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6時23分

作者: 偽ソース

 「自分が変わるきっかけなんてそこら中に転がっている」と言っていた先生がいたんですけど、あまり適切な表現ではないと思いました。きっかけがそこらへんに転んでいても、あくまでも変わった後の人にしか見えないと思っています。

 正直、自分が変わろうと思うか、何か強いきっかけがないと難しいと思います。

 斎藤昂輝さいとう こうきは、最近イライラしている。自分の論文が評価されず、大学の博士後期課程を卒業できないでいたからだ。


 論文が評価されないことは分かっていたが、それでも腹が立っていた。それは、評価してくれない教授陣にも、評価されるような論文を書けない自分自身にもだ。

 朝、目が覚めた時に考えることは研究のこと、日中何をしていても考えることは研究のこと、夜、彼女と過ごしていても常に研究のことを考えている。

 そんな生活を送っているから当然、昂輝は彼女との仲が冷え切っていると思い込んでいた。しかし、彼女の方は全くそんなことはなく、いつも研究で忙しい昂輝を支えようと、仕事終わりにもかかわらず家事のほぼ全てをこなしてくれている。

 一方、昂輝は彼女への申し訳なさで、そんな生活にいたたまれなくなっていた。


 ある日、目が覚めてスマホを確認すると知らない番号からの着信があった。時間は午前6時23分だ。


「いくら何でも早過ぎるだろう。」


 非常識な時間の着信に違和感を覚えながらも、朝食を用意する。これは数少ない昂輝の役割りである。会話のない食卓に気まずさを覚え、何か気の利いたことを言おうと考えるが、すぐに研究のことを考えてしまう。脳が研究に侵されている状況で、論文が評価されないことへの皮肉を感じながら、彼は会話をあきらめた。


 心に余裕がある時でないと、会話ができないような精神状態であった。


(また、無意味な一日が始まるのだろうか。)


 正直、前回の論文は自信作だったのだ。あれで評価されないのであれば、いよいよ博士後期課程に進学したのは間違いであったかもしれない。

 

 彼女の「行ってきます。」に返答し、彼も大学へ向かうのだった。


 

 翌日、昂輝は6時に目が覚めた。彼は、「できればもう少し寝ていたかった」と思いながら顔を洗う。二度寝はしないのが彼のルールだった。まだ、眠かった彼は散歩に出かけることにした。


 散歩をして5分くらいたった頃、また着信があった。やはり6時23分だ。


「まただ」


 昂輝は、注意してやろうと思った。普段の彼であれば、物静かで、もめ事を起こすこともないので無視を決めていたはずだ。しかし、今の彼は気が立っている。彼女には当たることができないため、ちょうどよいはけ口を見つけたように思えた。


「もしもし」


 電話をとる。正直、変な奴だったらどうしようかと思ったが、ここで引くわけにはいかなかった。

 

 しかし、すぐに途切れた。やはり、いたずら電話であったのだろうか。身構えていた分、拍子抜けした彼は気にしないよう努めた


 「斎藤昂輝さんですか?」


 女性の声だった。振り返ると、そこにはどこか親しみを感じる顔をした15歳くらいの少女が立っていた。


「そうですが......。」


「私、斎藤睦美さいとう むつみと言います。大学2年生で数学科に所属しています。」


 彼女は淡々と自己紹介を始める。


「そうですか......。」


 返す言葉が見当たらない昂輝がオロオロしていると、彼女は笑いながらこう言った。


「すみませんね、突然話しかけてしまって。実は私、あなたの論文を読みました。」


 なんと、大学2年生ながら既に院生の書いた論文を読んだというのだ。これには、昂輝も少し身構える。


「いえ、素晴らしい論文だったので、いつかお話しできればと思っていました。ようやく会えたので声をかけさせていただきました。」


「修士論文か、あれもなかなか苦労したなあ。」


 昂輝と睦美は数学の話で盛り上がっていた。将来研究したいこと、どの研究室を選べばよいか、勉強方法までお互い数学について語った。昂輝は時間を忘れて会話に夢中になっていた。


 しかし、彼女が昂輝の今の論文について質問をしてきた。少し居心地の悪さを感じたが、なかなか思うような研究ができていないこと、彼女ともうまくいっていないことまで話してしまった。


 昂輝にもわからないが、彼女の前では素直に話してしまう。


「私にはよくわかりませんが、これだけは覚えておいてください。」


 彼女が急に真面目な顔つきになる。


「今の彼女さんをずっと大切にしてください。そして、今書いている論文は途中で投げ出すことなく書き上げてください。」


 そういうと、彼女は「また会いましょう。」と言い立ち去って行った。


 昂輝は、彼女の最後の言葉を考えていた。こんな当たり前の言葉なのに、彼は非常に重要なものであると感じたのだ。


 

 その日以降、睦美とは頻繁に会うようになった。大学、スーパー、駅、ほとんどいたるところで彼女と会うような気がしていた。大体、たわいもない会話で時間を潰す。メールも交換し、二人は友達以上の関係になっているといえるだろう。


 しかし、昂輝には彼を献身的に支えてくれる彼女がいる。睦美に恋心は抱いていない。正直、睦美のおかげで以前より会話も増え、今や気が立っていた頃の彼はそこにはいなかった。



 ある日、大学に行こうと家を出ると、アパートの前に睦美が立っていた。この後、急な用事があるわけでもないので近くの喫茶店に行くことにした。

 

