一人遊び 箱庭
Hiroshi Yoshimura "GREEN" (1986)
を、聴きながら
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寝不足の鈍った頭とむかむかする胃のあたりと、しょぼくれた目元。頭の中をぐるぐるするのは、置いてきた創作の居場所だったところのことばかり。……いい加減呆れる。……私は、どこまでも幻想にしか意識を奪われない。
書かれている文字たちに翻弄される。イメージばかりに気持ちを揺らされる。画面の向こうにいらっしゃる方がどのような日常を送り、どのような顔でどのような声で過ごされているのかすら知らないのに。言葉のイメージたちに囚われる。それはどこまでも一人遊びの延長だと、酷く自分を卑下したい気持ちになる。貶して気が済むのならいくらでも。……けれど、どうせ、私は貶すことすら満足に達成出来ない。……私は、私自身にとても甘いから。いつだって甘言と逃げ道を用意した責め苦は、ある意味、限界を知っているシーソーゲームを行っているみたい。引き際を知っている自分との対話は、極限まで苦しいと思われることはしない。、私は、だが。死へ向かう気持ちであったときは、それそのものが癒しであったから。……どのような状況や状態であれ、自分自身との対話は、本当の痛みをもたらさない。私は、守られた箱庭の中で限られた一人遊びを繰り返す。いつまでもいつまでも。嫌になったら閉じればよい。いつだって閉じかけの外界への扉と居心地の良い私だけの空間。箱庭の思考。