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第一章 四女、人魚のシレーナ

 気づいたら、俺、新島凪沙(にいじまなぎさ)は、だだっ(ぴろ)い石造りの建築物の中にいた。


「いや、どこよここ?」


 天井が高く、奥行きのある石壁の部屋。

 壁には、精緻細密な彫刻が施され、だっていうのに窓はなく、付近に照明の類もない。

 しかし、石の壁のところどころが仄かに蒼く光っていて、それなりに明るくはなっている。

 淡い光が無機質な石壁の彫刻細工を蒼く染める様は、そこはかとなく神秘的だった。

 俺がいるのは、その部屋の中央の、何かの台座の上らしい。


「なんか、古代ギリシャの神殿みたいな感じだな」


 色合いはライトアップされた水族館みたいだけど。

 呑気(のんき)にそんなことを考えつつ、部屋を見渡していたところ、奥の壁に扉を発見した。


「外に出るための扉だろうか?」


 俺の予想は当たっていた。


 取っ手を引っ張ったその瞬間。

 ドアが勢い良く開いて、俺は大量の水に押し流された。


「うわっぷ!? な、なんだこれっ!?」


 洪水のような大水に、体の自由が奪われる。

 そして、味は塩辛い。


「海水なのか!?」


 考えている余裕はなかった。

 俺はあっという間に部屋の反対側まで運ばれて、壁に背中を打ち付けた。


「ごはっ!」


 肺の酸素が吐き出され、しょっぱい水を思い切り飲んだ。

 水はなおも押し寄せてきて、壁から逃れることができない。

 息もできない。

 このままじゃ、死ぬ……!


「あーあ、ダメだよ。開けっ放しにしちゃあ」


 どこからともなく、声が聞こえた。

 女の子と思しきその声は、激しい水音にも消されずに、魔法のように響いてくる。


「はい、ドアを閉めてあげたよ。いけないんだ、祭壇の部屋をびしょびしょにしちゃって」


 流れが止まり、俺は水浸しの床に倒れ込んだ。

 仰向けになって動けない俺を、可愛い女の子が覗きこむ。


(あ、なんか、眼福の光景が……)


 ビキニの水着と、はちきれんばかりの大きなおっぱい。

 そして下半身には、虹色に輝く綺麗な尾びれが……


「って、尾びれ!?」


 俺はがばっと飛び起きた。

 ビキニ水着の女の子は、お腹から下が魚だった。


「大丈夫そうね。私はシレーナ。この海底神殿の第一下層に棲んでるの」

「お、俺は凪沙。新島凪沙だ」


 反射的に挨拶してから、違和感に気づく。


「今、海底って言った?」

「うん。言ったよ。ここは、深い深い海の底にある、海神様の神殿のひとつだもん」

「深い深いって、どのくらい」

「うーんとね……太陽の光が届かなくなるより、更にずっと潜ったところ、かな」


 絶望的情報。

 だが、この時の俺は、その情報の真偽の確認よりも、目の前の異形の生命体のことで頭がいっぱいだった。


(話は通じる。でも、こいつは人間じゃない、よな?)


