表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新興感染症発症から回復までの記録

作者: V.N.L

 それは春の、とある週末のことでした。


 いつものように起床した私は、いつものように食事を摂ります。


 仕事の予定がなくとも、やるべきことはいくらでもあります。ダラダラしている余裕はありません。


 平日と変わらぬ勢いで食事を平らげ、すぐに食器洗いに向かいます。


 流しに立って軽く前屈みになった瞬間、腰の違和感に気付きます。


 痛い、とまではいかないものの、脳にビシバシ伝わってくるのは明らかに良からぬ感覚です。


 昨日の記憶を振り返っても、これといって腰を痛めそうな負荷の大きい動作はしていません。


 しかしながら、十代の頃から繰り返し痛めているせいもあってか、私の腰は明確な原因もなく痛み始めることしばしばです。


 またやっちゃったかあ……。


 もはや慣れっこになってしまった痛みに思うのはその程度にすぎません。


 もちろん、このご時世に決めつけは禁物です。世間は恐るべき新興感染症、通称「新型コロナウイルス感染症」で溢れかえっています。実際、私のアルバイト先でも派遣先でも既に複数の感染例があります。


 この感染症において筋肉痛や関節痛は一般的な症状のひとつです。ひょっとすると私の腰痛も感染症に由来しているかもしれません。


 となれば、まず、やるべきは体温測定でしょう。


 昔ながらの接触式体温計を薬棚から持ってきて脇の下に挟みます。


 数分後、いかにも電子式な報知音に頃合いを告げられた私は緊張を感じつつ液晶画面に目を下ろします。


 そこにはデジタル表記で「三六・八( 36.8 )」と示されていました。


 平熱です。


 念の為、嗅覚も確認しておきましょう。


 黄色い粉が入った缶をスプーンの逆端でこじ開けると、辺りにクミン他、複雑なスパイスの香りが漂います。


 鼻を鳴らして嗅ぐまでもなくカレー粉の匂いです。


 現時点で陽性となっている感染症の指標は腰痛だけ、逆に陰性なのが発熱と嗅覚障害です。


 例の感染症の疑いは高くない。


 私はそう判断しました。




 午前は以前から予定していた諸作業に勤しみ、すぐに昼時を迎えます。


 そろそろ昼食を摂ろうと思ったところで、私は新たな異常に気が付きます。


 身体が尋常ではなく重い。


 体重が二〇(20)キログラムほど増えたか、あるいは重力が三割ほど増したか。そう思ってしまうくらい酷い倦怠感に全身が包まれているのです。


 これは本格的に疑わしくなってきたなあ。


 私は昼食を急いで平らげ、その後、本日二度目の体温測定を行います。


 結果は三七・七( 37.7 )℃。


 平熱が高めの私ではありますが、それでも三七・五( 37.5 )℃を超すのは稀です。


 もうこれは発熱と判断して差し支えないでしょう。


 例の感染症では軽症の場合、これといった治療法がありません。とはいえ、診断は可及的速やかに確定させるべきです。


 そしてそのためには医療機関を受診しなければなりませんが、生憎今日は週末です。時間的に、私が普段かかっている診療所は既に診療を終了しています。


 では、どこならば診てもらえるでしょうか。


 週末の午後も発熱患者対応を行っている医療機関に心当たりはありません。


 分からなければ調べましょう。


 私は疑問を検索エンジンにぶつけます。


 私が居住している自治体は、発熱者の相談に無料で応じてくれる電話窓口を設置しています。


 今から診てもらえる医療機関を教えてもらえたらありがたい。


 そんな思いで私は発熱相談窓口に電話をかけます。


 電話が繋がり、受話器から壮年期の女性と(おぼ)しき気だるげな声がします。


 私は思考力の少々(かす)んできた頭で症状を整理し、なるべく簡潔に状態を伝えます。


 すると、女性はかなり高圧的な口調で、「自分で受診先を探すように」と言います。


