使用人たちと
檻護塔の御屋敷に入ってから三日。
十的にみは──正直、戸惑ってばかりいた。
と、いうのも。
「にみちゃん、これはこうするんだよ」
「にみちゃん、これはこうするんだよ」
左右から同時に同じ声同じ言葉で仕事──掃除の仕方を指導される。
「……は、はい…………」
にみはぎこちない返事をしながら、指導された通りに部屋の装飾品を磨いていく。
にみの右側に立っているのは先輩メイド。
同じく。
にみの左側に立っているのも先輩メイド。
二人の顔は──瓜二つ──同じ顔である。
右側に立っているのが、姉──海野もずく。
左側に立っているのが、妹──海野もくず。
辛うじてその判断が出来るのは、彼女たちの腕にある──リストバンド。
姉のもずくは──右腕に。
妹のもくずは──左腕に。
それぞれ、レースがあしらわれたリストバンドを片腕に着けている。双子に出会うことが少なかったにみにとって、双子であるというそれだけでも驚きであったのだが、さらに驚いたのは、顔合わせの際に聞いたその年齢。なんと、二人はまだ義務教育の最中である十歳だというのだ──学年で言うと小学生の半ば……小学四年生である。
この、自分より頭ひとつふたつと低い身長の二人に挟まれてにみは──困っていた。
挟み込まれて──戸惑っていた。
二人とも、初日に挨拶をしたその時から、何故かずっと、にみの傍を離れないのだ。最初は、指導の為の配置なんだろう、と思っていたのだが、三日も続けばこれはおかしいなと気付く。お手洗いに行こうとにみが席を外す時ですら付いてくるのだ。おかしいと思わない方がおかしい。
「あ、あのー……、せ、先輩方……」
にみは遠慮がちに二人に声をかけた。
年下とはいえ、先にこの業務に就いていた二人だ。先輩であることには違いないので、そう呼ぶ。
「ん?」
「ん?」
ダブルサウンドで左右からの視線を受ける。
シンメトリーに小首を傾げながら振り向くさまは、同性であるにみから見てもかわいいと思う。
思う、が。
「その……、こうやって手取り足取り教えていただけるのは有り難いのですが……、その……、何と言いますか……こう、距離がですね……」
どう言えば彼女らを傷付けずに済むのか、口にする言葉を考えながらにみはそう提言する。
距離──パーソナルスペース。
現状、両脇をゼロ距離で固められているのだ──これではメイドとしての作業がしづらい上に、拘束されてる気分になる。
まぁ。
そういう気分になる、というだけでにみ的には嫌悪感などが湧くことはないのだが──しかし、いかんせん、業務執行に難が生じている。
さすがにこの状況はままならない。
と、いうか。
彼女たちの仕事は大丈夫なのだろうか?
彼女たちには彼女たちの仕事があるはずだが……。
「距離?」
「距離?」
これまた可愛く同時に問い返される。
どうやら彼女らに、パーソナルスペースという言葉はなさそうだ。言葉どころか、その本能的な感覚も無いようである。
さて、どうやって理解してもらおうか──と、にみが悩んでいると。
こんこん
と、ドアをノックする音が聞こえた。
そちらを振り返ると、室内の空気を入れ替えるために開け放っていた扉の傍に、木管津甘が立っていた。その顔には苦笑の表情がある。
「二人とも、後輩が出来て嬉しいのは分かりますが、そんなにくっついては十的さんが動きにくいですよ」
津甘はそう言ってやんわり双子を注意してから、す、と表情を締めて、
「……お客様がいらっしゃいました。皆さん、作業の手を止めて構いませんので、至急、厨房へ集まってください」
と、三人に告げた。
「は、はい!」
にみは戸惑いながらも返事をし、それまで握っていた布巾をその場に置き、廊下を行く津甘の背中を双子と共に追った。
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厨房に着くと、津甘はてきぱきと指示を出した。
「もずともくはお客様に紅茶をお出しして下さい。茶葉はダージリンで。それから……厨房にオーダーを入れていますので、それが上がり次第、取りに来てください」
指示を受けた双子は早速と準備に取りかかる。それを見やってから、津甘はにみに向き直った。何を指示されるのかと緊張しながら待っていたにみにそうして出された指示は。
「──十的さんはこちらで待機です。このバックヤードから出ないようにお願いします」
少し厳しさの混じる声でそう言われ、にみは疑問を頭に浮かべながら固まってしまった。
どういうことだろう。
来客であるのだから何かとやるべきことはあるはずなのだけれど。
「わ……、分かりました……」
とりあえずそう答えてにみは、双子や津甘の邪魔にならないよう、バックヤードの隅に身を控えながら考えを巡らせた。
……呼ばれたのに任される仕事がない。では、何故双子と共に呼ばれたのだろうか。任せる仕事がないのであれば、呼ぶのは双子だけで良かったはず。掃除の作業自体はにみ一人でも出来ないことはないのだから。
となれば──
緊急時の為の人員のストックだろうか。
「十的ちゃん」
ひとつの考えに至りかけたところで厨房から声を掛けられた。振り向くと、料理を渡すカウンターから、料理人である鍋原鹿折がこちらを覗いていた。その顔は、なんだか申し訳なさそうである。
「何でしょうか」
ふと気が付けば、津甘と双子はバックヤードから居なくなっている。見送る間もなく出てしまったようだ。
「もしかして……何も説明されてない?」
そう問われて、にみは頷いて答えた。
「やっぱりか……まぁ、なんせ急に来たし、説明する余裕がなかったのかもな」