 どうみても人魚。

 地球上にいるはずのない、架空の生物。

 上半身はスタイル抜群で顔も可愛いのに、下半身は完全にお魚さんだ。

 あまりに動転していた俺は、彼女のお魚の部分に熱視線を注いでしまっていた。


「綺麗な尾びれでしょう」


 人魚のシレーナは、俺の視線に、尾びれをくるりと動かして応えた。


「え、ああ、うん。その、思わず見とれてた」


 ジロジロと見てしまった後ろめたさから、俺は咄嗟に尾びれを褒めた。

 機嫌を損ねたら、何をされるかわからない。

 しかしシレーナは、今のおせじで機嫌を良くしたらしかった。


「凪沙さんって正直者だね。ねえ、あなたの【閲歴】を教えて」

「あ、ああ、いいよ……閲歴?」


 返事をしてから聞き返してしまう俺。

 が、その返事が、なんらかの同意を形成したらしい。


 俺の目の前の空間に、光り輝く文字列が浮かび上がった。



氏名  :新島凪沙

種族  :人間

性別  :男性

潜水時間:1分

耐圧限界:100メートル



「な、なんだこれ?」

「あら、これだけ……って、種族が人間!? 凪沙さんって、もしかして生贄の人だったの?」


 シレーナが不穏なことを言っていたが、俺は完全に聞き流していた。


 俺の意識は、突然現れた立体映像に釘付けだった。

 内容はしょぼいけど、こいつはよくある(・・・・)ステータス表示のウインドウ画面に違いない。

 つまりこれって、異世界転移とかっていうアレなのでは。


「じゃあ、俺にもいわゆる、チートスキルが備わったんじゃ?」

「ちいと? すきる?」


 シレーナが小首をかしげている。


「えっと、他の世界から呼ばれた時に、神様とかから与えられるすごい能力のこと、なんだけど」

「ごめんね、ちょっと聞いたことないかな。私、人間に会うのは生まれて初めてで……でも、なにか特殊な能力を持ってるなら、【閲歴】に載ってるはずなんだけど」


 この【閲歴】という画面が、やはり個人のステータスを表しているらしい。

 しかし、スキルと(おぼ)しき表記はどこにもない。

 そもそも、ステータス画面というには、あまりに項目が少なすぎる。


「まさか、チートどころか、スキルとか能力値とか、そういうのがない異世界なのか……」


 がっくりと項垂れる俺を、シレーナは不憫に思ったのか、


「じゃあ、代わりに私が加護をあげよっか?」


 こんな提案をしてくれた。


「私のお父様が、海を統治する神様なの。だから私も、信仰してくれる人たちには加護を授けられるんだよ」


 さらりと凄いことを言いながら、ふふん、と胸を張るシレーナ。

 たわわな胸がぷるんと揺れて、俺は思わず目をそらした。

 この子、巨乳でビキニ姿のくせに無防備すぎるだろ。


「そ、そうか、凄いんだな、シレーナは」


 色んな意味でな。


「でしょでしょ。えへへー。褒められちゃった」


 ぴょんぴょんとその場で飛び跳ねるシレーナ。

 ビキニの胸も、ぶるんぶるん。

 俺はますます目のやりどころに困り、視線を下に向けた。

 下半身のお魚しっぽを見ることで、彼女が人間ではないと頭を冷やし、どうにか話を先に進める。


「ところでさ、その加護ってのには、どんな効力が?」


 シレーナは、口元に指を当てて、「うーん」と考え始めた。


「わかんない。誰かにあげるの初めてだから」


 ずっこける俺。

 でも、考えてみたらそりゃそうか。

 なにせシレーナは、人に会うのが初めてなんだから。


「加護をもらうには、どうやったらいいのかな?」

「えっとね、私に対して尊崇とか、敬愛とかを示してくれればいいんだよ」


 要は、神様を拝めばいい、ってことかな?


 試しに俺は、シレーナに(ひざまず)いてみた。

 腰まで水に浸かったけれど、このほうがそれっぽい気がする。

 その上で、彼女を大いに讃えてみた。


「偉大なるシレーナ様、どうか私に、神のご加護を!」


 石造りの神殿に、俺の叫びがこだまする。

 が。


「何も起きなくね?」

「うん、起きないね」


 うんじゃないが。


「んー、たぶんだけど、必死さが足りてないんじゃないかな」

「もっと全力で崇めよ、と?」

「そうそう。心の底から、全身全霊で、私がいれば他に何もいらないくらいの勢いで」


 神様を絶対視せよ、ってことか。

 でもそうだよな。

 俺の世界の昔の人も、神様とか精霊とかを、畏怖するくらい真剣に信仰してたはずなんだし。


 俺は目をつぶって、自分の心に、暗示をかけるかのように刻み込んだ。

 シレーナは神様、美しい神様、偉い神様、怖ろしい神様……

 刻み込み、カッと目を見開く。


「シレーナ様万歳! シレーナ様最高! シレーナ様超かわいい!」

「ふぇっ!?」


 お、今のは効果があったか。


「シレーナ様美しい! シレーナ様マジ崇高! シレーナ様愛してる!」

「はぁんっ!」


 急に仰け反ったシレーナ。

 水面にばしゃんと倒れこみ、身悶えている。


「あんっ、はぁん、はぁ……」


 正直、軽くひいた。


「だ、大丈夫か、シレーナ」

「ふぇ? あ、ご、ごめんごめん。思わず、力が入らなくなっちゃって」


 俺、何かまずったか?