 ウチの自治体が血税を投入してこんな役に立たない窓口を設置しているとは……。


 腹立たしいやら嘆かわしいやら、とにかく不愉快です。


 しかしながら、この女性に直接文句をぶつけたところで私には得られるものがありません。


 病に身を冒されておらずとも時間は有限であり、さらに現在の私は残存体力が著しく減っています。


『即刻、通話を終了したい』という衝動を抑え、努めて冷静に会話終了の意を女性に伝えます。


 通話が終わると分かるやいなや、女性の口調が柔らかく変化します。


 もしかしたら、『電話の終了間際だけ口調を丁寧にしておけば、後からクレームをつけられる確率が下がる』とでも内部で教育されているのかもしれません。


 最初から最後まで礼を失した喋り方をされるのも嫌ですが、これはこれでなんだかなあ、と思いながら、私は次に当たります。


 繰り返しになりますが、この時間、私が日頃かかっている診療所は診療を終えています。それでも何かの間違いで電話が繋がり、診察してもらえるかもしれません。


 一縷の望みを託してかかりつけの診療所に電話をかけると、なんと応える方がいます。


 聞くと、発熱者対応として特別に専用の診療時間を設けていて、今がまさにその時間とのこと。


 悪いことばかりではありません。


 私は、直ちに受診の用意を整えます。




 受診先探しを始めてから時が経つことおよそ二時間、抗原検査の結果が判明します。


 小さな樹脂製の検査器小窓に現れている線は一本、それが意味するところは『陰性』です。


 検査には偽陰性がありますし、そもそもあの感染症でないなら、この症状はなんなんだ、という思いもあり、陰性の結果を見ても、ホッとしていいものかどうなのか分かりません。


 私の心の有り様はどうあれ診療は終わりです。私は薬も何も貰わずに手ぶらで家へ帰ります。




 家に着き、朦朧(もうろう)としながら、ただ時間を過ごします。


 すぐに夕方になり、食欲はあまりないものの普段と同量の夕食を摂取します。


 自覚症状は昼よりも悪化していて、頭痛までお出まししています。


 食後、常備してある子ども用の解熱鎮痛薬を飲み、効いてくるのをじっと待ちます。けれども、一時間経っても二時間経っても痛みは軽減しません。それどころか、むしろ徐々に悪化していくではありませんか。


 頭痛の悪化につれて吐き気まで出てきます。


 こういうとき、吐いてしまえば一旦は楽になるでしょう。ですが、体液の喪失は即ち体力の喪失を意味します。それも、ちょっとやそっとではなく、絶望的なほどごっそりと失われます。


 吐いてはいけない。耐えろ、自分。


 己を励まし、気合いで吐き気を(こら)えて寝るに寝られぬ夜を過ごし、そのまま朝まで延々床反(とこがえ)りを繰り返します。


 これが私の発症当日、つまりは第(れい)病日の経過です。




 翌、第一病日。


 ほとんど眠れていませんが朝なので起きます。


 まずやるのは体温測定です。


 結果は三七・二( 37.2 )度。


 平熱が高い私にとって、これはいつもの温度です。


 食欲はまずまずあり、吐き気はほぼ引いています。頭痛はまだはっきりとあるものの、深夜、未明に比べればかなり弱まっています。身体の重さ、ダルさも少しは楽になっています。


 ただ、第(れい)病日と違って様々な症状が出現しています。


 新規症状を列挙すると、全身の痛み、喉の痛み、鼻汁、咳、痰、下痢、声の(かす)れです。


 多岐にわたる症状を並べてみるとかなり悲壮感がありますが、いずれも程度としては軽く、やろうと思えば少し強めの運動くらいならできそうです。


 では、以上を踏まえて今日はどうすべきか。


 たとえ大人でも、普通の風邪で一日寝込むくらいなら、そこまで珍しいこととは言えません。しかし、昨日受けた検査が実は偽陰性だった可能性はどこまでも否定できず、楽観的に考えて行動するのは危険です。