 何やら睦美の様子がおかしく、かなり時計を気にしている。会話の歯切れも悪く、どことなく居心地の悪さを感じていた。

 とうとう沈黙になってしまった。今日は間が悪いと感じた昂輝は、やはり大学に行くことにした。しかし、そんな行動を見てか彼女は何とか会話を続けようとする。仕方ないので、昂輝もそれに付き合う。


 コーヒーのおかわりを頼もうとしたところで、睦美は安堵の表情を浮かべ、昂輝の手を握る。

 これには彼も「彼女に見られたらまずい。」と思いながらも、手を握られてもなお恋という感情に発展しない自分の心に安心した。


 しかし、次の行動はさすがに昂輝も予測できなかった。

 なんと、彼女は抱き着いてきたのだ。さすがに彼女を押しのけるようにして会計をすまし、店を後にした。


 昂輝の心臓は高鳴っていた。


(これは、まずい)


 彼女に見られたかどうかの問題ではなく、彼女がいる身で女性と抱き合ってしまったという事実に焦っていた。睦美のことは今は忘れて、足早に大学への道を行く。


 大学付近に来たら、何やら騒がしい。行ってみると、パトカーや救急車が止まっていた。どうやら、大学構内で不審者が暴れたらしい。それも、彼の研究室のある建物内でだ。

 幸いにも死傷者はいなかった。


 もし、喫茶店に立ち寄っていなかったら、昂輝が事件に巻き込まれていたかもしれない。


(睦美には悪いことをしたが一応、感謝を伝えたい)


 そう思った彼は、電話をかけてみるが一向につながらない。メールにも連絡を入れてみるが返信がない。その日は連絡を取ることをあきらめた。


 

 それから、一週間たっても睦美は彼の前には姿を現さなかった。今までは、どこに行くにしても偶然出会っていたように思える。連絡もつかないので、さすがに心配になった昂輝は大学の学生課に相談に行った。


 しかし、そこで驚くべき事実を告げられた。なんと斎藤睦美という学生は存在していなかった。ほかの学年も確認してみたが、やはりいないみたいだ。


 こうなってくると、今までの彼女の行動もおかしい点がいくつかある。

 毎回都合よく彼の前に姿を現したり、妙に昂輝の趣味と話があったりというのも今となっては奇妙に感じられた。


 そんな中、睦美からメールが届いた。恐る恐る開けてみる。


「昂輝さん、急にいなくなってしまってごめんなさい。信じてもらえないとは思いますが、私は未来から来たのです。」


(まさかの未来人設定か.......。)


「最後にお会いしたあの日、昂輝さんは本来亡くなっていました。大学内に刃物を持った不審者が現れ、もみ合いの末、刺されていたのです。あの日、私が喫茶店へ昂輝さんを誘ったのは、そんな運命を変えたかったからです。」


 昂輝は静かにメールを読み続ける。


「私と会う前、早朝に電話が鳴ったのも私の仕業です。」


(なんと......。)


「あれが私に与えられた時間でした。あの時間に昂輝さんに電話をかけ、出てくれれば過去へと行くことができるというものでした。チャンスは3回だったので危なかったんですよ。」


 確かに、睦美との初対面は彼が電話に出た直後だった。


「目的を達成したので、もうこの時代に来ることはありません。あなたを助けた理由は、あなたの論文があの後とても評価されるからです。生きていれば、どんな研究者になるか見てみたかったからです。他意はありません。ただ、それだけです。無事、未来でもご活躍されてましたよ、安心してください。」


 睦美の真剣な顔や、怒った顔、笑った顔が彼の頭の中に思い浮かぶ。


「最後に、彼女さんをずっと大事にしてください。これが何よりのお願いです。さようなら。」


 メールはそこで終わっていた。昂輝はまだ完全に信じていなかったが、思い当たる節はいくつかあった。「もう一回、彼女と会いたい」という思いが強くなってきたが、もう会えないのだ。


 彼女との関係がよくなったのも、研究活動が捗ったのも、すべて睦美のおかげといっても過言ではない。大学で評価され、非常勤講師として雇ってもらえそうなところまで来ていた。あの、無気力な日々から彼を救ったのは間違いなく睦美だった。


 昂輝は、涙を流した。睦美への感謝と別れに。


 

 その夜、彼女と晩御飯を食べていると突然彼女から「大事な話がある」と言われた。ここ最近、起きた出来事を振り返って、睦美との関係が彼女にばれてしまったかと思った彼は身構える。

 しかし、彼女の口からは予想外の言葉が発せられた。


「私、妊娠したの。」


 昂輝は驚き、喜んだ。それとともに、新たな生命の誕生に神秘的なものを感じていた。「この生まれてくる新たな命のためにも頑張ろう」と彼は決意した。

 

(もう、何があってもあの灰色の日々には戻らない。つらいことがあっても、彼女と生まれてくる子と一緒ならば楽しく暮らせる。)


 おそらく、彼は大丈夫であろう。睦美とのかけがえのない時間は、彼に変わるきっかけを与えてくれたのだから。

 

「そうだ、女の子だったら、名前は睦美にしよう。」






 投稿後、2日ほどは内容を変更することがあります。本来は、投稿前にチェックすべきなのですが、変更したい点は投稿後に出てくることが多いです。大きく変えることはありませんが、少し文をいじったりすることがあるのでご了承ください。

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