林檎飴
むせ返る雑踏の中で、私たちは彼らの足元をじっと見つめている。彼らの足元を駆けてゆく林檎飴の行き先がただ知りたかった。
「残念だったね」
転がってゆく林檎飴を目で追いかけながら、彼はそう言った。私もそう思った。
だから「そうだね」と頷いてみたけれど、だったらどうしてそんなに嬉しそうな顔をするの、とは言葉に出来なかった。
両側に屋台が連なる道路の真ん中を、いつもと違う目線でゆっくりと進んでゆく。
子どもの手首から垂れている紐の先で、ビニールの檻に囲まれた金魚が二匹、螺旋を描くように泳いでいた。ただぼぅっと眺めていると、小さなほうの金魚と眼があった。金魚の瞳は思っていたよりも丸く、じっと見つめていると吸い込まれそうだった。
林檎飴はジグザグと方向を変えながらコロコロと気持ちよく転がってゆく。
身体から突き出していた割り箸はいつの間にか失われて、赤い輪郭だけが浮かんでいる。
「林檎飴好きだったよね?」
縁日に着くなり、彼は私にそう尋ねた。ちょっとビックリしたけれど、私がうん、と頷くと、彼は「そう」と呟くなりきびすを返し、石段を音もなく駆け下りると、雑踏の中に溶け込んでしまった。
あっ、という間もない出来事だった。
しかたなく石段に座り、暗闇に林檎飴を描いていると、突然、パンッと水風船が割れるような音が頭のすぐ上のほうで鳴った。
石段を登って、境内を見渡してみると、提燈の灯に照らされた、浴衣姿の少女と犬がいた。少女は、後頭部に狐のお面をしている。いまどき珍しいお面だなと思った。同じようなお面が祖母の家にもあったような気がしたけれど思い出せない。
近寄ってみると、少女の足元にしなびた風船が落ちていた。少女はその残骸の前で、呆然としている。泣き声の主かと思ったけれど、犬も、少女もただじっと残骸を見つめている。
「どうかしたの?」
声をかけると、少女はくるりと回転し、私に向き直ったかと思うと、無言で私ををじっとみつめてきた。十歳くらいだろうか。顔は泣き出しそうだけれど、両の瞳が爛々と輝いている。金魚みたいだ。
「えっと……水風船、割れちゃったのかな?」返事がないので、もう一度声をかけてみる。
「……ワン!」
犬が返事をするだけで、少女は無言のままだった。もしかしたら言葉が通じないのかもしれない。だから、私もみつめることにした。
どれくらい時間がたっただろうか。少女はあきもせずに私を眺めている。瞬きをするたびに、長い睫がパチパチと音を立てるように揺れる。眼に入ったら痛そうだ。
――――ふと、この少女の姿を、昔どこかで見たような気がした。
「おまたせ」
いつの間にか彼がすぐ横に立っていた。
そして、「どうぞ」と林檎飴を二つ差し出した。どうぞ、と言われても、飴は二つある。どうしたものかと私が難しい顔をしていると、選んで、と彼が囁いた。よく見ると、中の林檎の色が、青いのと赤いのがあった。
少し考えた後、私はこれが良いと青い林檎を指差した。少女には青が似合いそうだった。
余計なことだと思ったけれど、「水風船の代わり」と少女に林檎飴を差し出した。少女はビックリしたように目をパチパチさせたあとに、「ありがとう」と小さな声で言って、手を伸ばした。私から少女へ、林檎飴が移ろうとした瞬間に、バウッと犬が飛び掛って、あわれ林檎飴は階段を転げ落ちていってしまった。
私も、少女も、犬も、ただそれを眺めることしかできなかった。カラカラと音をたてて、赤い塊が遠く去ってゆく。どうすることもできず、しばらく呆然としていると、
「……決めた」
彼が独り言のように呟いた。何を決めたのだろう。へっと彼の顔をあおぐと
「追いかけよう」と右手を取られた。
え? と疑問を投げかける間もなく、彼は私を道連れに林檎飴の落ちた先へと駆けてゆく。振り返ると、少女と犬はどこにもいなかった。
林檎飴は赤い路を作り続ける。
誰にもぶつかることなく、沢山の人垣をすり抜けて、ただコロコロと転がり続ける。
「金魚と眼があった」
「僕も眼があった」
「どっちの金魚?」
「小さいほう」
「同じだね」
私がそう返事をすると、突然にぎゅっと手を握られた。少しドキドキしたけれど、彼と金魚の瞳について考えたらおかしくてたまらなかった。ああ、今日の私は少し変だ。
……待って。
後ろから誰かが私を呼ぶ声がした。その声は少女のようにも、私のようにも聞こえた。
振り返れば、そこに雑踏は無く、ガランとした道の真ん中に色あせた狐のお面がただ一つ落ちているだけだった。