 結局、その日も自宅でおとなしく過ごしました。




 第二病日。


 安穏と家に籠もっていられた週末が終わり、平日の始まりです。つまり私はアルバイトに行かなければなりません。


 しかし、体調は昨日に比べて数段、悪くなっています。出勤して働くどころではありません。


 もはや恒例となった朝の儀式、体温測定を行います。


 結果は三八・四( 38.4 )℃。


 ぐうの音も出ないほど発熱しています。


 第一病日から存在していた各種の症状は軒並み悪化し、身体のダルさがぶりかえし、追加症状として寒気と胸痛まで現れています。


 それだけではありません。言葉では言い表せない、何か妙な感じがします。


 もしや、と思った私は黄色い粉が入った缶を開けます。


 ……。


 やっぱりです。匂いを全く感じません。


 カレーだけではありません。シナモンの瓶蓋を開けても、ハンドクリームを手の甲に出しても、食料廃棄物を包んだ袋の封を解いても全く匂いがしません。世界は完全に無臭になってしまいました。


 もう間違いないでしょう。これはあの感染症です。


 私は再度、医療機関へ出向いて抗原検査を受けました。


 検査開始から数分と待たずに樹脂製の検査機器に示された線は二本、判定結果は『陽性』です。


 私は正式に感染者と認定されました。


 本格的に療養するため、今度はたっぷりと薬を貰って自宅に帰ります。




 その日の夜、電話が鳴ります。電話の主は保健所の保健師でした。


 それから時間にしておよそ一時間、現在の体調や最近の行動履歴、接触者等々を聴取されました。濃厚接触者を特定するためです。


 保健所は最終的に、私の派遣先に勤務している従業員二名を濃厚接触者と判断しました。


 私は二人の濃厚接触者に心の中で平謝りしながら保健師との会話を続けます。


 保健師は優しく丁寧に私に問います。この先、ホテル療養と自宅療養のどちらを選ぶか、と。


 私は前から感染者のブログ等を読んでいたため、ホテル療養のおおまかな雰囲気は見当がつきます。


 そこで何か治療を受けられるわけではありませんし、病状悪化時に遠隔診療してくれる医療者の診療能力には最低水準保証がありません。


 そもそも病状が悪化して遠隔診療してもらいたいと思っても、自分にあてがわれた部屋から遠隔診療用の部屋まで自力移動できなければ、画面越しに医療者に相談することすらできないのです。


 身動きが取れないほど病状が悪化した場合は電話をかける以外に助かる術はありません。ホテルであればそれは内線でしょうし、自宅であれば保健所から案内された緊急番号に携帯で連絡し、助けを呼ぶことになります。


 ホテル療養では内線やらタブレットを用いたSNSやらで一日一回状態確認してもらえますが、自宅にいてもそれとほぼ同等のことを保健所の方が行ってくれます。


 両者に救命率の違いがあるとは私には思えません。行動次第では、自宅のほうが総合的な治療成績を改善させられる可能性すらあります。


 私は悩むことなく自宅療養を選択しました。


 軽症だと自他共に思っていても、いきなり病状悪化するのがこの病気です。


 床に就く前、もしもの備えとして携帯電話を枕元に置きます。


 寝ている間に呼吸状態が悪化し、携帯電話を取りにほんの数メートル歩くことすらできなくなっていたら、それだけで死がほぼ確定してしまうからです。


 私は、自分の選択が間違いでないことを祈りながら浅い眠りに落ちました。




 第三病日。


 三八(38)℃台の熱が続きます。その他の症状は第二病日と変わりません。


 元気は無くとも時間があります。時間があるならばやるべきことがあります。そう。小説の執筆です。


 ところが、いざパソコンを前にしても頭が全く回りません。書こうという気持ちが空回りするばかりです。


 ディスプレイとにらめっこを三十分続けても一時間続けても、辻褄の合う台詞回しが全然できません。状況描写も全くできません。文章らしい文章がまるで書けないのです。


 熱で劣化した頭では小説の続きを書くのは無理なようです。


 私は執筆を諦め、秋に受験する予定の資格試験に向けて購入した問題集を開きます。


 知ってさえいれば解ける、高度な思考力を要さない問題です。知らなければ解説を読んで新しい知識を習得するだけです。朦朧(もうろう)としている今の私でも問題なくこなせます。


 自宅籠もりを始めて今日で早四日目です。冷蔵庫に蓄えてあった食材はかなり減っています。保健所の方によれば、あと二日ほどで自治体から自宅療養者用の保存が利く食料が届くらしいので、節約に努めて(しの)ぎます。


 凌ぐと行っても、そもそも今の私には食べたいという欲求があまりありません。食べようと思えば食べられるし、食べないと体力が落ちる一方なので、どちらかというと頑張って食べています。


