第二章 三女、スキュラのキュラリス
「ここが、第二下層か」
階段を駆け上がった俺を待っていたのは、さっきまでいた階層とは雰囲気のまるで違うフロアだった。
「まるで岩窟、だな」
下の階は、整った石壁の部屋と通路が並んでいたのに、ここは天然の鍾乳洞みたいな空間に変わっている。
「そこいらじゅうから生えてるあれは、水晶か?」
岩肌のあちこちから、角ばった結晶体が飛び出ていて、それが薄紅色の光を発していた。
「あっちの世界ならインスタ映えとか言われそうだけど、なんつうか、少し不気味だ」
あるいは、独りきりになってしまった心細さもあるのかもしれない。
「シレーナは、上の階にもお姉さんがいるって言ってたけど……」
海神の娘のお姉さんってことは、その人も当然神様であるに違いない。
やっぱり、シレーナと同じ人魚なのだろうか。
「その人からも、加護をもらわないといけないんだよな」
別れ際のシレーナは、確かにそう言っていた。
『姉さんたち全員から加護を貰えたら、この神殿から出られると思う!』
「……『姉さんたち』って、何人いるんだろ?」
あの場の空気感でそのまま走ってきちゃったけど、もう少し詳しく聞いておいたほうが良かったんじゃないか。
そんなふうに、今更後悔する俺である。
「おおい! 誰かいませんかぁ!?」
ひとまず大声で叫んでみた。
が、声が岩壁に反響するだけで、答えはない。
「とにかく、まずは上に登る階段を探そうかな」
脱出ルートを確保しつつ、あわせてシレーナのお姉さんも探す。
そんな方針で、俺は洞窟様の第二下層を進んでいった。
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「やっべえ。超果てしねえ」
歩き続けること30分近く。
洞窟っぽい景色は変わらず、階段も見つからず、シレーナのお姉さんらしき人にも出会わない。
シレーナも言っていたけど、この神殿、本当に迷宮みたいな構造になっていて、俺は何度も右往左往させられている。
「まずいな。あまりのんびりしていると……」
噂をすれば影っていうのは、まさにこういうことだろうか。
足元で、パシャリと水音が響いた。
「うおっ!? 水だ! 水がついに来ちまった!」
俺の歩いてきた方角から、チョロチョロと水が流れ始めてきた。
このままだと、またすぐにフロアの天井まで、海水で埋め尽くしちまう。
「おおい! 誰か! 海の神様! その娘さん! いたら助けてくれぇ!」
再び叫びながら、俺は階段を探して走りだした。
「誰か! いないか! いないのか!」
もしも加護を得られなくても、せめて上の階層に逃げなければ。
そんな俺の必死の思いは、天に届いたか、あるいは、海の底へと届いたらしい。
「騒がしいわね、何なのよ」
気だるげな女性の声が、洞窟のどこかから返ってきた。
きょろきょろとあたりを見回す俺。
辺りに人影は見えない。
あるのは光る水晶体と、地底湖のようなちょっと深めの水溜りだけだ。
しかし、声の主は、密かに足元から這いよってきた。
「こっちはさ――」
ぐにゃり。
足に何かが絡みつく。
「な、なんだっ!?」
正体は、ヌメヌメと湿った太い触手。
表面に丸い吸盤が付いている。
(タコの足!?)
地底湖の中から、タコの足らしき太い触手が伸びてきたのだ。
そのことに気づいた瞬間に、俺は足をぐいっと掴まれ、逆さまに吊り上げられていた。
「うわあっ!?」
「――ただでさえイラッとするもの見せられて、気分最悪だってのに」
宙吊りになった俺の目に、水溜まりの中から現れた女の子の顔が、上下反対に映った。
銀色の短めの髪に、少し浅黒い感じの肌。
不機嫌そうな顔をしているが、普通にしてたらとても可愛いであろう整った目鼻立ち。
(この子が、シレーナの姉さん、なんだよな)
やはりというか、彼女はビキニの水着をつけていて、そして、下半身にはタコ足が8本揃っている。
(スキュラ、ってやつかな?)
