聞いた。こういう時に何も考えずに質問してくれるのが馬鹿の美徳である。
「信用問題さ。君たちは私たちの事が信用できないだろうが、それは私たちも同じなのだよ。全ては信用のためさ。早くカーテンの奥へ行きたまえ」
おじさんは、カーテンの奥に入るように促した。怪しい雰囲気に、マイケルの足は止まった。となると、最初に前に出るのは一人しかいない。
「マイケル、ジョン。僕が先に行くよ。ここまで来たらそれしかないだろ」
マーティはそう言って一番最初にカーテンの奥へと行った。しばらくすると、ピカッとカーテンの奥が光って「大丈夫だ!みんな来ても大丈夫だぞ!」と声がした。
「大丈夫そうだな。やっぱり良い人達なんだよ!」
そう行ってジョンが次に入っていった。暫くするとピカッと光って、次が入る。続々と入っていく中で、違和感を感じたマイケルだけが取り残されて行く。
(カーテンの奥に入って暫くすると見える光。何処かで見た気がする)
マイケルにとって見覚えのある光だ。これがどうしても進む事を拒絶する。立ち止まっていると遂に、マイケルだけが取り残されてしまった。
「やっぱり。僕は帰るよ」
マイケルはジョンとマーティを置いて帰ろうとした。兎に角怪しくて怖かったのだ。
「帰る事は出来ねぇよ。お前はもうこの場所を知ってしまっている。誰も知らないから秘密のアジトなんだ」
おじさんとジャックが出口を防ぐように立った。
「すまないね。私にはみんなを守らなくてはならない責任があるのさね。君の事も必ず助ける。」
マイケルにはジャックが悪人には見えなかった。きっとこの言葉に噓は無いのだろう。本当に助けてくれようとしている人の言葉は聞けば伝わるものだ。
「分かった。信じるよ」
そう言ってマイケルは恐る恐るカーテンの奥へ入っていく。奥へ歩くと狐の面をした人が一人座っている。
ピカァ
狐の面をした人の手が光る。光が体にかかる刹那にマイケルは思い出した。この手の光は時計屋の変人ウォルターの魔法と全く同じ光だ。
「ようこそ。これで私の仲間ですよ。奥へ進んで」
光を浴びたマイケルの目はトロンとしており、ロボトミー手術を受けた後の様にボーとしている。
「はい・・・」
マイケルは洗脳され操られてしまったのである。機械の様にトボトボと奥へマイケルは歩いていく。先程までの不安が噓のように取り除かれて、狐面のを信じていれば大丈夫という気持ちだけが、マイケルの心を覆っている。
「これで最後の新入りかな。よく来たね」
エプロンをかけたおばさんが話かけてきた。どこにでも居そうなザ・普通といった見た目のおばさんである。
「あんたには石鹼売りを頼みたい。そこにいる少女と一緒に行ってきておくれ」
おばさんは占い師の少女を指差して言った。
「はい」
マイケルと占い師の少女は外に出て石鹼売りをする事になった。洗脳されて早々に働かされる羽目になったのだが、不思議と労働が苦痛じゃない。求められていると感じて、むしろマイケルは働きたくて仕方が無い心地になった。それどころか、行くのを面倒くさそうにしている占い師の少女を見て、怒りが湧いてくる。
「お前!なぜそんなに嫌そうなんだ⁉」
「元からそういう顔だから。ごめんなさいね。もう行きましょうか」
怒るマイケルに占い師の少女は急に笑顔になって謝った。
石鹼を売る事になったのは、何時も煙突掃除の客を集める通りである。慣れた場所で助かったが、それと同時にここでは客が中々捕まらないこともマイケルは知っている。
「こんな所で石鹼をして良いものだろうか?ここじゃぁ売れない。ジャック様のお役に立てないじゃないか」
「人件費かかってないし、そこそこ売れれば儲けは出るでしょ。効率化を目指して分散しましょ。私は右に行くからマイケルは左に行って。2時間後ここで合流ね」
「分かった」
マイケルは左側の道を歩いて行く、昨日と同じ道を歩いているけれど、あれから何年も経ったみたいだ。昨日の懐かしさを感じながら、石鹼を売る。
「石鹼いりませんか~?」
「はい!」
「ください!」
「三個くれ!」
マイケルの一声でこれが飛ぶように売れる。何時もが売れないのはムスッと野郎ジェイコブ親方のせいか、この通りは石鹼が売れる石鹼ロードかのどちらかだろう。
「面白い石鹼を売っているね。私にもくれないかい」
話しかけてきたのは、時計屋ウォルターであった。昨日と同じ様に独特な動きをしている。
「ウォルターさん。一個五十ペンスです。」マイケルは石鹼を手渡した。
「いや、お代は別で払おう」
ピカァッ
今日魔法の光を浴びるのはこれで二度目である。昨日も含めれば三度目だ。空想上のものだった魔法が急に身近な物となっている。
「あ、ウォルターさん。また助けて貰っちゃいました」
先程までロボットの様な顔トロンとした目ではなくなり、マイケルは何時もの姿に戻った。たった一時間程の短い洗脳タイムであった。
「ちょっと私の家によってくかい?助けになるかもしれないよ」
マイケルはウォルターの家に行くことになった。昨日と同じ様に時計がギコギコなっており、部屋全体が騒音にまみれている。
「そこに座りたまえよ」
時計作りの作業部屋に案内されたマイケルは言われた通りに、今にも壊れそうな木の椅子に座った。椅子の後ろには何故かマットが置かれている。お茶を入れた様子はないのに熱々の紅茶が机の前に置いてある。