 その気になれば二食、三食は平気で抜けるかもしれません。病気の身体で食事を準備するのは大変ですが、一日も早く回復するために怠惰な心を叱咤して毎食決まった時間に最低限の栄養を摂取します。




 第四病日。


 熱などは前日と大差ないものの、頭が更に回らなくなり問題集を解き進めるも、解説を読んで新しい知識を増やすもできなくなりました。


 おとなしく布団に入って寝ているのが私の身体に最も求められていることなのだろうとは思うのですが、床に入っても全く寝付けません。


 なんなら横になっているほうがしんどい気すらするので、取り敢えず椅子に座ります。


 退屈なので、サブスクリプション契約の動画を垂れ流しにして延々と視聴します。


 目は画面方向を向いているのですが、内容が頭に入っているのか入っていないのか自分でもよく分かりません。


 面白いともつまらないとも思わないまま、主人公と仲間が言い争い、対立組織と闘い、申し訳程度に「転化した者」が現れる動画を眺めます。


 中身のない時間がゆっくりと、それでいて急速に流れ、食事の時間になったら空腹を感じずとも食事を摂取します。何も考えず、何も感じず、ただ食べる。


 動画の中の「転化した者」と私にどんな違いがあるのでしょうか。


 七転八倒の苦しみはないけれども生きている実感もない、掴みどころのない日、そんな日でした。





 第五病日。


 自治体から各種物資が届きました。


 感謝、感謝です。


 内容物は飲料品各種、準備が簡単、かつ保存の利く食品各種、菓子各種等などです。偏食の激しい人や噛む力の衰えている人、食欲のない人といった、多様な患者に対応できるよう、物資選択に細やかな気配りがされていました。


 私は特に食物アレルギーはないのですが、アレルギーのある方はそれに対応した物資を送ってもらえる模様です。


 飲食料以外では、酸素飽和度測定器(パルスオキシメーター)が別途、届きました。


 飲食料に手を付けるより先に酸素を測定してみます。


 紙をめくるための指サックのような柔らかいクリップに手の指を一本挟み込みます。痛みも刺激も全くありません。


 比較的大きな信号音とともに機器に表示されるのは「九七(97)」という数字です。


 酸素飽和度は「九〇(90)」を割り込むようだと呼吸不全です。機器の測定誤差及び悪化するときは急激というこの病の特徴を踏まえて、「九四(94)」以下が危険領域とされています


 どうやら私の身体は現在、酸素は足りているようです。たしかに、立っているとそれなりに強い疲労感があるものの、これといって息苦しさはありません。


 療養に必要な物資が届いたこと、そして何より酸素が足りていると確かめられたことで少しだけ安心できました。


 病が良好な経過を辿ると仮定した場合、発症からの経過日数的に私の療養は日程をほぼ半分消化したところです。


 しっかり休んでしっかり治そう。


 この病気になって以来、最も前向きな気持ちになり、夜になって床に就こうと思った時、私は咳き込みました。


 また痰が出た。よく出るなあ。


 口をティッシュで拭います。すると、そこに付着していたのは黄緑色の柔らかい痰ではなく、一部、固い部分が混じった赤黒い痰でした。


 朦朧とした頭でも分かります。


 血です。


 死の恐怖が急激に燃え上がり、前向きな気持ちが一気に後ろ向きになりました。




 第六病日。


 血が止まらずに大喀血するのではないだろうか。


 そんな心配は杞憂に終わりました。血痰が出たのは昨夜の一回こっきりです。


 あれ以降、血痰どころか普通の痰も出ていません。出血が怖くて咳をメチャクチャ我慢していたからです。


 血が完全に止まっていたとしても、普通の痰の産生はおそらくまだ続いています。身体が産み出している痰を全く出さないのは考えものです。適宜、外へ出してやらないことには、気管や肺に痰が溜まっていく一方です。