などとぼんやり考えていたら。
「ふん」
「うおわっ!?」
浮遊感。
そして下降感。
俺の体は放り投げられ、地底湖の中に落とされていた。
「ぷはっ! なにを!?」
足がつかない。
この湖、思っていたよりかなり深いぞ。
慌てて岸に上がろうとした俺に対して、
「スキル、【渦潮の牢獄】」
スキュラ少女は、無慈悲にスキルを発動した。
「うわぁっ!? 流されるっ!?」
湖面が渦巻き、俺の体は岸から離された。
そのまま、水の中へと吸い込まれていく。
「もがが、もが!」
出られない。
シレーナに貰った加護のお陰で、酸欠で死ぬことはない。
しかし、抗議の声はかき消される。
「あんた、一体どこの誰なの?」
「もがもが――!」
「いや、しゃべんなくていいから。【閲歴】、さっさと見せて」
自分でも同意したのかわからないうちに、【閲歴】の画面が現れた。
「ニイジマナギサ……って、あんた、人間なの?」
シレーナと同じ反応をするスキュラ少女。
が、その先の反応は妹と異なっていた。
彼女はスキルを解除して、俺を湖から引っ張りあげると、
「じゃあ、さっきシレーナといちゃついてた生贄の男は、あんただったのね」
睨むような目つきで、こんなことを聞いてきた。
「いや、いちゃついては……生贄?」
目つきも怖いけど、それ以上に怖い言葉が混じってないか?
「てっきり水に飲まれて死んだと思ってたのに……やっぱり最後まで見とくべきだったの? でも、あんなもの見せられてたら、こっちのイライラが収まんないし……」
何やらぶつぶつ言いながらも、スキュラ少女は、俺を触手から解放してくれた。
「えっと、君はシレーナのお姉さん、でいいんだよな?」
彼女はジロリと俺を見てから、
「そうよ。海神の三女キュラリス。この第二下層がテリトリー」
ぶっきらぼうながら、きちんと自己紹介してくれた。
「よろしくキュラリス。それで、その、俺はこの神殿から脱出したいんだけど」
「無理よ」
希望もきちんと断ち切られた。
「いやいやいや! シレーナは出られそうなことを言ってたんだ。お姉さんたちから加護を貰えればって」
「だから、それが無理って言ってんの。なんであたしの加護を、生贄の人間なんかにやらなきゃなんないの?」
またも出てくる生贄という単語。
「聞きたいんだけど、俺、生贄なの?」
間の抜けた俺の問い方に、キュラリスは、呆れたように溜息をついた。
「気づいてなかったのね。あんたって、祭壇に喚ばれた人間なのよ。本当だったらとっくに溺れ死んで、神殿に魂を取り込まれてたの」
たいした感慨もなく放たれた冷淡な言葉が、俺の背筋をぞっとさせた。
「ど、どうして俺が――」
「あたしが知るわけないじゃない」
冷たく突き放してから、キュラリスは思い出したように聞いてきた。
「それよりあんた、さっきシレーナとキスしてたよね?」
俺の肩がぎくりと慄えた。
「あたしたち姉妹はね、他の階層の様子を自由に視られるの」
「あ、あれはだな」
「シレーナの加護が目当てだったんでしょ?」
これはまずい!