「紅茶・・・。」
「私は未来が見えるのだ。先に紅茶を入れさせて貰ったよ。ところで、マイケル君にはちょっとしたセールスをしたい」
「セールス?」マイケルは紅茶をすすりながら聞いた。
「そうセールス。契約をしたいんだ。さっき君の事は助けたがね。君の友達はそうはいかない。助けたいならそれ相応の代替を貰わなくてはなくては」
マイケルはウォルターに言われて始めてジョンとマーティが洗脳されたままだという事に気が付いた。
「契約すれば助かるの?」
「それはマイケル君次第さ。まぁ取り敢えず契約書を読みたまえ」
契約書
一、貴方の願いを叶える。
二、代価として、今まで生きてきた経験を貰う。(貰った経験の量に応じて若返る)
三、叶えた願いが大きければ大きいほど払う代価は大きくなる。
右の通りのかなりシンプルな契約書をウォルターはテーブルから引っ張り出した。下のスペースがデカデカと空いており、ここにマイケルの名前を書くことを望んでいるようだ。
「この代価なに?今までの経験を貰うって何?」
この如何にも怪しい契約書を出されて、マイケルは疑念の気持ちでいっぱいになった。面白くて魔法の使える怪しいおじさんから、ただの怪しいおじさんに変わった瞬間である。「友達だと思ってお茶会行ったら宗教に勧誘されたみたいな気持ちになっているな?マイケル君」
「・・・うん。如何にも変だ」
「君の考えは正しい。その通りだよ。これは危険な契約だ。君が代価を払えば、君が今まで見て聞いてきたもの、その全てが失われる。そして、失われた年数分君は若返るのさ」
「若返る?」
「そう、若返るのさ。マイケル君の場合は経験が浅いから、生まれる前まで若返ってしまうだろうね。つまりは死ぬってことさ」
「はぁ!そんなの契約できる訳ないだろ!」
マイケルは感情が高ぶって立ち上がり、勢い良く椅子が倒れた。マットの上に倒れたため、今にも壊れそうなオンボロ椅子も無事である。
「そこに椅子が倒れる事を私は読んでいた。当然、君がこの契約を突っぱねる事もね。だから、この契約書に三つ条件を加えよう。
一、願いを叶えるのではなく。願いを叶える事の出来る力を与えよう。自分自身の力も使って願いを叶えるんだ。払うべき代価は減る。
二、願いを叶えるまで代価の支払いは待ってやる
そして三つ目だ。代価を払うのはマイケル以外の親しい別の誰かでもいい
この三つを加えようじゃないか。美味しい話だと思わないか?」
「・・・・・契約するよ」
「よく言った!サインしたまえ!」
マイケルはこの数分でとんでもない判断をしたのにも関わらず、スラスラとサインした。
「サインしてくれて嬉しいよ。しかし、聞きたいのだが、何故サインした?」
「未来は見えるのにそれは分からないんだな。まず、助ける立場の僕が何故、代価を支払わなくてはならない?助かるための代償は彼らが支払うべきだろ。もう一つは、僕は彼らと違って優秀でリベラルな人間だからだ!煙突掃除の少年たちのリーダーでジョンやマーティよりも努力している。全てを実力で判断し、差別もしない。僕が生きている方が社会のためになると思うだろ!だからさ」
マイケルは真っ直ぐな澱みの無い目で言って見せた。ウォルターは嬉しそうにニヤリと笑って「そうだな」と言った。
「ウォルターさん。契約したんだ。早く力をくれよ」
「もう力なら与えているよ。その紅茶は魔法の紅茶さ。飲むことで力を得られる。未来が見えるのだ。契約することもその紅茶を飲むことも分かっていたよ。そろそろ紅茶が利きだす頃だ」
マイケルはめまいがして、バタンと倒れる。倒れた先もマットの上だ。
目覚めると部屋には夕日が指していて、ウォルターの姿は見当たらない。
「・・・・やばい!」
慌てて跳び起きたがもう遅い。合流場所に占い師の少女の姿はなかった。
「・・・どうしよう。このまま戻ったとしても何故遅れたのかを聞かれる。貰った力が何なのか分からない状態で、ジャックらに会ったら大変な事になる。どうやって助けよう・・・」
一方占い師の少女は、いくら待っても帰って来ないマイケルを置いて先にジャックのアジトへ戻っていった。
「おお。戻ったか。マイケルはどうした?」
話しかけてきたのは、受付をやっていた汚いおじさんである。
「はぐれました」占い師の少女はボケッとした顔をしながら言った。
「そうか。まぁ今はいい。ジャック様のお話がある。そこに並べ!」
おじさんには、小さなロックバンドのライブ会場の様な場所に案内された。空気が湿気っており、うすら寒い。洗脳をかける狐面の方は居ないらしい。壇上にはひょっとこ面をしたジャックが立っている。ジャックがマイクの前に立ちすぅと息を吸う。息を吸う音と共に部下たちは静かになる。
「戦わねばならない時がある!我々の自由が奪われた今この瞬間である!
理想を語らねばならない時がある!現状を良しとは出来ない今この瞬間である!
我々の平和な世界を気付くためには、スワロ王国と戦わなくてはならない!
手始めにギブソンサーカス団団長ピエロを討つ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ジャックの演説で部下たちは歓声を挙げる。喜びに近い狂気で皆笑う。ジャックとスワロ王国の戦いが始まる。