 軽く優しく咳き込んで痰を喀出し、ティッシュに包んだ痰の性状を恐る恐る確かめます。


 血は全く混じっていません。どうやら無事に止血できたようです。




 昼前、一日一回の症状確認の電話が保健所からかかってきます。


 すぐに血痰について保健師に伝えたところ、一旦電話が切られました。


 しばらくして電話が再びかかってきて、保健師は少し申し訳無さそうに言います。


「医師に確認したところ、血痰は新型コロナウイルス感染症の症状ではないそうです」


 ええ、なにそれ……。だったら、なんの症状なんですかね。


 私は考えなくてもいいことを色々と考えます。


 保健所は公的機関であり、保健所に在籍している医師とは医師免許を持っている公務員を指します。要は、地域保健や公衆衛生管理を担う役人であり、病院や診療所をはじめとした医療の最前線で診療に当たっている人間とは役割も能力もまるで違います。


 より突っ込んで言うならば、公衆衛生管理のプロは、診察と治療のプロではないのです。


 ただ、保健所としても新型コロナウイルス感染症の症状であろうとなかろうと血痰を所見として重要なものとは考えているらしく、「もしもご希望があれば、入院先を手配します」と言ってくれました。


 さて、どうしたものか私は考えます。


 血痰が出たのは一回だけで、既に止まっています。今も血が出続けているなら話は全く変わってきますが、止まったものに怯えて、中等症から重症者のためにある病床を軽症の私が占有するのが賢明な行いとは思えません。


 今や入手困難なプラチナチケットと化している入院切符を私は丁重に辞退しました。


 保健所との電話を終え、私はまたまた考えます。


 そもそもこの感染症は「痰の少ない空咳」が特徴です。もちろん「絶対に痰が出ない」というものでもありませんが、私の痰の量はいくらなんでも多い気がします。そして、自覚的にはそれほど重症感がないのに、熱がまるで下がりません。


 おやおや、これはひょっとして……。




 私は第二病日に薬を処方してくれた医師と連絡を取り、新たに薬を一種類処方してもらいました。


 薬は薬局の方がマンションの自動扉前まで届けてくれたため、私はマンションの敷地から一歩も出ることなく、頼んだその日のうちに目当ての薬を手に入れられました。


 新しい薬を内服したところ、ほんの数時間で熱が嘘のようにスッと引きました。解熱薬ではないのに、解熱薬もびっくりの目覚ましい効果です。


 現代医学の恩恵にたっぷりと浴した私はその日、久しぶりに穏やかな眠りに就くことができました。




 第七病日。


 もう熱は全く出ません。お薬様様です。


 痰はまだ出るものの、それまでとは明らかに質が違います。見た目の印象から言うならば、「できたてホヤホヤ、鮮度抜群!」ではなく「昨日、一昨日の残りもの」が出てきている感じです。


 私の身体に薬はよく効きましたが、いくつかの読み物(*1*2*3)をさっと眺めたかぎりでは、私が飲んだ薬と同系統の薬の新型コロナウイルス感染症患者に対する効果は否定的なようです。


 私も医師の判断を仰がずに同薬を盲目的に求める姿勢は推奨しませんので、薬の名称は敢えて伏せておきます。


 なにはともあれ、経過は間違いなく快方に向かっています。しかし、やけに眠い。夜、あれだけたくさん寝たのにとんでもなく眠気が強く、全く起きていられません。


 昨日、薬を飲むまでは、(とこ)でゆっくり休むどころか、眠りたくてもぐっすりと眠れなかったというのに、たった一日で私の身体には劇的な変化が生じています。


 食べては眠り、食べては眠りを繰り返しているうちに、その日は終わってしまいました。




 第八病日。


 第一病日からずっと続いていた節々の痛みと頭痛がほぼなくなりました。それに代わるかのように右頬に痛みが出現しています。どうやら、より強い痛みがなくなったことで副鼻腔炎の症状が顕在化したようです。