非常に焦る俺。
キュラリスの中で、俺の印象は、およそ最悪であるらしかった。
加護を得たいがために、妹をたぶらかして唇を奪った男。
さっきから不機嫌だったのは、きっと、このせいだったんだ――
「じゃあさ、あたしともキスしてよ」
「――はい?」
予想の斜め上の展開に、俺の頭は混乱した。
「この海底神殿ってさ、あたしたち、海神の娘のための棲み家なんだけどさ」
キュラリスは物憂げな表情になって、自分たちの背景を語り始めた。
「言い換えれば、あたしたちを外に出さないための監獄でもあるんだ」
話を聞きつつ、俺の心は焦慮の念に侵されていた。
水位がもう、膝の高さくらいまで上がってきていたのである。
「それもこれも、一番上の姉さんがやらかしちゃうから……いや、今更そんなことはどうでもいっか。とにかく、あたしらには限られた自由しかなくって、だから、恋愛なんてしたこともないんだよね」
なんとなく、会話のオチが見えてきたぞ。
時間が惜しかった俺は、さっさと結論に辿り着こうと口を開いた。
が、声を出すより先にキュラリスの触手が動いて、俺の胴体に巻き付いてくる。
「な、なにすんだキュラリス!?」
凄い力だ。
振り解けない。
俺は再び、宙ぶらりんに持ち上げられた。
「シレーナばっかりずるいよ。四女で祭壇の一番近くの階層にいるからって、生贄を独占していいって決まりはないってのに」
2本目の触手が、今度は俺の腕へと絡んでくる。
吸盤のついたヌメヌメしたタコ足が、腕を滑り、胸板をなでて、俺の顔まで這ってくる。
「あたしだって、男の人と、こういうことしたいのに」
キュラリスの頬は上気して、火照ったような赤みを帯びている。
理性のタガが外れつつあるのか、触手を1本、また1本と伸ばしては、俺の体をまさぐっている。
(こいつはまずい。絶対にまずい……!)
彼女たち海神の娘は、たぶん、人間の体の限界を理解していない。
さっきはシレーナでさえ、俺の体を鑑みず、水中を猛スピードで泳いでいた。
事前に加護をもらってなかったら、内臓も骨も、水圧でひどい状態になっていただろう。
キュラレスのこの触手だって、いつ俺の手足を引きちぎってしまうか知れたものじゃない。
「ま、待ってくれキュラリス! 俺も、こんな可愛い子に体を触ってもらえて嬉しいけど!」
「え? か、可愛いって、あたしのこと?」
触手の力が弱まった。
もしや、シレーナと同じで、この子もこういう言葉に弱いのか?
「すごく可愛い。正直、むちゃくちゃ好みのタイプだ」
キュラリスは一瞬で顔じゅうを真っ赤にして、蕩かすような声を出した。
「なら、待つ必要なんてないよね」
触手が動きを再開した。
さっきまでよりうねうねと、俺の体を舐めまわすように包んでいく。
ちくしょう、逆効果かよ!
「違うんだ! その、俺は女の子に迫られることに慣れてないんだ。でも、それ以上に今は、水が迫ってきてて……」
「水? ああ、そっか。あんたは海の中では息ができないんだね」
キュラリスは、触手の数本を俺から離した。
開放してくれるのかと思ったが、彼女は自由になった触手の吸盤を使って、洞窟の岩盤に吸い付いて、そのまま器用に、俺ごと壁を登っていく。
「大丈夫、こうやって天井に貼り付いててあげるから。これなら、水が上がってくるまで一緒にいられるよ」
上がりきったら死んじゃうじゃないか!
「そんなことより、上の階に逃げさせてくれ」
しかし、俺の意向は無視された。
初めての男に夢中なキュラリスは、タコ足のみでは飽きたらず、上半身の手も使って、俺の体を触り始める。
「ゴツゴツしてる。これが、男の人の体かあ」
指先で腹部をなぞられて、俺は思わず身悶えた。
キュラリスは、そんな俺の顔を見て、指を胸板へと滑らせる。
そして、ペロリと小さく舌なめずり。
「ねえ凪沙、あたしの加護も、受けてみない?」
突然に降って湧いた希望。
俺は猛烈と食いついた。
「キスをすれば、いいのか?」
「そう。雰囲気は大事にしてよ。あたし、初めてなんだから」
この緊迫の事態で雰囲気なんてつくれるか。
でも逆らえば、ここで溺れて死んでしまう。
「……わかった。わかったから、両腕を自由にしてくれないか」