 心配した俺に、シレーナは頬を赤らめて、上目遣いになって言う。


「えっとね。最後のやつが、結構ぐっときたかな、なんて……」


 最後っていうと、たしか『愛してる』だったよな。

 敬愛方向で行けってことか。

 それならば。


「シレーナ様愛してる! シレーナ様愛おしい!」

「ひゃっ、そんな、急にっ」

「シレーナ様、結婚したい!」

「は、はわわわ……」


 シレーナは、あわあわと口を動かしたかと思うと、


「えいっ!」


 尾で床を叩いて、勢い良く俺の胸へと飛び込んできた。

 そして、そのまま、俺の唇を強奪した。


「ん!? んんっ!?」

「ん……」


 熱い口づけ。

 というより、勢いまかせの口づけ。

 俺は彼女の体を支えきれず、背中から水に倒れこんだ。

 ばしゃんと跳ねる水しぶき。

 水中に入っても、シレーナのキスは止まらなかった。

 強制的に重ねられた唇は、俺の息が続かなくなるまで、貪るように続けられた。


「ぷはっ、はあっ、はあっ……お、おまっ、急に何をっ!」

「はあ……ふふっ、これがキスかあ……初めてしちゃった」


 シレーナは、舌をチロリと出して、いたずらっ子のように笑う。

 可愛くはあるけど、こっちはおかげで窒息しかけた。


「突然ごめんね。なんていうか、ビビッて感じるものがあって」


 たったあれだけの台詞でか?

 どんだけチョロいんだお前は!?


「それとね。たぶん、さっきのキスで、加護を渡せたはずだよ?」


 言われ、俺は再び【閲歴】とやらを開いてみた。

 念じたら、すぐに文字が浮かんだ。



氏名  :新島凪沙

性別  :男性

潜水時間:6分(補正値+5)         ←Update

耐圧限界:600メートル(補正値+500)  ←Update

加護① :海神の四女(シレーナ)の加護          ←New



「うおっ、なんか変わってる。


 さっきのウインドウ画面に「加護」って項目が増えていた。

 それに、「補正値」ってのも加わってるぞ。


「あ、下にもスクロールできるようになってる」


 画面をスライド。

 すると。



海神の四女(シレーナ)の加護               ←New

 補正効果①:潜水時間+5分

 補正効果②:耐圧限界+500メートル

 追加スキル:高速泳法



「……って、あるじゃんスキル!」


 一番下に、『追加スキル』なんて文字。

 この【高速泳法】ってのが、加護によって付与されたスキルのようだ。


「へー、これってスキルって言うんだ。生まれた時から使ってたから、わからなかった」


 【高速泳法】を、実は使えるらしいシレーナ。


「どうやって使うんだ?」

「やってみよっか? うん、これくらいの水量があれば、披露できる……って、あれ?」


 シレーナは辺りを見回してから、疑問符を浮かべた。

 俺も気づいた。


「うおいっ!? なんか水かさが増えてねえか!」

「いっけない。ドアが閉まりきってなかったのかも」


 いつのまにか水は、俺の腰の高さまで上がってきている。


「頼むシレーナ、あのドアを閉めてきてくれ!」

「うーん、ちょっと無理かも。これだけ水が溜まっちゃうと、神殿の中いっぱいにに入りきるまで止められないの」


 どんな不思議構造だよ!


「入りきるって、完全に水没するってことか!? 死んじまうってことか!?」

「え? 死ぬ……?」


 人魚の頭に、再び疑問符。


「あ、そっか。さっき見た凪沙さんの【閲歴】に、『潜水時間』って書いてあったっけ」

「もしかしてシレーナって、水中でも息できるのか!?」


 人魚だからか?

 だから危機感に温度差が出てるのか?

 ビンチなのは俺ひとりかよ!


「教えてくれシレーナ! この神殿って、上の階とかないのか?」


 さっきシレーナは、ここを『第一下層』って呼んでたはずだ。


「あるにはあるけど、階段はここからちょっと遠いよ? この神殿って、迷宮みたいになってるから」


 遠かろうと迷宮だろうと、上に行かないと死んじまう!


「案内してくれ!」

「あ、それなら、私が【高速泳法】で連れてってあげるわ」


 言うが早いや、シレーナは俺の腰に両腕を回して、水の中に引きずり込んだ。


「しっかり掴まってね、【高速泳法】!」


 スキル名を唱えるとともに、シレーナは、高速ジェットのように急加速した。


「もが!? もごもごもご……!」


 俺には止める(いとま)もなかった。

 水の摩擦が顔をベシベシ叩いてくる。

 いったい時速何キロ出てるんだ!?

 何でこいつは、水の中なのに喋れてるんだ!?