 身体のダルさはまだありますが許容範囲内です。


 日常生活再開に向け、マンション内でもできる軽めの運動を隣室の迷惑にならない範囲で行います。


 その日も眠気が強く、ほんの少し身体を動かしただけで後はほとんど寝て過ごしました。




 第九病日。


 昨日、身体を動かした反動か、全身疲労困憊です。しかしながら、病が引き起こす直接的なダルさとは違い、どこか爽やかさのある疲労です。


 この日もやはり眠気が強く、昼夜構わずに眠っていたところ、電話の着信音が私の安眠を妨げます。


 保健所ではありません。その日の病状確認は、もう済んでいます。


 電話の主は、アルバイト先の偉い人でした。


 私は簡潔に病状と先の展望を伝えます。


 解熱はしている。勧告が解除される日を今か今かと待っている。おそらく、じきに出勤再開の目処が立つであろう。


 明瞭に話したいという思いとは裏腹に、私の声はとんでもなくガラガラになっています。


 よほど聞き取りづらかったのでしょう。偉い人から「ひどい声になってしまいましたね」と慰めとも憐れみとも判断のつかない一言をいただきました。




 第一〇病日。


 本日も少し身体を動かします。本当に軽めに、自分の身体を騙しだましという感じです。


 身体をほんの短時間動かしただけで私はすぐに眠くなってしまいます。体力に限って考えるならば、良くなっているという実感が全く持てません。主観的には第七病日以降、回復が完全に停滞しています。


 それでも、自覚できない、ごく僅かな範囲で体力は回復しているはず、と信じて軽い運動を行います。


 この日の夜中、眠っていた私は強く咳き込んで目を覚ましました。


 喀出した痰をティッシュに取り、明かりを点けて確かめたところ、信じられないほど量が多かったのが印象的でした。




 第一一( 11 )病日。


 昨日の軽い運動の疲れが抜けず、とにかく身体を休めます。病的な眠気はやっとなくなりました。


 深夜に大量の痰を排出したおかげか、今日は痰の量がガクンと減りました。いい感じです。


 昼の少し前に保健所から電話がかかってきます。


「このまま病状が再悪化に転じることなく明日を迎えられたら、外出しても構いませんよ」


 保健所から外出許可が下りました。許可が有効になるのは明日以降なので、仮許可と言ったところでしょうか。




 第一二( 12 )病日。


 今日は喉の痛みも鼻汁もありません。


 めでたく勧告解除となり、久しぶりに外に出ます。


 外の空気はさぞかし美味しいだろうと期待していましたが、いざ外に出てみても何も感じませんでした。これといって感慨もありません。無感動な自分に肩透かしです。


 とはいえ外に出られたのです。やるべきことが沢山あります。


 保存が利くもの以外、ほぼ全く食料が無くなっていたため、自転車に乗って食料を買いに出かけます。他、雑事も並行して行います。


 家を出てから数分、身体はすぐに悲鳴をあげます。


 一番(こた)えているのは自転車のペダルを漕ぐ足ではありません。ハンドルを握り上体を支えている両腕です。これはきっと療養期間に脚力よりも腕力のほうが顕著に低下したということなのでしょう。


 内心ひいひい言いながら目的に到着し、用事をこなしていきます。電話ではなく対面で人と話すのも、これまた久しぶりです。


 私の声は相変わらずガラガラですが、二言三言の事務的な会話を繰り返すうちに声が徐々に戻り始めます。自転車漕ぎという負荷の大きめな運動をしたのも良い方向に作用したのかもしれません。


 そもそも私は自宅療養中、毎日一、二分の電話時以外に声を出した覚えがありません。そういった喉を使わない生活様式も、ガラガラ声がいつまでも続くことになった要因のひとつなのだろうと思います。