余裕が無い。
言われてみれば確かにそんな様子だった。にみたちが掃除をしていた部屋から厨房に移動するまでの間、津甘は黙ったままだった。その移動時間で説明しようと思えば出来たのではないだろうか──というか──津甘の執事としての能力を鑑みても出来ないことはなかったはずでは。
「今いらっしゃっているお客様……は、特別な方なんですか?」
あの敏腕であろう執事が余裕を無くすほどの。
「うん、特別も特別、大特別だよ」
鹿折は腕を組み、特別、という言葉を強調するように繰り返して答えた。大御所がお見えになったと言わんばかりの雰囲気を演ずる鹿折の横から、ひょこっと顔を出したのはショートカットの女性。
「特別、というより特殊って感じだけどねー。はい、これ食べてちょ」
軽い口調で己の意見を述べながら、ケーキが乗せられた白い皿をカウンターに置く。パティシエの鍋原飴乃だ。料理人の鹿折とは夫婦である。
「え…………?」
出されたケーキに戸惑うにみ。
来客に、と出すなら分かるのだけれど、メイド(しかも理由不明の待機中)である己に食べてと出すのは間違いではなかろうか。
「何もしないでいるのって退屈でしょ? 暇潰しって言ったらあれだけど、間食ってことで。それにこのケーキ、私がトマトちゃんにって作ったんだ。ほら、食べて食べて」
どうぞどうぞと勧めてくる飴乃に、いいのだろうかと躊躇いつつ、断るのも悪い気がしてにみは、「お言葉に甘えて……」とカウンターからケーキを受け取った。立ったままで食べるのは行儀が悪いので、準備台まで移動し、きちんと椅子に腰掛ける。それから、いただきます、と礼をして、添えられていたフォークを手に取りケーキを一口分掬って口に運んだ。
「おいしい……!」
チーズムースとチーズスフレ、二つの食感が口当たりよく舌に馴染む。同時に、ココアのほろ苦い風味が鼻の奥にまで届く。シンプルかつ美味しい。にみはまだ一口目の余韻が消えないうちに二口目をフォークで掬った。
「気に入って貰えたようでよかった」
にみの反応が嬉しかったのか、カウンターに肘をついて飴乃は、にこにことした笑顔でにみがケーキを口に運ぶ様子を眺める。
この笑顔。
見ているだけでこちらの心も緩んでくる。十的をトマトちゃんと呼ぶそれも、心地良く思えてくるのだから不思議だ。
「おっと、そろそろ頃合いかな」
そう言って、鹿折が厨房の奥へ向かう。そんな鹿折の背中を見ながら、ふと気になった。
「……そういえば、オーダーされたものって何ですか?」
笑顔を絶やさない飴乃に訊く。
「ん? あぁ、温泉卵だよ」
飴乃はにみの視線を追うように鹿折の方を振り返って見ながら答える。
「相当好きなんだろうねー、あの方がいらっしゃる度にオーダーが入るんだよ」
変わってる人だよねぇ──とカウンターに頬杖をつきながら飴乃は言った。
なんだか客人に対する鍋原夫婦の修飾語──言葉選びが微妙過ぎてイメージが定まらない。
一体、どんな人なのだろうか。
改めて、来客のそれを飴乃に訊いてみると。
「どんなひと……う~ん、どういったら伝わるかなこれ……」
どうやら表現する言葉が見つからないようだ。
「……………………」
大人でさえ、その人となりを表現するにあたり使う言葉に迷うとは。
さほど、人に対して興味を抱かないにみでも、この来客に対しては、僅かなりとも興味が湧いた。
まぁ。
興味が湧いたところで、見に行くことは出来ないのだが。
上司命令。
にみは命じられてこのバックヤードに留まっているのだ。この指示を無視して就職三日目にしてクビ、なんてことにはなりたくはない。
おとなしくしていよう、と、そう心で決めてにみは飴乃が作ってくれたケーキを堪能し、空になった皿を、ごちそうさまでした、の言葉と共に飴乃に返した。その際に鹿折が温泉卵を盛り付けている姿が見えた。鹿折は盛り付けを仕上げると、一度それを眺めてから満足そうに頷いて、カウンターへ置いた。
「オーダー上がったぞー。飴乃、呼び鈴を押してくれー」
「あーい」
返事をして飴乃は、ケーキ皿をシンクに置くと、呼び鈴の設えてある壁に向かった。
と。
飴乃が呼び鈴にたどり着く前に、バックヤードの扉が開いた。
──津甘だった。
津甘はバックヤードに一歩入るなり、小さく溜め息を溢した。
あの完璧鉄人っぽい執事が溜め息とは。
何かあったのだろうか。
「あー……もしかして……バレたっぽい?」
津甘の様子を見て何かを察したらしく、鹿折がそろりと訊く。
「えぇ、お察しの通りです。全く、あの方に対して悪態をつこうにも何をどう言えば悪態になるのか……悪態をつくことが出来るのか……悩ましいのがまた腹立たしいですね──」
言葉通りの表情──割と厳が強めの──を露にする津甘。
この短時間で一体何があったのだろう。
「まぁ、そうカリカリしなさんなって。あの方が来る度にいちいち腹立ててたらこっちのメンタルが持たねぇよ」
そう言って苦笑いをする鹿折。
「そうそう、悪態つくこと考えるよりも、これ、持っていってくんない?」
そう言う飴乃はいつのまにか──鹿折が仕上げた温泉卵の皿を銀のトレイに乗せ、銀のドームを被せようとしていた。
「そうですね、そうすることにします」
飴乃の一言に、気持ちを切り替えるためか津甘は目を閉じて、ふっ、と短く──それでいて強く──それこそ身の内にあった負の気持ちを出すように──息を吐いた。そのモーションだけで、ぱっと気持ちをすっかり切り替えたらしく先程の厳の強い表情は無くなっていた。
そうして──津甘はにみに向き直る。
「十的さん。私と一緒に来て下さい」