「あとちょっとで、第二下層に繋がる通路に出るよ。そこなら空気が残ってるはずだから――」


 シレーナからの嬉しい報告。

 でもだめだ、もう、俺の息が続かねえ……


「もしかして限界? じゃあ、こうしたらどう?」


シレーナは、片腕で俺の頭の向きを変えると、泳ぎながら、俺にキスした。


「むぐ、むー! むー!」

「暴れないで、私の口から(・・・・・)酸素を吸って(・・・・・・)


 シレーナがやろうとしているのは、口から口への酸素供給だったのだ。

 こんな高速移動の真っ最中に、それも口移しでの酸素の取り込みなんて正気じゃない。


 でも、これ以外に方法がないのも事実。

 シレーナから渡される空気を、必死になって貪った。


「んんっ!? 凪沙さん、は、激しい」


 なんと言われても、背に腹は代えられない。

 俺はシレーナの口に吸い付くようなキスをして、命からがら、上層への階段フロアにたどり着いた。

 そこには、たしかに酸素が残っていた。


「ぷはっ、はーっ、はーっ」


 全力で新鮮な空気を吸い込む俺。


「もう、凪沙さんって、強引なんだから」


 頬を染め上げているシレーナのことなど目にも入らず、とにかく呼吸を整えて、体の隅々にまで酸素を送っていく。


「でも良かった。まだこの辺りにはちゃんと空気が残ってたね」


 残ってなかったら、俺は間違いなく死んでいただろう。


「助かったよ。シレーナが運んでくれたから、それに、潜水時間を伸ばしてくれたから、俺は生きてる」

「えへへ、私の加護のおかげだね」


 それどころか、加護で耐圧に補正がかかってなかったら、さっきの水の抵抗だけで死んでいたんじゃなかろうか……


「それと、途中で酸素も送ってくれたし――」

「ふぇっ!?」


 奇声を上げたシレーナは、体全体を真っ赤にしていく。


「ず、ずるいよ凪沙さん。頑張って思い返さないようにしてたのに。恥ずかしかったのが私だけって、そんなの、ずるい……」


 尾びれで水面をパシャパシャと叩いて身悶えるシレーナ。


「って、ちょっと待った! その水面、少しずつ上がってきてないか!?」


 見間違いじゃない。

 このフロアでも、ちょっとずつだけど確実に、水位が上昇してきている。

 愕然とした俺に、シレーナは残酷な事実を告げた。


「さっきも言ったでしょ。神殿が完全に浸かりきるまで、この水は止まらないの」


 なんてこった。

 ここも絶対の安全地帯じゃないっていうのか。


「くそっ、こうしちゃいられない」


 走りだそうとした俺を、


「あ、凪沙さん、待って!」


 シレーナが呼び止めた。


「やっぱり、上に行くんだよね?」

「当たり前だろ。俺はここにいたら死んじゃうんだ」

「そっか。じゃあ、ここでお別れだね」


 驚いて、俺は言葉を発せなかった。


「私の居場所はね、この第一下層なの。それより上には、あがっちゃいけない決まりになってるんだ」


 悲しそうな声で言うシレーナ。


「凪沙さん、短い間だけど、楽しかったよ。初めて人間と話ができたし、初めて姉さんたち以外の人と泳げたし……それに、初めてのキスも奪われちゃったし」

「奪ったのは、シレーナのほうだろ」


 そうだっけ、と笑うシレーナ。

 俺も笑った。

 彼女が人間じゃないとか、そんなことはもう関係なくなっていた。


「ねえ凪沙さん。お別れの前に、最後にもう一度、キスしてくれる?」


 目を閉じるシレーナ。

 俺は彼女の肩に手を置いて、ゆっくりと優しいキスを贈った。


「ありがと。さ、もう行って。すぐに水が階段の上まで行っちゃうわ」

「こっちこそありがとう。死なずに済んだのは、シレーナのお陰だよ」


 俺は彼女に背を向けて、階段を駆け上がった。

 シレーナが、俺の背中に向けて叫んだ。


「上の階に、私の姉さんたちがいるの! 姉さんたち全員から加護を貰えたら、この神殿から出られると思う!」


 彼女のエールに、俺は右の拳を突き上げて応えた。




ここまでの【閲歴】


氏名  :新島凪沙

性別  :男性

潜水時間:6分(補正値+5)

耐圧限界:600メートル(補正値+500)

加護① :海神の四女(シレーナ)の加護



海神の四女(シレーナ)の加護

 補正効果①:潜水時間+5分

 補正効果②:耐圧限界+500メートル

 追加スキル:高速泳法



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