 雑用を済ませ、食料品と日用品を購入し、目的は全て達成して帰路に就きます。


 身体はヘトヘトですが、転ぶこともダウンすることもなく家まで帰り着きます。


 荷物を片付けたところでふと思い立ち、シナモンの瓶を開けて鼻を近づけてみます。


 なんということでしょう。ほんの少しですが、匂いが分かるではありませんか。ついに無臭の世界の終わりです。


 ついでにバナナも嗅いでみたところ、甘いフルーツの香りではなく酸化した機械油のような謎の匂いがしました。念の為、確かめてみても、バナナは別に腐っていません。


 どうも、嗅覚に障害をきたした際に起こる異臭症(parosmia(パローズミア))という現象の模様です。




 第一三病日。


 昨日、外出した反動で強い筋肉痛が全身を襲います。


 一応、今日から出勤再開する可能性もあったために昨夜のうちに準備しておいたのですが、就寝の直前、『今週は体力回復に専念するように』と、派遣先から連絡がありました。


 出勤していたら、体力不足により多大な迷惑をかけていたのは間違いありません。


 この日は、不定期に繰り返していた下痢が止まりました。




 第一四病日。


 筋肉痛が収まった以外、特に変わりはありませんでした。




 第一五病日。


 鼻声になっています。


 また、痰を出すための咳ではなく、特徴的な気管のムズ痒さを伴う咳が出ます。感染症の再燃ではありません。例年の行事、花粉症です。


 嗅覚がまた少し改善し、シナモン以外にも生ゴミの匂いが薄っすら分かるようになりました。




 第一六病日。


 出勤再開しました。


 仕事をすることで、思考力、会話力、判断力、集中力などの低下を強く自覚します。いわゆる「ブレインフォグ」の症状です。日本語に訳すと、脳の霧です。


「おはようございます」や「すみません」といった簡単な挨拶ですら一、二秒考えないと出てきません。


 人と会話していて、自分が今、適切な内容を話せているのか、仕事の場に相応しい礼節の保たれた言動ができているのか、よく分かりません。


 例えるならば、夢の中で走ろうとしても上手く走れない。そもそも足の感覚がハッキリしない。そんな感じです。


 不思議な感覚に包まれたまま仕事をこなしていきます。




 第一七病日。


 頬に感じていた副鼻腔炎の痛みがほぼなくなりました。


 ブレインフォグは第一六病日に比べてかなり改善しているものの、それでもまだ思考が淀んでいることは否定できません。




 第一八病日。


 まだ残存している症状は三つです。


 ひとつはブレインフォグ、ひとつは深呼吸したり胸に力を込めたりしたときの胸痛、最後のひとつが嗅覚障害です。


 体力は、完全に戻ったとは言えませんが、勧告が解除された第一二病日以降、一貫して回復基調です。




    ◇◇    




 第一九病日以降は目立った変化の無い日々が続きました。


 三つの症状はいずれも緩やかに回復し、第二五病日頃にはブレインフォグを意識することがほとんどなくなりました。


 嗅覚は、完全回復とまではいかないものの、身の回りで嗅げる匂いは全て弁別可能です。バナナの香りを油のように感じる等の異臭症はなくなったため、日常で困る場面はありません。


 胸痛は最初から強い痛みではなかったため、生活に支障はありません。


 復職してから新たに出現した、というか気付いたのが、「体重減少」です。




 私は病前から摂取熱量(カロリー)をある程度算出し、月に五回から一〇回程度、体重を測定しています。


 体重を意図的に増減させる際に是非知っておきたい知識のひとつにメンテンナンスカロリーというものがあります。


 これは、何も活動しなくとも生命を維持するために必要な基礎代謝とは異なるものです。


 いつもと同じ強度の生活を送ったときに体重が増えも減りもしない熱量、それがメンテナンスカロリーと私は理解しています。


 私の場合、メンテナンスカロリーは一七〇〇( 1700 )から一八〇〇( 1800 )キロカロリーです。


 参考までに、事務仕事等に従事している運動量の少ない壮年期日本成人の熱量所要量は男性で二二五〇( 2250 )キロカロリー、女性で一七五〇( 1750 )キロカロリーです。この数字はあくまでも目安であり、実際のメンテナンスカロリーは個々人の身長、体重、運動量や体質によって大きく変わります。


 話を自分に戻すと、私は減量時、摂取熱量を一五〇〇( 1500 )から一六〇〇( 1600 )キロカロリーに設定します。


 このカロリー内に収まるようにあらかじめ食事メニューを組み、毎日同じメニューを続けます。こうすれば、今日は何を食べようか、と考える手間を省けます。スーパーに買い物に行っても、曜日によって買う物が完全に固定されているため、冷蔵庫に何が残っているか思い出す作業が要りません。


 減量メニューを摂食していると、後は特に何も考えずとも一か月でおよそ一キログラム体重が減ります。


 増量時は二〇〇〇( 2000 )から二二〇〇( 2200 )キロカロリー摂取します。こうすると、一か月でおよそ一キログラム体重が増えます。




 これが病前の私の身体だったのですが、病後は燃費が悪化したか、あるいは消化管の吸収力が減少したのか、メンテンナスカロリーどころか増量期と同量の熱量を摂取しているにもかかわらず、体重は増えるどころか減っていきます。それも一週間に五〇〇( 500 )グラムという急激な速さで減っていくのです。