「いいよ」
キュラリスは両腕といわず、俺の上半身に這わせた触手を全部どかしてくれた。
俺は、自由になった片手をキュラリスの頬に添え、ゆっくりと顔を近づけながら、もう片腕を彼女の背中に回していく。
「あたし、今胸がすごくドキドキしてる」
「ああ、俺もだよ」
九割以上は恐怖感でな。
「愛してるよキュラリス。目を閉じて」
雰囲気が出そうな言葉をささやきながら、俺はキュラリスの体を引き寄せた。
「ん……」
重なる唇。
漏れる吐息。
俺は全神経を集中して、キュラリスの柔らかさを感じ取る。
そうしなければ、俺は迫り来る水位の恐怖に耐え切れず、顔をそむけてしまっただろう。
やがて俺たちは、どちらともなく唇を離した。
「これが、キス、か……」
長めのキスを終え、口元に指を当てたキュラリスは、憑き物が落ちたように静かな表情になっていた。
「さっきまで頭が沸騰しそうだったのに、なんだか変なの」
優しく微笑んでいるキュラリス。
ご満足いただけた上に、落ち着きも取り戻してくれたらしくて、俺としても万々歳だ。
「ありがと凪沙。【閲歴】、見ていいよ。加護がどうなったか、気になるでしょ」
「お、おう。じゃあ、遠慮なく」
お言葉に甘えて、俺は【閲歴】の画面を開いた。
◆
氏名 :新島凪沙
種族 :人間
性別 :男性
潜水時間:16分(補正値+15) ←Update
耐圧限界:1600メートル(補正値+1500)←Update
加護① :海神の四女の加護
加護② :海神の三女の加護 ←New
海神の四女の加護
補正効果①:潜水時間+5分
補正効果②:耐圧限界+500メートル
追加スキル:高速泳法
海神の三女の加護 ←New
補正効果①:潜水時間+10分
補正効果②:耐圧限界+1000メートル
追加スキル:渦潮の牢獄
◆
(凄いぞ、潜水時間も耐圧限界も跳ね上がってる)
補正効果が、四女シレーナの倍もある。
それに、追加スキルの【渦潮の牢獄】ってのは、俺がさっき閉じ込められたあの技じゃないか。
まさかの成果に驚いている俺を見ながら、キュラリスは儚げな笑顔を浮かべた。
「『愛してる』か、ふふっ。初めて言われたけど、嘘でも嬉しいものね」
ぎくりと焦る。
「い、いや、俺は嘘なんて――」
キュラリスの人差し指が、俺の唇に添えられた。
「こんな無理矢理捕まえられて、それで愛なんて芽生えるはずがないことくらい、あたしにもわかるよ」
そのまま、彼女は俺の体をぎゅっと抱きしめる。
「あんたは、あたしが初めてキスされた男。あたしに愛をささやいてくれた男。だから、生きててほしいって思う」
「……行って、いいのか?」
「うん。階段まで、案内したげるね」
・
・
・
「ごめんね。あたしが送れるのはここまでなんだ。この先は第一上層、別の姉さんのテリトリー」
上階への階段フロアに俺を送ったキュラリスは、悲しげな声で、しかし、微笑みながら別れを告げた。
「水に呑み込まれる前に、行って」
その笑顔が、とても愛おしいものに思えてしまって、
「キュラリス!」
俺は、水底に帰ろうとする彼女を呼び止めて、その唇を奪った。
「んっ……」
初めはびっくりしていたキュラリスも、とろんと目を閉じ、腕と触手で俺を抱きしめ、お別れのキスを受け入れた。
俺は、ありったけの感謝を込めて、キュラリスに口づけし続けた。
唇が離れた時、キュラリスの腕と足も、ゆっくりと離れていった。
「凪沙、どうしよう、あたし……」
「さっきは嘘ついてごめん。でも、今のキスに込めた気持ちは、嘘じゃないから!」
上層に向けて駆けだす俺を、キュラリスは潤んだ瞳で眺め続けた。
「……どうしよう。あたし、本気であいつに惚れちゃったかも」
◆
ここまでの【閲歴】
氏名 :新島凪沙
種族 :人間
性別 :男性
潜水時間:16分(補正値+15)
耐圧限界:1600メートル(補正値+1500)
加護① :海神の四女の加護
加護② :海神の三女の加護
海神の四女の加護
補正効果①:潜水時間+5分
補正効果②:耐圧限界+500メートル
追加スキル:高速泳法
海神の三女の加護
補正効果①:潜水時間+10分
補正効果②:耐圧限界+1000メートル
追加スキル:渦潮の牢獄
◆