 足りないならもっと食えよ、という意見がどこからともなく聞こえてくるかのようではありますが、悲しいかな、私の胃腸は病前から受け入れ容量極小です。ほんの少し多く納入しただけで胃腸はたちまち機嫌を悪くします。


 二二〇〇( 2200 )キロカロリーとは私の胃腸の限界であり、限界量を摂取してもなお体重が減っている、というのが現状です。


 減らそうと思って体重が減る分には一向に構わないのですが、体力回復のために体重を増やそうと思って頑張って食べているのに体重が減るとなると、もう恐怖しかありません。


 望まない体重減少が続いたときに行き着く先は決まっています。


 死です。


 血痰が出た時の恐怖を思い切り鈍化させたような、ネットリとした感覚が私を包みます。


 どうにかしたい。


 ですが、対策は全く思いつきません。


 身体が勝手に病前と同程度まで燃費を改善してくれると信じ、私は腹を壊さない程度に滋養を胃腸に流し込みます。




 その後、願いが通じ、体重減少はおよそ一か月で止まりました。そこから約一キログラム反転増量してくれましたが、後はうんともすんとも言わなくなりました。


 本当はもっと増えてほしいのですが、一応、死の恐怖は遠のいたので、取り敢えずこれで良しとします。




    ◇◇    




 発症から一か月半と少し経過しました。


 胸痛はまだあります。深呼吸したときやあくびをしたときにわずかに痛む程度です。仕事に追われているときに自覚することはありません。


 嗅覚は病前の五割ほどまで戻っています。


 この先怖いのは脱毛です。ある報(*4)によると、平均的して発症から二か月頃、感染者のおよそ四人に一人が脱毛をきたす模様です。私はそろそろ好発期に差し掛かるため、毎日鏡を見る度に軽い覚悟が要ります。


 また、再感染も気になります。獲得した免疫は生涯続くものではありませんし、感染症のほうも様々な変異を続けています。


 変異した感染症に対して古い免疫がどれほど効果を発揮するのか、世界はまだはっきりとした答えを持っていません。


 既感染者もワクチン接種者も、この感染症の恐怖から完全に逃れることはできないのです。


 世界各国の指導者たちはワクチンの確保に奔走し、一日も早く社会を元のかたちへ戻そうと奮闘しています。


 私も、日本を含めて世界中にワクチンが普及することを強く願い、そして世界の目指している方向が誤りではないことをただ祈っています。







【参考】

*1

Alexandre B. Cavalcanti et al., Hydroxychloroquine with or without Azithromycin in Mild-to-Moderate Covid-19. N Engl J Med 2020; 383:2041-2052, DOI: 10.1056/NEJMoa2019014, (access 11 April 2021)


*2

RECOVERY Collaborative Group, Azithromycin in patients admitted to hospital with COVID-19(RECOVERY): a randomised, controlled, open-label, platform trial. The Lancet, Volume 397, Issue 10274, P605-612, 13 February 2021, DOI: https://doi.org/10.1016/S0140-6736(21)00149-5, (access 11 April 2021)


*3

PRINCIPLE Trial Collaborative Group, Azithromycin for community treatment of suspected COVID-19 in people at increased risk of an adverse clinical course in the UK(PRINCIPLE): a randomised, controlled, open-label, adaptive platform trial. The Lancet, Volume 397, Issue 10279, P1063-1074, 20 March 2021, DOI: https://doi.org/10.1016/S0140-6736(21)00461-X, (access 11 April 2021)


*4

Yusuke Miyazato et al., Prolonged and Late-Onset Symptoms of Coronavirus Disease 2019. Open Forum Infectious Diseases, Volume 7, Issue 11, November 2020, ofaa507, https://doi.org/10.1093/ofid/ofaa507, (access 11 April 2021)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] この投稿に半年以上経ってから気づきましたがご健在であれば何よりです…
[良い点] 実体験は資料と比較の上でとても参考になりました。 [一言] やっぱり病名以外は風邪と変わらないんですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